「らしさ」の勧め(上)

「こんにちは」
少し小首を傾げながら、扉口から長い髪のシルエット姿が、室内へと進む。
 流れる黒髪は、濡れたように光沢を放ち
歩数に沿って鳴る、涼しげな鈴の音色。
「…おぉ、花月君か?」
 訝しげだった老人の顔が、晴れやかに
向かい入れる者へと変る。
 その手には薬研が握られ、机上に散らばる乾燥した
植物の類で、薬の調合中だったと知れる。

「はい、あの節はお世話になりました。…色々ありまして
ご挨拶が遅れた事、申し訳ございません」
 花月が訪れているのは、無限城 薬屋ゲンの所だった。
 周囲にとけ込む軟らかな雰囲気と、蟲惑的な微笑みは
人間としての質が違うとしかいいようがない
美しさで、老人であるゲンですら
見惚れてしまう。
 通された室内をすばやく見取る花月。
積み上げられた標本や、乾燥した植物・瓶詰めの爬虫類などは
以前と変らずだ。

「あの後、妙ないやがらせとかは 大丈夫だったようですね」
「あぁ、君が牽制してくれたおかげもあるがの。何より、マクベスの
統制で 今は無限城内のそれなりのルールができておる。」
 花月は無言で 頷き返す。

「そういった面での心配は、杞憂だったと安心しました。
…あの時のお礼がしたいのです。何か、他に役立てる事
ありませんか?」
「礼なぞ、とんでもない。 絃の花月にそんな事頼んだりしたら
レンのヤツが怒りおる」
「でも、僕の命を救ってくださったお返しがしたい。
…何でも良いんです。おっしゃって下さい」
「…うむ…そうだな…」

云いながら、眉間に皺を寄せ考え込むゲン。
「レン…が直に帰ってくる…が…」
切れ切れに口を濁すげんを、花月が穏やかに促す。
「レン君がらみのことで、何か?」
「花月君の流派は、幼い頃女性らしさの振る舞いを
身につけさせられると、聴いたのだが?」
「えぇ、まぁ…」

 唐突な問いに、忘れたい微妙なコンプレックスが刺激された花月は
流れる黒髪を梳き上げ、曖昧に同意した。
「ならば頼むっ!! レンに女らしさを教えてやってくれ!!」

 当惑の浮かんだ花月に、ゲンが続ける。
「あの子は…ワシが育て上げたせいで、女性らしさと言うものを知らん。
その上 この無限城から一歩も出た事無いからな…女らしさなんて、
害虫をよせつける ヤッカイなシロモノとしか思っておらん」
「…レン君は、良い子だと思いますよ?」
 孫を心配する老人と、無限城育ちの少女。
どちらの言い分も、一理有りだ。
 男である自分ですら、ここにいた頃は立ち居振舞いで
無用のトラブルを巻き起こす事も、少なくなかったし、軽い違和感に
都度悩まされていたのだから。

「勿論、それはわかっておる。女らしさとは、どう云うものか
知った上で、今のままいるなら 構わん。だが…そう言ったものが
欠如したまま人生 盛りを終えてしまったら、と思うと
不憫でな…」
「ゲンさん…」
「頼む!! 花月君、あの子に女らしさと言うものを
教えてやってくれ! この生い先短い老人の頼み、引き受けてくれんか!?」
いきなり身を起こし、圧倒的な迫力で花月の片手を、両掌で包み、凝視するゲン。

 これだけの力があるなら、老人の寿命より、自分が事故にでも巻き込まれ
死ぬ確率の方が高いのではないだろうか、と思いつつ、
反射的に首を縦に振ってしまった。

「そうか!承知してくれるか!!」
「…でも、教えると言っても どうやって?
言葉遣いなどでしたら、そう簡単には治りませんし
お茶やお華の作法ぐらいなら 教えられますが…」
「なに、花月君 そのままの姿で レンと1日
一緒にいてくれれば 十分だよ …あ、そのままとは
いえんかも しれんが」
 ニッと笑った 一部謎多き薬屋に、イヤな予感を覚える花月だった。


「……何ですか これはっ!!」
数分後 珍しく声を荒げる 花月の姿。
 だが、常より幾分オクターブの高い声と、そのいでたちでは
迫力は皆無だった。
「女らしさを知るには、やはり 見本が必要じゃろう?」
にっこり笑う ゲンの邪気無い笑顔に、改めて
『善人に見えても この人も 無限城の住人だ』と思い知らされる。

「いやーー 躰の凹凸をちょっとバーチャルでいじっただけで、
メイド服が こんなに似合うとはの」
…そう、了承ついでにいつのまにか 花月はバーチャルで
女の子化+ゴスロリ調メイド服姿に されてしまっていた。
 頭からつま先まで、レースとひらひらに覆い尽くされているのは、
陰謀としかいいようがない。
 念の入ったことに、いつも身につけている
髪留めまで、繊細なレースのリボンに変わっていた。

「じいちゃーんっ たっだ今〜!!」
 さすがにこの姿は 何とかしてもらおうと
花月が口を開いた瞬間、扉を勢い良く開け放ち
レンが帰宅した。
「………」
目に入った光景の 衝撃に、凍りついたように
固まるレン。
「……か、花月さん…?」
「レ、レン… ホラ、ゲンさんっ
やっぱり この格好はヘンですっ!戻して…」
「すっげーーカワイイ…」

「…え?」
「え、何 花月さん すっげ可愛い!
スゴイなぁー 女でも、よっぽどのクラスじゃねぇと
そんな 格好似合わねぇのに、滅茶苦茶かわいいよっ!」
「……」
 無言で、ゲンを見遣る花月に、返されるしてやったりの笑み。
伊達に 子育てをこなしとらんわいと その表情が語っていた。

「あーー レン 花月くんはちょっと前のケガが原因でな
ホルモン調整の為 ここで1日女体化しておる」
「そっか、 無限城内でもないと
そんな事できねーもんな。 おかげで
良いモン見れた。へへっ ラッキー」

 かなり無理の或る設定に、あっさり納得するレン。
とりあえず治療の為と言うなら、このメイド服は何かと
ツッコムのが普通な気がする。
 だが、実際そうされても 困るのは自分なだけなので
あえて花月は その点に気付かなかったフリをする。

「あ…そういや さっき俊樹さん達が
花月さん 探してたよ?」
思い出したように、こちらを伺うレンの言葉に、
勢い良く振り返る花月。
「ボク…を?」
「うん。さっきから 花月さんの気配が身近にするのに
姿を見ないから、ひょっとして 爺ちゃんの所にでも
行ってないかって。 来てるって知らなかったから、
知らないって答えちゃったけど…」

 レンの言葉が終るより先に、花月がレンに抱きついた。
柔らかい感触と、流れるサラサラの髪の毛。
(今は)同性とはいえ、極上品美少女が腕の中に
いる事態に、レンの頬が軽く染まる。
「ありがとうっ! …ほら、あの…治療とはいえ
こんな姿 知合い達には あまり見られたく…ないから。
 今日のことは ココだけの出来事にしてね?」
「えっと…秘密ってこと?」
 コクコクと 縦に首を振る 花月に
レンが 照れくさそうに 頷く。
 ひょんな事で、『二人の秘密』を
共有できたのが 嬉しいらしい。
(実際は 爺ちゃんも知ってるのだが)

 コンコンッ
軽いノック音と共に、十兵衛と俊樹が
扉を開いた。
 咄嗟に 寝台横のカーテンの裏に姿を隠す花月。

「…おかしいな 確かにこちらから
花月の気配を 感じたのだが…」

(すげっ この二人に 花月さんセンサーが
付いてるって 本当だっ)
呆然と 自分達を仰ぎ見るレンに、
俊樹が向き直る。
「レンか…久しぶりだな。 ところで
花月を知らんか?」
「え え? あ、いやここには
誰もいないよ!?」
 秘密を黙っているのは、容易だが
嘘を付くのは 難しい。
 大袈裟までに、否定をするレンを
俊樹が訝しげに、見詰める。
…無言の視線が、良心の呵責か
チクチクと突き刺さる。

「…カーテンの影に、誰か
いるようだが?」