東堂と巻島が、付き合い始めたのは社会人になってからだった。 あれだけ傍目にはイチャついていた学生時代だが、それはあえてお互いに恋愛というキーワードを無意識に封印し、友達であると自分に言い聞かせた上での行いだ。 だからこそ、多くの人たちが注目する中で、レースの場所とりでカレカノの待ち合わせかよ!といいたくなるようなやり取りや、「快楽を得るのに理屈は不要だ」 という一般人が聞いたらなんだその性的な台詞は…と突っ込みたくなるような会話を、臆することなくできていたのだと言える。 そして、実は現在も定義的には『付き合っている』と断言できるかは、微妙なところだった。 相手にとって大事な人物という立場は、誰にも譲れないものだ。 だがそれ以上を望む自覚は、常に心のそこかに存在し、会うたびにその気持ちは強まっていく。 壊してしまうのが怖くて、友人という付き合いを断ち切れないまま、海外と日本とに分かれての生活で、ようやく東堂と巻島は互いに『これは友情だけの気持ちではない』とはっきり自覚したのだ そろって鈍いのか、相手を尊重しすぎて、踏み込めない鉄壁の理性を持っていたのかは謎のところだが、学生時代からの親しい友人たちに言わせれば全員が声を大に 「え、マジでか アレで恋愛感情なかったとか言ってんの バカなのアホなの」 主張してもおかしくはないと口を揃えて言うのだから、大方の意見はまあ、鈍いにつきるのだろう。 そしてようやく恋愛を自覚した途端、二人のそれまでのイチャつきっぷりは影を潜め、互いの存在を認めると頬を赤く染めながら 、ロボットダンスのようにぎくしゃくと挨拶を交わすという、見ているとむず痒くなるような初々しいやり取りをしている。 この本末転倒っプリは…、昔の友人たちが指摘するとおり、二人は極端に鈍かったに尽きるのだろう。 「ワ…ワハハハ…オ、オレは巻ちゃんのようなタイプが好みだな!」 「オ…オレも、うるせェし口やかましいし、喋りっぱなしだし騒がしいけど」 「巻ちゃんそれ、全部同じことを言ってるぞ」 「お、おぉ その…東堂みてェなタイプ、嫌いじゃねえショ!」 互いにとっての、これならば友情でごまかせるだろうといった会話は、どうにも気恥ずかしい。 気取ったカフェで、お互いに緊張からカスタマイズしすぎたコーヒーは、すでにただの甘いだけの液体だ。 日本に帰ってきた巻島が、日本支社の立ち上げのためだと聞いた東堂は、同居を持ちかけるつもりで呼び出したのだが、なかなか切り出せずにいる。 フラフラとしているようで、誰よりもまっすぐに自分の未来や行く末を見定め、譲ることのない彼を追いかけるには、徐々にでも距離を詰めるしかない。 精神面ではそれを可能だとしても、物質面でもそう望むのであれば、同居以上の方法はないだろう。 そして実は、巻島も同じ事を考えていた。 あれだけ多くの愛情を示されていたのだから、友人としてでも嫌われていない自信はあった。 それ以上に踏み込むためにも、一緒にいたい。 東堂と暮らそうと一言告げたいのだが、生来の口下手と一歩踏み込む勇気が持てず、フォームミルクの上に増量したホイップクリームをひたすらかき回していた。 「「あの……!」」 一呼吸のんで、開いた唇が発した台詞はまったく同じだった。 どっちも目を見開いて、何度か瞬きをして 「…巻ちゃんからいいぞ」 「いや東堂先に言えっショ」 と譲り合っては、また沈黙が生まれた。 「その…さ、巻ちゃんはこっち帰ってきたら…千葉に戻るのか?」 「あそこは住むにはいいけど、仕事には不便っショ 事務所借りたらその近くに家探す予定」 「…って事は一人暮らしか?巻ちゃん料理はどうするんだ掃除は?洗濯は??」 畳み込むように質問を重ねる東堂に、『いやそこは、お前と暮らすから…』と言い出せず巻島は口ごもる。 「掃除と洗濯は……嫌いじゃねぇっショ オレの服は手洗いだとか洗剤に注意しなくちゃいけねえのが多いから、高校の頃もやってたぜ?」 巻島の私服を思い出し、確かにあれは洗濯機で一緒くたに洗っては問題がありそうだと納得しつつも、東堂は続けた。 「…料理は?」 「……イギリスに住んでたら、日本はどこで何を買っても美味いっショ」 「そういう問題じゃない 栄養面はどうだと聞いているんだ」 「人間、稼いだ金は好きなことに使うべきで…料理に使うのだって一つの手段っショ」 「ズラすな巻ちゃん、多忙な社会人がカップラーメン食ってはい終り、なんてオレは認めんぞ」 そういいながら、東堂はがさついた指の腹で巻島の滑らかな首筋を、すっと撫でた。 「ひゃっ!?」 「…やっぱり…学生時代より細くなってるではないか」 「……多忙な社会人にはありがちっショ」 硬い皮膚の感触が、敏感な箇所に触れて鳥肌が立つ。 巻島がさりげなく指をかわそうとしても、指はそのまま伸ばされうなじに触れられた。 人に触られることなど、滅多にない場所への熱は巻島を困惑させた。 中腰だった東堂は、巻島がきゅっと唇を結び、困ったみたいに眉根を下げたのを見て、ようやく掌を外した。 ふぅと小さく溜息をついた東堂が、改まった様子で椅子に座り直し、巻島に向き直る。 「巻ちゃん、一緒に暮らそう」 「ショ!?」 思ってもいない展開だが、それは自分も待ち望んでいたことで、願ったり叶ったりの棚ボタだ。 「オレは体が資本な生活だからな 料理や栄養方面だってきちんと指導をうけて、それなりの資格も取った …巻ちゃんが料理が苦手なら、オレが担当しよう」 ロードレースチームに属している東堂は、実家の仕事が影響したことともあって、栄養士の試験まで受けたと聞いて、流石の巻島も驚いている。 巻島が食生活に関する話題を、曖昧にごまかそうとしたのを察した東堂はそこを突き、同居生活へとうまく持ちかけたのだった。 「オレ…はありがたいけど、お前に何も返せねェっショ?」 「それはOKということだな!巻ちゃん!!」 これ以上はない幸せな笑顔で、東堂は巻島の両手をぎゅっと握った。 確認のつもりの問いかけが、いつのまにかYESと変換されているのに、内心首を傾げつつ、本来の目的は達したのだからまあいいかと巻島はそのまま受け入れて、小さく頭を下げた。 互いの存在を逃がしたくない、おためごかしと成行きで始めた生活は、今のところうまく行っている。 返すものは何もないといっていた巻島だが、実際金銭面ではかなりの優遇を東堂に与えている。 巻島が住居に探したのは、事務所の3階上という好条件な場所だった。 どこへ行くにもアクセスがよく、しかも駅ビルにはデパート並みの品揃えは勿論、スーパーも入っていて、食品なども安い。 服も低価格のお手ごろショップから、超一流のブランドがあり、公の手続きをするための役所も自転車で数分、歩いてだって行けてしまう。 好条件過ぎて、半額にしても家賃が少々心配だという東堂に 「ここは買い取ったから家賃いいッショ」 と住む場所を話し合うはずの場で、巻島はサラリと告げた。 何を言っているんだという顔をした東堂に、巻島は学生の頃からお小遣いを株に投資ししており、この買い物は運用資金でまかなったから平気だと、涼しい顔で告げる。 巻島お気に入りのブランドは、大手メーカーの中にあっても弱小ともいえる存在だったが、日本を不在にしているあいだに急成長し、株価が急上昇していたらしい。 また、社会人になってしばらくは兄の元で通訳兼モデル兼デザイナー兼事務処理という仕事を一人で引き受けていたので、金は使う暇もない。 その後兄のブランドが時流に乗ったことで、仕事量も増えたが給料も増え、一般社会人より口座に金はあるから心配するなと巻島はこともなげに言ってコーヒーを一口飲んだ。 「しかしそれでは…」 と眉を顰める東堂に、 「えっと…じゃあ他の家事は半々でいいけど、料理はお前に任せたいっショ」 と巻島は、それでいいかと首を傾げる。 ハウスキーパーや料理をプロに頼めば、家賃代ぐらいにはなるだろうとの計算らしいが、見ず知らずの人に頼むぐらいなら、東堂がいいとまで言い切られては、了承せざるを得ない。 ましてここで断れば、じゃあ家賃を貰うけれど、プロの家庭仕事代行に来てもらうとなるだろう。 少しでも二人きりでいたい東堂にしてみれば、そんな邪魔などおおいに御免だ。 この試みは成功だった。 熟睡している東堂に気兼ねをし、気まぐれを起こした巻島が、バルサミコ酢まみれのトーストを作り、 「ショォ……」 とその不味さに泣きながら食べていても、遅れて起きてくる東堂は、美味く料理を作りかえるだけの腕前に達している。 酢に塗れている耳部分は、小さなサイコロ上にカットした後、カリカリに揚げてサラダのクルトンに。 べっちょりと酢を吸った、パンの本体部分はラップで包んで麺棒で薄く延ばした後、野菜と一緒にサンドイッチの具にしてみるという技を見せた。 そのまま食べては、すっぱかっただけの味付けも、バターを塗ったパンとオニオンメインの野菜、サーモンと挟めばちょうど良い味付けになる。 巻島は東堂に尊敬の目を向け、東堂は賞賛をエサに更なる精進をと、いわばwin-winな上に、食材もむだにならない。 時間がなかったからと、用意されたインスタントのオニオンスープが並べられれば、あっという間に豪華な朝食だ。 幸せそうにサンドウィッチを頬張る巻島を見て、弛む頬を押さえつつ東堂はスープを一口啜った。 「東堂とつきあうヤツは、幸せッショ」 デザートにと、フローズンヨーグルトを出された巻島は、甘すぎず適度にカットフルーツまで混ぜ込んでいるのに感心し、幸せそうに頬張る。 「…そう思うか、巻ちゃん?」 「お前なら浮気はまずしねェだろ そんで料理上手で掃除だってちゃんとしてる ちょっとウゼ…大分ウゼェのが最大の難点だけど、それでもお買い得っショ」 「わざわざ言い直さなくてもいいだろ、巻ちゃん 巻ちゃんの目から見たらオレは、確かにお値打ち品みたいだ」 苦笑する東堂に、巻島が軽く首を傾げる。 「…何度か女性とつきあったんだがな、オレはいつもフラれてばかりだったよ」 寂しげな東堂の笑みに、つきんと巻島の胸に痛みが走った。 自分ですら英国で、女性とそういった付合いがあったのだ、東堂にだって当然だろう。 「…お前モテまくってるからなァ 浮気でも疑われたっショ」 冗談めかして肩を竦めてみれば、何もかも見透かすような、濃紺の瞳がじっと自分を見詰めていた。 「そうだな…彼女たちにしてみれば、そう思ったのも無理はないかもしれん」 たった今、一途だと褒めたばかりの男が、表情一つ変えず自らの移り気を肯定している。 しかも東堂はそういった、人の感情を軽んじるような男ではないと巻島が誰よりも知っていた。 だからこそ、その意図が読めずに巻島は沈黙を続けるしかない。 「…オレにとって浮気は、彼女たちのほうだった」 「……?東堂、悪ィ…えっと…どういう…」 「ごまかそうとしてる?…でも、もう無理だよ巻ちゃん オレはずっとずっと…自分でも気付かないぐらい無意識で、ずっとお前を好きだった」 ミネラルウォーターに入れた氷が、溶けてカランとグラスにぶつかり鳴った。 「彼女たちにはすまない事をしたと思う オレの心は巻ちゃんにありながら、彼氏面をしていたのだからな……でももう、ごまかせない」 「東堂、待っ……」 「近くに居れば、それだけで満足できるかと思ってた 巻ちゃんがただの同居人に寄せてくれる好意をオレは、都合言いように勘違いしてしまう」 「東……堂……あの…」 「苦しい 好きだよ、巻ちゃん…ずっと近くに居て…オレとつきあって」 切なくて泣きそうな、それでも真っ直ぐな視線が巻島を射抜く。 ――なぜここで、嬉しいとか自分もだと素直に言えないのだろう。 目の奥が熱くじんわりとしてきたのに気付き、巻島は、目を伏せた。 もう、東堂の顔を窺っている余裕なんて無い。 それでも小さく…俯くように頷けば、いつのまにか後ろに廻っていた東堂から、力任せに抱き締められていた。 「巻ちゃんっ…好き……好きだった……ずっと大好きだ……!」 「……ショ」 東堂の声が震えているのを聞いて、こいつも人並みに緊張するんだなと、どこかおかしくて巻島は涙を拭い、小さく笑った。 「あ、そうだ東堂…今日、夜空いてるっショ?」 「巻ちゃんの為なら空いてなくても空ける」 「いやそういうのは、いいっショ 社会人なら社会人の約束守れよ」 口説き文句とも言える東堂の返しも、巻島にはただの冗談にしか響かないらしい。 目論見が外れた様子で、明日は早いが、夜は普通に予定はないと告げれば、 「じゃあ一人、紹介したいスタッフが来日するっショ」と巻島は続けた。 ************** 「アニキの片腕」と聞いていたので、てっきり同世代の男性かと思いきや、紹介されたのは女性だった。 金髪ショートカットで、身長は社会人になって少し巻島を抜いた東堂と、ほぼ変わらない。 ぼんっと迫力あるおっぱいは、通りすがりの男性陣の目を惹くが、当人は涼しげに意にしていない。 『はじめまして』 『ハジメマシテ アナタが尽八? 私ハキャミィ ヨロシクネ』 名乗る前に、すでに名前を知られているのは、レンから聞いているからだとキャミィは言った。 小さな声で背後の巻島に、彼女はレンさんの恋人なのかと東堂が尋ねれば、話す事はできないが、聞き取ることは少し可能なキャミィは 『NO』と答えた。 『デモ…レントイイ、ユウスケトイイ…私ヲ宗旨替エサセソウデ困ルワ 尽八モ好ミヨ』 東堂の手を握り笑うキャミィに、巻島は慌てた様子で両者を見た。 「キャ、キャミィ……ダメっショ!」 一瞬きょとんとした顔になった後、キャミィは盛大に吹きだした。 『ワタシガ尽八ニ手ヲ出サナイノハ、アナタダッテ知ッテルデショ …ユウスケニハ最初、チョットイタズラシカケチャッタケド』 サラリと返された言葉に、巻島は急いで振り返り、 「い、今のは違うっショ!何でもねえからな!」 と弁解めいて言い、かえって東堂の眉根に浅くシワが刻みこませてしまう。 キャミィの言葉は、たとえ好みであっても、巻島は彼女が東堂へ手を出さない理由を知っているという事だ。 一方すでに過ぎたことではあるようだが、巻島には言い寄っていたと取れる。 そして巻島の冷静さを失った様子は、好みといわれた東堂が、舞い上がってキャミィに手を出せぬ防波堤を気付くためではなかろうか。 東堂が女性といても、何食わぬ顔で過ごす巻島は頬を赤く染め、現在平常心を失っているのは明らかだった。 『オッカシイ…ユウスケノソンナ顔、初メテ見タ』 ゆっくりとした喋りから、二人だけの早いテンポの会話へと切り替わり、東堂にはところどころの単語しか拾えない。 一通り言いたい事を言い終えたらしい二人は、クスクスと笑い出し、目を合せ肩をすくめる。 『解ッテルワ 彼ガ学生ノ頃カラの大事ナライバルナンデショ?』 「そういう事っショ」 ワンテンポ置いて、ん、とキャミィが軽く巻島の頬に自然にキスをしたのを見て、東堂の体は一瞬強張った。 だが相手が友好的なのと、巻島の兄の仕事仲間であることを考慮したのだろう。 変わらぬ笑顔で、今後ともよろしくと頭を下げ、東堂は二人に対し 「巻ちゃん、キャミィ すまんが明日は早いのでな、先に帰っている」と、頭を下げ踵を返した。 「あ、悪ィ… キャミィをホテルまで送ってから帰るから、先に眠っててくれ」 駆け足で寄ってきた巻島に、了解と短く答え、東堂は自室へと向かった。 日頃他人とギクシャクとした会話しかしない巻島が、流暢な英会話で楽しげに離すのに、疎外感を覚えた訳ではない。 自分の知らぬところで、巻島は立派な社会人の顔を持っていると、あらためて実感をしただけだ。 休日には、寝ぼけ眼でベッドにしがみつき、箸で食事を食べるのが下手で、鼻歌まじりに長湯をする巻島。 口ではだらしがないぞと煩くしながら、面倒をみれる幸せを日々感じていたが、本当は自分がいなくても大丈夫なのだと、身に染みて思う。 相手は、巻島が学生時代から好んでいた細身の巨乳のナイスバディ。 短めにまとめた髪、巻島が好みそうな アンドロジナス系のファッションに、機転のきく頭のよさと、人見知りの巻島を懐かせる魅力があった。 巻島がくったくない笑顔を見せる相手は、限られているのだが、彼女はその数少ない一人のうちなのだろう。 何度か頭をかきむしり、深く息を吐いた東堂はソファに投げ出すように落ち据わった。 「……女性に嫉妬とは、オレも…情けない……」 自覚した今となっては、学生時代巻島の傍にいるものに、これでもかと噛み付いていた態度が羞恥の記憶となって甦る。 呆れたように「巻ちゃんバカ」とか「裕介くん欠乏症」「東堂さん巻島さんが絡むと怖い、ってかキモい」なんてからかってきていた、 仲間たちの言葉は自分よりずっと早く、真実に気がついていたのだろう。 巻島が日本に帰国する、しかも一時ではないと聞いてどんな手を使っても、傍にいてやると決めていた。 優しい巻島が、人の好意を無碍にできないのを誰よりも知って、愛しさと苦しさを訴えるという方法で、手に入れた。 それを後悔はしていないが、巻島はただ流されて自分といるだけで、胸の大きな女性と居る方が幸せなのではないだろうか。 グルグルとそんな考えに取り付かれるのが嫌で、東堂は勢いづけて立つと、食器棚の一角においてある瓶を取り出した。 ダイヤモンドカットされたガラスの蓋と、扇模様のように刻みが入ったインテリアにも向いているその瓶に入っている液体をコップに注げば、芳香が漂う。 コポコポと注がれたコニャックを、東堂は氷もチェイサーも無しに一気飲み下した。 喉から胃にかけての内臓部がカッと焼けたように熱くなり、心臓がバクバクと高鳴る。 視野が狭くなるのに対し、思考は拡散し、どこかふわふわとしている。 自分が今、何を悩んでいたのか、瞬時ではあるが忘れかけ、東堂はおかしくなって声をあげて笑った。 「ハ…ハハハッ…オレが…巻ちゃんの事を忘れる…なんて……!ありえん……ワッハハハ…ハハ!」 そうして、もう一口コニャックを飲めば、なんだかありえないぐらいに楽しくなって、そして巻島の困った顔を浮かべ哀しくなる。 「…巻ちゃん……」 ああ、ごまかそうとしても無駄だ。 結局自分は歓びだって、悲しみだって巻島とともにあるのだから。 ぼんやりとそんな事を考えながら、東堂はグラスの液体の、最後の一口を飲み干した。 キィと小さく音を立て、リビングの扉が開いた。 「東堂……うわ…酒くせェっショ……何やって……」 「あ〜…巻ちゃんだぁ……おかえり〜〜 へへッ……巻ちゃぁん」 アルコール臭をまとった東堂が、なんの加減も無く全身の力で、巻島に抱きついてくる。 バランスを崩した巻島が、ソファに腰を落せば、胸元に抱きついた東堂はそのまま膝をつき、正面から祈るように巻島を抱え俯いている。 「お前…明日早いって言ってたっショ…なんでこんな酒なんて……」 ひと目で解る酔っ払いは、俯いたまま顔を上げず、ただ巻島を抱き締めていた。 「東ぉ堂ぉ ほらっもう寝る……」 「……巻ちゃん……」 もう寝ようと立ち上がりかけた巻島の腰に、東堂は自分の体重をかけて、またソファへと戻らせた。 東堂はなにやら言いたい事があって、それが済むまで離してもらえないようだと、巻島は嘆息し天井を仰ぐ。 「言いたいことあったら とっとと言えっショ このやっかいな酔っ払い!」 「…巻ちゃん、好き」 「知ってる」 恋人になる前だって、ずっと東堂はその言葉を繰り返していた。 それが、どれだけ自分に勇気を与えてくれていたかなんて、この目の前のへべれけ男は気づいていない。 「巻ちゃんを……ずっとずっと好きだったんだ…だから…いいんだ」 「何がっショ」 「巻ちゃんが、オレの勢いに押されて同居を認めたのだって、優しいから断れなくてオレと付き合うって言ってしまったのだって、ほだされて、今のなしって言えなかったんだって…」 「え……ちょっ…東堂!何言って……」 「オレが巻ちゃんを好きなんだから …おっぱい大きな金髪女性に、今は敵わないかもしれないけど…もうちょっと待って… 巻ちゃんが…惚れるぐらいのイイ男になってみせ……る……から…」 「……尽八?」 語尾が小さくなっていったと同時、拘束する腕の力も弱まっていく。 そっと覗いてみれば、酩酊した東堂はすでに爆睡していた。 それでも廻した腕を解いておらず、そっと服裾を握っているのに、巻島が困ったみたいに笑う。 「……お前、本当にバカっショ」 (オレが好きでもねえ相手とつきあったり、断れネエからって一緒に暮らしたりする器用な真似できるはずねえのに) あんなに自信に満ち溢れ、東堂をよく知らぬ者からは驕ったように受け止められかねない言動を繰り返している男なのに、肝心なところで鈍い。 メロメロなのはオレの方で、お前が言ってくれるからって…ズルい振る舞いしちまったな。 「……これ以上、お前にイイ男になられたら オレの方が大変っショ」 ただでさえ、イケメン金稼ぎよし、料理良し家事よし、酒博打なしの有料物件だ。 その上自分に惚れてまくっている、奇特な……大事なライバルで、尊敬できて、離れないと決めた相手。 「だから、目ェ醒ましたら言ってやるよ」 *********** 『愛してるっショ 東堂』 カーテン越しに朝日が差し込み、自然と目を覚ました東堂は、枕元で微笑んでいる恋人が、自分を覗き込んでいたのに気付く。 淡い日差しの中、楽しそうに口端をあげる巻島があまりに綺麗で、見とれた後東堂は爆弾発言をされた。 「…え?」 「愛してる」 巻島はもう一度、そう言ってから、踵を返し部屋を出て行った。 ガンガンと頭の内部を、小型のタライで殴りまわされているような二日酔いの痛みと、あまりに現実感のないこの五分の出来事に、呆然とするしかない。 だが、痛みなどどうするものぞ。 ベッドから転がり落ちるように巻島を追いかけ、東堂はあらん限りの力で、巻島を抱き締めて「オレも…」と小さく呟いた。 キスをしようとしたが、顔を真っ赤にした恋人は、 「今はダメッショ…無理やりその酒くせェ唇近づけたら……毟るっショ」 と羞恥の混じった可愛い声で、どこの何をむしるのだと問いかけたくなる、とんでもない脅しを混ぜてきたので、東堂はその場での口接けを断念した。 「今すぐ!歯を磨いてウガイしてくるから!!」 ――グァンッグァンッグァンッ… 叫んだせいで、また頭痛がひどくなり、額に掌をあてる。 それでも目の前で、小さく笑った巻島の声でそんなものは吹き飛んでしまった。 「なあ東堂、そんなに慌ててイイ男にならなくても、お前は充分イケメンっショ」 地に足つかぬ様子で、こけつまろびつ家事をしては、チラチラと自分を窺ってくる東堂がおかしくて、巻島は上機嫌に吹きだしていた。 「あの……巻ちゃん…… その、今日の大サービスは色々とうれしいのだが……」 何故急に、そんなに言葉にするようになったのだろうと、当惑している東堂が、またおかしい。 「なんだ覚えてないッショ?お前昨日キャミィみたいないい女にはなれないけど、オレはいい男になるから巻ちゃん捨てないで〜ってオレに酔っ払って縋ってきたッショォ……重かったなあ…」 からかい混じりでそういえば、東堂は瞬く間に真っ赤になった。 「え…オレ……本当に……?」 「あのよ、お前…キャミィに焼餅やいたッショ?」 「……言わんでくれ……巻ちゃん……」 「なんで?」 「何でって当たり前だろう!巻ちゃんに好意を持ってて、しかもスタイルよくって…」 「お前会話聞き取れてたみたいだったから、あえて言わなかったけど…キャミィはバリタチのDykeっショ」 巻島が少々伝えあぐねるといった様子で、伝えてきた言葉は東堂に耳慣れないものだった。 「バリタチの大工?」 「いや大工じゃなくって…その様子じゃバリタチも解ってねえな」 攻めの反対は守りだが、世の中には攻めの反対は受けという世界もあるっショと、はじまった講義に東堂は内心で首をかしげながらも、そうかと頷く。 「その世界でスーパー攻め様って言われるのがつまり、バリタチっショ」 「ああなんだ ネコとタチのタチという意味か」 あっさりと言われ、隠語などに疎そうな東堂が、その言葉を知っていたことに巻島は驚いた表情を見せた。 「ワッハッハ巻ちゃん!オレのような美形は、海外遠征などで常にそういった危険がつきまとっているのだよ!」 軽く笑っているが、どうやら100%の冗談ではないようなので、巻島はあえてその話題に触れないことにした。 おそらく東堂も、恋人に踏み込まれたい話ではないに違いない。 「で、Dykeは…日本語で言うレズっショ」 ちょっと蔑称的な意味合いもあるので、あまり使わないようにしているがと巻島は続けた。 「……は? じゃあ巻ちゃんに…イタズラしかけた……って……」 「キャミィは肌が綺麗で髪の長い女の子が、好みっショ …なんか日本人って体格的にも髪質的にも肌的にも大丈夫かと思ったって…その…オレもちょっとチョッカイ出されたけど…」 『少しからんでみたけれど、やっぱり女の子の方がいいわ』 巻島は初対面でキャミィに気に入られ、思惑ありげに近寄られたかと思えば、やっぱり友人になろうと言われ、仕事上の仲間として現在の関係になったのだと巻島は伝えた。 こちらは何が何やら解らぬうちだった、と言われれば、まあそうだろうなとしか東堂も相槌を打てずにいる。 「だから、おっぱい大きな女でもお前と同じ土俵には上がれないッショ」 そういって、勝ち誇ったようにイタズラめいた笑みを浮かべた恋人に、東堂はさりげなく近寄って、まだ歯磨きを済ませていないのだがと、唇を重ね、愛してると巻島の耳元で囁いていた。 |