巻島裕介は、自分が口下手でありながら、たまに皮肉めいた言動をしてしまうことを、これほど後悔した事はなかった。 事の起こりは、カチューシャがまた例にもよって、レース後にこちらに絡んできたことだ。 今回は、悔しいことに負けてしまった。 それはそれでいいのだが、勝ち誇った顔をしたカチューシャが、 「お前は言葉遣いそのものが、なっとらんのだな」 と上から目線で言って来たことに、ついカチンとなって反応してしまったのだ。 確かに自分は北海道民でもないのに、語尾に『ショ』などとよくわからぬものをつけてしまう。 家族にそんな喋り方をするものはいないし、現在住んでいる千葉県の方言でもない。 気付いた時には口癖となっており、それがもう身についてしまっているのだ。 だが自分のこの独特の話し方について、カチューシャは事もあろうか 「親御さんから、きちんと躾られなかったのか」などと言ってきたのは、聞き逃せなかった。 「うるせーッショ だいたい喋りに関して、お前人の事言える立場じゃねえッショ」 「なんだと?オレのこの口調のどこに問題があるというのだね」 「…時代劇かよ、武士かよ、殿かよって古臭ェ喋り方しといて、人に絡むとか大きなお世話ッショ!」 珍しく口調を荒げた巻島に、東堂はハトが豆鉄砲をくらったような顔をしていた。 「ふ…古臭い…?」 「普通の高校生が、ならん、ならんよとか言わねえッショ!」 そう言い捨て、巻島は逃げるようにロードバイクに乗って、帰路についた。 本来はロードバイクはここで分解をして、レース場近くの駅まで歩く予定だったが、一刻も早くこの場を離れたかった。 東堂というのは、良くも悪くもまっすぐな男で、気に障ったことはすぐに口にするし、うるさいぐらいに注意などをしてくるが、かわりにさほど、根に持つ事はない。 むしろその点に関しては、巻島の方があまり言葉にできない分、引きずってしまう。 次のレースで、顔を合わせてしまうのが気まずい。 できれば、会いたくない。 しかしながら、次のレースで顔をあわせたカチューシャは、何事もなかったように声をかけてきて、巻島もその件は、それ以来忘れてしまっていた。 だが、しかし。 東堂の自分への呼びかけが、タマムシから巻ちゃんに代わり、それに馴染んだ頃東堂はいきなり 「巻ちゃんっ!オレはあの日の巻ちゃんの言葉で生まれ変わった!ナウなオレを見るがいいっ」 満面の笑みで、こう言ってきたのだ。 「……ショ?」 「ふ…登れる上にトークも切れる!更にこの美形!もう古臭いなんて言わせんぞイマいオレにとって、古いなどチョベリバだからな」 (え、コイツ何言ってるッショ) ナウなオレ、イマい、チョベリバ。 あまりに当然のように言葉に混ざっていて、自分の知らない言語だろうかと、呆然と見上げる巻島を、東堂は満足げに見遣る。 「あの日巻ちゃんに言われた、殿かよというツッコミは鬼のようにオレの心につき刺さった…」 巻ちゃんとツーカーになった今、そんなMKYな会話をして、ホワイトキックになっても困るから、オレはしゃばい言葉を学んできたぞと東堂は自慢げだ。 「ただでさえMMKだというのに、努力も怠らんオレにとって、これぐらいは当たり前田のクラッカーだがな!」 (やべェ…これ…オレのせいッショ!?) 当時の東堂の喋り方は確かに多少古めいてはいたが、会話は正常に成立していた。 だが今は正直、半分…いやそれ以上に、何をいっているのかわからない。 これは会話中によく出る、お前の言動の意味は、前後の行動と辻褄があっていませんよという意味での 「ちょっと何を言っているかわからない」 とは異なっている。 本当に本気で、未知の言語なのだ。 「MMKって…何ショ…」 「ん?しらんのか巻ちゃんイモいぞー もてて もてて 困っちゃう の略だ!」 ドヤ顔で東堂に返され、巻島の中ではじわじわと笑いが吹き上がってきていた。 「ちょっ…おまっ…そ、その喋り方とか…どこで習って…」 実家が旅館である東堂家は、どうしても現役である父母は職場である旅館側にいることが多く、東堂やその姉の日常は、引退した先代…つまり祖父母によって、見守られていたことが多い。 勿論正月や夏休みと言った、旅館業が忙しい時期は先代、子供だと関係なく家族ぐるみで総出になるが、つまりは東堂の日頃の口調は、祖父から影響を受けていた。 旅館業の方を幼いながらに手伝えば、小さな子が少し古めかしく喋るさまが愛らしく、訪れた客たちにはかえってその口ぶりは好評だった。 なので、東堂は自分の話し方について疑問を思ったことはなかったのだが、あの日の発言は胸に強く響いたのだと、彼は言う。 祖父の話し方が古いというのであれば、父を参考にすればいい。 父の了解を得て、書斎を漁れば、どうやら客が忘れていって保管したままになっていた、トレンディーな言葉辞典が見つかったので、東堂はそれで勉強をしたのだと続けた。 「武士で忍者なオレも うほっいい男だが、ヤングなオレもメトセクだろう?」 ダメだ、腹筋が死ぬ。 一部もう、死語とかじゃないレベルの言葉まで入っている。 「っく…」 吹きだしそうになるのを堪え、巻島は必死で口端が綻ばぬよう、唇を強く結んだ。 笑っちゃダメだ。原因はどうあれ、東堂のこの言葉遣いのきっかけは自分だ。 表情を崩さぬように保つのが精一杯で、今の巻島には東堂に突っ込みを入れる余裕はなかった。 「巻ちゃん…あの時はすまなかった… 巻ちゃんがベルサッサで帰ろうとしているのを見て、オレがアウトオブ眼中なのかと感じてしまいワケワカメでテンパってしまってな… つい親御さんに対してまでいけぞんざいな言動をとってしまった」 ダメだ、笑っちゃダメだ。ダメだダメだダメだ。 「マルガリーマンのように、形で反省を見せるのもありなのだが、オレ自身の口調を改めることで、メンゴしてもらおうと思ってな…」 「……ッショ……」 もう勘弁してくれ、原因は自分だが、大声で笑ってしまいたい。 お客様のもので、勝手に捨てられないからと丁寧に保存していたトレンディーな言葉辞典とやらは、いつの時代のものだ。 その時点で、トレンディーじゃねえッショ。 ああ、思いっきり笑ってしまいたい。 「プ…っく…フッ……げほっげほげほっ!」 震える声をごまかすべく、咳をするように俯いた巻島に東堂はまだ尚も続けた。 「巻ちゃん…オレはあの後、しばし悩んだ…オレはオレ自身の育ち方や、美貌に誇りを持っている」 後半いらねェ。 育ちに誇りを持っているでとめておけよ、そうすりゃ名言になるのに。 「だがオレにとって目障りに感じていたタマムシの言葉が…何故にこうもCKなのか…考えてみてよくわかった」 こっそりとばれないように俯いたまま、巻島はスマフォで『CK』を検索した。 ちょっと気になる、もしくは超気になるの事と、グーグル先生は教えてくれたが、『ちょっと』と『超』では随分意味が異なるのではないだろうか。 「オレは……お前にゾッコンラブなんだ…!」 ブフォーーッ きました、もう無理です隊長!!笑う許可を、笑う許可をお願いいたしますっ!! どうか自分に、思うさま笑える許可をっ!! 腹筋が、必死でそう呼びかけてくるが、この重々しく真剣な口調の東堂に、さすがにそれはできない。 人付き合いが苦手な自分でも、ここで大笑いをしては、一生許されないものになるだろうと、理解できる。 ああ、それでも。 大声で、おなかを抱えて、笑いてェッショ!! ダメだ、酸素が足りない。 口元を覆って、吹きだしてくるものを必死で抑えようとする巻島の顔は真っ赤で、小刻みに震えていた。 (イカしたオレにコクられたからといって…そんなに真っ赤に震えているなんて…シャイなハニーだ…) 巻島の様子に、感動した声で東堂は続ける。 「巻ちゃん…オレからのオファーで、バタンキューせんでくれよ?オレはマジでお熱ってヤツなんだからな」 ダメだ、死ぬ。 人間笑いを耐えるだけで、ここまでキツいものなのかと巻島は身を持って知った。 ラストクライムなんかより、よほど辛い拷問だ。 そういえば、昔なんかの本で見掛けたギリシャの哲学者で、笑い死にしたヤツがいたっけ。 ディオゲネスとかいういう男は、息を止める修行をしてそのまま窒息死した説もあるだとかいうのを見て、あの時も笑いを堪えたが、今回の比ではない。 …ああ、目の前がなんだか、暗くなってきたッショ 「巻ちゃんっ!オレからの告白に感激したからといって、気絶せんでくれっ!しっかりしてくれ巻ちゃんっ」 耳元で叫んでいるはずの、東堂の声が段々遠くなっていくように巻島は感じ、そのままブラックアウトした。 「…これがオレらのゴールインのいきさつッショ」 二人の結婚の馴れ初めを聞かれた巻島は、淡々とそう答えていた。 デザイナー巻島と、プロロードレーサー東堂の、婚約が発表されて一ヶ月。 すでに身内でのお披露目は終り、ジューンブライドだと世間に噂されての、二人へのインタビューだった。 「…あれは…忘れてくれんか巻ちゃん…」 黒歴史だったと顔を赤くする東堂に、巻島はにんまりと笑い 「いやッショ」と一言で返す。 「しかしだな!原因はそもそも…」 「だから責任とってやったッショ」 クハッと笑って、結婚指輪を嵌めた掌を前に出してきた巻島と、それを見てこの上もなく嬉しそうな表情をした東堂という風景に、カメラマンは即座に反応をし、ベストショットを納めた。 このライターの記事が載せられた雑誌は、ナウなヤングにバカ受けし、スポーツ誌には異例の再発売となった伝説となっている。 なおオマケとして、学生時代の東堂と同じ部活だったメンバーからの一言コメントには 「あの当時のアイツの言動がおかしかったのは、巻島のせいだったのかヨ」(同学年Aさん) 「え、変だったんですか?あれが普通なのかと思っていましたし、何となく意味はわかったからいいかなーって」(後輩Mさん) 「普段、真面目な人でしたから…何か思いつめていたのかなと心配していましたがそんな理由だったんですね」(後輩Kさん) と簡潔に、当時の周囲の心境がまとめられていた。 |