その日、東堂尽八が秋葉原で偶然見かけたのは、自分の運命のライバル『巻ちゃん』の後輩である少年と、自分のファンクラブ会員である筈の女性だった。 東堂が巻島へのメールや電話履歴を、すべて残すためのメモリがいっぱいになり、足りなくなってしまったので、ついでに機種も変えようかと訪れた秋葉原での事だ。 多くの人が行きかう中、まさか見知った顔が二つ揃いであるなど、予想せず、最初は気が付かずにいた。 ふと視界に入った、特徴のある丸めがねに顔を上げると、その相手も見知った顔だったので、記憶と一致したというレベルである。 耳を澄ますでなく、聞こえてきた会話は和やかで明るいものだ。 自分の信者がこっそりと、ライバル校の後輩に、変なちょっかいをかけているのではという心配は不要なようだ。 「あ、小野田くんこれ頼まれてた新刊! 今回も東巻は譲れないけど、カッコいい巻チャンをコンセプト選んだから、巻東の小野田くんでも平気だと思う!」 「わぁ…!ありがとうございます! 大丈夫です 僕、生粋のオタクなんで、腐男子属性だけじゃなく、リバも問題なしです!」 「アハハ 本当?私は逆カプ苦手なんだけど…たまには可愛い東堂さまも見てみたいかも… ハードじゃない巻東でお勧めあったら、教えてね!」 「いいですよ!この前見かけたサークルさんのシリーズ、すごく可愛くて巻島先輩がかっこよくて…」 穏やかな二人が話題の中心としているのは、自分と巻ちゃんのことらしい。 だが、途切れ途切れの会話から、二人が何を話しているのか、東堂にはまったく理解ができずにいた。 (【とうまき】…とは何だ? 【まきとう】とも言っていたな この山神が素敵なのはディフォルトだから、可愛い姿も見てみたいというのは理解できる…だがハードじゃないとは何のことだ) ――すでに自分の用事は済ませたし、巻ちゃんの絡むことなら聞いておくか。 満タンの笑顔で紙袋を抱える小野田が、振り返ったのを確認し、手を振ると、メガネ少年は猛獣でも見たかのように凍りついてしまった。 「あっばばばばっばっ ととと、と東堂さんっ!?」 「やあ 久しぶりだなメガネ君」 「あわわわわわわっ おひっお久しぶりっですっ…」 「偶然だな 今日は買い物かい?巻ちゃんは……」 「すみませんっ巻島先輩は一緒じゃないです!」 わが部後輩の、不思議ちゃんにも見習わせたいぐらいの、最敬礼だ。 「いや巻ちゃんがここにいるとは思わないよ ただ一応な」 「そうですね 巻島先輩だったら多少お金がかかってもネット通販利用すると思います」 あんなに無駄だらけのフォームなのに、巻島は無駄な時間を使うのが嫌いだと、自転車に関すること以外では、たいてい出不精なのは、よく知っている。 「ところで」 「はいっっっ」 脊髄反射ともいうべき速度で、小野田は紙袋を後ろ手に、背筋を伸ばした。 「さきほど話をしていたのは、ウチの女生徒だろう?小野田くんは知り合いだったのかね?」 「しし、知り合いというか…その、巻島先輩の応援にくっついていったら、知り合いになったというか…」 なるほど、東堂の応援に来ていたファンクラブと、巻島の応援に来ていたという後輩が、どこかで出会っても不思議ではない。 「聞こえてきてしまったので、教えて欲しいのだが【とうまき】とか【まきとう】とは、どういう意味なのだろうか」 「すすす、すみませんっすみませんっ!!まさか東堂さんがこんな所にいるとは知らず…!すみませんっすみません!」 「いや何をそんなに謝っているんだ 責めている訳じゃないぞ!?」 「でも……聞いて…呆れられるかもしれませんし……」 「約束しよう、この東堂尽八 自分から聞き出した相手に無礼なマネはせんよ」 爽やかかつ、にこやかな東堂の笑顔は、眩しかった。 「あの、じゃあここは…ちょっと人目がありますので、カラオケとかでもいいでしょうか」 おずおずと出した小野田の提案に、東堂は軽く頷いた。 「えーっとですね、東堂さん最初からアレですと、あれなんで、その、順番に説明させてください」 「む…構わんがアレであれとは、いったい…」 「まず東堂さんはファンアートとかは平気でしょうか?」 「ファンアート…?」 「ファンクラブの皆さんが、会誌や手作りウチワなどに描かれているイラストです」 小野田の説明で、自分の似顔絵のそれらグッズを、何人もの子が持参して、応援に来ていたのを東堂は思いだす。 「上手いものだなと思ったぐらいで、…特に嫌だと思ったことは無いな」 「じゃ、じゃあ一歩進んで、そのウチワの絵、東堂さんの横に巻島先輩が並んでいたら、どうでしょう…?」 第一段階、問題なし。 それでは第二段階の質問へ…と小野田が繰り出した質問は、予想以上の反応だった。 「小野田くんっ!オレと巻ちゃんのグッズが存在するのか!?」 「あ、いえ…その…」 あるには、ある。 だがそれはファンクラブともども、腐萌えメンバー最低ラインのマナーとして、当人たちの前には出さないのがルールだ。 「売ってくれ!!」 ――わぁーこの人、ぼくの想像以上の巻島先輩厨だったぁ…。 これならば、次の段階への説明に入っても大丈夫だろうと、小野田は続けた。 「えっとですね、それは後日相談しますとして、さらにもう一歩進むと、普段の東堂先輩たちが何をしているか、ファンとしては想像して楽しむようになるんです」 「ふむ、この山神のすべてを知りたいと言う信奉者の気持ち、理解できなくも無い」 「すごいですね、普通は引かれることが多いんですが…さすが巻島先輩のライバルですね!で、それを思いにしたのが、一般に薄い本と言われるものです」 そういいながら、さりげなく紙袋をカバンにしまいこもうとする小野田を、東堂が見やる。 「…その紙袋が、薄い本というものか?」 「うわっぁぁぁ!こ、これは駄目です!!描き手がわかっているナマモノ本を、ご本人に見せる訳にはいきませんっ!!」 「何故だね?この東堂を好きで、それを本にしてくれたものなのだろう」 「そそそ、そうなんですが…えっと、あ、そう!小学生のときに、あこがれの先生にラブレターを書いたと思ってください!」 一万歩譲って、自分が書き手だというのならばともかく、東堂が顔を知る相手から譲ってもらったものを、本人に見せるのは万死に値すると、小野田は必死で話題を逸らす。 「で、それを成長した時に、お母さん経由で、先生に送られて読まれてしまった…と思えばその恥ずかしさ、理解してもらえませんでしょうか!」 「ふむ、なるほど 確かに本人にとっては愛を混めた物でも…厳しいな」 「そう、そうなんです!あ、えっとよかったらこちらでしたら、大丈夫です!僕がさっきバナナブックスで買ってきた、カプではなく先輩たちのコンビ本ですので…」 「見てもいいのかね?」 「はい、僕まだR-18は買えないので安心です!」 小野田がチョイスしたのは、蜘蛛というあだ名をつけられ、孤独だった巻島が、東堂によって救われるというシリアスメインのものだ。 「くっ…巻ちゃん…こんな悲しい目にあっていたのか…」 読みながら、作品中の巻島への思いから、周囲の言動に悔し涙を滲ませる東堂に、小野田も同調する。 「いいですよねっ!そのお話… 寂しいけれど一人自分だけの道を行こうとする先輩が、東堂先輩に会って、他人との交流を知るってところ!特に!!」 「ああっすばらしいぞ! …この山神も、本物の巻ちゃんの光になれているだろうか?!」 「大丈夫です!巻島さんは嫌いな人だったら即効着拒してます!それとそれとですね、こっちの本もおすすめなんですよ!自分のフォームを否定されて、 自転車を続けようか迷っている先輩が出会ったのは、自分と対極の美しい走りをする人だった…」 「その美しいとは…無論おれの事だな!メガネくん」 「はいっ!」 ニコニコとおすすめを並べる小野田を、東堂が真剣な眼差しで見つめ、一冊を手に取る。 「相談なのだが…これを譲ってもらうわけにはいかないだろうか」 「えっ」 「このおれと巻ちゃんの愛のメモリアル…心に刻むだけでは、物足りなくなりそうでな」 表紙絵を見て、目を潤ませる東堂は、もともと美形であるだけに、他人にまで感銘を与えそうな表情をしていた。 この薄い本の作者も、本尊に見られたら土下座をしたくなるだろうが、こうまで言われたら本望だろうとすら、思わせる。 「えっえっとあの…まだバナナブックスに在庫があったのですが…やめておいた方が…」 「何故だ!おれとしては買い占めて、この本を箱学中に配りたいぐらいだ!」 「それは本気でやめてください 気の弱い人なら自殺したくなります」 急に真顔で、トーンが低くなった小野田は淡々と続ける。 「よく考えてください 僕はオタクを全面に出してこの本が見つかっても言い逃れできますが、東堂先輩がこの本を所持していると巻島先輩に知られたら…」 「……全力で引かれそうだな」 「僕もそう思います」 もし東堂さんが見たくなったら、いつでも貸すからと、互いの携帯番号を交換する二人の顔は、明るかった。 「で…先ほどの説明に戻るのですが…これから、更に進むと【巻東】か【東巻】かになるんです」 「む…最初におれが、尋ねた単語だな」 「そうです 先ほど東堂さんが読んで、感動した本はカプ無しなのですが…その次の一冊がこちらです」 小野田がうやうやしく取り出した本の表紙には、『東巻』の文字が存在していた。 「なるほど【とうまき】とは東堂のとうと、巻ちゃんのまきの事か」 「そうです、そして巻東はその逆表記です」 「おれと巻ちゃんの二人を指す言葉という意味だったのか しかし東巻と巻東は別物なのか?」 「まったくの!別物です!!!」 こぶしを握り、テーブル越しに身を乗り出す小野田は真剣だ。 「僕はかっこいい巻島さんが好きなので、どっちかというと巻東なんです!」 「東巻の巻ちゃんは、カッコ良くはないのか?」 「そちらの巻島さんは、どちらかというと可愛いの一言です」 「よろしい、ならばおれは【東巻】だっ!」 「ふ…理解いただけたようですね 東巻と巻東の深く大きな壁を… あ、ちなみに真波くんは僕と同じ巻東です」 「……何故だ…というより、あの後輩は何をやっている……」 「東堂さんよりずっと前に、僕がファンクラブの方々と本やグッズのやり取りしているとこと見つかっちゃいまして」 通常の男がやれば、殴りたくなるテヘペロも、無邪気な小野田がやるとそれなりに、違和感がなかった。 「簡単にまとめると、巻東はカッコいい巻島さんと、ワンコ受けな東堂さんが基本です」 「では東巻はカッコいいおれと、ワンコ受けとやらの巻ちゃんになるのか」 「いえ違います 巻島さんはどちらかというとニャンコですが…それよりふさわしいのはツンデレ受けですね あと一部人気高いのがヤンデレ×天然とか、 ワンコ攻めの包容力受けとか…そうそう他にカプ未満のせつない両片思い、もしくはあくまでプラトニックなブロマンスなんかは、東堂さんがお好きかもしれません」 「…メガネくん…また解らない単語がちらほらと出てきているのだが…」 「カプ論は奥が深いんです!他にもパラレルで、山神様の東堂さんと、蜘蛛の化身の巻島さんなんて幻想的で美しさ極まり無しなんですよ! あ、あと変則ですが砂漠の支配者東堂さんと踊り子巻島先輩とか…」 「なっ…ままま、巻ちゃんが砂漠の踊り子だと……あの薄いベール衣装…か?け、けしからんなっ!」 顔を紅潮させ、握りこぶしの東堂に、小野田が問いかける。 「あ、そういったジャンルは駄目ですか? 一部マニアで首輪とかもあるんですが…」 「そんなことは無いっ!さあ!!今すぐ見せてもらおうか!!!」 「すみません今日は持ってないんで、グッズのお話と一緒にまた後日… あ、ちなみに真波くんは先輩の事を『自分を攻めだと思ってる襲われ受』じゃないかと分析して巻東です!」 「……真波ェ……」 ――テーブルに置かれていた、小野田の携帯をふと見た巻島が、首を傾げた。 「小野田ァ おまえなんで東堂から電話来てるっショ?」 「え、あの、新刊…じゃなかったっ!えっとですね、この前偶然に秋葉でお会いしまして!」 「アイツ お前にも鬼電してねーかァ?大丈夫か」 ――キタコレー(*@Д@*) これは毎日自分に何度もかけてきた携帯が、今日は自分の携帯が鳴らず、なぜか後輩の着信にその名前があって不安になってしまうフラグですね!解ります!! 「大丈夫です!僕と東堂さん、意見は全然逆なんですけど巻島さんが大好きです!」 「へ……」 全開のキラキラ笑顔で、脈絡もなくそう叫ばれては、慕ってくる後輩が可愛くないわけが無い。 軽く頬を染めた巻島が、ポンッと小野田の頭に手をのせ撫でる。 「まあアイツは良いクライマーっショ オレよりは手本になるかもなぁ」 「え、あ、ちちち、違いますよ!?僕と東堂さんは会って先輩の話をしているだけで!」 なお後日、とある大会前に同じようなやり取りを、東堂含めてファンクラブの目前で行ったため、フラグ来たっ!!とばかりに、某イベント新刊には 「東巻坂」もしくは「東坂巻」なる新しい単語が記載された本が、多く発行されたとは当人も知る由もなかった。 箱学後輩より笑顔で一言「ねえ山坂は?」 |