巻ちゃんの部屋 ****************************** 「…なあ東堂 お前距離近くねぇか」 困ったみたいに眉根を寄せる巻島は、背後にべったりとくっつき圧し掛かる東堂へ振り返った。 多少の雨ならば、二人でまたどこか山頂を競っていただろうが、本日の雨は山道が通行禁止になるレベルで、仕方がなしに巻島の家でごろごろとしている。 ベッドの上で寝転んで、グラビアを眺める巻島。 「退屈だ」と一緒に寝台に昇ってきて、後ろからグラビアを眺めていたのまでは、黙認している。 だがそれも飽きたのか、東堂が鼻先を巻島のうなじに埋めて、フンフンと音をたて嗅がれると、背筋がなにやらぞわりとするのも、事実だ。 「おまっ…やめるっショ!」 「…巻ちゃんは、いい匂いだな」 離れろともがくほど、東堂がかえって力を増してしがみつくのには、もう慣れた。 だからゆっくりと身じろぎして、距離を置こうとしたのは失敗だったようだ。 東堂が逃がさないとばかりに、巻島の腕を引くと、向かい合う形に下敷きにした。スプリングの効いたベッドは、男二人でも柔らかく受け止める。 両脚のあいまに、自分の膝を押し入れた東堂のせいで、熱い肌が、離れようとした前より、かえって密着してしまう。 なんで今日に限って、互いにハーフパンツだったのだと、今更ながらに後悔する巻島と裏腹に、東堂の表情は嬉しそうだ。 「追いかけっこか、巻ちゃん?」 「…駆けるほどの距離ねぇよ」と呆れた声で答えれば、 「当然だ 逃がさんよ」と返される。 部屋に入れたはいいが、確かに放置していたかと自覚ある巻島が、 「あのなあ…言っとくけど こっちの部屋にまで通したことあんの、お前と金城と田所っちぐらいだぜ?」 と告げる。 巻島の家は広く、高校生の男子の私室としては珍しいことに、書斎めいた活動のための空間と、本当のプライベートルームといえる寝室に別れていた。 後輩やらクラスメイトが訪れたことはあるが、書斎までだ。 その先にある寝室を、許したことがあるのは、お前を含めた3人だけだと、半ば機嫌をとってやるつもりで言ったのは、どうやら失敗だったらしい。 不機嫌に目を細めた東堂が、さきほど割りいれた膝で意思を持って、巻島の両脚を広げさせる。 咄嗟に逃げられないようにの、拘束代わりなのかもしれない。 東堂の顔は目前にあるからいいようなものの、遠目に見られたら、解剖前に貼り付けられた蛙みたいでみっともねぇなあと、 巻島は弛んだ肢体を投げ出し考える。 「…面白くないぞ巻ちゃん オレ以外に、ここに招き入れられた奴がいるのか」 上半身は腕で支えていても、東堂の下半身の重みは、そのまま巻島のそれへと落とされる。 『ここ』と口にしたとき、東堂の腰はまさに巻島の秘所近くに膠着し、そのせいでなにやら性的な意味での嫉妬に聞こえた。 ――これは、まるで恋人の距離じゃないか 服を着ているだけの、擬似セックスのようだと、巻島はぼんやりと東堂を仰いだ。 「巻ちゃん どこに意識を向けている オレはここだ」 硬さとあやうさを含んだ東堂の声が、こめかみに口づけるように言う。 「フッ…ァ……そうはいってもよォ…金城達がここ来たの、…お前と知り合う前ショ」 独占欲にもほどがあると、鼻先で笑ってやろうともらした吐息は、喉にからんで、予想外の甘く官能的な響きを漏らした。 その吐息を聞いた東堂が、巻島の失敗を見越したように鼻で笑う。 「色っぽいな、巻ちゃん」 じわり、と先端が熱くなり濡れてしまいそうだ。 体の奥から、病的に思える興奮が湧き上がり、巻島はひそかに動揺をした。 「…ではオレと知り合ってからは、オレだけだな?」 「なんでそんな事気にするっショ 別にここに入ったって言っても近所だから泊まったりしてねぇし」 「だって、不公平だ オレは巻ちゃんに出会ってから、巻ちゃんの事しか考えられないのに、巻ちゃんは違うのだから」 「東堂……」 そんなことない、と否定するには、日頃の東堂への自分の態度は、そっけなかった。 探るように見つめ返す巻島に、東堂がふと笑うと、一度腰を引いて、再度まるで突くようにぶつける。 服を着ているだけで、ソレは完全に雄の仕草だ。 「やっ…尽八 何、して……! …あ、当たって…るショ…」 睫毛の縁が潤むのを、自覚しながら唇をかみ締めると、東堂の口角は楽しげに上がった。 「わざとだよ …こんな体験は…オレだけだろう、巻ちゃん?」 「……こんなコト、普通ライバルってするもんなのかヨ」 「さあな 宿命の相手だったらするのではないか 少なくとも…今オレは楽しいぞ巻ちゃん」 余裕ぶった態度が悔しい。 苛立たしげに髪をあげ、ふざけるなと蹴飛ばそうとしてみても、触れ合う箇所からは、じわじわと羞恥が広がるばかりだ。 東堂は、たまにこんなふうに自分を弄ぶ。 雑誌を眺め、それでも会話をしているうちは平気だが、東堂を少しでもおざなりにしていると、何かが琴線に触れるらしい。 こちらを見ろといわぬ代わりに、髪を梳ってきたり、度が過ぎるとおいしそうだと物騒なことを言って、二の腕に齧りついてきたこともあった。 随分ひどい自己主張方法だと、巻島が涙目で睨んでも、嬉しそうな顔をされるのだから処置無しだ。 ――それでも、東堂が黙り込む時よりずっとマシっショ 以前、耳朶に歯を立てられたときの痛みで、いい加減にしろと反射的に蹴りを入れたら、据わった目をした東堂に、ずっと無言であちこちに 噛み痕をつけられた。 そのなまなましい紅い痕跡が消えるまで、巻島が選ぶ服に困った記憶はまだ新しい。 さすがにこれはひどいと抗議したら、仕返しにオレに噛み付いても構わんよと腕を差し出され、根負けをした。 「…もう満足したろ、降りろよ」 東堂の吐息が、頤のしたの薄い皮膚に辺り、巻島の匂いを嗅ぐ。 こそばゆさに首を竦めれば、動かないでと顎を指で掴まれた。 「まだまだ、足らんよ …オレは巻ちゃんに満たされるなんて永遠にないのかもしれん 充たされたと思うと、また足りなくなってしまう …ずっとこうしていられたらいいのに」 「…なんだよ それじゃお前、一生オレのストーカー続けるつもりか」 「ストーカーではないな!あえていうのなら、天の巡り会わせたるつがいだとでも思ってくれ」 今日の東堂は、目当てのクライムが出来なかったからか、執拗だ。 上機嫌ではあるが、それでもあちこちまさぐる手を止めようとしない。 「…ム、また肉が落ちただろう巻ちゃん この腰は何だ」 「うるせぇショ お前は母親か」 「巻島家では、母君が腰を触って肉付きを心配するのかね」 「…クハッ ねぇな」 「ならばこれも オレだけの特権だな!」 ご機嫌斜めの東堂とは別に、悦ばしげな東堂も危険だ。 誰よりも大切にされている優しさで包み込んできて、それにのっかればいつか足元をすくわれるような不安感が押し寄せるからだ。 「……そろそろ離せよ」 「断るよ、巻ちゃん まだまだ今日は長い」 「長いからこそ、もっと時間を有効活用しようぜ それとも『…許して…』とでも言えば、いいのかよ」 悲劇のプリンセスめいた台詞をノリで吐いてやれば、東堂はしばし硬化し、重々しい吐息を一つついた。 「…それは反則だ…巻ちゃん」 ようやく引き下がる東堂に、去年のレースのDVDを見るかと誘えば、それはいいなと返された。 寝台から降りる東堂は、いつもの彼に戻っている。 パタンと音をたて、寝室の扉が閉まる。 ―――何故だ、巻ちゃん こうまでしているのに、どうして伝わらない? 無意識に後ずさる巻ちゃんを、追い詰める楽しさに、自分はどうにかなってしまいそうだ。 ………東堂は、人懐こすぎっショ 勘違いしそうになっちまうショ 東堂が笑いかけてくると、胃が焦がれそうに焼きついて、泣きたくなってしまう。 強い絆を欲しすぎて、互いに自分の気持ちが言い出せない二人は、いまだ恋しさを伝えられずにいる。 オマケ 箱学寮内で ***************************** 部活動内では体を動かすのに集中し、トレーニングの計画や配分などを、夜間に集まって決められるのは寮生活の特権だ。 比較的整頓された、東堂の部屋に集まった3年レギュラー陣は、各自の課題を終了させ、思い思いに伸びをした後、雑談へと入る。 「…ところで悩みがあるのだが、聞いてくれないか」 真面目な顔で切り出した東堂に、福富は何事かと顔を上げた。 にぎやかかつ華やかで、物怖じしない性格の東堂は、その人懐こさとは裏腹に、プライド高く、ものごとをあまり相談してくることなどない。 「解決できるとは限らんが、言ってみてくれ」 「実は巻ちゃんが、オレを誘うのだが…どうするべきだろうか」 もともと細い目をした荒北は、さらに目を細め福富の耳をふさぎ、新開へと向き直った。 「オイ新開 オレはフクちゃんの両耳ふさぐので忙しいから、代わりに東堂殴れ」 「ハハッ まだ続きがあるかもしれないだろ もう少し聞いてからでも遅くないと思うぜ」 「なんだ靖友 聞こえんから外すぞ」 単純な腕力では利のある福富は、あっさりと荒北の手のひらを外し、東堂へと顔を向けた。 「普段 お前がいつもほぼ一方的に電話をしたり誘いをかけているのだから、喜ぶべきじゃないのか?」 「……フクちゃん コイツの言ってる意味、多分違うヨ レースじゃないよ」 「靖友、カタコトになってるぜ」 「仕方がねーだろーが!遠まわしなんて苦手なんだよ!」 「レースでないなら友人としての誘いか?確かに巻島は、ライバル校の人間であるが、私的に会うのを禁止した記憶はないが…」 不自然な荒北の様子に、福富は目線で無言のまま問いかける。 「……東堂、聞きたくねーけど……すっげー超聞きたくねーけど!! …フクちゃんが納得できるように聞いてやる …友人としての誘いでもねーよな」 「無論だ オレと巻ちゃんに今更そのような段階を踏む必要はない!そうだなあえて表現するのであれば愛のいとな「あーーーーーーーっ!!!」…」 東堂の台詞が終わるより先に、大きな喚き声が続きを割愛させた。 「…おい荒北 自分から聞き出しておいて、何故邪魔をする」 「何故もクソもあっかよ!! ボケナスの寝言をまともに聞いてられっか!」 「寝言ではないな! ならば聞かせてやろう、証明してやろう巻ちゃんがどのようにオレを誘うか!」 (1)巻ちゃんはオレが電話をすると、いつもイヤラしい水音を立ててアイスを食べている→誘っている (2)巻ちゃんはオレとクライムした直後、山頂で毎回髪をかきあげ、白いうなじを見せ付けている→誘っている (3)巻ちゃんはオレが横にいるのに、ピンクの先端が見えそうなぐらい前ファスナーをあける→誘っている (4)巻ちゃんはいつも媚びるみたいな目つきで、眉根を寄せてオレを眺めている→誘っている (5)巻ちゃんの山頂越えをした瞬間の吐息は、神経伝達物質が全力で勃てろと指示するぐらい掠れてエロい→誘いでないわけがない (6)そして巻ちゃんはオレの運命の相手である→無条件で誘うべき相手だ 以上の行動から、巻島裕介の行動を定義づけよ →結論 巻ちゃんはオレを誘っている 「…どうだ!完璧な論理だろう!!」 勝ち誇る東堂の言葉を、懸命に繰り返し整頓し、理解しようとしている福富の努力が、せつな過ぎる。 しばし頭を抱えた荒北が、殴る代わりに正面から指をさし、「ねぇヨ!!」と叫んだ。 「間違いだらけだろ!オレは勉強嫌いだけどヨォ てめえのその証明ならすぐ崩せるぜェ」 「ム…どこが間違っているというのだ」 (1)手前ェが電話する前からアイス食ってるんだったら、総北のヤツはお前より先にヤラしいアイス食べを見てる→誘ってない (2)巻チャンがレース中髪結んでネェのは、結んでるとテメーがずっと「巻ちゃんならんよ! その髪型はならん!!」と横でウッセーからだ。 走り終わった後だと、さすがに暑さで耐え切れなくて髪かきあげてんだヨ!→誘ってない (3)レース中の体温調整でファスナー開け閉めは普通だろうが ギリギリまであけてることが誘ってンならウチの泉田はどーなる→誘ってない (4)…巻チャンのあの目つきは天然だろ 俺らだって毎回見てんぞあの顔→誘ってない もしテメェの論理で行くなら俺ら全員誘われてることになる (5)巻チャンじゃなくても、吐息は基本エロいんだよ→誘ってない (6)ボケナスの寝言だな→誘ってない 論破してやったぜザマァと、意気揚々たる荒北に対し、血の気を引いた東堂の顔は、冷たく固まっている。 妄想で凝り固まっていたヤツを、さすがに叩きのめしすぎたかと、荒北が声をかけるより先に、東堂がポツリと呟いた。 「……巻ちゃんがオレの為でなくあのいやらしい食べ方をしていて、あの白い首筋を誰か他のヤツにも見せていて、オレの許可なく 他でも淫らな胸元を晒しているというのか…」 ――あ、この言動ヤバい。 背筋がざわめいたのは、東堂の瞳が冷酷な光を浮かべ、笑みを消したからだ。 東堂の人に接する態度は、残酷なぐらいに二分化されている。大事なものと、そうでないものだ。 ライバルであっても、大事というカテゴリは存在するが、自分の興味や関心をひかないものに対しては、無情といいたいぐらい、硬化した 感情しか向けられない。 …今の東堂は、巻島以外の全てを切り捨てた状態だ。 だが今の情景は幻だったように、瞬時にそんな仮面を捨てた東堂は、いつもどおり快活に笑った。 「なるほど すまんね荒北…参考になった」 『山神』の称号は、走りの技術だけから来たものではない。 神のように、望むものを手にするだけの力と、そのための行動を兼ね備えた東堂だからこそ、こう呼ばれているのだ。 欲しいものを決めた面付きと、それを他人から隠す相貌への、みごとな変化。 ヤバいヤバい、ヤバいこの東堂は、マジでヤバい。 東堂と荒北の説明を聞けば聞くほど、混乱を深めている福富と違い、同じく真顔な新開も同様の懸念を抱いたのだろう。 目が合った瞬間に、互いにアイコンタクトで頷くが、だからといって、何ができるわけではなかった。 「荒北、新開 …余計な手出しは無用だぞ」 薄く笑った東堂の顔つきを見た荒北と新開は、その本気を教え込まれるだろう巻島に、深く同情をする。 「……巻チャンに忠告したくてもよォ…何言えばいいかワカンネェんだよねェ……」 「全力で逃げろといいたいが、……裕介くんが逃げた後の尽八は想像したくないな」 「インハイ前だしな …よし、オレらはなにも聞かなかった! 大丈夫だ!東堂は巻チャンと登るのを何よりも第一条件にしてんだから、 ツッコんで登れなくする心配はねえし!」 「よし寿一、尽八の悩みは解決したらしい オレ達は引き上げようぜ」 すでに唇は開いているというのに、新たなパワーバーを開封しない勢いで、新開は福富の肩をたたき、立ち上がる。 巻島裕介の無事を、誰より心から祈っているのは、箱学3年生の一部レギュラー陣だったのかもしれない。 *ただし、つきあっていません |