【東巻】短編二つ


オレのアイデンティティが揺らごうとしている
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その日の天候は、かなりおかしかった。
カラリと晴れた空かと思えば、急に大粒の雨が降り、走っていた人が諦めてどこかで雨宿りをしようとすれば、また雨がやみ空には虹がかかる。
おかげで室内にいた人から見れば、晴天といいたい青空の下で、髪がびしょ濡れだったり、曇りなのにサングラスをかけている人がいたり、
熱気があるのに濡れたシャツを着た人がいたりと、さまざまな様子が映り首を傾げたに違いない。

たまの練習休みだと、連れ立って買い物に来ていた東堂たちも、その気まぐれな天気の被害を受けていた。
ふんわりとした髪の新開は、ゆったり歩いていたせいで髪の毛の多くが水分を含み、ストレートに近い髪型になっている。
荒北はその髪質のせいもあり、見た目はあまり変わらないのだが、眩しい日差し避けにと購入した偏光グラスを利用し、目元が見えぬだけで、随分と雰囲気が変わっていた。
残る東堂はといえば、早めに雨宿りが可能な箇所を見つけ、残る二人に呼びかけた後素早く移動をしていたおかげで、髪の被害は少なかった。
ただ少し濡れてまとわりついた一部の髪を、まとめようとカチューシャを外した際に、ぱっきりとその白いプラスチックが折れてしまい、今は髪を下ろしたままにしている。

全員身長はそこそこあり、黙ってただ立っていれば、練習で締まった体も含め見た目もよい。
通りすがりの女性達が、頬を赤く「素敵だね」と小声で騒ぎながら通り過ぎていくのを、慣れた東堂や新開が笑顔で返し、ますますその場での注目度は増していた。

「…あれ…?あそこにいるの、巻チャンじゃネェ?」
「荒北!お前オレの巻ちゃんを気軽に……」
とまで言いかけて、それでも指された指の方へ、反射的に東堂は目線を送る。

東堂が実家に暮らしていた頃、隣家にいたのが巻島裕介だった。
東堂の両親が多忙なため、本来は尽八は一人で過ごすことが多い生活を送っていたかもしれない。
だが鷹揚な巻島母が「尽八君が息子の相手をしてくれるから助かるのよ」と毎日のように、おやつだ夕食だと招いてくれていたので、孤独を感じたことはなかった。
年下である裕介も、兄のように尽八をしたい、また東堂も裕介を弟のように……実際に弟がいたとしても、ここまでの情は湧かなかったかもしれないというレベルで、大事に接していた。

まだ人生について語れるほど、大層な生き様はしていないがそれでも、これまでの記憶で一番辛かったのは、箱根学園へ寮生として入ると告げた時だった。
「いやッショォォ!とぉどぉ、ゆうしゅけとずっと一緒っしょぉ!」
と叫ぶように言われたら、苦笑しながらも喜びつつ、宥められた。
だが裕介は、何も言わずただ俯いてほろほろと、涙を流すだけだった。

それでも「ろーどばいくに乗ってるとぉどぉは、かっこいいっショ!」と目を輝かせ応援してくれていたのもあって、東堂の進学が、そのロードバイクに関連すると納得し、頷いて見送ってくれた。
元々練習に専念する為に、寮生になっただけで、自宅からの距離はそう遠くない。
それもあって、学園祭やら体育祭やら、学校生徒でなくても箱学へ訪れることが可能な日があれば、東堂は巻島を招待し、巻島も何度か足を運んでいたおかげで、新開と荒北も顔見知り程度には、巻島を知っている。

荒北が指差した方向には、サラサラショートカットただし玉虫色の髪という目立つ人物が、ウィンドウ越しにスポーツバイクを眺めていた。
「な…… あ?」
なあ、巻チャンだろと確認するより先に、すでに東堂の姿は横になく、いつ移動したのだという静けさとスピードで、東堂は巻島の隣にいた。

普段は軽くてうるさいけれど、それなりに常識もある東堂だが、幼馴染に関する話になると、常識と良識がどこかに跳ぶと身をもって知っている荒北と新開も慌てて後を追う。
ガラスにへばりつくようにして、ロードバイクを眺めている巻島は、他者が見ても微笑ましいらしく、通りすがりの者達が柔らかな笑みを送っているが、東堂はそれを遮るように巻島を自らの体で隠す。

まだ成長過程半ばにも達していない巻島とそれなりに体格が出来上がりつつある東堂の、身長差のおかげで通行人たちから、巻島は見えなくなった。
自分の視界が、少し暗くなったのに気がついたのだろう。

怪訝な顔をした巻島が、振り返ればそこには、「モデルのようなイケメン」が立ち構えていた。
しかもその両脇には、明るいオレンジめいた茶髪の肉体的ハンサムと、スレンダーなサラサラ黒髪男。
「まき……」
東堂が前回の笑顔で、抱きしめようとしたところ
「お、お金なら持ってませんですショォォ!」
直立不動の巻島が、こう叫ぶ。

「え……巻ちゃ」
「あ…ゆうしゅけはまだ、一人でお買い物行っちゃ駄目ってレン兄ぃが言ってた通りっショ リア充に囲まれて、お財布奪われて、ゆうしゅけは精神的に立ち直れなくなるっショ……」
「いや巻ち」
「怖いッショォ……イケメンって目の前にいるだけでキラキラしてて、恐ろしいッショォォ」
「巻」
「声までイケてるっショ!!これもう、同じ人間じゃねえっショ!!」

「…なああれ、新種のコント?」
「両方があきらかに、テンパっているのは解るけどね」
少し面白いという気もあるが、年下の子供が泣きそうに狂想状態になっているのを、ただ笑ってみている訳にも行かない。
そう思い、新開と荒北が歩み寄れば、巻島の眉尻はますます下がり
「ショォォ 囲まれたっショ……ゆうしゅけはこれでお財布を差し出して、もっとあんだろ?ってぴょこんぴょこんジャンプさせられるッショォォ」

(オイコラ、人聞き悪ィこと抜かすな)
普段であればそういって、後頭部を軽く殴る程度の事はする荒北だが、目の前の人物が本気で怯えているのがわかれば、手出しはできない。
さてどうするかと、新開とアイコンタクトを取り、距離を窺えば、巻島は何かを思い出したように、スマフォを取り出した。

「こ、ここ、ここは箱学の近くっショ!とぉどぉ、呼べば来てくれるかもしれないっしょ……」
震える手で、短縮を押す巻島を見て、東堂は自分の携帯が鳴ったことに気付いた。
ひとまず巻島を落ち着かせようと、直接声を掛けるのを一度断念し、通話ボタンを押した。
「巻ちゃん、オレだよ」
目の前でこう喋っているのを見れば、幾らなんでも認識できるはずだ。

…そんな東堂の甘さを、見透かすように
「オ、オレオレ詐欺ですっショ!?」
―――ツーーーーー…
…電話は、切られていた。

「被害者側が自分から掛ける、オレオレ詐欺って斬新だな」
「…息子の携帯が変わってるのを知らない親とかなら……ありえるかな」

勿論本気ではないが、この場の東堂は呆然としており、さすがにかける言葉が見当たらない。

ならばといっそ、少しヤンキーがかったフリをして、荒北は
「なぁ 今お前が電話した相手、誰ヨ」と絡むみたいに、会話を誘導した。
ここで「東堂だ」と言われたら、こいつも東堂だと説明してやれば、少しは聞く耳を持つだろうという荒北の見解も、甘かったらしい。

「か、カチューシャっしょ!」

「素直かと思いきや…手ごわいな…裕介くん……」
荒北の手段すら、駄目とあって新開も何か手段を考え始めたが、具体的には思いつかなかったらしい。
荒北の言葉を継ぐように
「カチューシャは東堂尽八って言う名前じゃないかな?」
と笑顔で屈むようにすれば、ほんの少し巻島の警戒は薄らいだようだった。

「……とぉどぉ、知ってるっショ?」
「だから巻ちゃんっ!オレだって!!」
「……リアルオレオレ詐欺が来たっショ!!?」
「えーっと…裕介くん この人は東堂尽八だって、オレが証明するけど……」
「違うっショ!東堂はカチューシャはオレのあいでぃてんてい(?)そのものだから、カチューシャしてないオレはオレじゃないっていつも言ってたっショ!この人は偽者っしょぉぉ」
その言葉を聞き、東堂が後で捨てようと、ズボン後ろポケットに差していた、折れたカチューシャを取り出し、こめかみ上辺りに当てる。
「ほら、巻ちゃん こうすれば……」
「ゆうしゅけには、つ、角を持つ知り合いはいませんっショ!」

コントを通り越し、どたばた活劇のようだ。
静かに会話を聞いていた荒北が、ふと思いついたように、道路向かい側の100円均一ショップに入り、すぐに出てきた。
手にしていたのは、白いカチューシャ。

「東堂に似てるイケメンと、マッチョなハンサムなリア充に囲まれて、オレはもうお家帰れねえッショォぉ」
と、べそをかく巻島。
それを宥めようと屈む東堂の後ろに立ち、乱暴に頭上からカチューシャを、荒北が叩きつけた。

髪を押さえるためのギザギザが、皮膚に直接食い込む。
勢いにまかせた荒北の行動で、痛みは激しく、当然のように東堂は抗議を考えるが、べそをかいていた巻島の顔が、怪訝ながらもまっすぐ自分を見ているのに気がついて、急いでそちらへと向き直った。

「え……東堂ぉ……っショ?」
「そうだよ!巻ちゃんっ先ほどからオレだと……いやオレオレ詐欺ではなく、東堂尽八本物だ!」
「ショォォ……あれ……新開……と荒北も……」
会話をしているうちに、強めの日差しは新開の髪を乾かしいつものふわりとしたウェーブを、また生まれさせていた。
直感で、流れから事情を汲んでいたらしい荒北はグラスを外し胸元に掛けているおかげで、巻島に知人と認識されたのだろう。

「あ、……ありがとうっショ……みんな……」
「?」
「ゆうしゅけ……今イケメンリア充に囲まれて、もうお家かえれないかと……」

まだあの三人は、オレ達ではないのか。
だがここで「あれはオレ」と言おうものなら、また新たな紛争の種が生まれそうな気がする。

「……巻ちゃんの家は、金持ちな上に母親がおっとりで、年の差があるしっかりした兄の影響が大きくてな…」
過保護ではないのだが、少し感覚がズレているのだよと遠い目をした東堂に言われ、荒北と新開は大いに納得をした。

「そしてオレは……カチューシャを手にしてから初めて……オレとカチューシャの関係について…本気で悩んでいる……」
自分はカチューシャをつけた姿が、一番美しいと巻島が幼い頃から、東堂は常に巻島の前ではカチューシャを身に付けていたらしい。
そのせいで、自分が自分と認識をされなかった。
ただ普段巻島から言われたことのない「イケメン」扱いをされた嬉しさも、若干存在はしている。

「オレは…カチューシャを巻ちゃんの前でつけるべきか、外すべきか!?」
「すごいどうでもいい」
「結構どうでもいい」
すかさず入る合いの手は、さすが悪友の名にふさわしい。


真剣に苦悩する東堂さまも、素敵。
その苦悩内容が、かくもくだらないものだとは、遠目で憧れる女生徒達の誰一人、知らなかった。


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これが二人の
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「どうせ叶わぬ思いならば…か」
何気ないふうでありながら、意味深な巻島の一言に棚を整理中だった東堂の手が止まる。
「なんだ、巻ちゃんその悩ましげな台詞は」

悩ましげという表現は、どちらかというと色気や艶やかさの方面に繋がる単語というイメージだが、実際巻島の様子は物憂げで、何かを迷っているようにも見えた。
「ん?あ…たいしたことねェショ」
帰り道にと立ち寄ったショップで、丁度流れてきた音楽のワンフレーズがなんとなく脳内に残っていたのだと巻島は、軽く笑って答えた。

「巻ちゃんならその歌詞の後を、どう続ける?」
再びはたきを手にした東堂は、巻島に背を向けながら、何気なく尋ねた。
「んー……どうせ叶わぬ…か… そうだなァ…『ならばその思いを封印しよう』…っショ」
「それは随分…切ないな」
「そういうお前はどうなんショ」
「そうだな…二つある」
「二つ?」
「一つ目は『どうせ叶わぬ思いならば、お前を殺してオレも死ぬ』」
物騒極まりない言葉に、巻島が絶句をした後、ようやく
「お前…それ怖ェっショ…どんな歌詞だよ…」
と言えば、東堂は冗談めかして笑い
「演歌ならばおかしくあるまい? もしくは英文にしてロックなどにしても、違和感がなさそうだと思うが」
と返した。

自分が聞いたのは、優しい雰囲気のバラード調だったのであんまりな言葉に驚いてしまったが、確かに曲目によっては合わないこともなさそうだ。
…物騒であることには、変わらないけれど。

「巻ちゃん、なんて顔をしてるんだ オレはよほどの事がなければ…そうだな…愛し合っているのに家族や国の命運がかかった理由で別れなくてはいけないだとか…」
そういった場合でもない限り、そんな手段は選ばないと東堂は言った。
金銭がらみなら、それ以上の金を用意すればいいだけだし、愛する人が自分を見てくれないというのであれば、自分が努力をすればいい。
だが自分の大事にする者達の不幸を、自分が理由で招いてしまうというのは、努力だけではどうにもできない。
…ならば二人で来世を願おうという東堂は、前向きなのか果たして後ろ向きなのか。

「えーっと…じゃあもう一つは?」
無理なものは諦めるという選択が、一番自分らしいと思う巻島には、ハードすぎた会話から逃げようと、新しい選択肢を聞く。
「…『いっそ全てを忘れてしまおう』かな」
巻島が選択した封印という手段ですらない、完全な忘却。

――相手が生きている限り…いや死んでもオレなら執着してしまう。

「そんなオレは…相手を何より大事に思っていても、自分の知らないところで幸せになってくれとは、とても言えんよ」
「え…でも……相手を思って嬉しくなった気持ちとか、暖かくなった記憶とか…そういうのがあるだけでも、幸せじゃねェ?」
「その幸せ以上に、欲しいと飢餓する気持ちが強すぎては…どうだろうな」
そう言ってから、東堂は言葉をとめた。
「…歌詞の話だぞ?」
「あ、ああ…そうだったっショ」

しばらく無言で東堂は棚の整理を続け、巻島は手にしていたグラビア鑑賞を続けるが、どうにも微妙な空気だ。
目で追いかけているフリをするが、まったく内容を脳へと届けない状態で、巻島はペラペラとページをめくる。

『仲のいい友人』として同居をはじめ、互いの気持ちを薄々と察してはいても、どうしても踏み越えることができない現状。
歌詞に託して、自分の思いを諦めるつもりだったのに、返ってきたのは……重過ぎる言葉だ。
東堂の提案したプラン1を選んでも、プラン2を選んでも、友達として付き合い続ける選択肢は許されぬらしい。
殺されるか、存在を記憶から抹消されるかってどんな二者択一だ。

「…明るい未来が、欲しいっショォ……」
自覚せぬうちに呟いた言葉に、本を並べなおしていた東堂は、巻島へと向き直った。
「その歌詞で明るい未来か? そうだな…だったら『どうせ叶わぬ思いなら…届くものから伝えていこう』なんていうのはどうかね?」
全部が無理でも、1割ずつの思いなら叶うかも知れんぞと、何気なく言う東堂に、巻島はしばらく黙り込んだ。

「ああ、いいアイディアっショ」
「だろう?だからオレは巻ちゃんに好きだと言い続けているのだよ …1割は届いているといいのだが」
「ショ!?」

――東堂の好きは、友達の好きで、同性相手に恋愛感情などありえないと思っていたのは、間違えだったのだろうか。

「……充分に受け取ってるっショ」
わざと顔を背け、東堂に表情を隠しているが、髪を耳に掛けていたせいで、巻島の赤く染まった耳たぶはハッキリと見える。
気付かれぬようこれ以上はない優しい笑みを浮かべた東堂は、よけて置いた本を屈み拾い、上機嫌に棚へとまた並べ始めた。