「じゃあ今日の俺のオーダーっショ!おめーは今日一日、必要最低限の言葉以外喋るの禁止!! それから、巻ちゃんというフザけた呼び方もあらためるっッショ!」 空は青く、空気は気持ちがいい。 吹き抜ける風が、髪をなびかせ心をさらに高揚させる。 そして勝者の権利として、巻島の言い渡した言葉に、東堂は絶望したような顔をした。 「そりゃあないぜ巻ちゃん!俺は今日の休みで、どれほど巻ちゃんと色々話し合えるか 楽しみにしてたんだぜ!?俺の知らない巻ちゃんをいっぱい知りたいし、会えない時の俺 を巻ちゃんにも知ってもらいたいし、なあ巻ちゃんそういえば…」 「あーもうっ!元々お前が言い出した賭けっッショ!それにたった今巻ちゃんって呼ぶな って言ったばかりっショ!!」 「じゃあなんと呼べばいいと言うのだね 巻ちゃんは巻ちゃんではないか!」 「フツーに名前を呼べばいいショ」 「そんなっ!!巻ちゃんを他の箱学のやつらと変わらぬ呼び方せねばならんと言うのかね ならん、ならんよ巻ちゃん!!巻ちゃんは巻ちゃんであって…」 「あーーーーーもーーーーっ!!ウルセーー!!!ついでにもう一個追加オーダーだ 今日はお前、敬語しか使っちゃ駄目っショ!!少しは口数減らせ!!!」 「巻ちゃーーーーーーんっ!!!!そんなっ!敬語だなんて俺とお前の距離の仲でそのような 他人行儀だなんて耐えられんよ!!巻ちゃん!!!」 「うるさいって言ってるッショ!!!天下の公道で叫ぶなーーーっ!」 たまたまその場に通りがかったドライブ中のカップルは、「いや、事情はよくわからんが、叫んでるのはお前もだ」と 心の中でツッコミをいれたが、大人だったので二人とも何も言わず、その横を通過していった。 こんなやり取りをしたのは、2時間前だった。 わざわざ巻島の地元まで、週末に空きができたからと東堂が遊びに来れば、泊まっていくのが、いつものコースだ。 公式な試合だけでなく、互いの連絡先を交換し合い、個人的にもレースを重ねていくうちに、いつしか勝った方が敗者に一つ命令をできる、取り決めが出来ていた。 今日の競い合いは、路線にはみ出た枝の影響で、東堂が一瞬遅れ、敗退したのだ。 前回巻島が負けたときは、なぜか二人のペアカップなるものを、自腹で購入させられていた。 ガラスの座卓に置かれたスポーツ飲料は、汗をかき涼しげで、本来なら勝利者としての快適な雰囲気を 盛り上げてくれるはずなのに、なんだか手が出せない。 東堂がお邪魔しますと家に入って以来、ほとんど会話がないのだ。 「お前、何をふてくされてるっショ」 「ん?何がですか」 ゆっくりと薄くほほえむ東堂に、巻島は居心地悪げにもそもそと膝をすりあわせた。 「何がって……」 (気まずいっショ……) 親しい人とでも、会話に詰まることのある巻島には、今の沈黙が重かった。 金城のように寡黙な相手であれば、その沈黙も互いを尊重しあってのもので、居心地よく感じるものだが、東堂とは違う。 日頃は意識していなかったが、東堂が一方的に喋ることでなりたって成り立っていた関係なのだと、スポーツ飲料を前にしながら、巻島は悟った。 「口数を少なく、と言われましたからね 約束の一つも守れない男なのかと思われたくありませんから」 見た目はいつもの東堂と変わらないのに、まるで別人がそこにいるようだ。 「あ、いや そ、そうだったな あの、風呂がもう沸くから、お前先に入るといいっショ」 「ああ、お気遣いありがとうございます それではお先に失礼します」 タオルを持って、軽く手を振った東堂はかって知ったる浴室へと向かっていった。 軽薄な喋り方をしているので、侮った。 東堂の敬語は淀みなく、おかしな口癖のある自分に比べ完璧に近いものだったが、どこかに距離感を感じてしまう。 (そういえばアイツ、実家が老舗の旅館だとか言ってた気がするっショ…) 東堂の完璧な敬語を思い出していると、重苦しさが追撃し、先ほどと同じいたたまれなさが、どこからか沸きあがる。 「……どうしたのですか?」 「ッショォ!?」 うつむいていた巻島の顔を、覗きこみ見上げる東堂の顔は心配げだ。 「お風呂をありがとうと声をかけても返事がありませんでしたので…どこか具合でも悪いのですか?」 いぶかしげな東堂に、巻島は慌てて頭を横に振った。 「ちょ、ちょっとお前との 今の会話に慣れなくて疲れたっショ」 「そうですか…… そのようなところも…可愛いですね」 「な、なななな何言ってるッショ!もういいっ!敬語は無しっ いつもみたいに喋るっショ!」 東堂は何を考えているのか、日頃から「巻ちゃん可愛い!」などと寝ぼけたことを、素面で言う。 普段であればへーへーと聞き流せるその言葉を、湯上りの東堂が微笑み、敬語で語る。 それだけで、威力は倍増だった。 「そうですか…?それなら…」 少し悪戯げな表情を浮かべた東堂が、巻島の耳たぶに唇を寄せた。 「裕介は、かわいいな」 「ーーーっ!?;@o¥・:!???」 意味のある単語が紡ぎだせず、耳元を手のひらで覆い隠し、唇をはくはくと動かす巻島の 顔は、これ以上無いほど紅潮していた。 「な、なんでゆうすけって…いつも、違う…」 「…?巻ちゃんと呼んではいけない、名前を呼べと言ったのは巻…裕介だろう?」 回想してみると、確かに自分はそう言っていた気がする。 「お、俺が言ったのは苗字っショ!」 「巻島家で巻島呼びをしたら、ご家族が困惑するのではないかね?」 不思議そうに小首をかしげる東堂の言動は、計算ではなかったらしい。 「それにしても…そんなに顔を赤くして、震えている顔なぞ、俺以外に見せてはならんよ…裕介」 名前を呼ばれるたびに、ビクリと反応してしまう巻島に、東堂が口端を上げた。 「かわいくて、かわいくて…裕介の姿そのものを、誰にも見せたくなくなる」 「け、けけけ、敬語はやめていいけど、必要な事以外喋っちゃ駄目というのは解禁してないっショ!」 「…俺の今の言葉は、俺にとってこれ以上は無いほど重要な言葉だよ 裕介」 「も、もういいっショ!!名前もいつも通りで!!もうやめるっショォ……」 すでに涙目で、耳を塞ぎぷるぷると震える巻島の様子に、東堂は苦笑し立ち上がった。 「ほら、巻ちゃんもお風呂に入るんだろ?冷めちゃう前に行ってくるといい」 東堂の差し出した手に、素直に手を伸ばし、こくんと頷いた巻島は、顔を紅潮させたまま 浴室へと向かった。 (……巻ちゃんは、名前を呼ばれると弱いのか…) 笑顔で巻島を見送った後、改めて座りなおした東堂は座卓に肘をつき、手の甲に顎を乗せる。 「今まで 俺の許しなく巻ちゃんを巻ちゃん呼びする奴を締めてきたが…それではすまんな 裕介と呼ぶ奴は………」 東堂の続く沈黙の中には、巻島を『裕介』と呼んだ者への制裁が、これでもかと黒く渦巻いていた。 だが東堂は知らない。 巻島が『裕介』と呼ばれ、過剰に反応してしまうのが自分だけなのだと。 自分の言い出したことで、自縄自縛になっていた巻島。 少し違った側面を見せることで、巻島を揺り動かすことができるのだと気づかない東堂。 どちらも、他人がみればお似合いな天然カップルだった。 |