鍵を開け、靴を脱ぎリビングへと入る。 それはいつもの帰宅した場合の巻島のルートだが、少し違うのは、今日は正面に正座した東堂がいることだ。 「巻ちゃん そこに座れ」 ご丁寧にもすでに用意されていた座布団に、巻島が胡坐で座れば、一言「正座」と姿勢を正させる。 もそもそと座りなおした巻島は、両手を膝の上にちょこんと置き、東堂相手に首を傾げた。 少々猫背気味の巻島と、まっすぐに美しい所作で座る東堂。 そのため生まれた目線の差で、巻島は自然と上目遣いだ。 その巻島を見た東堂は、少し紅くなった頬をごまかすように、ごほんと大きく咳払いをした。 「…巻ちゃん、オレとの約束を破ったな」 「やぶって、ないショ」 「嘘をつくんじゃない」 びしりと切り捨てられ、巻島の眉がいつもよりさらに下がる。 「うそ、いってない……」 そう言って唇を噛む巻島の姿は、言動とともに、普段見せぬ幼さだ。 そしてその幼さが、東堂の叱責を生む原動力となっている。 「この距離でもアルコールの匂いがはっきりするんだ それを嘘と言わずなんという」 「うそ、言ってないショ 東堂ぉはオレが酔っ払うとダメって言ったけど、オレ一人で、おうちまでちゃんと帰ったショ」 「…そんなっ!無防備な!!姿をさらして!」 ぼすんと、東堂が拳を振り下げたのは、横に積まれていた使っていない座布団だった。 「オレが怒っているのが、解るか巻ちゃん!?」 「…うん」 巻島裕介は、普段から悪意や好意といった他人の感情に無防備だ。 いや友人や知人といった、自分の大事な位置に属する者たちへの悪意には、敏感であるくせに、自分自身には非常に疎い。 キモいと言われても、いつものことだとスルーし、本気で絶賛されても、どうやら相手がお世辞を言ってくれているとしか受け止めていないようだ。 無防備を装った内側に、高い壁があって、そこでそれらの感情のほとんどが遮断されてしまっている。 そのため、巻島裕介から好意を本物だと受け取ってもらえ、愛情にまで昇格してもらえたのは、すべてをぶつけてきた東堂尽八だけであった。 だが。 アルコールを摂取した巻島は、その内なる壁が崩壊してしまうのだ。 好きと言われれば、うれしいと微笑み、可愛いと言われれば、驚いて頬を染めるといった反応に、周囲は魅せられてしまう。 そして更に困ったことに、言動が日常では考え付かぬほど、幼くなるのだ。 「うんではないな!解っておらん!」 「…わかってるっショ 東堂ぉ、めーっしてるショ」 (クソかわっ……!!!) にやけついて、自然と上がりそうになる口端を隠すために東堂は掌で自分の口元を覆い、ひそかに悶絶をする。 「では何故怒られているか、わかるか しかも!こんなシャツを着て!!」 巻島のシャツは、裾が短めだった。 …正確には短めというより、ヘソを出すためにあえて短くされているというべきか。 通常いい年の男の腹部など、見て楽しいものではないが、巻島の白い肌とほっそりとした腰は、目の毒なほどに艶やかだ。 荒くなりそうな息を必死で諌めつつ、東堂は鋭い視線で、巻島をねめつければ、巻島は居心地悪そうにもそりと身じろぎをした。 「ぽんぽん、冷えるから? でもだいじょうぶっショほら平気!」 そういって、シャツの裾をぺろりとめくった巻島の腹部は、アルコールで上気しているためかほんのりピンクに見えた。 「巻ちゃんっ!!」 すかさずシャツ裾を奪い、無理やりヘソ下にまで引っ張り下げたせいで、綿素材がべろんと伸びている。 ほんの少し巻島の表情が、しょぼんとしたものになったのは、デザインが気に入っていたのだろう。 申し訳ないともう気持ちも東堂の中に浮かぶが、それ以上に人前でこんな姿を晒させる真似を、了承できない気持ちが強い。 「巻ちゃん」 低く耳元で、名前を呼ばれた巻島がぴくりと震えた。 「今の一瞬では、大丈夫かどうかわからなかったな」 そう言いながら、幾度もマメを破り鍛錬された硬い掌が、巻島の腹部に伸びる。 巻島の薄い肌は、まるでダイレクトに内部の粘膜に触られたかのようで、全身に甘い痺れが走る。 その感覚に耐えられず、巻島は反射的に及び腰になり、東堂から逃れようと無意識に後退した。 もちろんその逃亡が許されるはずもなく、むしろ二の腕を強く引かれ、東堂との距離は近くなってしまった。 「とうどぉ、くすぐったいショ や…」 「オレは巻ちゃんの外での飲酒を禁止したはずだ …おしおきが必要か?」 アルコールで火照った体が、外気にさらされ生理反応で巻島の乳首がぷくりと勃った。 厚い皮膚で覆われた東堂の指先が、その先端を押せば、色見がさらに濃くなっていく。 敏感になっている体に、その刺激は耐え難く巻島はいやいやするように、首を振った。 首脇の柔らかい皮膚を齧られ、涙目になった巻島が東堂に縋る。 「おくすり、飲むから、許してぇ……」 しばらく巻島を貪っていた東堂だが、巻島のその言葉に、ようやく獰猛な指先を止めた。 「巻ちゃん、それは反省していますという意味だな」 ぼんやりと酩酊した頭に、東堂の言葉はよく伝わっていない。 それでも、怒った東堂にこの後ねちねちと責められるよりは、いつも告げている魔法の言葉で、東堂をとめることが先決だった。 こくこくと頷く巻島に、そのままで待っていろと告げて、東堂がキッチンへと消えた。 カチャカチャという音が響き、しばらくすれば東堂は濃い液体の入ったショットグラスを持ち戻った。 とろりと濃いその液体は、東堂が『おくすり』として、巻島が酔ったときに飲ませるものだ。 甘さも十分にあるけれど、それ以上に苦味が残るので、本当ならばできるだけ飲みたいものではない。 だが以前、酔った自分が強情を張って、東堂に謝らなかったときにされた事を思い出せば、これを一息で飲み干すことなど、巻島にとって随分と楽なおしおきだった。 あの時のように、泣いて懇願しても、声が掠れてでなくなっても、体液という体液が搾り取られそうな快楽責めにされるのは、もうごめんだ。 こくりと一息に飲み干せば、喉の奥がカッと焼けるように熱くなり、その勢いは胃への粘膜まで続く。 ただでさえ、ぼんやりとした脳は、膜で覆われたように思考を遮断し、巻島から意識を奪う。 ――苦くて、甘くて、体が熱くなって、……もう何も、考えられない。 「とぉど……ぉ…… おくすり…のんだショ」 「ああ、イイ子だ」 くたりとした巻島の体を、後ろから支えた東堂が、耳元で低く囁き笑う。 東堂の手は、そのまま巻島の腹部に伸ばされ、腰のラインを楽しむようにゆっくり辿る。 ピクリと震えた巻島が、「んっ」と無意識に喘げば、東堂の笑みが更に深まった。 巻島に『おくすり』と称して飲ませているのは、コーヒーリキュールだ。 東堂は巻島が外で酔うのは許しがたいことだったが、自分の前であどけなく、素直な顔を見せるのは好きだった。 好き、という言葉では足りないかもしれない。 目を潤ませ、上気した溶けそうな顔。 自分を頼みとして、もたれかかる体を独占して、色々触れれば、日頃噛み殺している嬌声を奏でる様子。 何もかもを喰らい尽くしたくなるほどの、凶暴なまでの愛おしさに背筋がゾクリとなり、自分の表情が危険なものへと判るほどの独占欲。 東堂に叱られまいと、酔ってかえった巻島に、叱責をして薬と称してリキュールを含ませる。 そうなれば、そこにはもうトロトロになったかわいい恋人が、存在するだけだ。 コーヒーの香りがする唇を、舌でそっと辿れば、巻島からかすれた息が漏れた。 絡んだ舌から聞こえる、淫らな水音。 喜悦に震えた巻島が、泣きそうな声で下肢を擦り合わせ「じんぱちぃ…」と名前を呼ぶ。 ――まるで毒を注ぐような背徳感に、東堂はそっと舌なめずりをした。 翌朝に目を覚ました巻島は、酔って帰った自分を恐縮しているのか、歯形やキスマークまみれで目覚めても、首を傾げて、シャワーを浴びるだけだった。 「おはよう、巻ちゃん …コーヒーを飲むかね?」 すでに身支度をすませた東堂が、キッチンで振り返る。 「ん……いや……なんか……コーヒーより、紅茶の気分…ショ……」 …何故だろう、コーヒーの香りが官能的に感じてしまう。 微妙に目線を泳がせた巻島を見る東堂は、その反応に薄く笑い 「…巻ちゃんは 酔ったときしかコーヒーを飲まないのだな」とまるで冗談のように告げた。 「……オレ、酔うとコーヒー飲みたがるのか?」 「やはり昨夜は、記憶のないまま、帰ってきたのだな」 一段低くなった東堂の声に、巻島は自分の失言を悟る。 日頃のやさしげな目が細められれば、それだけで充分な重圧だ。 もぞもそと居心地悪げに、目線を巻島が逸らせば、気まずい空気がしばし漂う。 だが東堂はなぜか、すぐに機嫌を取り戻し 「また今度も、巻ちゃんが酔っ払えば飲ませてやろう」と硬い表情を解いて、破顔した。 |