【巻ちゃんにちゅーちゅーと言わせたかった】

次のレースで、負けた方がアイスを奢れという話になったのは、成り行きだった。
東堂が携帯に電話を寄越した時に、巻島は何も考えずアイスを咥えた状態で電話に出てしまい、その不明瞭な発音から
「巻ちゃん!栄養によくないとあれほど言ったのに、またアイスを食べているなっ」
と悟られ、説教じみたことを言われ、お前はオレのオフクロか!とのやり取りの後の流れだった。

「東堂、オレより背ェ低いクセに栄養とかうるせェショ」
とついつい言い返してしまったのは、地雷だったらしい。
「…巻ちゃん、次のレースぜってぇ負けねえからな…」
と地を這うような声で言われた時には、しまったと思ったが、同時に「オレが勝ったらアイスを食べるのをよせ」などと無茶振りをしてきたのだから、
東堂だって悪いはずだと巻島は自分に言い聞かせる。

東堂が自分より背が低いことを、気にしていたとは巻島にとって驚きだった。
あの男は常に過剰といいたいぐらい自信に溢れ、それにともなう努力なども隠そうとはしていない。
ただ身長ばかりは、思うままにならなかったという事だろうか。

そう告げてみれば、そうだと言って、巻ちゃんにだけは指摘されたくなかったという声が、レースに負けた時以上に悔しげに返される。
東堂であれば、荒北や新開のような普段から仲の良い相手に、身長差などを指摘された方が悔しがりそうなイメージがあったが、
やはりライバルである自分に指摘されたことが、気に食わなかったのだろうかと内心で首をかしげ、通話を切った。

「ま、奢らせた後で 軽く謝ればいいショ」
前回のレースは、自分の勝ちだった、弾みをつけて二連勝を狙う。
そう呟いてベッドに入る巻島は、次のレースでも、まるで負けるつもりがなかった。


「ほら、巻ちゃん」
そう言って東堂が投げてきたのは、ビニールに入った細長い筒上のものだった。
硬くて冷たい感触から、それが凍っているとわかる。
「…いいのかよ?」
巻島が恐る恐ると言った感じで、差し出されたものを受け取ったのは、今回のレースは無効にしようと自分が言い出していたからだ。
東堂が今日の走りで調子を崩したのは、彼自身の責任ではなかった。

山に入る直前の公道で、応援がてら見学に来ていた子供が飛び出そうとしたのを避け、他者にまで影響を与えてしまい、巻島に引き離されたのが理由だ。
ロードレースでの選手同士の妨害は、ペナルティ対象だがそれ以外の妨害は、ルール上自己責任となっている。
つまり観客が応援と称して邪魔な場所に居たりしても、道路に石が転がってきて避け損なって、バランス崩したりというのは、自分の咎になるという訳だ。

そのトラブルによる東堂の少しの遅れが、そのまま逃げ切りになったのだから、巻島としてはあまりいい気分での勝利ではない。
むしろ追い上げてきた東堂の方が、ロス時間を差し引けば、きっとスピードでは勝っていただろう。

負けは負けだからアイスを奢ると主張する東堂に、それならと巻島は「ちゅ…ちゅうちゅう、食べてみたいショ」と小さく返した。
「………チューチュー……」
そう言って少しうつむいた東堂は、自身の顔を掌で覆うようにがっしり掴み、無言だ。
「東堂?ちゅうちゅう、知らないショ?」
「………いや、待ってくれ巻ちゃん………もう一度言ってくれないか」
「ちゅうちゅう、ショ?」

無言だと思ったのは、巻島の勘違いのようだった。

相変わらず表情を隠したままの東堂を、訝しく思い一歩近づいた巻島は東堂が、聞き取れぬほど小さな声で
「巻ちゃん可愛い 巻ちゃん可愛い 巻ちゃん可愛い 巻ちゃん可愛いなんだちゅうちゅうって可愛い可愛い 巻ちゃんかわいい」
と繰り返しているのを聞き取り、今度は一歩下がった。

その臆したような巻島の表情に気づき、東堂はいつもの取り澄ました顔に戻る。
「コホッ…巻ちゃんの言うチューチューとは、棒ジュースの事でいいだろうか」
「え…、棒?ジュース??えっと…こんな感じで」
説明に困ったらしい巻島は、何かを摘むような形をした手を胸前でくっつけ
「こーんな風に丸くて長くてすごい細い風船みたいなヤツショ」
びよーんと伸ばすゼスチャーをした。
「……巻ぢゃん……ほんと…ガワイイ……」

「なんかウチの部活でそれをどう呼ぶか話題になって、チューペットとかパッキンとかいう意見もあったけどよ、一番多かったのがちゅうちゅうだったから、
そう呼ぶことにしたショ …で、興味持ったけどコンビニとかスーパーのアイスケースに入ってるの見たことないショ」
「…まあ…そうだろうな」
それならばと東堂が前に走り、連れてこられたのが、駄菓子屋だった。
手馴れた様子で東堂はアイスケースを開け、細長いビニールに包まれた棒状の物の一つを巻島へと渡し、一つは自分だ。
二つ分の金額をお店のおばちゃんに笑顔で払うと、東堂は駄菓子屋の横にある空き地に誘った。
駄菓子屋の壁が影になり、まだ熱の籠る身体には過ごしやすい涼しさだ。

「ホワイトサワー味で良かったかな、巻ちゃん」
「何でも構わねえよ…それよりすげえショォォ!ちゅうちゅうショ……!何で売ってるショ!東堂すげえショ!!」
自分が幾ら探しても見つからなかったのにと、ハイテンションになる巻島に、東堂は弛みそうな頬を締めながら、「だろうな」と短く返す。

「スーパーで探すなら10本単位で凍らせていないものがほとんどだ、お菓子売り場の方が見つけやすいだろう」
そう言って東堂が封を開けると、巻島の憧れだった『ちゅうちゅう』が出てくる。
「これっショォ… 食べてみたかったショ!!」
わくわくと袋から取り出したのだが、巻島はしばし首を捻った。

(これ…どうやって食べるっショ…?)
上になっていた部分は細く、一見食べ馴染みのあるパピコに似ていたが、切り取るための輪っかが存在していない。
そして田所や鳴子が部室で話していた様子だと、中央にクビレがあって、本来はそこを折って食べると聞いていたのだが、巻島の手にあるものはクビレがなかった。

「ショォ……?」
とりあえず細い部分をぐにぐにと曲げてみたが、ナイロンポリがびにょーんと伸びて、透明が白濁するだけで切れる様子はない。
そっと東堂の方を窺って見れば、すでに中身を齧り始めていた。
ならばと、今度は縦に引っ張ってはみるがやはり切れそうもない。
だがほんの少し隙間ができていたらしく、そこからベタベタと溶けた液体が手を汚し、巻島の眉尻はますます下がる。
「…ど、どうするショ……」

(くっ……かわいいぞ、巻ちゃん……)
そっと身体の影から、巻島の困惑する様子を連写している東堂は、困った視線を投げかける巻島に、気付かない振りだ。
他人が見れば、「お前…そういう所が巻島に嫌われる原因じゃないのか」と言われる行動だが、東堂にしてみれば滅多に拝めぬお宝影像だ。
すぐに動くなど、勿体無い。
どうでもいい相手なら適当に助けるが、巻島に関しては一通りの行動を拝み眺めて心の巻ちゃんファイルに納めるまでは、そっとしておく。
それが東堂の行動原理だった。

手のぬくもりで、一部が溶けてきているせいで、ますます巻島の手はベタベタだ。
困り果てた様子で「ショォ…」と小さく呟く巻島を、心行くまで堪能しつつ、東堂は涼しい顔を装いながら近づいていく。
「どうかしたのか、巻ちゃん」
わかっていながら、あえて助けを求められようとする自分を、意地が悪いと東堂は自覚していた。
それでも、巻島に関してはどうしても、他人に対するように振舞えず、少しでも自分を頼りにして欲しいと思ってしまうのだから仕方がない。

頼りにされたらされたで、ついつい反応がかわいくて、構い倒すので猫気質の巻島には嫌がられるのだが、それはそれ、これはこれだ。

「えっと…これ…どうやって開ける…ショ?」
「ああ、指先も掌も汚れてびしょびしょだな…近くに蛇口はないようだし…」
そう言って東堂は、棒アイスを握ったままの巻島の指先を軽く舐めた。
「ひゃっ!」
「ん?綺麗にしてから開けないと手はベタベタのままで気持ち悪いだろう」
「え……ちょ………」
ここでやめろと殴りかからずに、硬直してしまうのは巻島の失敗だった。

白い肌を上気させ、唇をぱくぱくと開閉させているうちに、掌の片方を外され、東堂の口腔で一本一本清められていく。
「ひっ……あ……っ」
外された手の部分にティッシュを乗せられ、棒アイスの汚れた箇所を包む。
その上にまた巻島の指は置かれ、今度は反対の指を舐められている。
色々な衝撃で脳内がショートしている巻島は、吐息のような掠れた音を洩らしたり、背筋をぴくんと震わせたり、東堂の思うがままだ。

「ほら……これで両手が、綺麗になったぞ」
巻島の細長い人差し指を立てさせ、その先端を舌先でなぞり、しゃぶり終わった東堂が目を細めて笑う。
「え…あ……?あ、ああ……」
「ほら、貸して巻ちゃん これはさ、こうやって」
先端部分に少し歯を立て、東堂は棒アイスの本体の方を器用にくるくると回した。

ぷちっと弾けるような音がして、細長い部分が東堂の口先に残り、本体をそのまま巻島は手渡された。
「おぉ……すげェショ……」
感嘆でキラキラした眼差しを向けてくる巻島の素直さに、東堂は内心キュートラブボンバーハリケーンクラッシュマキシマムという訳のわからない単語を作成し、
【我が心の巻島辞典】へと書き込んでいる。

「えっと、じゃあいただきますショ?」
ようやく念願のアイスを食べられると、巻島が嬉しげに口端を上げた。
「どうぞ召し上が………れ……」
「東堂?」
凝視してくる東堂の眼差しに、巻島は棒アイスを咥えながらどうかしたのかと訊ねるが、返答はない。
たいしたことではないのかと、ビニールの破れた先端を、尖った紅い舌先が淫猥にもチロチロ動いていた。
白い液体が少しずつ、巻島の唇へと吸い込まれていく。
「ん…奥のほう…喉に……くるし……」
空になったパッケージ部分が、喉奥に当たったらしい巻島が涙目で、鼻にかかった声で独り言を洩らす。
それならばと噛むのをやめて、巻島は半液体になった中身を吸い始めた。
ちゅくちゅくと液体を吸う音と、懸命に棒アイスを握る巻島を見て、東堂は呻きながらしゃがみこんだ。

「ふっぉ……ならん……ならんよ………巻ちゃん………好きだ」
「へ……え…………へぇぇぇぇ!?」

「好きだ」
頭を抱え座っていた東堂が、勢い良く立ち上がり、巻島の首筋に固い掌を当てる。
ぽかんと目を丸くして、東堂を見つめ返すだけの巻島は相変わらず危機管理能力が皆無だった。

ふと、苦笑したみたいに東堂は口端を上げながらも眉根を寄せる。
「巻ちゃん…逃げてくれないと、困るんだが」
「逃げ…る?」
「オレは巻ちゃんに、いろんなことをしたいという意味で好きだと言ったのだからな」
「い、色んなコトショ?」
「そう、巻ちゃんが今咥えたり吸ったり舐めたりしているような、色んな事だ…驚くだろう…?」
「あ、いや…び、びっくりしたけど…オレも…お前好きショ?」
「え」
「えっ…あの…… ……ちゅ、ちゅうちゅう美味しいショォ〜」

――山神様山神様今オレの目の前にいる世界最高にかわいくてカッコよくて、それでいて抜けていてああもう辛抱溜まらんという気持ちをこれでもかと
オレに湧きださせる、ピンクスパイダーは何と言いましたか
→ホッホッホ…安心せい…おぬしを好きだと言うとるのう……

「わかった 結婚しよう」

「は??待て東堂!! 何でそうなるショッォォ!?」
巻島の手の中で、溶け出していた残る棒アイスがくしゃりと崩れた。
「幸せにするから」
「そうじゃねえショッ!その前の……その色んな段階はどうなってるショ!!」
「大丈夫だ。結婚してから交換日記でもデートでも、巻ちゃんが望むならばオレはいくらでも付き合おう」
「のぞまねえよっ!!」

ジュジュと音を立て、最後の白い液体は巻島の喉奥へと消えた。
空になった棒アイスのパッケージを、額にたたきつけられた東堂はそれでも幸せそうに、全力で巻島を背に抱きついていた。
顔を見せようとしない巻島は、冷たいものを食べたばかりだというのに火照る頬を見せまいと、懸命に足掻いている。