アクアリウムの1日


『ここの処、ちょっと落着いてるって前にメールくれたよね?
もし…良かったら、水族館行きたいんだけど、十兵衛も一緒に
付合ってもらえるかな』

 花月から届いたメールに、俊樹が勿論否やの返答するはずない。
恣意を示せば、十兵衛にこのメッセージを届けず
花月と二人きりでデートとしたかったが、後を考えると
それも面倒で、俊樹は溜息を付いた。
 それでも、
どこか嬉しげな表情で、十兵衛に待ち合わせ時刻を連絡する俊樹。
 メールが自分宛で有ったことで、ささやかな幸せを感じている為だった。 

「わ…大きい〜」
入口の水槽に、ペタリと両手をついて
硝子の向こうを、びっくりしたように覗きこむ花月。
 こんな、幼いまでの行動は、信頼している二人が傍にいるからだろう。
一人で居る時さえ、どこか緊張感を忘れられないのに、
今は、楽しい気持ちばかりが湧き上がって、
心が弛んでしまっている。
 
 解放感がいっぱいのまま、十兵衛と俊樹の腕を両脇に抱え込み、うつむく花月。
「あのね… 二人とも、大好きだよ?」

「あぁ」
「わかってる」
穏やかに、微笑みながら花月を見下ろす二人。
だが、花月の「好き」と己達の「好き」がくい違っているのが
分かってるので、その笑みはどこかしら、苦笑めいていた。


 出向いたのは、つい先日オープンしたばかりのアクアリウム。
 そう、少し前の「邪眼封印事件」で
花月が攫われ、洗脳されてしまっていた場所だ。
 元風雅親衛隊の二人は、オープン前のこの場所を
あちこち駆け巡り、イヤと言うほど知り尽くしているが、
公園に入ると同時に、誘拐されてしまった花月はほとんど
中を見れなかったのだ。

 はしゃぎながら、あちこちと覗きまわっているうちに、
十兵衛と俊樹とはぐれてしまったらしい。
 放っておいても、必ず追付いてきてくれるだろうが
今日ばかりは、自分で誘っておいたのだから、と責任を感じた
花月はルートを逆に戻って行った。

「あ、十…」
通路を曲がった場所に、二人の姿が見える。
 だが、短い巻きスカートと、ジーンズの姿の
二人連れの女性達と話をしているらしい。
 見掛けたことのない人物なので、道でも聞かれているのだろうか。
清潔な印象な女の子達は、事情を知らぬものが見たら
ダブルデートの片割れだろう。 自分の居場所が、無いような
気分になる。
 とっさに、声をかけるのが躊躇われ、花月は壁際で待機した。


「…ここではないが、何度か、通ったことがあるからな…」
「…だと思いました。二人ともつまんなそうなんだもん」
俊樹の声と、笑いを含んだ、スカートの方の台詞に、花月の肩がピクリと揺れた。
(つまんなそう…?)
「そっちの ゴーグルの人も、お魚なんて興味ないんでしょ?
今から、私達とどっか行きましょうよ♪」
「…興味ない、というより俺は目が見えないからな」

 当たり前の事実を述べた言葉に、唖然とした女性陣が気まずそうだった。
だが、誰より衝撃を受けていたのは、隠れていた花月だったであろう。
あまりにも、昔と変わらず傍にいて、見護ってくれていたので、忘れていたのだ。
 自分が、友人の光を奪ってしまっていた事に。
そんな自分が、無神経にも「観る」為の場所に、誘うなんて。

 そして、俊樹は無限城から出て、外の世界で暮らしていたのだ。
どちらかというと、子供向けのこんな場所、興味もないだろう。
 自分に付合って 無理矢理訪れてくれたのだろう。
 女性達に向ける、優しい空気が わかる。
十兵衛も俊樹も、その二人連れを厭う様子も無く、楽しげにすら見える。

 涙がこぼれ落ちぬよう、強く息を呑み、花月は笑顔を作った。

「十兵衛、俊樹! 遅いと思ったら、ナンパされてたの?
僕はまだまだ 見たい場所があるから、二人とも暇なら
一緒に行って来なよ。じゃ、今日はここで お別れしよう」

 一気に述べると、二人の反応を確認する前に、
身を翻し、通路を出口へと駆け抜ける。
 今の自分の笑顔は、引き攣っていなかっただろうか?
水族館の中にいたのでは、気を廻した二人がすぐに
自分を探し出してしまうだろう。 公園の、植え込みの影と
葉を茂らせた樹の根元の空間に、身を隠し、花月はしゃがみこんだ。

 どれぐらい、時間がたっただろう。
深く思案に更けていた花月の耳に、
 ガサリ、と 葉の大きく揺れる音がした。
正面に立っていたのは、十兵衛だった。
 表情はないが、長年の付合いで 怒っているのが分かる。
とっさに、逃げようとした花月の手首を、
木の後ろから現れた俊樹が捕獲し、幹へと押さえつけた。
「…俊…樹…十兵衛… なんで…」
左の手首を俊樹が、右を十兵衛が掴み、束縛された形で
花月が弱々しく訴える。
「なぜ、と問いたいのはこちらの方だ」
細められた、俊樹の凶暴な眼差しに、泣きたくなってしまう。

「だって…二人とも…楽しそうだったから…
それに…つまんなそうだって」

 普段の十兵衛と俊樹は、女の人に声を掛けられても
迷惑そうな顔で、断っていた。
それなのに、先程は自分を探すより優先して、立ち話をしていたのだ。

しばらく、沈黙が続く。
「…嫉妬か?」
 十兵衛の一言に、
黒曜石の瞳が、丸く見開かれる。
 耳元で、囁かれた 甘い声。背筋に染みるような、
十兵衛の問いかけだった。
 
「や…違う…」
 考えるより先に、頬に血が昇る。羞恥で紅く染まった顔を
見られたくなくて、俯く花月。
自分の奥で、澱んでいた もやもやを見られてしまった。
 恥かしくて、まっすぐに二人を見られない。
だが、その顎を、俊樹が強く引き寄せた。

「違わない」
「違う…ってば… お願い 離して」
まっすぐに、俊樹が見られない。
「じゃぁ、この顔はなんだ?」
 真っ赤になって、涙目な花月の
頬を、嬉しげに俊樹の指が這う。

「鼓動も、早いな」
掴んでいた花月の手首を、己の唇に押し当てた十兵衛。
「正直に、言え」
脈を計るその個所は、皮膚が薄く、走らされた十兵衛の舌の
動きが、直接的に感覚へと繋がる。
 

「ごめんなさい。僕…が考え無しで… 二人が
つまらない場所に、誘っちゃったから…
 一緒に居た人達との、会話聞こえたんだ。
二人とも、会話も弾んでいたみたいだし、
…僕の、居場所 なかったみたいで…」

 わがままで、醜い自分を見せるより、
物分りよい友人の立場を選んだつもりだった。
なのに、十兵衛と俊樹は そんな自分の壁を乗り越えて
来てくれたのだ。

「つまらなそう? 俺達がか」
 恐る恐るぶつけた本音に、心底意外そうな俊樹の声。

「そうでしょう? 俊樹は外で、何回か水族館行ってるみたいだし
…十兵衛は…」
 細くなる言葉尻に、十兵衛が形良い眉を顰めた。

「俺は、この時間を楽しみにしていた。腹が立ったのは
貴様が途中でいきなり、帰ろうとしたからだ」

「でも…あの人達が、二人とも『つまらなそう』に
歩いていたって…」

「花月が独りで、先に先に進んでいっただろう。 俺と筧が二人で並んで
水族館を歩いているんだぞ。
…他にどんな表情ができるというんだ」

「…いつもなら、女の人に声掛けられると
迷惑そうなのに、お話してたから…
そんなにつまんないのに、
僕につきあってくれたのかな…って…」

「あの二人は、あそこの職員だ。貴様が攫われた時
協力を仰いだからな。…無碍にもできまい」
「あぁ、カギやID等で、迷惑をかけたからな」
 自分の、思いこみだった。 別の恥かしさで、動揺する花月を、
十兵衛と俊樹が優しく見遣る。

「…場所なんて、どうでもいい。
俺は 花月が居てさえくれるのなら、地獄の業火
だろうが、深淵の闇だろうが…構わない。
一緒にいれる時間が、1秒でも欲しい。
…共に入れる少ない時を、俺達から奪ってくれるな」
 花月が見惚れてしまう程、清雅な俊樹の微笑だった。

「貴様が望む事は、俺達が望む事だ。
雨流と同様、俺も貴様が共にある限り、どんな場所でも
生涯、つまらないなんて想うことはない。
お前が、そこで微笑んでいてくれれば、それだけでいい。
貴様が許すなら、永遠にだってお前の傍に居続けよう」
 語りかける、深く豊かな十兵衛の声に、心のまどろみを
覚えた花月が、コクンと頷いた。
 今しがた迄の、緊張した雰囲気が
瞬時に溶けていった。
 
 
 脚の力が抜け、樹木の根元に寄りかかっていた花月を、
俊樹が抱え起す。
 ニッと浮かんだ、人の悪い笑みに 不安を感じながらも
コクビを傾げる事で、問いかける花月。
「今日は、うれしかったぞ花月」
「何が?」
「まさか、花月が俺達に嫉妬してくれるなんてな」

ぱくぱくと、唇を上下させた後、ダッシュで走り去り
大きく息を吸い込み、花月が向き直る。
「ばかーーーーっ」
そう言うのがやっとだった花月を、一呼吸おいて
追い掛ける十兵衛と俊樹。
 
 風雅メンバーでの、数少ない平和な、1日の出来事だった。 


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ウツキ様20000キリリク「十兵衛俊樹と花月のラブラブデート」小部屋バージョン。
…珍しい、というよりウチでは初めてかも、花月の方が嫉妬するお話。
とはいえ、相変わらず まだ気付いてませんので、これも
「親友が別の人に取られちゃう的嫉妬」レベル(笑)です。

何時の日か、本気で嫉妬で花月、も書いて見たいですが
そうなると姫は無敵になりそうですので、小部屋では無理…かな。

リクエスト、ありがとうございましたv