ようこそ、お嬢様方東堂庵へ 私はこちらの旅館のマネージャーを勤めております、Tと申します。 え?この格式ある旅館でマネージャーという肩書きは不似合い…さすが当旅館をお選びいただくだけある、学識あるお方ですね はい私は本来でしたら、番頭という肩書きの方がふさわしいのですが、残念ながら近年は日本語である番頭より、マネージャーという肩書きの方が通用しやすいため、 名刺はこちらの職位を印刷いたしております。 名前…いえ、別に秘密にしたくて「T」を名乗っているのではありません。 東堂庵のお身内で、Tとしているのでございません 私の苗字は、日本人に非常に多いもので、滞在中のお客様が、私を呼ばれた際に振り返られるという事が重なったので、私はイニシャルで呼ばれるようになり、 ならばそれもよかろうと、名刺も『T』とだけ記すことにしたのです。 おかげさまで、私をお呼びするお客様は、すぐに呼び方を覚えられたと好評を頂いております。 さてさて…お嬢様方は……ああ、やはり尽八ぼっちゃまの……。 いえ、そろそろぼっちゃまという呼び方はふさわしくない、ご年齢ですね。すでに成人もお越しになっていらっしゃるのですから…。 こちらの旅館も、格式ある旅館としてだけではなく、海外を舞台に活躍する、若き日本のスター尽八様のご実家という事で。お泊りになるお方も最近では珍しくありません。 私は学校を卒業してすぐ、こちらの東堂庵にお世話になっておりますので、尽八さまの事は生まれたときから存じ上げております。 尽八ぼっちゃま……あ、いえ、尽八様について色々知りたいと仰る方に、ほんの少しお話することは、職務として認められておりますので、ご安心ください。 尽八様ご本人も「オレは恥じることなど何もないからな!知りたいとオレのファンが言うのであれば教えてやっても構わんぞ」と仰せですので、嫌な顔はなされませんよ。 お嬢様方は、どのようなお話をご希望でしょうか? 尽八様の幼い頃…ですか、そうですね。 今の尽八様をご覧頂いても、お分かりになるかと思いますが、幼い頃から端整なお顔立ちをされ、愛嬌のあるご性格で、非常に愛らしいお子様でした。 通常であれば、まだ聞き分けのない年代ですでに、ご両親のお仕事も理解しておりました。 女将もしっかりされた方ですので、こういった接客の場で、ご自身の子供を出させるなんてことは通常されないのですが、 いそいそと旅館の半纏を着た幼い尽八様が 「らっしゃいませ!とーどーあんへよーこそ!」 と満面の笑みでお出迎えをされる様子は、大変好評であったため、容認されていたようです。 そう…今日は、ちょっと特別な日ですので…。 今まで他のお嬢様方にはお話したことのない、尽八ぼっちゃま……あ、いえ尽八様の初恋話について、お話いたしましょうか? いいのかですって…? 先ほども申し上げたとおり、尽八様は何を話されても大丈夫とおっしゃっておりますし…何より、おそらくご自身がその初恋に気づかれていないのですよ。 ああ、そんなに身を乗り出さなくてもお教えいたします、落ち着いてください。 尽八様の初恋のお相手は、当旅館にお泊りになったご家族のお客様のお一人でした。 上品そうなご両親と、三人のお子様の五人連れでございました。 一番上のお子様はすでに、学生であったので宿題をするとお部屋でノートを広げ、一番下の娘さんはまだ生まれて間もないので、親御さんがかかりきり。 …そう、その御兄弟の真ん中のお子様が、尽八様の初恋のお相手でした。 茶色いサラサラのストレートヘアーと、焼けていない白い肌。 スモック…というのでしょうか?私は服装などにあまり詳しくないので申し訳ございません。 本来であれば襟がなく丸首で丈の長い身頃の、汚れても構わないような布地製なのですが、その方が身に付けていたのは、首周りは繊細なレースになっており、 中心部分にリボンがつけられた、白いサテンであることもあって、愛らしい外出着に見える高級そうなものでした。 スモックの下には黒の半ズボンを履かれていたのですが、スモックが長めの為、ワンピースを着用された西洋人形のようなお姿を記憶しております。 お兄様はお部屋、ご両親は妹にかかりきりというのが、お寂しかったのかもしれません。 その子は中庭の樹木の陰にある、たんぽぽの横にしゃがみこんで、風に揺れるその花をじっと見ていました。 あまりに静かにその場に佇んでいるので、大人は自然と一体視してしまい、誰もそちらに注意を向けなかったのですが…。 目ざとい尽八様は、 「おきゃくさまが、ひとりであそこにいるぞ」 と私の手を引いて、教えに来たのです。 尽八様なりに、自分とそう変わらない年代の子が、庭先で一人ぽつんとしているのを気にかけられたのでしょう。 「…そうですね…お一人はきっと、寂しいでしょう 尽八ぼっちゃま一緒に遊ばれてみてはいかがですか?」 「ぱちは、おしごとちゅうなのだよ」 「お客様のお相手も、大事なお仕事です」 「む……わかった!」 私たちがそういったやり取りをしている間も、その子は幸せそうにたんぽぽを見詰め、自分も一緒に風になびくように、揺れていました。 その表情はあまりに自然で、一人を寂しがっているというよりは、一人も楽しいという風情で、景色に馴染まれていました。 一瞬、ほおけたようにその風景を見守っていた尽八様でしたが、生来の人懐っこさで、お相手に近寄っていかれます。 「…なにをしているのだね?」 そっと横に並んでしゃがんだ尽八様を、いぶかしむ様子もなく、お客様は小さな手でたんぽぽぽ指差しました。 「ゆうちゃんねぇ、きいろいお花とおはなししてたっショ」 「…このお花は、たんぽぽって言うのだぞ」 「ゆうちゃん、ぽぽ好きっショ お日様みたいっショ」 「たんぽぽは、おっきくなると白いふわふわがばぁっってなってだな」 「お日様ふわふわっしょぉ!」 いまいち噛みあっていない会話ですが、お二人は楽しそうでした。 「そうだ、ここではなく ぱちのお家の方だったらもっとたんぽぽがいっぱいあるぞ!」 ちらり、と尽八様がこちらを見たのは、バックヤードとも言えるお客様の為でない場所に、お客様を連れて行ってもいいのかという懸念だったのでしょう。 たしかにこの庭は、庭師が丁寧に造園し、また草花の手入れも怠っていないため、たんぽぽはこの1本の他にありません。 ですが洗濯物を干したり、東堂家が自宅として利用する家屋に続く裏庭の方には、見苦しくない程度にたんぽぽが生え、家庭菜園といった野菜も植えられていました。 「ゆうちゃん、いっぱいのぽぽ…見たいショォ」 ちょっと首を傾げたゆうちゃんの仕草に、尽八様は非常に嬉しそうな顔をされ大きく頷かれました。 直後、はっとした様子でこちらを振り向いたのですが…このやり取りを到底邪魔などできません。 「…お母様には、内緒ですよ」 しーっと人差し指を唇の前で立てれば、 「…しっなのだな!」「…シーっしょ」とお子様二人は、こくこくと頷き、秘密を楽しげに共有していました。 「ぽぽ、いっぱいっしょぉっ!」 造成された庭園とは異なり、ある程度自然のままに任せている裏庭は黄色い花があちこちを埋め尽くしていました。 さきほどは一本しか生えていなかったからか、遠慮をしていたタンポポ摘みもここではし放題です。 お客様は嬉しそうに、これはぽぽ美っしょ、これはぽぽ子っショ、これはポポたんっショと1本1本摘んではまとめ、黄色い花束を集めては、くはっと無邪気に微笑まれていました。 それをぽーっと眺めていた尽八様は、ぽつりと 「およめさん、みたいだ…」と呟き私の同意を求めるよう見上げてきます。 そうえば先月に、元従業員だった娘さんが一人、ウェディングドレス姿で嫁いでいかれたばかりでした。 白いお客様の服が、その花嫁姿に重なったのでしょう。 はっと気付いたように尽八様はしゃがみ、たんぽぽの茎を長めに摘み取ると、それを器用に花の萼部分にまきつけてリングを作り上げました。 「ゆうちゃん」 「しょ?」 「およめさんは、ゆびわをするんだぞ」 そういって尽八様は、ゆうちゃんの手をとり即席で作った指輪を、そっとその小さな指に嵌めました。 「…ゆうちゃん、およめしゃんじゃないっしょ」 「じゃあぱちのおよめさんになって!ゆびわをしたら、もうけっこんだって言ってた!ゆうちゃんはぱちのおよめさん!」 「え……ゆうちゃん…およめしゃん……になっちゃった…っショ……?」 「なっちゃったのだよ!」 頭に疑問符を一杯うかべているゆうちゃんと、満面の笑みを浮かべている尽八様。 ヤバい、尽八様…それ結婚詐欺に等しい…やりおる……。 内心吹き出すのを堪えるのに精一杯で、私には二人に声を掛ける余裕がありませんでした。 実は当時、私も海外にいる女性と遠距離恋愛をしていたのですが…。 坊ちゃんの迅速かつ無駄のないプロポーズは、笑いを耐えながらも、感心をする一方でした。 え?ええ、まあ…尽八様を見習って、おかげでその女性は…今は私の妻です。 妻はこちらではなく、海外経験を役立て、駅のインフォメーションなどで勤めておりますので、見かけましたらよろしくお願いいたします。 あ、その後のお話ですね? その後は……うやむやのままおよめさんになってしまったゆうちゃんは、切り替えも早い方だったのでしょう。 しばらくしたら落ち着いて、タンポポの綿毛を手に、ふぅっと息を吹きかけたのですが…。 顔を青くした尽八様が、すかさずその手を軽く叩いて、綿毛の生えた草を地面へと落とされました。 きょとんとしたゆうちゃんに、尽八様は真剣な顔で 「…ゆうちゃん…危なかったのだよ……たんぽぽの白いのは、耳に入ると耳が聞こえなくなってしまうのだぞ!」 「ふぅって…したら…だめっしょ? ゆうちゃん…白いぽぽ…ふわああっってなるの…好きっしょぉ…」 しゅんとしょげた様子になったゆうちゃんに、尽八様は慌てて 「おっきくなったら、一緒にふーっっていっぱいいっぱいしような!約束だぞ!」 ゆーびきーりげんまん、うーそついたら…… 幼気あふれた、かわゆらしい約束の歌は今でも私の耳に、しっかりと残っております。 これだけ熱烈だったプロポーズなのですが、やはり幼い頃のやり取りですね。 成長された尽八様はいつしか、忘れられてしまったようです。 そしてつい先日…テレビやインターネットの生中継でいっせいに話題になったプロポーズのお話となるのですが…。 え?幼い尽八様でもそれだけ思われたお相手が羨ましい? 今お噂の相手には、とうてい敵いそうもないから、その初恋の相手だけでも自分と 代わって欲しい…なるほど…しかし、それも難しいのですよ、お嬢様。 私の記憶にいた「ゆうちゃん」は茶色い髪でしたが、大変印象的なホクロが二つ、あったのです。 左目尻の下側と、左唇の下の方に。 実は私も、尽八様のプロポーズのお相手にお目にかかるまで、このお話は忘れておりました。 …相手の方は、覚えてらっしゃるか…ですか? そうですね…本日は、離れの特別室に非常に珍しい玉虫色した髪のお客様がいらしておりまして…。 先ほど、私と一緒に白いたんぽぽの綿毛をいっぱい摘まれて、持ち込んでおられました。 「内緒っショ」 と人差し指をたて、しーっと微笑むお姿は…あの頃と同じ表情でしたね。 お嬢様方は運がいいですね、明日には大変機嫌のよい尽八坊ちゃまが、多少のお願いでしたらきっと聞き遂げてくださいますよ、おめでとうございます。 あ、申し送れましたが私の本名は、田中と申します。 妻は手続きが面倒だと、仕事場では旧姓で働いておりまして…鈴木という名前で勤めておりますので、お見かけになれれましたら、よろしくお願いいたします。 おまけ 田中くんと鈴木さんについてhttp://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4402325 |