「…な…」
 次の言葉が出てこない。
 今、何て云ったんだ?
 十兵衛が、何所に行ったって?
 何所に、何しに、行ったって?
「…十兵衛さん、馴染みの女宿、行ったみたい、ですけど」

 珍しく十兵衛が傍に居なくて、僕は何となく落ち着かなかった。
 十兵衛が居ないだけなのに。
 ただ、それだけなのに。
 そんな事は、ただ、日常的な事なのに。
 僕は、自分に言い聞かせる。
 あちらこちらをくるくると、廻りながら,さり気無く十兵衛の居所を探って歩いた。
 まあ、これも習い性だもの。
 僕は十兵衛が居無くったって、大丈夫。
 みんなが、言葉を濁す中。
 新しく『風雅』に入ってきたらしい誰かの声が過ぎる。


「…十兵衛さん、馴染みの女宿、行ったみたい、ですけど」


『…ジュウベエサン、ナジミノオンナヤド、イッタミタイ、デスケド』

 ジュウベエ、オンナヤド、ナジミ?
 言葉が上手く繋がらなくて。
 僕は、その場所から走り去る。
「…そっかぁ、ありがとう」  
 手を振ったのは、覚えてる。
 でも、僕は上手に笑えただろうか?
 ジュウベエ。
 ナジミ。
 オンナヤド。
 頭の中で、言葉がぐるぐる廻ってる。
 やだ。
 
 大きな音をたてて、自分が寝起きに使っている部屋のドアを閉めた。
 違う、僕たちが──十兵衛と僕が使っている部屋だ。
「…じゅうべ…」
 漏れた声に驚いて、思わず口を手で覆った。
 そこで始めて、自分が泣いている事に僕は気付いた。
「…やだ・・・やだよ、十兵衛…」
 じゅうべえ。
 僕は、今泣いているんだよ?
 何で、ここに居てくれないの?
 何で、慰めてくれないの?
「…どう…し…って…」
 涙が、後から後から零れて落ちる。
 僕はただ、十兵衛の名前を呟きながら床に倒れこんだ。
 僕は、十兵衛が、大好きだった。
 
 
 十兵衛が、女を抱く。
 だが、いずれ、筧の家を継ぐと言うことはそういうことだ。
 女を抱き、子供を作る。
 その子供が、『筧』を、継ぐ。
 その『子供』が『風鳥院』を守る。
 僕には、出来ない。
 僕には、子供が産めないから。
 僕が女であったとしても。
 風鳥院の宗主が、筧の宗主に嫁ぐことなぞ出来るわけがない。
 せめて、傍流であったなら。
 僕が、風鳥院の流れを汲む傍流の家系であったなら、僕は十兵衛に、いや、筧に降嫁することが出来たのに。
 でも、そのときは、僕に向けられた十兵衛の感情は、すべて僕のものでは無くなって仕舞う。
 嫌だ。
 嫌だ。
 嫌だ。
 十兵衛が女を抱く、それ以上に耐えられないと思った。
 思わず、僕はベッドの上で据わりなおし両腕で肢体を掻き抱いた。
 鳥肌が立っていた。
「十兵衛───が…」
 僕以外の、誰かを…?
 だれかを、だくと、いうの
 ───十兵衛───
 許せない。
 ゆるせない、と思った。
 例え、それがどんな女でも彼のいいなづけで在ってもだ。
 十兵衛が、女を抱くなんて。
 僕以外の誰かを愛するなんて。
僕には耐えられそうに無かった。
だって。
だって。
僕には彼しかいなかったし、また彼には僕しかいないと。
自惚れていた。
「…じゅう…うっ…べえ…」
 噛み殺せなかった嗚咽が漏れた。
 こんなの気が付かなければ良かったよ。
 そうしたら、こんなに辛くなかったのに。
 十兵衛。
 君が好き。
 きっと、僕は地獄に堕ちる。


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『地上の楽園』はしばるー子さん、十兵衛 姫の他に つまみ食い説に
御賛同頂け、こんな素敵な花月のお話を、読ませていただいちゃいました!!
 …で、こんな可憐な姫を見て、うちの小部屋十兵衛が黙ってられません。
  続きと称して、私のほうで勢い余って書いてしまったものを、快くUP許可
下さったるー子さんに、感謝感謝です…!!