きっかけ

「大根を蜂蜜に漬ける代わりに、擦り下して和えたんです」
ニコヤカに微笑む、キョーコの顔に
子供時代の面影が、重なる。
 栄養重視で、味にはあまりこだわらない蓮だったが
冷たい霙状のそれは、腫れた喉に
ヒンヤリと心地良く、思っていた以上の甘露だった。
「…美味いよ。…ありがとう」

 呟くように、カスレ声で洩らした言葉。
瞬間、単にキョーコの「微笑む」という表情が
耀くような笑顔に変わった。

眺める、こちらまで幸福になりそうな
嬉しそうな顔。

 吐息をつき、大きく肩を落とし、頭を抱え込む蓮。
「ど、どうかしましたか!?」
また 具合が悪くなったのかと、
慌ててキョーコが覗き込む。

自分の、自惚れだろうか。
それとも熱で 不明瞭な頭のせいで、
ぼけているのだろうか。
 その顔が 少し
泣きそうに見えるのは。

(この子は…嫌いな男相手に…
そんな表情するなよ…)
反則だろう、と内心で答えながら、無言で首を振る。
「ちょっと まだ具合悪いみたいだ。
…失礼するよ」
 蓮はそう告げると、体をずらし、シートにもたれ
瞼を落とした。

(…やっぱり …きれいな顔だよね。
うぅん、 顔だけじゃない、か)

寝入った様子は、撮影中よりは
顔色も良くなっている。
邪魔にならぬよう、伺うキョーコ。


 そっけなくも聞こえる、先ほどの
感謝の言葉。だが、尽くすことが当たり前となっていた
キョーコには、これ以上はないほどの賛辞だった。
「ありがとう」とこちらが、お礼を言いたくなる位
嬉しかった。

 …嫌いな自分相手にも、きちんとお礼が言える人。
…自分も、いつか そんな人になりたいと思う。

 一生懸命で、尊敬できる 相手。 
互いに そんな感情が 恋の一端だと気付いていない
鈍い蓮とキョーコ。  
まだまだ 波乱の多そうな 二人の
ちょっとした 1日の出来事だった。