とおい、遠い昔のお話です 綺麗な青い海の底深く、海の住民たちは密やかに…それでも美しい環境にめぐまれ、幸せに暮らしていました。 海の住民たちの多くは顔立ちが整い、その美しい見掛けの為に、人間たちの愛玩品と捉われることもあったり、また人を魅了する歌声から魔物として退治をされてしまうこともあったので、 人間には姿を見られぬよう、陸から離れた波間で生活をしています。 端麗な人魚たちの中でも、特に目を引くのが、海の住民でありながら『山神』の異名を持つ東堂でした。 東堂は泳ぎが巧みで、海底火山であろうが海峡であろうが自在に行き来するため、この名をいつしか呼ばれるようになったのです。 「…すでにこの界隈で、オレに叶うものはおらんな!」 ハッハッハと高らかに笑う東堂は、「どこかにオレと同じように泳げる者はいないのか、少し探してみてくるとしよう」 そのままついでに人間とやらも拝んでくると言い出し、後輩たちを困らせています。 ですが頭領である福富は 「よかろう、東堂行って来い!ただしおやつまでには帰って来い」と腕を組んで重々しくいい、同僚である新開は 「尽八、遅刻してきても構わんぜ その場合おやつはオレが責任を持って片付けてやろう」とウィンクをしながら返し、あっさり承諾してしまいました。 日頃向かうことのなかった、人間たちの住む陸地からはまだまだ遠いのですが、東堂が泳いでいるうちに一隻の立派な帆船が目に付きました。 大きな白い帆に風を受け、一見ゆったりとした風情に見えながら、船はすごいスピードで進みます。 思わず東堂が注視をしていると、キラキラと緑色の美しい光が眼へと飛び込んできました。 「…面白い!この船とスピードを競い、ついでにあの色の正体をを見極めてやろう」 東堂が懸命に泳ぎ、帆船の横へと追いついた頃、風は凪ぎ船の速度も落ち着いてしまいました。 おかげで、東堂からは緑の正体がはっきりと見えたのです。 キラキラと緑に…時折まばゆいオレンジに光っているのは、人間の…若い男の髪の毛でした。 広い海の世界でも、緑のこんなにも美しい髪を持つ者は、見たことがありません。 東堂が思わず「深海のクラゲの放つ光…みたいだな…」と呟けば、その声に気がついたのでしょう。 船と海との境界ぎりぎりに立っていた男は、東堂を見下ろしました。 (しまった!) …人間に姿を、見られてしまった。 武器を持っていないので、こちらに即攻撃をしてくることはないでしょうが、それでも騒がれ多くの者に、この近くが人魚の住まいだと知られてしまっては大変です。 どうやって、男の目をくらまそうか…。 口端を噛みながら、そう考える東堂でしたが、その心配は不要でした。 男は東堂の存在を、確かにその目にしたはずなのにすぐさま目線を外し、今度は空を飛ぶカモメを見始めたのです。 あまりの事に、東堂は呆然とするしかありません。 「おい!そこの派手な緑髪!!この美しいオレの姿を見ておきながら、その態度はなんだ!!」 「……気のせいっショ オレはリアリストっショ 人魚なんてファンタージーの世界っショ」 まるで何も見ていないというように、巻島は瞳の焦点をただ、青い海と空に合わせ 「ああ、空も海も綺麗っショ」なとど呟いています。 「はっきりオレの声が聞こえているくせに、訳のわからんことを言うな!いいかよく聞け!このオレが人魚だ、ニ・ン・ギョ!!」 注目を集めてはいけないという規定を忘れ、東堂は思わず怒鳴ってしまいました。 これだけはっきりと視線があいながら、なかったことにされては、プライドが許さないのです。 「……マーメイドってもっと色気ある存在かと思ってたっショ…詐欺っショマーメイド……」 「残念だったな!日本語ではニンギョでひとくくりだが、海外ではマーメイドは女性人魚、マーマンは男人魚と区分けがされている!」 「…ああ、お前魚人っショ……」 「ふざけるなっ魚人という字面だと上半身が、魚で下半身が人間みたいではないか!」 もはや何を怒っているのか東堂自身もわかりません。 ですがそのやり取りをしているうちに、船の上では他の者が近づいてくる気配がして、緑の髪の男は東堂に、早く身を隠すよう手振りで伝えてきました。 「巻島王子、誰かいらっしゃるのですか?」 「いいや海が綺麗で、海を讃える詩を考えてたっショ」 「そうなんですか!さすが王子!!ぜひ聞かせてください!!」 ガラス丸メガネをした、従者らしい少年が目をキラキラさせたのをみて、王子は眉を下げました。 「えっと……海は広いな…大きいなっショ……?」 「すごいです!さすがは王子!!」 和むのだか間抜けなのだか、よく解らない会話をしながら、船が少しずつ遠ざかっていきます。 「…マキシマ、といったな…」 それきりの出会いであれば、東堂は王子の事を思い出の一つとできたかもしれません。 ですが王子たちは長い航海の最中だったらしく、次の日も、また次の日も東堂の行動範囲の海域におり、あの緑の髪を見かけてはつい話しかけるという事を繰り返すうちに、 東堂は王子の事を忘れられなくなっていました。 時折見せる、不器用な笑顔とこちらの立場を案じる優しさ。 リアリストだから、人魚はいないッショと目が合っても言い張って、これは夢だなどと主張するわけのわからなさは東堂を面白がらせ、ドキドキとさせました。 東堂は相手が人間だというのを隠し、仲間たちに毎日毎日王子の話を繰り返します。 しまいには『巻ちゃん』という愛称までつけ、仲間の一人がうかつに相槌うとうものなら「いかに巻ちゃんはすばらしいか」と語り始め、また東堂に密かに憧れるものが 「東堂さん目を覚ましてください」と訴えようものなら、洗脳されるまで巻ちゃんの素晴らしさを語られるという程でした。 そんなある日、あと数日で巻島の目指す陸地に到着するという寸前に、大きな嵐が船を襲いました。 密かに様子を伺いに来た東堂の目に、船の甲板からキラキラした緑の光が、帯を描くようにゆっくりと落ちていくのが映りました。 無我夢中で王子を捕まえ、その心臓が動いているのを確認した後、東堂は巻島を陸地へと運びます。 巻島は薄らぐ意識の中、いつも距離のあった秀麗な顔が近くにあるような気がして、とてつもない安心感に包まれ、ゆっくりと意識を失いました。 「オレを人間にしろ!」 いきなり寝込みを襲われ、たたき起こされて不機嫌な海の魔女こと荒北は、目を細め聴こえないフリをしています。 「わかった!お前はオレの美貌が羨ましくて魔法を使うのが嫌なのだな?そうだろう…いやしかし、人…いや魔女は顔ではないぞ中には物好きにお前が好みだと」 「るっセ!!」 「…なるほど、わかった…哀れなお前にオレの美貌の1/100程度であれば、お前に譲ってやろう…だから」 「いらねーよっ!いるかっンなもんっ!!」 「な…何……まさか…お前このオレのすべてを……」 そっと自分を抱きしめるように、荒北から一歩遠ざかる東堂。 「死ねっ!!!」 全力の蹴りをくらい、ようやく黙った東堂に、魔女はしばし考えた後、こう切り出しました。 「うるせェテメェを黙らせるかわりに、人の足をやるってんなら考えてやってもいいぜ?」 「オレの…声…ということか?」 「そうだ お前ェが黙ればこの界隈静かになって生活しやすいしヨ」 どーすンの? そういう前に東堂はきっぱりと、その条件を飲もう、と返しました。 根は悪い魔法使いではない荒北は、 「マジでいいのかヨ 他の条件でとかなんか考えろよ」と眉を顰めますが、当人は 「フ…このオレの美貌と切れる頭、一つぐらいのハンデがあっても…王子は手にしてみせる!」と決めポーズをとっているので、荒北は諦めたように薬を差し出しました。 薬を飲んで、人の足を手に入れた東堂は、早速巻島が向かうといっていた城を目指しました。 噂によると、浜辺に打ち上げられていた巻島を助けた隣国の青い髪の王女というものが、命の恩人だと巻島の婚約者になろうとしているというのです。 (おのれ……おのれ図々しい通りすがりめ!巻ちゃんを助けたのはこのオレだ!!巻ちゃんだけは…譲れんよ!!) 隣国の王女はこの時、ひどい冷気を感じたと後述しておりました。 命の恩人だという事で、婚約はしたものの、王子の脳裏には違ったものの存在がいついて離れてくれませんでした。 今日もその記憶を呼び起こそうと、一人海辺に佇みます。 「でもヨォ…人魚はファンタジーっショ」 (会話までしておきながら!まだそんな事を言っているのか!!) ――ならんよっ!! そう思い王子の前へ反復横とびをするように音もなく現れ、東堂は巻島へとジリジリと近づいていきました。 思わず巻島が一歩下がると、東堂は二歩近づきます。 それを何度か繰り返すうち、二人の距離はすっかりと縮まってしまいました。 そしてそのまま東堂は、海を指差し溺れるようなパフォーマンスをした後、その溺れる相手を抱えて助けるというパントマイムをし、その後自分を指差しました。 その勢いは、背後にビシィッ!という書き文字がまるで見えてしまいそうな、勢いです。 「えっと… 海で、……阿波踊りをして……?ヘッドロックかけて……オレをノックダウンさせたい…っショ…?」 (なんでそうなるんだ!!) 思わず砂地を勢いよく殴りますが、きょとんと首を傾げる王子には、無罪を判定しないわけにはいきません。 ならばと横にある棒を手に取り、東堂は砂浜に 『お前を助けたのはオレだ!巻ちゃんっ』と書き付けました。 これで伝わるだろうと思いきや、王子はいつも困ったみたいに見える眉をますます下げて 「これ…何語っショ……?」と呟いています。 (しまった!!人の世界と海の世界では、発音は共通していても文字は同じではなかったか) 思わずガクリと膝を折り、砂地へ倒れるようになった東堂を見て、王子は慌てました。 「お前、なんか船の夢の中で見たヤツに似てるっショ、これも縁だから、うちにくるといいッショ」 いいのかそんな警戒感がなくて…、そんなだから通りすがりの女などに騙されてしまうのだと、東堂はますます腹立たしく思います。 しかしどうにかこうにしかして、巻島王子の身辺にもぐりこめればこちらのものです。 もともと魅惑の術を持ち、多少の魔力を所持している人魚。 しかも東堂は、神の異名をもつ優れた能力保持者です。 巻島が眠ると同時に、その夢の中へ侵入し 「やっとオレと話ができるな!巻ちゃんっ!!」 とこれでもかと、これまでの二人の間であったことを、語りかけました。 「巻ちゃん巻ちゃん巻ちゃんっ!お前はオレをファンタジーの住民だなんて存在を頑なに認めようとしなかったがどうだ!オレはこうしてここにいるぞ もっとも巻ちゃんの為にオレは声を失い、人の足を手に入れたのだから人魚とはもう言えんがな おぉっと心配無用だたとえこのオレには喋れなくても、こうして思いを伝えることはできるぞ巻ちゃんっ!」 あまりの勢いに、口を挟む間もなかった王子は、東堂の言葉を見てようやく唇を開きました。 「えっと…じゃああの…青い人魚…夢じゃねえっショ?」 「その通りだ!」 ―フ…これで巻ちゃんも、人魚の存在を認めたに違いない そしてそんな会話をしたにも関わらず、翌朝巻島王子は東堂を見て一番に言ったことといえば 「昨日見た夢、お前が人魚だって夢だったっショ〜なんかリアリティあってよォ…」でした。 (…さすが巻ちゃん……手ごわいな……) 東堂が苦笑しながらも、次にしたことは、相手王女の夢に出て脅迫……もとい説得でした。 しかしながら隣国の王女は、案外素直でした。 まだ会話もしていないうちに、「あ、人魚だ」とひと目で東堂の正体を見破りました。 しかも夢ではないのに、東堂の思っていることがその王女にはすぐ伝わったようです。 「あー…オレ、鳥の一族の血を引いてるんで、少し魔力があるんです だから、東堂さんの言う事…じゃないや、この場合喋ってないんだから…えっと言いたい事わかりますよ」 隣国の王女こと真波は、成行きをこう話しました。 「浜辺で散歩してたら、なんか綺麗なでっかい海草が落ちてたんですよね それで近くまで見に行ったら王子で…」 びしょぬれだったからとりあえず、服だけ掛けてあげて、さてどうしようかなと思っていたら、巻島の従者の少年が泣きながら駆け寄ってきて 「あなたは王子の命の恩人です!!」 と城につれてこられ、そのまま婚約になってしまったのだといいます。 「ならば話は早い!二日待ってくれれば巨大真珠を礼としてプレゼントするから、そのまま身を引いてくれんか!」 と東堂が言えば、あっさりと 「いいですよ …っていうか真珠は別にいらないんで、オレのお目当ては従者の…サカミチ君なんですよね」 だから王子との婚約は乗り気ではないけれど、城から旅立てなかったのだと真波は言いました。 「よかろう、ならば協調だ」 「いいですね!」 「オレは巻ちゃんを」「オレは坂道くんを!」 二人は目線を交わすと深く頷き、商談は成立しました。 王女が片付けば、あとは問題はありません。 巻島が眠るたびに『お前を助けたのはオレだぞ巻ちゃん 巻ちゃん巻ちゃん』と毎夜、夢に現れるだけです。 『巻ちゃん知っているか 兎は寂しいと死ぬというのはウソだなぜなら野生の兎はもともと単独行動でな、群れて生活などしていないだろう だがオレは違うぞ巻ちゃんが傍にいないと寂しくて死ぬかもしれん死因は巻ちゃんだ』 そうこうして一週間毎日『巻ちゃん巻ちゃん巻ちゃん』と続けたおかげでしょうか、心なしか血色の落ちた顔で、王子は 「…ひょっとして、オレを助けてくれたの…お前っショ…?」と尋ねてきました。 東堂が満面の笑みになり頷くと同時、全力で抱きついてきました。 丁度その時、お城の下にある海から現れた、東堂の仲間たちは 「ヤバそうだったら、王子ぶっ刺し帰ってこい」と差し入れるつもりで持ってきたナイフをしまい、また海の奥深くへと戻っていきます。 「尽八…思いが通じたみたいでよかったな」 「東堂…お前は強い!!」 「結婚祝い どうします?」 「海の魔女…じゃなかった魔法使いに、東堂さんの声を返してもらうというのはどうでしょう」 お礼として、真珠や金貨、珊瑚などを渡せば、1円の価値もないとツボに蓋をして、棚におっぽってあるらしい東堂の声を譲ってくれるのではないかと誰かが提案し、それはいいと皆が頷きました。 コンコンッ ギィと重たい音がして、目のクマがすごい色になった荒北が、ドアを開けました。 「…!靖友……具合でも悪いのか?」 「……おぉ……ヨ……」 「そうか…そんな中に商談で申し訳ないんだが…尽八の声を」 「持って帰れェェェェェッ!!!」 バシィッと強烈な音を発し、新開の掌で受け止められた壺。 新開が話を続けようとするより早く、荒北が全力の力で戸棚にあった壺を投げつけて来たのです。 「ったくヨォ!!そいつのせいで!!どんだけオレの貴重な時間が失われたか!!うるせぇうるせェっ!」 なんでも東堂の声を奪ったその日から、壺が勝手に…いや東堂の喋りたい言葉を、代弁するかのように一日中言葉を放つようになったのだと、荒北は言いました。 「…ノイローゼになるかと思ったぜ……」 寝ても醒めても、巻ちゃん巻ちゃん巻ちゃんと連呼され、時にはこちらの精神まで黒く染まりそうな執着心を隠すことなく放たれ、声が聞こえぬよう 布でぐるぐると巻けば、なおいっそう声は大きくなったと聞き、暢気な新開ですら、それには同情しました。 「お疲れ、靖友 一応代価として真珠とか持ってきたんだが…」 「いやむしろ引き取り賃として、オレが金を払ってもいいワ 持って帰れ」 「そうか… ありがとう いいヤツだな、靖友」 「るっセ!」 口は悪くても、それでも海の仲間を思いやっている荒北に、新開は微笑みました。 本当に邪魔だというのであれば、青い深い海の底にある海溝にでも、壺をほおり投げてしまえばいいのですから。 「あ、そうだ 東堂うまくいきそうなんだろ?だったら地上で手に入る薬草とかイモリとか、よこせって伝えとけ」 それでチャラにしてやるといって、荒北はひさしぶりにゆっくり眠れると、寝床へと入っていきました。 コンッ 寝室の窓に、石が投げられ、東堂がバルコニーから見下ろすと、そこには新開がいて壺を投げてきました。 「…新開、言わねばならんな!ありがとうと!」 投げている最中に、封印がはずれ、東堂は声を取り戻したのです。 新開は荒北からの伝言と、ついでにオレは陸の甘いもの詰め合わせでいいぜとバキューンポーズを決め、また海へと帰っていきました。 「巻ちゃんっ!お前を助けたのはオレで、お前の運命の相手はオレだ!結婚しようこれは夢ではないぞっ」 すやすやと眠っていたの王子の枕元へ、声を取り戻した東堂が、勢いよくのりこんできました。 まだ寝ぼけ眼で、夢か現かの巻島はぼんやりと 「…夢じゃないっショ?」と首を傾げます。 その愛らしい仕草に、東堂はきゅんとなりながら「夢ではないなっ!現実だ愛してる!!」と巻島を抱きしめました。 毎日毎日、寝ても醒めても東堂の存在を感じていた王子は、すっかり洗脳………もとい、情が移ってしまっており、つい反射的に頷いてしまっていました。 「巻ちゃんっ!!」 「ショォ…」 こうして、この物語はおしまいです。 二人の結婚式は、深い青の海と、澄んだ青い空の下、多くの人達や東堂の仲間たちが見守る中でとりおこなわれました。 いつまでも幸せに暮らす二人の近所には、そのままこの国に住み着いてしまった隣国の王女と、巻島の従者である坂道も暮らしていたとか、いないとか。 |