百合の咲く場所で


 「家まで送るー」

 久しぶりに2人きりの一日を過ごし、ほろ酔い加減の楽しそうな表情で新宿の街を歩く花月の一歩後ろから憮然とした声で十兵衛は呟く。一人で帰れるから別にいいよと言っても無駄だろう。先程まで食事をしていた店で、十兵衛が席を離れたちょっとした隙を狙って花月にちょっかいを出した男を目撃したばかりである。そんな肩を大きく見せた服で深夜の一人歩きは危ないと抗議し、無理にでもついてくるに違いない。

 ー 送り狼のクセして。

 クスッと微笑みながら花月は十兵衛の方を振り向いた。いつものように一歩下がって付き従う十兵衛の片手には大きめの風呂敷包みが抱えられている。中にあるのは、淡い色に染め抜かれた縮緬地 − ちょっとした不注意で朔羅の布を破いてしまったMakubexが、十兵衛に頼んだ物である。

 俺には判らんから、と十兵衛は花月に布地の見立てを頼んで今日は銀座や新宿の呉服屋を2人で廻り、目当てのものを買い求めた後、新宿は歌舞伎町にある、こぢんまりとした和食屋で食事と酒を楽しんだ。そこで花月が良からぬ輩に声を掛けられるまでは、十兵衛も久しぶりの逢瀬を楽しむかのように、布を戯れに纏った花月の姿に目を細めたり、カウンターの下でこっそりと指を絡ませたりしていたのである。なのに今は、微妙に剣呑な気配を背後から漂わせている。やれやれと、花月は溜め息を吐きながら歩を進めた。

 水商売の店が多いためか、はたまた劇場が有るためか、歌舞伎町には深夜まで開いている花屋が数軒ある。そのうちの一軒の軒先に3分咲きの桃の花を一杯さしたバケツがあった。それを見つけた花月は懐かしそうに表情を緩め、十兵衛の手を引く。

「桃の花だ・・・綺麗だな。」
「あぁ・・・そろそろ雛祭りか。」
「朔羅に買ってかえろうか?」
「ん・・・。そうだな。姉者も喜ぶだろう。」

 しばらく軒先に佇みあれこれ言葉を交わしていた2人だったが、結局桃の花を一束、朔羅の為に買い求めた。

「じゃあ、綺麗な嬢ちゃんにはこれもオマケだ。」

 花屋の店主が役得役得といった嬉しそうな表情を浮かべながら、桃の花束の他にもう一つ、見事に咲き誇った大きな純白の花を付けた百合の花束を取り出した。
「えっ、いいんですか?」
見るからに高価そうな、カサブランカという種類の大輪の百合である。花月は自分が女性だと間違われた事にも気付かないほどの戸惑いを見せた。何せ、普通は店の奥のガラスケースの中に鎮座しているような文字通り、高嶺の花である。ただで貰うような代物じゃない。躊躇する様子を見せる花月に店主は構わないという様子で豪快に笑いかける。
「イイってー。もうコイツは花が開ききって、あと一日ももたねぇ。こんな狭いトコで腐るよりゃ、嬢ちゃんの所で少しでも可愛がって貰った方が、花も本望さ。」
屈託のない笑顔を見せながら、じゃあ重い荷物はにーさんにねと、どんっと十兵衛に二つの大きな花束を渡した。
 
 花月と十兵衛は丁重に礼を述べ、2人仲良くねーと手を振る店主に、苦笑混じりの表情で手を振り返し、その場を去った。


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 花月の住むマンションは裏新宿でも比較的静かな場所にある。昼間も夜中もあまり人通りの多くない小道を抜け、マンションの入り口に入る。エレベーターに2人きりで乗り込むと、十兵衛は先程花月にちょっかいを出してきた輩に感じていた苛立ちと、手の中にある噎せ返るような花の匂いに息苦しさを感じ始めていた。胸の奥と腰から、熱いものが突き上げて来る。喉がからからに乾いて、言葉も上手く出てこない。さすがに花月をこんな場所で押し倒すのは憚られる ー 理性と本能の狭間で揺れながら、十兵衛は込み上げるものをぐっと堪え、押し黙った。
 
 そんな十兵衛が放つ重苦しい気配に出来るだけ気付かない振りをしながら、エレベーターを下りた花月は十兵衛を部屋に招き入れ、手の中にある大きな花束を取り上げた。
 「帰るまでの間、水につけて置いた方がいいよね?」
黙ったままでいる十兵衛に、そんなに妬かなくてもと、ぎごちない微笑みを浮かべながら、花月は花束を抱えキッチンに向かった。布の包みをソファに置いた十兵衛もつられるように、流し台の洗い桶を水で満たし、そこに花束を浸ける花月の背後に立った。

 常人にとっては仄かに感じる程度の花の匂いも、視力を失ったことによって他の感覚が鋭敏になっている十兵衛にとっては、強い香りとして感じる時もある。花月の身体から立ちのぼる薫りが何倍にも増幅されて伝わる感覚に、十兵衛は軽い目眩を覚えた。今まで必死になって抑えてきた、身体の奥でくすぶり続けていた欲に火がつくのを感じる。そうなったらもう、抑えが効かない。

 「あっ・・・」
 花月がうわずった声をあげた。十兵衛が背後から包み込むように二の腕を掴み、髪に唇を付けたからである。そのまま、流し台から引き離され、トンっと冷蔵庫の扉に押し付けられた。強い力で押さえられ、シャツをたくし上げようとする十兵衛の肩に指を食い込ませながら、花月は必死に押し返そうと力を入れる。

 「ー十兵衛っ・・・」
 
 名を小さく呟いた唇に熱い吐息がかかり、十兵衛が荒々しく唇を奪う。顎を掴み、無理矢理に唇を割り舌を花月の口中に滑り込ませた。花月の艶やかでふっくらとした唇の感触を己のかさついた唇で味わいつつ、舌を絡ませ、花月の声も、唾液も、吐く息も、全て飲み込んでいく ー 花月の全てを貪り食おうとするように。あまりの息苦しさに、花月が唇をずらし、大きく息を吐く。離れた十兵衛の唇はそれでも貪欲に花月の耳たぶに唇を寄せ、軽く歯を立て、口付ける。
「やっ・・・やめっ・・・」
 確かに、送り狼になるかもとは予想していた。が、ここまで性急で強引に求めてくるのは十兵衛らしくないー。抗議するように、十兵衛の胸や肩を花月が拳でドンドンと叩く。唇を離した十兵衛が閉じられた眼でじっと見つめた。同時に花月の心臓がドクンと大きな音を立てる。節くれ立った大きな手が、花月の右頬をやさしく包み、もう一方の手は花月の手首を強く掴み、冷蔵庫の扉に押し付けた。

 「もう・・・抑えられない・・」

 潤んだ瞳で見上げる花月に向かって、苦しい呻きにも似た低い声で十兵衛は絞り出すように言い、再び貪るように唇を重ねた。十兵衛の左手が頬をなで上げたかと思うと、手早く髪留めごと鈴を外し、床に落とした。荒い息づかいと衣擦れの音に混じって、カラカラと乾いた金属音がフローリングの床を転がる。そのまま唇が滑らせ、花月の首筋に食らい付いた十兵衛は、花月の両足の間に自らの太股をねじ込み、片膝を抱え上げた。大きな手で柔らかな曲線を描く臀部を掴まれ、太股で内股をさすられると、花月の唇から思わず甘い声が漏れる。その声に煽られるように、十兵衛も腕の中の細い身体を荒々しく強請上げた。
「あ・・・やっ、やっ・・・」
 冷たい扉の感触を背に感じながら、前からはどんどん熱を上げていく十兵衛の身体に押さえ込まれ、花月の背中はぞくっと戦慄に震える。それこそ、花月ー、と掠れた低い声で名を耳許で囁かれたら、腰の力が抜けそうなくらいに。

 「こ、ここ・・・じゃ・・・い・・嫌だ・・・」
 切れ切れに唇から漏らされる言葉に促されるようにして、十兵衛は花月を抱きかかえるように奥の寝室へ向かう。が、気持ちが急いてか、ベッドまでほんの僅かの所で縺れ合うように倒れ込み、そのまま十兵衛が花月の身体を床に組み敷く体勢となった。花月の細い腰に跨った十兵衛は、花月が抵抗を見せるよりも早く、白いシャツを肘の所まで一気にたくし上げた。そんなちょっとした仕草で、花月の手の自由が奪われる。花月は慌てて、十兵衛に下半身を押さえつけられたまま、腕に絡んだ服をどうにかしようと藻掻く。その様子を楽しむかのように、十兵衛は花月を見下ろしながら、ゆっくりとグローブを外し、素手で彼の胸から腹を軽く撫でさする。

 あっ・・・、と掠れた声をあげた花月が背を仰け反らせ、身を捩った。腹を撫でる手が、ジーンズの前ボタンを外し、ジッパーを下げる。口角を僅かに上げた十兵衛は、自らもシャツを脱ぎ、床に投げ捨てた。

 花月は自分の上に乗り上げた男の上半身を見上げる。部屋の明かりを背に受け逆光気味に映る鍛錬され、程良く引き締まった逞しい肉体と、これから行われるであろう行為を想像すると、思わずかっと頬が熱くなり、羞恥に顔を背けてしまう。そんな彼を煽るように、腰に跨った十兵衛は、その下腹部に己の形を主張し始めている自らのものを擦り上げた。布越しに伝わる感覚に思わず上擦った声をあげた花月に、十兵衛はうっすらと笑いを浮かべ、己の逞しい身体を重ねる。それから深く口付けると、口中を探りながら、ゆっくりと花月の肘に絡んでいたシャツを引き抜いた。

 自分の熱が移ったのか、花月の身体もどんどん熱を上げているのが判る。その細くてしなやかな肢体から、百合の花に似た甘い匂いが立ちのぼる。一瞬身体を浮かせた十兵衛は、その匂いに惹かれるように軽く唇を重ねた後、ゆっくりと喉から鎖骨、胸から下腹まで唇と舌で丹念になぞっていく。自らの熱い息と、時々強く吸い上げる唇、更に荒々しい手による愛撫で、花月の白い肢体がうっすらと薄桃色に上気していくのが肌で判る ー その感覚に十兵衛は、自分の背筋が甘く痺れるのを感じた。

  今は自由になった花月の手と指が自分の髪を掴み、梳くのを感じながら、十兵衛は自分の腕の中で仄かに色づき始めた身体を下へ下へと辿っていく。そうしてジーンズの前ボタンの隙間からちらりと覗く花月の柔肌の特に白い部分に唇を付け、舌を這わせた。花月がびくっと身体を震わせ、抗うように彼の髪を掴む。
「・・・だめっ・・・いや・・だ・・・」
 その声に十兵衛は素早く立ち上がり、花月の細い肢体から一気に下着ごとジーパンを引き抜いた。
「あっー」

 短い声をあげた花月は昂ぶりを見せ始めている自分自身を隠そうと、腰を浮かし身体を捻った。十兵衛は、今は全裸となった花月の腰を抱き、乱暴にベッドの上に放り投げた。次いで自分も素早く残りの服を脱ぎ捨てると、うつ伏せにされた花月の背中から覆い被さり、耳許に熱い息を吹きかけながら、片手で長い髪をまとめる髪留めをするりとはずした。花月の肩から背中へさらさらと流れる長くて艶やかな黒髪に顔を埋めながら、肩口に唇を這わせ、歯を立てる。同時にぎゅうと華奢な身体を、それこそ息が出来ないぐらいに太い腕で後ろからきつく抱き締めた。抱く腕の強さに比例するように、伸ばされた花月の手が強くベッド・カバーを握りしめる。

 「観念しろ・・・」

 十兵衛は低く囁きながら花月の耳たぶを舐め、唇でやんわりとはさんだ。熱く強ばったものが臀部に当たるのを感じた花月は瞼を閉じ、十兵衛の腕の中、身を任せるかのように力を抜く。それを合図とするかのように、十兵衛はその身体をひっくり返し、ベッドの上に自らの身体をもって仰向けに縫い止め、身体を沈めた。

 「このままでは・・・お前を食べ尽くし・・・しゃぶり尽くしてしまう・・・」

 熱にうなされたように、何度も何度も苦しそうな呻き声で、そう呟く十兵衛の背中に花月は細い腕を回し、しっとりとした肌触りの白い脚を、彼の鍛え抜かれた脚に絡めていく。

 そして闇の中、幾度となく熱を吐き出し、熱を受け止めていた花月は、夜が白む頃には意識を飛ばし、その華奢な肢体を掻き抱く十兵衛は、荒々しく繋がるたびに、花月の身体にまるで火傷のように、熱の痕を次々と刻み込んでいった。



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 ー いつか俺は、花月を抱き殺してしまう気がする。

 意識を失い、今は深い眠りに堕ちた花月の身体を、十兵衛はやさしく、いたわるように濡れた手拭いで拭う − まるで先程までの名残りを跡形もなく清めるかのように。しかし、灯りに白く浮かび上がる花月の肌の柔らかい部分に散る紅い痕だけは鮮やかに浮かんだままである。その愛咬を入念に拭う十兵衛の心がキリリと痛む。

 ジーンズだけを身につけ、ベッドに腰掛ける一方の十兵衛の首筋や背中にも同じような紅い痕がついているのだが、その事に彼が気付いている様子はない。一通り花月の湿った身体を拭った後、明日目覚めた時に痛みを感じないようにと針を打ち、寝間着をふわりと羽織らせた。余程消耗させてしまったのか、花月は目を覚ます気配もなく、十兵衛にぐったりと身体を預けたままでいる。湿ってグチャグチャに皺が寄ったベッドカバーを片手で外すと、 規則正しい寝息を立てる細い身体を、抱きかかえるようにしてゆっくりとシーツと毛布の間に横たえた。

 なぜこの世で一番大切なものを、己の醜い欲で傷つけ、汚してしまうのか・・・・。

 苦々しい表情を浮かべながら、十兵衛は花月の枕元を離れ、部屋に点々と散らばる花月の服、髪留め、そして鈴を次々と拾い集める。縒れた服を丁寧に畳み、鈴はそっと枕元に置いた。ミネラル・ウォーターのペットボトルを取りにキッチンへ行くと、水を張った洗い桶の中に、買い求めた桃の花枝と ー 真っ白な大輪の花を満開に開いたカサブランカがその根本を浸からせていた。

 ・・・この匂いが俺を狂わせるのか?

 ふうっと、やりきれないような溜め息をつくと、十兵衛は大輪のカサブランカを花瓶に移し、ついでにと、桃の枝も一つ、二つ添えた。

 ベッドにと、花月は穏やかな寝息をたてすやすやと眠っている。水のボトルを鈴の横に置いてから、十兵衛は顔に掛かる長い髪をそっと掬い、薄桃色に色づいた頬を撫でる。込み上げてくるいとおしさに思わず花月の額や瞼、唇に唇を落とした十兵衛は、はっとしたように身を起こし、布団を花月の肩まで掛けてから、音を立てないようにそろりと枕元を離れた。

 そのまま床に落ちている自分のシャツをとり、手早く身に付ける。さらりと冷たい布の感触に、自らの身体がいかに火照っていたのかを改めて感じ、ますます恥じ入るような気持ちで唇を噛んだ。

 「俺は獣以下だなー」

 忌々しそうに呟きながら床の包帯を拾い上げてポケットに突っ込み、布の包みと桃の花束を手に取ると、十兵衛は静かに部屋を出て、朝靄が立ちこめる無限城へと去っていった。

 バタンとドアが閉じたはずみに、キッチンのカサブランカの白い花弁から、ぽたりと雫が一つ、滴った。花月が目を覚ます気配はまだ、無い。


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風来長屋様で キリ番GETして(強引に)頂いた超お宝十花小説です。
「デートで強引な 十兵衛」をおねだりしましたら、こんな強引なかっこいい侍がv
花月が相手だと、理性も何もかもなくしちゃう十兵衛が…!
百合=花月のイメージと、その匂いに狂う十兵衛。
ものすごくツボな十花で、鼻血を出しそうなほど喜んじゃいましたv