ほんの少し、偶然のすれ違いが続いてしまった。 最初の一週目はお互いのやり取りの齟齬で、こちらは群馬県開催のヒルクライムの話かと思いエントリーをすれば、向こうはそれを栃木の大会かと思って参加申し込みをしてしまったとのが始まりだ。 二週目・三週目は学校単位の遠征が、お互い一周ずつズレてあったので、その間会うこともなかった。 その次は学校行事で片方がエントリーできなかったとか、合宿が入ってしまっただとか、そんな理由でオレと巻ちゃんは、ここの所会えずにいる。 そして、今日は約一ヵ月半ぶりの、巻ちゃんとの大会参加。 どれだけ直前にメールを送り、どれだけこっそり携帯を鳴らして、巻ちゃんに「うるせェっショ!」と怒鳴られたかなんて忘れるほど、楽しみで仕方がない。 箱学自転車競技部、副主将としての大会だって、日頃の成果を発揮し、おのれを高めるための筋立ての一つと思えば胸が高鳴るが、 この今の鼓動の昂ぶりに比べれば、ささやかなものだという気すらしてしまう。 自分が進む先に、きらめく玉虫の光沢があれば、追いついて暗いつきたくなる欲求。 自分の横に、あの美しい長い髪がたなびけば、思わず指を伸ばしてレース中にだって触れてしまいたくなる迷い。 追いつき追い抜いて、あの普段は少し眠たげにすら見える目が、自分を睨むように縋ってくる目線。 ――どれもゾクゾクし、オレの意識を高揚させる最高のご馳走だ。 ああ、巻ちゃんどこにいるんだ? 今日は参加するという、言質をとっている。 早く、早く会いたい。 カラカラに乾いた喉は、幾ら水を飲んだって今の状況じゃ潤せやしない。 巻島裕介、巻ちゃん…、お前と言う存在がいなければ、心はいつだって落ち着かないのだから。 いや違う、会って話して共に走っていたって、いつだって気持ちは舞い上がっている。 ふわふわと跳ぶように頼りないのに、いなければ物寂しくて、何かが足りなくて、狂おしいぐらいに満たされない。 「…巻ちゃん、遅いな」 まさか、迷っているのではないだろうな。 しっかりしたリアリストのふりをしながら、いつだって巻島裕介という人物は、別世界の住民のようにゆったりしていて、どこか目を離せないぐらい浮世離れをしている。 その姿を見るだけでも待ち遠しくて、周囲左右をあちこち見渡せば、特徴的な緑の髪の主は受付近くの場所に居た。 ――今、確かに目が合ったよな? なのに何故か巻ちゃんは、こちらから隠れるように、テントの陰へと姿を消した。 …どうしてだ、お前だってオレとの対決は久しぶりで待ちわびていたはずだろう? ひょっとしてこちらに気付かなかったのかとも思ったが、そんな筈はない。 まだオレがお前を巻ちゃんと呼ぶ前ならば、互いに大会前に口をききたくないだなんて思ったかもしれないが、今ではオレほどお前を思っている奴はいないと自負しているし、実際その通りのはずだ。 「巻ちゃんっ!どこに行くんだよ巻ちゃんっ!!オレはここだぞ!」 スタート前にロードバイクで場所取りは、あまり褒められたことではないかもしれないけれど、この大会では認められている。 周囲のヤツに、少し場を離れると頭を下げて、オレは巻ちゃんを追いかけて行った。 「ゲ……」 「げっとはなんだ巻ちゃん」 「……ショ」 ごまかせなくて、目を泳がせて適当な口癖でごまかそうとしている巻ちゃんは、正直かわいい。 手首を捉まえて離れられないようにして 「久しぶりだな スタート前、お前のための場所はとってあるぞ」 と言えば、巻ちゃんは頬を赤らめ少し困った顔をした。 「オ、オレは…今から取れる場所で構わねェっショ後ろからスタートでも、おいつくから…」 「そうかならばオレの横が今から取れる場所だ 周りの奴らにも、二人分の場所取りだと告げてある」 「…ショ……あ、あの…オレは今日は占いで、その、後ろからのスタートが絶好調って……」 「ほぉ、リアリストを自認しているお前が、占い?」 何故オレから離れようとする案ばかり出してくるのだと、つい苛立って声が低くなれば、巻ちゃんはぴくりと震えた。 「えっと……」 「巻ちゃん オレは誤魔化しやウソが嫌いだ」 いつも下がり気味の眉が、更に困ったように下げられ、巻ちゃんの目が空を泳ぐ。 「…オレと走りたくないという事か」 「違うっショ!! 今日だって東堂と久しぶりに走れるの楽しみにしてっ……」 間髪いれず叫ばれ、正直心の底から安堵した。 『実はそうっショ』なんてあっさり言われたら、オレもさすがにこの大会中には…いや二、三日は…ひょっとしたら一ヶ月ぐらいは……立ち直れなかったかもしれない。 「じゃあ何で……」 逃げられたくない思いが強くて、握っていた手首を更に強くつかむと、巻ちゃんは息を止めた。 「やっぱり……」 「やっぱり…?やっぱり何なんだ、巻ちゃんっ!」 やっぱりオレと走りたくないだとか、一緒にいたくないだとか……? 聞くのが怖くて、でも知りたくて、唇を噛み締めて巻ちゃんをじっと見れば、巻ちゃんは泣きそうな目でそっとオレの視線をかわした。 「巻ちゃんっ!!」 「……オレ……東堂アレルギーになったっショ………」 ぽつりと呟いた巻ちゃんの言葉に、オレの思考はショートしている。 (東堂アレルギー……?って…オレ……?え、オレが原因!?) 「と、東堂が近くにいると、なんか、熱が出て顔が熱くなって、背中がこしょこしょされてるみたいで、くすぐったくて、えっと 熱いし喉カラカラになるし、心臓がバクバクいうし!」 顔を真っ赤にして、潤んだ目をした巻ちゃんに、オレの心臓は急ピッチでケイデンスを上げる。 ――苦しい、なんだこれ、こんな平地で何もしてないのに、呼吸ができなくて、頭が真っ白になって、……巻ちゃんが、巻ちゃんがすごく……可愛く見えて仕方がない。 「だから放すっショ東堂、オレは遠くからでも追いつくから……」 「やだ」 「やだって……」 「嫌だといったら嫌だ」 「東堂ォ……」 巻ちゃんがオレの手を外そうと、そっと儚い抵抗をしてきたので、今度は二の腕を捕らえて更に距離を近づける。 ひゅっと小さく息を飲んだ巻ちゃんは、もうどうしようもなく初々しい。 …いや違うな、微笑ましい…?……これも少し違う気がする、魅力的だ……愛おしい……ああ、この言葉がぴったりだ! 「愛おしいっ!?」 「ヘ……?と、東堂何がっショ……!?」 「何って…今の巻ちゃんを見てたら、なんかこの言葉がピッタリだって……!まさか…何故……い、愛おしいなどと……」 「お、落ち着くっショ東堂 …ひょっとして東堂も、なんか混乱してドキドキしてるっショ……?」 オレが困惑に頭を抱えたのを見て、巻ちゃんのほうはどうやら少し、落ち着いたらしい。 おろおろとしながら、熱はあるのかとか体調は大丈夫なのかと気遣ってくるので、ええいどこまで鈍いんだとオレは内心で唇を噛む。 「…わかった!東堂も…オレアレルギーになったっショ!!」 ようやく浮かべた笑顔で、巻ちゃんがポンッと手を叩く。 この鈍さとズレが、もうどうしようもなく好きなのだと気付いたオレは、これを逆手にとることにした。 「そうだな…久しぶりに会って実感したよ オレも巻ちゃんアレルギーらしい」 「そっか…じゃあやっぱり……」 「巻ちゃん、知らないのか?人に対してアレルギーになった時はむしろ逆療法で近くにいないと駄目なんだぞ」 四六時中傍にいて、ずっとずっと見詰めていて、片方が片方のモノになるまで治らない、やっかいな病気。 「オレは巻ちゃんのものになってもいいけど?」 「え、……いや、ちょっと待っ……」 「じゃあ巻ちゃんがオレのモノになって」 「……っ!」 答えられずに、口をパクパクと繰り返し開閉する巻ちゃんに、 「もうオレがツバつけたから …覚えておいてくれ、巻ちゃん他のヤツに手を出されたりするなよ」 そうにっこり微笑みかけてれば巻ちゃんは「つ、ツバって何ショ あ、いや違くてモノとか、意味……」 としどろもどろに、こちらを窺う。 「病気、一緒に治そうな」 ああ、巻ちゃんは本当に可愛いな…これが、好きという感情か。永遠のライバルで、最高の存在…なるほど、いつだってオレは巻ちゃんを求めていたのだとようやく自覚する。 さあ今日も、二人走ろうぜ。 そう告げてオレは巻ちゃんの愛車を押して、スタートライン前へと進んだ。 |