箱学校庭 ************************* 人の流れを、ぼんやりと見下ろしている東堂がいるのは、3階の空き教室だ。 本来ならば、祭り事には率先して楽しむ立場だが、今日は気が重い。自分を好いてくれる相手の存在そのものを、拒絶したいと思ったのは、あの時が初めてだった。 今日だって、本来ならばどこかの教室を冷やかして遊んでいただろうに、今は誰もいない場所に篭っている。 自分の大事な友人を、敬愛するライバルを貶められ、一瞬全身の毛が逆立つほど、腹が立った。 荒北があそこでキレてくれなかったら、自分も何をしていたか解らなかっただろう。 「あの女 叩き潰すッ!」 グルルと呻く野獣をなだめるのは、一苦労だったが、そのために持ち出してきたアイディアは、さすがに少々東堂を困惑させた。 『東堂がメロメロ美人モデル巻チャンとの文化祭アツアツデート作戦』だった。 ちなみにこの作戦名は、当初『東堂の彼女 巻ちゃんが箱学文化祭に来ちゃうよ』だったはずなのだが、いつのまにかグレードアップされている。 学校中に蔓延しているといっていい、東堂の噂の彼女(?)巻ちゃんを、文化祭デビューさせるというのだ。 自分と巻島は、恋人ではないと主張したが、返ってきたのは 「バァカ お前がそう思ってても周囲はみーんな巻チャンをてめーの彼女だって思ってンだヨ!」 の謎の言葉だった。 カチューシャを外し、がりりと頭を掻いた東堂には、いまだ何を言われたのか理解ができていない。 それでも発端は自分のせいだし、ライバルとの戦いに備え、面倒ごとは排除しておきたい。 今日は、荒北と新開が『巻チャン役にふさわしい相手を用意してくるから、それまでどこかに待機していろ』と言われ、 部室では誰か女の子に見つけられてしまうだろうと、ここに避難をしてきていた。 ヴーッと小さく、携帯が揺れた。 発信人は「荒北」の文字。ピッとボタンを押すと、間髪入れず荒北の声が響いた。 『東堂 巻チャン来たぜ 今校庭のド真ん中 お前今どこヨ』 「第一校舎3階だ …どこにいる?手を振ってくれないか ああ、解った 横にいるのが巻ちゃんの役をしてくれる女性か?」 ――正直、少し驚いた。 荒北と新開の間にいるのは、髪の毛が明るい茶色である事以外、シルエットも髪型も、自分のよく知る巻島にそっくりだった。 よく探せたものだと、感嘆すらしてしまう。遠目だが、顔だって絶対美人に違いない。 「よく…似ている…すごいな荒北、よくここまで巻ちゃんに似た人を…」 『あ?オレの言葉きちんと聞けよ マ・キ・チャ・ンが来たって言っただろーが 似てるじゃねーよ!』 「……巻、ちゃん? 巻ちゃんなのかっ!?巻ちゃんが来てるっ!?? ど、どういうことだ…荒北!ま、巻ちゃんが、ここ、に?巻ちゃん、巻ちゃんなのかっ!?」 『ウルセー!! てめーの目で確認すりゃいいだろーが』 「代理じゃなくて、本当に本物の巻ちゃん、巻ちゃんなのか!?本当に??お前の横にいるのは巻ちゃんかっ?」 段々と大きくなっていく声は、スピーカーにもしていない、巻島にも伝わる。 普段から、学内でこれをやっているのかと、自分の名前が連呼されているのがわかる巻島は呆れていた。 『…おーい とうどー聞いてるゥ?』 きししと悪戯げに笑う、荒北の電話越しの言葉は、すでに東堂の耳を通過している。 のちに、たまたま東堂が教室を飛び出す場面に、出くわしてしまった生徒が語る。 「なんか東堂の背後に ゴロゴロと黒い雷雲が渦巻いているような、すごい迫力だった」 「巻ちゃーーーーーーーーーーーんっ」 校舎中に響き渡っているのではないかという絶叫が、3階から2階へ移った。 「巻ちゃんっ!巻ちゃん!!巻ちゃぁぁぁぁんっ!!」 2階は階段での通過のみだから、ほとんどカウントされぬ速さで、叫びは1階へと移動をしている。 「まぁぁぁぁきぃぃぃぃぃっちゃぁぁぁんっ!!」 大呼される自分の名前が、遠方から徐々に近づいてくる恐怖。 ――何これ、リアルメリーさん? しかも東堂の喚声が合図になったかのように、箱学の生徒たちが「あそこにいるのが、噂の巻ちゃん?」という視線を集め始めていた。 その視線の持ち主に、教師も何人か含まれているのは、何故だ。 …きっと、何事だと思って注目しているのだ、そうに違いない、そう思っておくことにする。 うつろな目で、巻島は目があった者に少し頭を下げると、なぜか顔を赤くされ、慌てて視線を反らされてしまった。 「巻ちゃんっ!巻ちゃーーーーーーーーーーーんっ!!!」 「ぶふっ!」 恐ろしいまでのスピードで駆け寄ってきた東堂が、まず行ったことは全身全霊の力をこめた抱擁だった。 「巻ちゃんっ!!巻ちゃん巻ちゃん なんで巻ちゃんがここに!?本当の本当に巻ちゃんだよなっ!巻ちゃんっ!!」 尻尾があれば、振り切れんばかりの勢いで振っているだろう、輝く満面の笑み。 大好きな飼い主と、再びめぐり合えた歓喜に満ちた大型犬もかくやの、熱烈な歓迎は巻島を苦笑させた。 「…そりゃあこいつらに頼まれたからっショ」 「オレの為にか!?ありがとう巻ちゃんっ!!」 「おれの言葉、聞けヨ こいつらに頼ま…」 「それにしても巻ちゃん…今日の巻ちゃんはいつもに増して美しいな!元々巻ちゃんのスタイルは見目良かったが、 今日はそれだけでなく艶美さもまばゆさもくわわって、ひときわ麗しい!」 「いやだから俺の言……もう、いいショ」 「巻ちゃん、巻ちゃん…!今、この山神は歓喜している!巻ちゃんとレース以外でもこんな快然たる気持ちを味わえるなんて…、 さすが巻ちゃんだ!天にも昇る気持ちだ巻ちゃんっ!!このまま結婚式場に行きたいぐらいだっ」 「いや結婚式場って…」 『俺たちは付き合ってもいないッショ それどころか告白だってしてないし、されていない』 そう続けようとして、今は自分が東堂の彼女設定であったと思い出し、巻島は口を噤んだ。 ふと顔を上げれば、校庭中の視線は東堂と巻島に寄せられている。 ―――ッショォッ!?? これ以上こんな恥晒しな会話は続けられないと、巻島が東堂を引き剥がそうとすれば、それ以上の力でしがみついてくるのが東堂だ。 荒北と新開に、眼差しで助けを求めても、戻ってくるのは生ぬるい微笑だ。 「と、とりあえず離……」 「巻ちゃんっ!!!」 「はいっ!!」 急遽離れた東堂が、背筋を伸ばし巻島をじっと見つめた。 「好きだっ」 丁度校内放送音楽が途絶えた、無音の瞬間の叫び。 「オレは今、この溢れる思いを伝えずにはおれんよっ!大好きだ巻ちゃん!!」 ――え、何があったッショ? 界隈一体が、静まり返っているんですけど。 っていうか、視界に入る人たちみんな、なんで緊張した面持ちでフリーズしてんの。 ひょっとして、時が止まってる?おれ実はスタンド使い??スタンド名ピークスパイダー? …それから東堂は今、なんて言った? 「…おぉぉっとぉ!たった今!校庭で大告白が実況されました!!しかも、なんとその告白主は箱学の伊達男!校内ファンクラブすらある、東堂くんです!」 「実況はわたくし、箱学文化祭放送担当、放送委員3Aモブ田と同じく3Aモブ山です!お相手は…うちの生徒ではありませんね すらりと色っぽい美人さん!あ、メモが届きました なんと彼女が噂の『巻ちゃん』さんだそうです!!」 「おお、あれが東堂君に、奇行種行動をひきおこさせる巻ちゃんですか!さすが、モデルという噂どおりの方ですねぇ」 ――時が、動き始める。 外部のアナウンスによって現状が耳に届くことで、眩暈と混迷と当惑と動悸が、まとめて押し寄せてきた。 どくどくと、一度に血流が心臓へと流れ込み、息が詰まり、頬が紅潮し、目元が自然と羞恥で潤む。 「…巻ちゃん?」 掠れた声で、巻島を見上げる東堂は、その面映さが自分から来ているとは、微塵も思っていないようだ。 「…帰るっ!!」 「え?え??巻ちゃん!!」 「もう帰るッショーーーーーーーっ!!!!」 きまり悪さから、悲鳴のような哭びをあげて、校外へと走り去る巻島と、それを追いかける東堂の姿は、すぐに視界から消えた。 「…結局、裕介君ウチに10分もいなかったな」 「いいんじゃナァイ?アレ見て、まだ自分が巻チャンに敵うなんて思えるヤツはいなくなっただろ …いろんな意味で」 「それにしても尽八が まだ告白していなかったのには驚いたよ 裕介君硬直してたな」 「…あの様子だと、東堂さっきのもコクッた自覚なくねェ?」 背後からは、モブ田君とモブ山君によるおめでとう選曲、結婚行進曲が流れ始めていた。 今の騒動を知らないもの達は、なぜ文化祭で結婚行進曲がと当惑の顔だが、とりあえずおめでたいからいいかと、盛り上がりのまま、誰にともなく、拍手をしていた。 箱学の校庭は、ただいま拍手喝采で、最高潮の盛り上がりだ。 かくして、本人達の意図とは裏腹に『箱学の文化祭で、校庭のど真ん中で告白をすれば幸せなカップルになれる』 『文化祭で結婚行進曲が流れ始めたら、おめでとうタイム』という謎のジンクスが誕生し、学校中の教師たちにも『東堂の彼女巻ちゃん』の存在は公認となったのである。 *************************** オマケ 「…文化祭の校庭ど真ん中で告白できるってレベルって、その時点で普通に好きあってる確信ねぇと無理っショ」 「む、それはオレたちのことか!?オレは溢れる思いを口にしただけで、そんな確信はなかったな!」 「ち、違げーよっ一般論だっ!」 「照れてしまうところも可愛いな 巻ちゃん!」 あの日の巻島の写真を撮り損ねたと、頭を抱えて叫んだ東堂に、1枚2000円で写メを売った荒北の小遣い稼ぎは、幸いまだバレていない。 |