【東巻】箱根ミスマッチ



箱学寮内
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「今日の緊急会議のテーマはこれだ『オレと巻ちゃんが自然にイチャつける方法を考えろ』」

試験前の一夜漬けならぬ、一週間漬け対策で、今週の部活動は運動部文化部問わず停止となっている。
バカだが成績はいいという東堂の部屋で、勉強を教わっているのは新開と荒北だった。

ちなみに普通に成績がいいキャプテンである福森は、不思議ちゃんが逃亡しないようにと、泉田と二人がかりで見張っているというのだから、大変だ。

とりあえず今日は古文の試験範囲を詰め込み、本日の課題はひと段落という所で、切り出してきたのが、東堂の言葉だった。
「ハイッ!解散」
パンパンッと響き渡る拍手で締めたあと、自室へ帰ろうと立ち上がりかける荒北の腰に、東堂がしがみついた。

「お前らに勉強を教えてやっただろう!その礼として少しはオレの悩みに協力をしろ!!」
「アホか!手前ェの巻ちゃんに関する悩み以外だったらまだ聞く耳あっても、この話題に関しては協力の余地ねぇヨ!」
「何故だ!この美貌にも頭脳にも才能にも恵まれたオレの悩みなど、巻ちゃん以外に存在せんっ」
「チームメイトから犯罪者が出たら、メーワクすんのはオレらなんだよっ バァカ!」

クライマーである東堂は、重くないのだが巧みに歩けぬ箇所を押さえ、荒北が部屋から出ることを許さない。
新開はというと、二人のやり取りを見ながら「おめさん達仲いいな」と、最後の問題の解釈を改めて東堂に尋ねていた。
「む、そこはだな…」

その隙に部屋から出ようとした荒北の足首を、東堂がすばやく掴みとめる。
バランスを崩した荒北が倒れこんだのを、新開がそのまま上手く抱きとめ、怪我は免れたようだ。
「テメッ!何しやがるっ」
「…すまなかった」
大事な自転車レースの前の、少しの怪我が大きな事故に繋がる可能性だって、少なくない。
目に見えてしょげた東堂に、荒北がため息をついた。

「尽八と裕介くんは、充分イチャついてるように見えるぜ?」
いつものバキュンポーズとウィンクという新開は、胸元に荒北を抱きしめたままでいる。
普通ならば気色悪いと突き放すか、男子高校生のノリで悪ふざけに乗じるかなのだが、この男は常にマイペースだ。
「…オレにはお前と荒北のほうがイチャついてるように見えるがな」
「事故の原因作った手前ェが、歪んだ目線で見てンじゃねえヨ!」
「そうだぞ尽八 これは不可抗力だ…そうか、おめさんと裕介くんもそれを狙えばいいんじゃないか」

仕方がなしに、東堂の悩み相談につきあうことになった荒北も、あらためて先ほどまで勉強をしていた座卓の一角に座りなおした。
これみよがしに肘をついて、目つきがいつもに増して悪いのは、早く終わらせたいの一心だろう。
「…そういや東堂、イチャつくとか言ってたけど いつのまに巻ちゃんに告白したワケェ?」
東堂の巻ちゃん好き好き光線は、部活内外問わず、校内レベルで有名だが、あえて告白しただとか恋人になっただとかの報告を、聞かされた覚えはない。

「巻ちゃんはオレを好きに決まっているのだから、告白なぞ不要だろう」
真顔で返された言葉に、荒北はもちろん、常に動じない新開までもが一瞬固まった。
「…質問だけどヨォ」
「何だ」
「…なんで巻チャンがお前を好きだって断定できるんですかー?」
ふぅとこれみよがしの東堂のため息に、荒北が目を細める。まだ殴りかからないのは、回答が予想できているとはいえ、まだ発せられていないからだ。

「この全てに愛された山神が気にかけてるのだ 巻ちゃんがオレを好きになるのは必然だろう!」

無言で新開とアイコンタクトを取り、互いに頷く。
――よし、頭おかしいのはオレじゃないよな、と納得をした荒北は、コンコンと拳で机を叩いた。
「よく聞け東堂 巻チャンはてめーのしつこさに根負けしてるだけだ」

あえて言い切ったのは、箱学から暴走者を出さない拵えだ。
「そんな訳はないな! 巻ちゃんはシャイだからオレに思いを伝えられていないだけで、あとはオレが行動に移せばすべて解決だ」
「はい ちょっと待ったァ!お前がその行動に移した瞬間にアウトになるってオレは言ってンだよ! 巻チャンはなあ見た目チャラそうに見えるけどありゃとことん押しに弱ェだけだ!」
「尽八 その説にはオレも同感だ 証拠に……オレの携帯には裕介くんの番号とメアドと、写メがある」

ポケットから、携帯を取り出した新開の差し出す画面には、恥ずかしくて堪らないといった表情で、Wピースをしている巻島が写っていた。
「……新開…これは、どこで……」
「この前のレース後、迅くんと一緒に撮った 『ピースなんて嫌ショ!』とか言ってたけど、ノリと勢いで押したら最終的には裕介くんもやってくれた」
「ふ…巻ちゃんは優しいからな…オレの友人というだけで、お前を無碍に扱えなかったに違いない」
「あ、オレも登録あるぜ巻チャンのナンバー」
ふと思い出したように携帯を取り出した荒北は、幾つかのデータを検索したあとで、東堂へと差し出した。

そこに映されていたのは、ごく自然な笑顔で、ふわりと笑う巻島だった。
東堂にいつか高く売りつけてやろうと、偶然撮影し溜めておいたものだがそこは割愛し、ついでに登録アドレスに「巻チャン」の名前があると、示す。

「何故だっ!オレが巻ちゃんから情報を聞き出すのにどれほど苦労をしたと思っている!!」
「…だから言ったろ 押しに弱ェって」

荒北と新開が、はじめて巻島裕介の名前を知ったのは、とあるクライムレースで、東堂が2位になったとぶすくれて帰ってきた時のことだ。
基本東堂は、2位になったら2位になったの結果を受け入れ、次のレースに備えるのだが、そのときは違っていた。
オレを抜いた玉虫が変だったとか、玉虫のクセにとか、普段ならばあまり言わない悪口を続け、しかもよく聞いてみれば、その玉虫とやらは東堂に挑発をしてきただとか、
ケンカを売ってきただとかではなかったらしい。
(むしろ公平に聞けば、最初に難癖をつけたのは、東堂の方に思える)

人に好意を向けられることに慣れていて、そうでない相手にはとことん無関心という、ある種の線引きがはっきりしている東堂にしては珍しいことに、次のレースでもその愚痴は続いた。
オレが勝利したのに、玉虫は悔しそうな顔をしないって、どんな王様発言だと内心思ったが、なぜかその次の玉虫発言の時には、競いあいとは関係なく、アイツの笑顔がキモいになっていた。
その次には玉虫がなぜか「巻ちゃん」という呼び名になり、そのレースで同着になったと、東堂は嬉しそうな顔をしていた。
そんなこんなで、箱学メンバーにはいつしか『玉虫な巻島裕介』という存在が脳にインプリンティングをされてしまっていたのだ。

荒北と新開が、巻島と実際に初めて会った時には、すでに東堂の電話は鬼電と称される回数に変化をしていたので、それを詫びるという名目で声をかけてみれば
、東堂と同じジャージを着ていたからか、警戒はされずすんなりと受け入れられた。
「アホが鬱陶しいだろ 悪ィな」と告げてみれば、巻島は何度かまばたきを繰り返した後
「でもアイツ、アレが普通なんショ?」と返されて、こちらが驚いた記憶がある。

――普通じゃねえよ アイツがこんなに執着してるのお前ェぐらいだよ!
と、叫ぶわけにもいかず、とりあえず携番を交換したのが荒北で、「んじゃオレも」と乗じたのが新開だった。
番号交換を特に訝られなかったが、「巻チャンの身の安全の為だから!」の荒北の目つきに、巻島が反射的に頷いていたのも事実だった。
その時改めて知ったのだ。
『巻島裕介は、押されると流される』と。

「…だから良いかァ?巻チャンはお前ェを受け入れてるけど、半分は手前ェのその迫力に押されてるんだって自覚持て」
そう告げかけて、東堂の目が半ば潤んでいることに気がついた荒北が、慌てて口を噤む。
「…巻ちゃん……」
「オ、オイ何も泣くこた」
「オレの友人だというだけで…こんなケダモノにまで易々と情報を与えてしまうとは、巻ちゃんは何なんだ…地上に降りた天使か?マリアなのか…?」

よし、殴ろう。

すべてを吹っ切って、拳を握った荒北の笑顔に、新開が「これは病人だから」と諭す。
ある意味コイツもヒデェなと思いつつ、箱学優勝という目的のために、けが人を出すわけにもいかないかと、荒北は自重した。

自重する代わりに、最大の嫌がらせを思いついた荒北は、それを実行した。
東堂に見せびらかしていた、微笑む巻島の画像を消し、幾つかのボタンを押して、携帯の番号を呼び出す。
いきなり何を始めたんだろうかと、見守る新開と東堂に対し、荒北はニヤリと口端を上げた。

「あ、巻チャン?オレだけど」
「…荒北?どうしんたんショ」
荒北の一声に、東堂もそして新開すらも、何を始めたのだと驚き、動きが止まる。
「お〜『オレ』だけで解っちゃうんだ オレも愛されてるねェ」
「クハッ携帯に発信人表示されねー機種なんて いまどきあんのかよ」
「ハハッ そりゃそうだ」
当たり前のやり取りだが、これよがしに東堂を刺激するキーワードをまぶし、ささやかな意趣返しを行う。
聞こえているのは荒北側の声だけだから、東堂が「愛されてる」の箇所で、小さく身じろぎしたのは、その効果の表れだろう。

「んで、次の土曜の午後なんだけどデートしてくんない?」
「荒北っ きさ…ングッ!ムガガ」
途中で割り込んできた雑音は、新開に手のひらで口をふさがれた東堂のわめき声だ
「…デート?お前とかヨ」
「そっ うち今週の土曜式典準備とかで部活禁止なんだよね そしたら巻チャンのところも偶然そうだって聞いてさ」
もちろんソースは、東堂トークであるがそれは言わない。


「ムガッ 荒北お前 巻ちゃ…むぐぐぐっ」
「…さっきから電波おかしくねェか なんか雑音聞こえんだけど」
「ああごめんねェ …ちょっと発情期の犬が近くにいるみてぇなんだわ」
「…寮で犬飼ってんのか? まあいいけど……何でオレとデート?」
「うちのクライマーが揃って迷惑かけてるみてェだからよ 傾向と対策でも教えとこォかなってトコ」
「いや…別に…迷惑ってほど……じゃ…」
「あ、OK?遠出させて悪ィんだけどヨ インハイの下見兼ねてこっち来ねェ?」

断りきれずに、困惑しているのを察しながら、勝手に約束の場所と時間を決めると、巻島に復唱された。

……やっぱオシに弱すぎだろ、巻チャン。

「巻ちゃぁぁぁぁぁぁんっ!!何でだ!なぜせっかくの空き時間をオレではなく荒北なんかとぉぉぉっ」
ぐすぐすと涙目になった東堂に、ザマァ!という気持ちと、ほんのごくごく微塵のわずかな欠片程度の憐憫が起きる。
「…巻チャンが押されると弱いって実践で教えてやったんだぜ お前もこれで懲りて少しは…」
「違う!巻ちゃんはこの山神にふさわしい存在たる心優しきマリアなんだ!だからお前ごときの頼みでも受け入れてしまう…うわぁぁ巻ちゃんがケダモノに汚される…!」

再び振り上げた荒北の拳を、今度は止める者はいなかった。

箱根山中
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「悪ィな巻チャン 結局ウチまで来てもらって」
校門前で待ち合わせた荒北は、バスから降りた巻島に、ここだと手を振った。
その後のフォローメールで、デートは冗談 ただ迷惑かけたから、箱根の道案内ぐらいしてやると誘ったのは、電話当日の数時間後のことだった。
ついでだからと誘った金城は、予定があったらしく、田所はオレが山道見てもしょうがねえよと来なかったので、結局二人での待ち合わせになっている。

…もっともその背後から、恨めしそうな視線と怨念を発している東堂と、頼りになるのかならないのかわからないストッパーとしての新開が、尾行をしているので、厳密には二人きりではない。

「まあさすがにライバル校相手に実践で道に乗せてやる訳にはいかねェけど、映像で見るよりマシ程度の情報なら提供してやんヨ」
指先でチョイチョイと、こちらに来いと誘う荒北のあとに、巻島は素直についていった。

「うぅぅぅっ…巻ちゃん…なぜだ…そんな野獣の言うことをホイホイ信じてついていくなど…」
「今のおめさんに比べれば、靖友の方が安全そうに見えるがな」
「何を言うか!この東堂尽八がすることを巻ちゃんが危険に思うはずないだろう むしろ望んでその身を捧げて……もしや巻ちゃんは、その決意を固めるためにわざわざ箱根に…!」
「ハハッ尽八、重症だな」
軽く返すパワーバーを咥えた新開と、ひたすら呻き続ける東堂に、通りすがりの者たちは無言で距離をあけて、遠ざかっていった。
黙っていればイケメンなのに…という、無言の訴えは当人達には届いていない。

箱根の山は、クライマーにとっては特別な場所で、何度かレースで訪れてはいるので、巻島も初めてではない。
それでも補修までには至らぬ道路の破損箇所だとか、カーブ地点に加えられたコンクリートブロックの位置などは記憶と微妙に異なっていて、それは役立つ情報となった。
てくてくと歩くには、あまり条件が良くない狭い道筋だが、周囲の緑は新鮮で心地よい空気をふんだんに提供してくれるので、巻島の機嫌は悪くなかった。
ロードレーサーは分解すれば、付属品などを含めても10kg程度になり、持ち歩きができないこともないが、さすがに短時間の往復に担いでの移動はキツいということで、今日の下見は徒歩だ。

巻島の走りは独特なので、補修されるまではいかないアスファルトのヒビだとかにも、要注意だ。
タイヤの弱い側面がそこにひっかかり、パンクの可能性もあると思えば、チェックする場所は自然と多くなった。

荒北が案内してくれる道のりは、ロードレーサー専用道ではないので、ところどころに店も存在している。
そのうちの一つの前で、荒北が脚を止めた。
「わざわざ遠出してもらって、そこらで話ってのも悪ィからな なんかおごってやるよ」
「いいのか?…じゃあオレ、これがいいッショ」
瞳を輝かせた巻島が指差したのは、『名物ソフトクリーム』の文字。
箱根は観光客目当てに、名物として甘いものも色々売られているが、まさかの男子高校生のおごりチョイスで、それが来ると予想していなかった荒北は、瞬時固まる。
「…オレはカツ丼とかしょうが焼きとか食いたいんだけど」
「?別に食えばいいっショ」

ソフトクリームを売っている店は、あくまでそれがメインではなく、ランチタイムには色々な食事を提供している。
これが新開であれば、食事+ソフトクリームということであろうと検討はつくが、巻島が目をキラキラとさせているのは、あきらかにソフトクリームのみだ。
「…メシは?」
「腹…減ってないし」
表情の眩さを消して、す〜っと遠目に視線をずらす巻島は、己の栄養バランスの傾きを自覚しているらしい。
いやこれも、東堂の教育のたまものか。
日頃、巻チャンの食事にまで口を出している東堂をみかけると、ウザいだとかお前は母親かだとかのツッコミが絶えなかったが、なるほど納得だ。
「トーストぐらい食えよ セットでおごってやるから」
と、わざと外した目線を追い駆けるようにすれば、巻島は渋々と頷いた。

「あそこの店に入るみたいだな」
「巻チャン…何故そんなに嬉しそうな顔をしている…そんな隙だらけでは野獣にっ!食われてしまうっ!! 巻ちゃぁぁん」
荒北と巻島を追い駆けている、新開・東堂組は少し距離をあけているので、会話までは聞き取れない。
それでも荒北の行動と、ソフトクリームの幟を指差して、頬を緩める巻島の顔から、おおよその会話は検討がついた。

「んで、巻チャンは東堂を好きなの?」

ブフォッと、含みかけた水にむせた巻島が、吹き出さなかったのはマナー遵守からだ。
水は気管に入ったらしく、涙目でむせる巻島の背中を、「悪ィ」と荒北が粗雑な言動とはうらはらに、優しくさする。

おそらくたった今、東堂の『誰かに事故に見せかけて、抹殺されても仕方が無いかもしれない人物第1位』に、荒北の名前が刻まれてしまったに違いない。
日頃うるさいぐらいに、巻チャン巻チャン繰り返す東堂が、黙り込んだのは危険のサインだった。
(…靖友、尽八をからかうのはいいけど 本気になんなよ)
ああ見えて、荒北は結構面倒見が良い。
本人に自覚はないが、箱学メンバーの大半が、荒北を慕っているのも、そんなところがあるからだ。
今しがた東堂が『抹殺すべし』ではなく、『されてもしかたない』ランキング入りにしたのも、友人としての荒北を気に入っている証だろう。

「ここでは会話は聞こえん もっと近くに移動するぞ」
当初東堂たちが座った席は、巻島たちから離れていて、姿は確認できてもそれだけだった。
「ヒュゥ 尽八必死だな!」
「マリアと野獣を一緒にしておけるものか!俺には巻ちゃんを護る義務がある!!」

十中八九、荒北は二人の尾行に気がついているだろうが、あまりあからさまに姿を見せても、好印象は残らないだろうと、巻島から見えぬ位置の席に二人は座り直した。
店内はそれほど混んでおらず、荒北たちの会話は充分に聞こえる。

まだケホケホと小さくえづく巻島に、ちょっと落ち着けと荒北が、カツ丼の小鉢についてきた柴漬けを箸で差し出す。
これはこのまま「あーん」をしろという事だろうか。
何度か荒北の顔と、端先に視線を往復させた巻島は、その漬物をおろす様子がないと察し、そのまま食べさせてもらい、気恥ずかしそうに俯いた。
「…巻チャンさあ…ヤな事はやだって言いなヨ…」
ノリで差しだしてみたはいいが、まさかの同世代の男相手にあーんをする羽目になってしまった荒北が、ぼそりと呟く。

「…理不尽ショ」
好意だと思って断りきれず、素直に従ったのに諭されて、巻島が思わずコボすと、荒北は堪えられなかったように笑った。
「そんなんだから 東堂の押しかけも断れねえのかと思ってさ」

「はいはい落ち着け尽八 えっとオレはA定食、こっちには…珈琲でいいか?」
「珈琲よりはまだ健康に良さそうなハーブティーだな!…違う!離せ新開 オレの巻ちゃんが…汚される…!」
「あ、それから食後にバナナパフェで」
飛び出そうとする東堂を、がっちり放さない新開は、ウェイトレスに魅力的なウィンクを決める。
おそらくバナナパフェのバナナは、サービスで山盛りになるに違いない。

「んで、さっきの質問に戻るけど…巻チャン、東堂はウザくね?」
「…たまに、そう思うことはあるけど…嫌だと思ったことはないっショ…むしろオレは…少し嬉しいショ」
「マジで!?心広いワー」
頬を上気させて、ぽそりと返した巻島のおかげで、東堂の殺気は見事に粉砕した。

「巻ちゃん!巻ちゃん…!! うぉぉぉなんて可愛いんだ…!巻ちゃんっ!聞いたか!オレの押しだけに負けているのではないとたった今証明された!」
拳を握って悶絶する東堂に対し、「尽八 食わねぇんだったらこれ貰うな」と、ハーブティーについてきたクッキーを貪る新開は、通常運転だ。

「…んじゃまあ、問題なしか…こんなトコまで来てもらってアッサリ解決できんだったら、電話で一言でも良かったかもナ」
とりあえず、告白もしてないけどイチャつかせろなどと言っていた同輩が、犯罪者になる可能性は避けられたようだ…と思う、荒北の見通しは甘かった。
「問題って…何かあったのかよ」
トーストの半分を、もう食えないと言って、荒北のドンブリの上に置いた巻島が、小首をかしげる。

――あらヤダ、オレに負けない身長の男なのになんかカワイイじゃん

そんな余裕の考えも、巻島のその後の態度で吹き飛んだ。
「うちのアホが『巻チャンはオレを好きに違いない』とか言っててさー …巻チャン?」
一瞬で全身を硬直させ、のぼせたように頬が紅潮した巻島の目の縁は、うっすらと潤んでいる。

おーいと呼びかけ、指先をチラチラと巻島の前で振っても、その強張りはほどけなかった。
「えっ…あっ…あっ… やっ…なん…で…」
こみあげてくるものを、必死で嚥下させようとしている巻島の声は、まるであえぎ声みたいだ。
小刻みに震え、睫を濡らす巻島に、一瞬魅了されたのは、オスの本能だったのかもしれない。

「なんでって……巻チャンがアレを受け入れてるんなら、問題ないだろ」
「違っ…!なんで、オレが東堂を好きって……それに問題なら山積ッショ!」
「え?」
反射的に問い返したのは、言葉の意味が解らなかったからではない。
東堂のあの偏執的なまでの執着を病まず、むしろ嬉しいと答えておいて、なんで「好き」だとバレたかを聞き返す意味が解らない。
更にわからないのが、「問題は山積」の箇所だ。

「……東堂は、オレなんかが好きになったら……迷惑っショ……」
「はァ?」
先ほどから、間の抜けた一言でしか返せないのは、許して欲しい。
巻島に『あのアホきちんと繋いどけ』とか『いい加減ヤになるよなあ』という回答は想定していても、斜め下過ぎる巻島の振る舞いに、処理能力が追いつかないのだから。

悶絶していた東堂が、タイミング悪く、状況の変化に気づいたのはこの時だった。
会話を漏れ聞いていた新開が、さすがにバナナパフェを食べる手を止めて「な…何を言われたか解らない…」と荒北と同じ顔をしているのに、気がついたからだ。
「む、どうした新開」
東堂が追い駆けた視線の先には、顔を真っ赤にしながら、手のひらで覆い隠し俯く涙目の巻島と、呆然とする荒北という絵面。
「…何があった?」
「裕介くんは自分が尽八を好きになったら、尽八が迷惑に思うだろうって言ってる…ように聞こえたけど…」
新開の語尾が曖昧なのも、まさか という気持ちが強いからだろう。

「東堂はカッコいいショ、トークも切れるし、ファンクラブだってあるし…」
チョッカイをかけてくるのも、正反対の無駄だらけの走りをする自分が、珍しいからというだけだと言い張る巻島は、どうやら本気だ。

あの勢いが珍しいからという理由だけではねぇヨと言っても、東堂の日頃の頑張りが裏目に出ているらしい。
巻島への電話もメールも、心配りもすべて「友としてこれぐらい当然だ」と言われていたので、極端すぎるこれまでの行動も、東堂にとっては当たり前なのだと巻島は捉えていた。

チームメイトという贔屓目を引いても、計画的犯行というぐらい、じわじわと巻島を追い詰めている東堂を知っている荒北とすれば、どうしたらそんな勘違いが生まれるのかとしか言い様がない。
「…えーっと…巻チャン 質問変えるけど ンじゃあもし東堂が、巻チャンとイチャつきたいとか言い出したらどーする?」
「クハッ そんなコト絶対ありえねぇッショ!」
「……もっかい聞くけど、巻チャン東堂のこと どう思ってる?」
「オレと正反対で、美しくて綺麗な走りをして、明るくて…優しい?」
「東堂が好きだってもし言ってきたら?」
「ないないっ! …だから…オレの事は…秘密にしてくれよ?あいつは…同情をくれるかもしれねえけど…そんなのは望んでねえし」

百万が一、奇跡が起こって、なにかのミラクルで好きって言われるかもしれないじゃないとぼかしてみても、それに対して
「東堂は優しいからなァ…」と受け流された。

寂しそうに微笑む巻島は、東堂には嫌われたくないから、この思いは絶対に伝えない、と告げる。
周囲の誰が見ても、東堂の好意は駄々漏れではあるが、それは自分が伝えていいものではないと、荒北は閉口した。

唖然としているのは、もう一方も同様だった。
「なあ尽八…裕介くんにはおめさんの思い …欠片も伝わってないみたいだな」
「そ…れは… いやしかし!オレと巻ちゃんのイチャつきが成功すれば、巻ちゃんのそんな勘違いも…」
「落ち着いて考えてみろよ 相手が自分を好きでないと思っているのに、肉体的接触を望まれるなら…それは本人がセフレ扱いされてると思われてもしょうがない」
「そんな… オレは巻ちゃんを…」
「おめさんの作戦とやら、イチャつく以前に根本的見直しが必要だったな」
さらりと告げた新開は、うなだれた東堂にとどめを刺した自覚はなかった。

睫毛を伏せて、運ばれてきたソフトクリームを舐めだした巻島は、本人は無意識だが非常に性的だ。
暑いといって第二ボタンまで肌蹴られたシャツは、白い胸元の肌を露わにし、赤い舌がクリームを舐め取る姿は、ひたすらエロい。

しばし見惚れてしまった荒北は、軽い気持ちで手を出したやっかいごとが、思った以上に根が深かったと、後悔とともに認識をした。