【東巻】もきちゃんっショ!


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その日の東堂は、不機嫌だった。
恋人であるはずの巻島裕介が、冬期休暇に帰国すると連絡をくれたのはいい。
だが何故だかそれは、自分に一番に伝えられるのではなく、巻島の高校時代の部活仲間に、先に告げられていたせいだ。

田所が善意から、当日巻島を空港に車で迎えに行くから、よかったら一緒に乗っていかないかと声を掛けてくれたのには、感謝している。
感謝はしているが…何故巻島は、自分に真っ先に帰国日を教えてくれなかったのか。
そうすれば、迷わず自分が迎えに行くと告げて、そのまま二人きりで過ごそうと言えたのに。

「…お前が電話中だったからっショ」
時差もあることだから、先に繋がる方から伝えただけだと巻島は言った。
それは巻島なりの、気遣いだったのかもしれない。
だが東堂にとっては、ほんの少し待ってくれれば、自分は普段長電話をするタイプではない、5分後に掛けてくれれば
自分が一番に帰国を知れたのにとつい思ってしまうのだ。

巻島にしてみれば、いつも自分が眠いとか面倒だといっても、話を引き伸ばしで電話を長引かせるお前が、何を言うという気になったのだろう。
お互いに、久しぶりに会えるという嬉しさを心の中に抱えながら、つい無愛想になってしまい、その日の電話は切れてしまった。

巻島が戻ってくるのは、クリスマスの前日。
部屋の中に飾ってある樅ノ木を見ては、仲直りの為の電話を使用かと東堂が溜息をつくこと5回。
いや、今回ばかりはオレが悪いわけではないぞと、ふと窓の外を見れば雪が降り始めていた。

今度こそ…と、指が履歴ボタンを押そうとした瞬間、ぽすんと軽い音がして頭上に何かが落ちてきた気配があった。
決意を乱してくれるものだと、不機嫌に拍車がかかった東堂が頭上に掌を伸ばすと、ソレは小さく「ッショ!」と動いた。
「……ショ? 巻ちゃんの声…が聞こえるとはオレも重症だな…」
巻島の事を考えていたからだろうか、幻聴にしてももう少しロマンティックな言葉はないのかと思う東堂の思惑とは裏腹に、幻聴はもう一度
「てっぺん とったショォ?」
頭頂で可愛らしい声を響かせていた。

脳が考えるより先に、反射的に頭上の声の持ち主を鷲掴みにし、東堂は目線の位置へと下ろした。
我ながら世界のどの忍者よりも、スピーディーで音もない行動だったと思う。

胴体を東堂の指で掴まれた、小さな人形のようなソレは、ちょこんと両手を揃え東堂を見上げていた。
その姿は…まぎれもない、ミニチュアの巻島だ。
「ま……ま、巻…まき、ちゃん…?」
幻聴だけではない、幻覚にしっかりした感触とまでが揃っては、幻だと自分を騙せないだろう。
震える声で確認する東堂に、ミニチュア巻島は首を振った。

「オレはもみの木の精、もきちゃんっショ!」
「も…もき…ちゃん?」
「12月に雪が降って、家の中に樅ノ木があって、その木の下でカチューシャをつけた男が30分以内に6回溜息ついて、
巻ちゃんって5回以上呟いたらオレが召還されるっショ!」
よくみれば玉虫色の光の髪は、一部がラメ入りのモールになっていて、頭上には樅ノ木とおそろいの星がちょこんと乗っていた。
「えっと…モールがオシャレだな」
「くはっ キモいでいいッショ」
とりあえず東堂が発した言葉に、まんざらでもなさそうに笑って、もきちゃんは鼻の下を指で擦った。

「…今までに、召還されたことは…」
「ないッショ」
まあそうだろう、雪が降る12月は珍しくないが、家の中に樅ノ木とカチューシャをつけた男でハードルは上がり、まして30分で溜息6回
巻ちゃん5回呟くという条件は、そうそうに揃うことがないはずだ。
「えっと…もきちゃんは…何でここに…?」
「召還されたからっショ?」
至極当然という顔で返されて、東堂は思わず『あれ、自分は何かおかしな事を言ったか?』と首を傾げてしまう。

通常何とかの精とやらが現れるのは、願い事を聞いてやるだとか、逆に聞いて欲しいことがあるからだと思うが、そうではないらしい。
12月の雪の日に、カチューシャを付けた男が…(以下略)すれば、もきちゃんは呼ばれたから来るのだと言った。

そうとわかれば、それでいい。
少しイラついていた心が、もちっとしたフォルムのもきちゃんで、随分と慰められる、
ちょこんと東堂の肩に座ったり、ベッドの上でころころ転がっていたり、樅ノ木の飾りの上を上ろうとしたり…。
とにかく、眼福だ。
日頃のスレンダーの巻島の肢体もとてつもなく魅力的だが、このちんまりコロコロしたもきちゃんの愛らしさは別物だった。

和むと同時に、巻島への申し訳なさがじわじわと浮かんでくる、
海外で学業をしつつ、兄の仕事を支えていると言う巻島は、並大抵の忙しさではないだろう。
たまたま出れなかったとはいえ、巻島が休暇の予定を一番に連絡してくれたのは、東堂だったのだ。

「そうだな…もきちゃんの事を伝えて…」
同時に謝罪をしようと考え、東堂の動きはふと止まった。
「もきちゃん…もきちゃんの事は他人に伝えても大丈夫なのか?」
昔話などで、そっと現れた異界の者は他人に正体を話したりすれば、姿を消してしまったり、別れたりしなくてはいけない。
樅ノ木の精だという、もきちゃんはどうなのだろう。
「話すのは別にだいじょうぶだけど、オレがここにいれるのは雪が降ってる間だけッショ」
「そうなのか…」
少し寂しいが、仕方がない。
それが、世界の理というものなのだろう。
ならばこのもきちゃんが、目の前から消えてしまうまで、せめて記憶に焼き付けておこう。

「もきちゃんは…雪がやんだら消えてしまうのか?」
東堂の言葉に、もきちゃんは「ショ?」と首を傾げた。
召還が始めてだと表現した、もきちゃん。
ということは、今回の出来事でいきなり生まれたわけではなく、ならばいきなり消えてしまうと言うのではないだろう。
「あー…えっと、帰ってしまうのかということだ」

「オレは雪がやむまえに、帰れば消えないッショ」
「ん?」
もきちゃんの言葉によれば、『帰る』と『消える』は別物らしい。
雪がやむ前に、東堂が召還を解くというのであればもきちゃんは元の世界に帰る。
だが雪がやんでしまっても、東堂が召還を解かなければ、もきちゃんは溶けてしまうのだ。

「そんな恐ろしいことは、早く言ってくれ!!」
こんな愛らしい、ころころと、無邪気に樅ノ木に登って笑うもきちゃん。
その存在を、自分のせいで溶かして消してしまうなど、冗談ではない。
ずっと一緒にいたいと望む部分は東堂の心のどこかにあったが、それでも もきちゃんが消えてしまう恐れに比べれば、ずっと小さなものだ。

しかし召還を解くといっても、東堂には自覚がなかった。
12月の雪の降る日に(以下略)というのが召還であるのならば、カチューシャを外せばいいのだろうか。
そう尋ねたみたところ、かえされたのは
「12がつの、サイダーの歌を召還主が歌うっショ」という謎の単語だった。

「12月の…サイダーの歌…?」
「シュワーっショ」
小さい手をぐっと伸ばして、しゅわーしゅわーと繰り返すもきちゃん。
だがその行動は、何のヒントにもなっていなかった。
十二月 サイダーの歌 で検索をかけてみても、該当しそうな歌はない。
ならばと師走やらソーダやら、少しずつ単語を変えてみても、該当するものは見当たらず東堂は困惑するしかない。

「もきちゃん…もう少しヒントを…」
「シュワーって来るっショ?」
…駄目だ、わからん。
ふとみた窓の外の雪は、随分と少なくなっていて、東堂の焦りを誘った。

このもきちゃんは、見かけだけでなく、話し方や独特な思考回路も巻島に似ている。
…ならば、巻ちゃんに聞けば12月のサイダーの歌とやらがわかるのではないだろうか。

もうこうなれば、変な意地など張っていられない。
東堂は迷わず、携帯の呼び出しボタンを押した。
トゥルルルル
いつもだったら、何度かは聞くこの音が、今回は1回で断ち切られた。

「巻ちゃんっ!」
「……ショ」
「12月のサイダーの歌を知らないか!?いやソーダの歌かもしれんのだがっそういった歌だ!」
「………」

黙り込んだ電話越しの巻島に、東堂はやはり訳がわからなかったかと、口を噤んだ。
だが東堂が予想していた「何を言っているんだお前」という返答のかわりに、返されたのは
「なんでお前が、ソレ知ってるっショ!? 兄貴か!それとも妹か!?」
と焦った様子の巻島の声だった。

「巻ちゃん、サイダーの歌を知っているんだな!?教えてくれ!」
「だから…なんで……」
自分と東堂がケンカをしたと知って、兄もしくは妹が自分の恥ずかしい過去を話したのかと巻島は、疑うように聞く。
巻ちゃんの恥ずかしい話…という単語に、心は弾まなくもないが、現在はそれはさておき、もきちゃんの救済だ。

何度か聞けば、その歌は『諸人こぞりて』だと、巻島は渋々と答えた。

「諸人こぞりて…?」
「知らないっショ?」
「いや…知っているが…」
キリスト教徒でなくとも、日本在住であれば知らぬ人はいないだろう、有名な歌だ。
だがわからないのは、なぜそれが12月のサイダーの歌、なのかなのだが…。

「…だから…モロビとコゾリテって人がシュワーってくるサイダーを飲む歌だって…オレはガキの頃思ってたっショ」

ブホッ
東堂は全身全霊の力を持って、頬の力を引き締めた。
だが唇は容赦なく、大いなる笑いを含んだ呻きを洩らしてしまっていた。
「笑うな…」
「笑っ…て…ぶっ…など…フフ……いな…いぞ… サ、サイダーの…歌……ブフッ…」

♪主は 来ませり
 主は来ませり  主は、主は来ませり

東堂は無意識に、有名なフレーズを口ずさんでいた。

12月になると聞こえてくる、その♪シュワーシュワーきませり
「ゆうしゅけ、12月のサイダーの歌覚えたっショ! しゅわーしゅわーっしょぉ」
と得意げに披露した黒歴史のせいで、巻島家では諸人こぞりてを『12月のサイダーの歌』と呼ぶようになったというのだ。

「巻ちゃん、その…すまなかった お前を田所君たちと一緒に迎えに行きたいと思う」
不機嫌なまま、巻島に会いたくはないと東堂が、浮上した気持ちとともに素直に言えば
「おう…オレも…悪かったショ」
と気恥ずかしげに、巻島も答えた。

帰ってきたら、どこへ行こうか、何をしようかと思うままに話して、気付けば時間はあっという間に過ぎていた。
名残惜しいまま、電話を切れば、すでにもきちゃんの姿はなかった。
慌てて窓の外を確認すれば、まだかろうじてではあるが、雪は降っている。

「もきちゃん…もきちゃんっ!?」
(東堂が、12月のしゅわー 歌ったから、オレ帰るっショォ…)
樅ノ木から、そんな小さな声と一緒に、
(もきちゃん、クリスマスはオレと過ごすのだぞ、もきちゃん!)と自分によく似た声が、どこからか聞こえた。

どうやら、もきちゃんだけでなく、樅ノ木の精の自分も存在しているらしい。
いつか二人揃って、召還してみたいものだ…できるのならば巻ちゃんと一緒に。

もきちゃんが、登ったせいで少しずれたカチューシャを直し、東堂はもう一度、
♪主はーきませり  と口ずさんだ。