森沢さんのツボ過ぎた呟きを、許可貰ってお話にしてみました〜

寝室での距離

東堂と巻島の、別に隠している訳ではないが、公にもしていない(つもり)だった関係がバレたのは、巻島の渡英直前の熊本でのレースでだった。
山神と言われ、全国規模に名高い山頂のエースが、レース直前のスタートラインでロードバイクを横に、堂々と不貞寝。
前日の1位達が集うとただでさえ注目される場所、しかも今までは幾ら声を掛けても来なかったと言う箱根学園が来ていると、
周囲の関心を一身に寄せられている中、駄々っ子のように寝転がって愚痴。

地元、山岳地帯のエースが挨拶に来ても、相手の立場はと思うような総スルーだった。
その時アスファルトの上で呟いていた言葉は
「あ〜巻ちゃんといきなり団子食べたかったなぁ……草千里で馬に乗ってさー」
思わず小野田ですら「目的変わってますよ!?」と突っ込まずにいられない、デートプランだったと聞いたときは、巻島は思わず頭を抱えたものだった。

余談ではあるが、全国の名高いクライマーたちの一部が会員であるという『東巻被害者の会』にこのスルーをされたエースが
新規入会したと言う噂が、存在している。

レースは僅差で、巻島の勝利。
巻島の登場で絶好調になった東堂だったが、負けて五分になった成績を嬉しそうに数え
「行って来い、イギリス」
とまだ少しせつなさの残る笑顔で、巻島に向かった。

そこまではいい話だ。
だが巻島は二日間のレースの、二日目のみの参加であったためレースの記録には残らず、表彰台に呼び出されたのは東堂だった。
いかにも不本意で仕方がないという表情で、花束を受け取った東堂は、表彰台の上で突然笑顔になったかと思うと、
「この花束は総北の巻島選手の物です!」
と演説を初め、巻島を壇上へと呼び寄せた。
「ショ!?」
周囲も事情を知っているだけに、温かい拍手で巻島を囲み、逃げ道を塞ぐ。

「さあ、来てくれ巻島裕介!!オレの、我が永遠のライバルよ!!」
進行を大いに乱された司会者のお姉さんが、新たな『東巻被害者の会』に名前を綴らぬよう祈るばかりだが、二人のやり取りを見ていた観衆たちは、
大いに盛り上がった。
渋々と花束を受け取った巻島の肩を抱き、東堂は宣言した。

「彼はこれから、日本を離れてしまいます ですがオレと巻島は永遠にともにある存在である事をここに誓います!」

『東堂と巻島を引き離していては危険』と共通認識のある箱根学園のメンバー達も、『東堂と巻島を一緒にさせていても危険』の認識は薄かった。
止める間もなく発せられたその言葉に、盛況になっていた会場はもうノリだけで「おめでとう!」「お幸せに!!」「東堂さま〜っ!!」と
一致団結して、東堂と巻島を讃える行動に走っている。
その中には涙目で
「これで…山神に追いついたと思ったら、静かに振り返られチッと舌打されるトラウマから抜け出せるんだな…」
というクライマー達も多く存在していたらしい。

最終的には花束を抱えた巻島の肩を、これ見よがしに東堂が抱くという集合写真で決着した。
その場にいなかった者達も、その写真を見た感想は揃って
「…結婚式二次会の集合写真……」だったとは、言いえて妙だ。

そんなこんなで、東堂と巻島の住む場所は遠く離れた。それまでも箱根と千葉と、近いとはいえなかったがこれからは国内と国外だ。
「行ってこい」
東堂はそう言った。
だが東堂の「行って来い」は「帰ってくる」という前提があっての、送る言葉だ。

これからも離れないと、壇上で宣言した東堂は、多くの人たちに自分は一生代わらぬ相手を獲得したと宣言していたに等しい。
友情と愛情の境目ギリギリにいた感情は、今では愛情の方に多く傾いていた。

「…おかえり、巻ちゃん」
日本へ訪れた巻島が、東堂の部屋を訪れれば極上の笑みでそう言って、東堂は自分の部屋の扉を開く。
「……ショ…」
「巻ちゃん?」

離れている間も、休暇や仕事絡みで会える時間を作っていた二人は、互いが訪れた国の家へ在宅する。
無論仕事のスケジュールなどで、それが不可能なこともあるが、今回は数日以上は滞在すると確認済みだ。

いつもと違う巻島の様子に、東堂は首を傾げた。
普段であればにやりと口端を上げ、あくまで「ただいま」とは言わず「お邪魔するショ」という巻島。
だが今日はそうではなく、お茶を前にしてもずっと俯いたままだ。

「……別れるなんて、許さんからな」

何も言い出さない巻島に、東堂は絶対零度の声で呟くように告げる。
だがその効果は抜群で、巻島は慌てて顔を上げて、大きく首を振った。
「あの…話があるショ」
何をいまさらといった表情の東堂に、巻島は続けた。
今回の帰国は、兄の会社の日本支社設立のためであること。
そして自分はその支社長として勤めるであろうという事。

一つ一つ言葉を重ねるたびに、東堂の目は見開かれていき、巻島が最後の言葉を放つより先に
「ならば一緒に暮らそう!」と叫ばれていた。
それは、自分が望んでいたことだ。
嬉しさとあまりの展開の速さに、頬を薄く染めた巻島は小さく同意の「ショ」と頷いた。

東堂が住んでいた、それまでの部屋は賃貸だ。
だが今回は巻島が事務所設立近くに、自費でマンションを買うという。
学生兼社会人であった巻島は、それなりの蓄えがあるから心配ないのだと事も無げに話を進めていく。
自分の都合で引っ越させるのだし、余分な部屋なのだから家賃などは要らないと言い張る巻島。
だがそれはならんよと東堂は言い張り、結局家事負担を東堂が請け負うことで、二人の同居話は決着がついた。

「…お前の寝室は、あっちショ」
「まあいいではないか」

夜毎東堂がそう言って、巻島のベッドに潜りこんで来るので、巻島はもう何も言わなくなっている。
誤解無いよう説明しておくが、「寝る」ためにくるのではなく、単に「一緒に眠りたい」というのが理由だ。
…勿論、時と場合によってはただ眠るに終わらないこともなきにしもあらずだが、それはそれ。

もともとゆったり眠りたいと、大き目のベッドを買っておいたのが良かったのか悪かったのかという結果だが、まあこの男の場合、
仮に寝台が狭くても譲らないだろう。
そう放置していた巻島だが、気になることがあった。
深夜近く眠りが浅い時間にふと、目を覚ますと東堂がそっと、自分の髪先に触れているのだ。
薄く目を開けてみると、ふやけた笑顔の東堂がその髪先を梳くように撫で、口接ける。
「んっ…」
少し反応が見たくて、寝ぼけたフリをしてみれば東堂はパッと手を離した。

そのまま数十秒。
巻島が動かずにいれば、東堂は嬉しそうに小声で「巻ちゃんだ…」と呟く。
「へへっ…まぁきちゃん……」
甘く、囁くような呼びかけはけして巻島を起こすためのものではない。
返答をすべきかどうか、迷っているうちに東堂はそっとまた身を横たえ、静かな寝息を吐いていた。

「…これは…由々しき事態ッショ…」
一度気がついてしまえば、それは毎夜の事だったとも気付かざるをえなかった。
夜中に目が覚めて、そっと東堂の様子を窺えば真っ暗な中、東堂は手枕をしながら、自分をじっと見ている。
時折ぞくりとするような声で
「巻ちゃん…」と呼ぶが、けして巻島を起こそうとせずただ、ゆっくり微笑んでいるのが伝わる。
しかもそれは、一度ではなかった。

巻島が少し身じろぎして東堂を窺えば、東堂はそっとこちらをしばらく見遣っている。
そして髪先に触れたり、少し前まで巻島が肌を付けていた箇所を触れたりして時間を潰すようにしてから、ようやく眠っていた。

ひょっとして、東堂は人と眠るのが苦手なのではないだろうか?
そう考えれば、納得だ。
元々死んだように静かに眠る男だ。
ほんの少しの振動でも、他者が同じベッドにいれば目を覚ましてしまうに違いない。

今はまだ体力が持っているが、これを続けていても健康に害こそあっても、一利なしだ。
正直言えば、巻島自身も東堂への好意とは別にして、一人で眠ることは嫌いじゃなかった。
ふとした折に、東堂と眠ることの温かさや安心感を覚えることはあったが、こうして一緒に暮らすようになった今では、それが日常だ。

「…なあ東堂、お前今夜から…自分の部屋で寝るショ」
東堂は、お盆を落とした。
既に味噌汁の注がれたお椀や、茶碗はテーブルの上にあり、被害にあったのが箸だけだったのは幸いだ。

「な、ななな、何を…言うのだね…巻ちゃん」
雷に打たれたような、というのはこういう顔を言うのだろうか。
引きつった東堂の顔をぼんやり眺め、巻島が次の言葉を紡ぐより先に、東堂は床をたたきつけ、寝伏した。

「巻ちゃんはっ!!オレの幸せを奪うつもりかっ!!!」
「え、いや」
「オレは…!毎夜毎夜自分の眠る横に、巻ちゃんの重みがある幸せや、存在がそこにある事への感謝を胸に、今こうして二人でいることが
現実であると安堵して、眠りについているというのに!!」
「…いや、あのな…なんか…わかんねえけど…とにかくそれで眠りが浅いッショ?」
「何でわかんねえんだよっ!」

―――あ、ヤバい。
これは東堂の、ガチギレ寸前の顔だ。
東堂が用意してくれた、大根の味噌汁が冷めちまうなあなどと思いながら、巻島も東堂の横にしゃがむ。

素早く身を起こした東堂が、巻島の両肩を抱いた。
「オレは、離れていた期間も巻ちゃんへの気持ちは変わらなかった!だがずっと傍にいたいと願っていたのも本当だ!だから夜、
毎日横に巻ちゃんがいてくれることに安心感を得て、それでようやく眠れると言うのに…!」
「……ショ…」

離れて暮らしていた間、筆不精だとか人付き合いが苦手だとか理由をつけて、連絡をつけてくれたのは、ほとんど東堂だった。
いつも明るい笑顔に、こんな焦れた気持ちを生まれさせていたのかと、少し罪悪感が浮かぶ。

「……でも…お前も…離れて寝たほうが熟睡できるショ?」
おずおずと言い出してみれば、力強く手首を握られた。
「わかってねえな…巻ちゃん」
「ショ…?」
「オレがお前と離れて寝てみろ、毎晩オレは巻ちゃんが部屋にいるのか不安になって、こっそり覗きに来なくちゃいけなくなるだろ!」
「えっと、でもお前オレが泊まりの仕事とかの時平気ッショ」
「あらかじめいないと解っているのと、夜そこに巻ちゃんがいてくれるかどうかの不安は別物だ いいか巻ちゃん、寝室を別けたりしてみろ
…オレは毎晩そっと忍び入って、
巻ちゃんがオレと同じ家で眠っているのか確認してやるからな…自分のベッドに入った瞬間、今見た巻ちゃんは幻覚だったのではないかと不安になって、
また起きて、巻ちゃんの部屋を訪れる」
「…だろう、じゃなくて断定かよ…」
「オレの安定を奪わんでくれ、巻ちゃん!」

「えーっと…一定距離離れると鳴るアラームでもつければ……」
「…平気ショ?なんて言うんじゃねえぞ巻ちゃん… オレが求めてるものはそんなんじゃない」
言おうとした台詞を、先読みされて、巻島は言葉に詰まる。
「じゃ、じゃあ…一週間だけ試しに……」
「オレは毎晩離れて眠っても、巻ちゃんのベッドで起きてやるぞ」

こうして東堂用の寝室は、現在はゲストルームになっているのだと巻島は笑った。
そこは笑う箇所かと、久しぶりに遊びに来た元チームメイト達は、ほんの一瞬眉を顰めかけたが、公道で寝転がって「巻ちゃんが来ない…」と
自暴自棄になっていた東堂が相手なら、笑って過ごすしかないのかもしれない。

「なぁ、裕介くんそれはなんだい?」
新開が巻島のベルトに下がる、小さなプラスチックケースを指差している。
「んー?ああ、眠ってる時は一緒だけど、そうじゃない時はつけてくれってアイツがうるさくてヨォ」
何でもないように巻島は、GPSアラームを外し新開へと「見るショ?」と渡した。

「巻チャン……ホント、大丈夫かヨ…?」
「何がショ」
ああ、東堂と暮らすのならばこれぐらい鈍感な……いや、揺らぐこと無い平常心をもてた方が幸せなのかもしれない。

キッチンの方から、
「巻ちゃん!料理の用意ができたから運ぶのを手伝ってくれ 荒北、新開お前たちもだ!」
と叫ぶ東堂の声は、えらそう且つ幸せに満ち溢れているものだった。
遊びに来た友人達は、二人がいいならいいか、考えてみれば学生時代から、色々ぶっとんだ二人だったと、肩を竦め苦笑するしかなかった。