漢気ペナルティ【東巻】

「体育会系の部活って、伝統的なルールとかやり取りみたいなのがあるのが多いんですけど、この部活はないんですか?」
多いと断定している小野田だが、そのソースは過去に読んできた少年漫画なので、実際にそういった話があるというわけではない。
だが鳴子や今泉に尋ねてみると、ルールとまではいかなくても、全員での耐久レースをやった後、ビリになったものにはペナルティがあったり、
連続3回遅刻をしたら最初にそれを指摘したものにジュースを奢るといったやり取り程度はあったと聞いたので、そういったものは総北にはないのかと、軽く窺う程度の気持ちだった。

それに反し、返ってきたのは顕著な複雑な表情というものだった。
もともと無口な青八木は、訊ねられても答えられないとばかりに着替えながら背中を向け、雄弁な手嶋は苦笑をしている。
「あー……お前たちが入部する寸前まで、あったんだよな『漢気ペナルティ』」

……おとこぎぺなるてぃ?

聞きなれない単語に、小野田だけでなく鳴子や今泉も興味ありげに、振り返った。
「何スか、それ?」
なにやらワクワクする響きやなあと、顔を輝かせる鳴子に、そこまで露骨でないにしろ興味深げな今泉が、手嶋の言葉の続きを待つ。
「ペナルティってさあ、ビリになったやつにさらに罰を加えるってことだろ?」
勿論それ以外の場合もあるが、今話題にしているペナルティは、そういった意味合いが強いものなので、後輩達は揃って素直に頷く。
「それじゃあやる気もでないっていうんで、先輩たちが考え出したのが、自分で自分に課する罰を考えるってのが漢気ペナルティだ」

これ以上もなく解りやすい解説だが、意味はわかってもその単語に何がどのように繋がるのかは、いまいち理解不能だ。
後輩たちのそんな思惑を読み取ったように、手嶋は腕を組み、深々と頷く。

「まあこれだけじゃ、伝わらないよな」
そこで更に詳しく説明してくれた内容は、まさに『漢気』という名前にふさわしいものだった。
スピードレースにしろ、耐久にしろペナルティは、自分たちで決めるというもの。
勿論自分で決めるというものだから、ごくごく軽い内容でも構わない。
たとえば今日自分が負ければ、学校外周を練習終了後1周してくるといった程度でもいいのだという。
「だがな…そこからが…男気の見せ所だ 楽に終わらせようとするならばそれでいい しかし部活内でビリという立場でレギュラーを目指せると思うか?」

その質問に対し、迷うまでもなく答えはNOだ。
「なるほど…」
すでに答えを導き出したらしい今泉に、小野田は驚愕の顔を見せる。
「今泉くん、今の説明で『漢気ペナルティ』がわかったの!?」
「だったらもったいぶらんと、はよ説明せんかい」
先輩に対してでない分、不躾といえる態度な鳴子だが、これはいつもの事だ。
早く意味が知りたいと、期待に満ちた顔で促されれば、今泉とて焦らすつもりはなく推論を述べる。
「ビリのままの自分でいいのならば、それでいい ただし負けたくないのであれば自分に課するペナルティを重くしろ…ってことですよね」
今泉の問いかけに、手嶋だけでなく、着替え途中であった青八木も軽く頷いた。

「なるほど…それで男気……かっこええやん!!」
「そ、そうだね 自分で無理かもしれないって罰を考えておくってことで、全力にもなるし必死にもなるし、負けた場合は潔くペナルティを実施することで男らしさを証明できるし!」
お祭り好きな血が騒ぐらしく、目を輝かせてワイらもやろうやという鳴子に対し、今泉が冷静にちょっと待てと声をかける。
「今泉くんは、興味ない?」
少し大変そうだけど、それはそれで楽しそうだと思っていた小野田は、落ち着いた様子の今泉に首を傾げた。
「…いや、そうじゃなく…手嶋先輩が言っていただろう『オレ達が入部する寸前まで』存在してたって」

無言でそうですよねと促され、手嶋はそのまま首を縦に振った。
「どうして中止になったんですか?別に体罰とか理不尽な内容だとかには思えませんが」
「せやな 自分で無理や思うことはペナルティにせえへんかったらええだけやし、普通の罰ゲームとかよりはよっぽどやりやすいやん」
だからその『漢気ペナルティ』を復活させようとの意図を篭めた鳴子に、手嶋は
「何故中止になったかを話してやるから、とりあえず聞け」と短く返した。

「中止になった理由は、命懸けになったからだ」
さらりとではあるが、随分と大げさな言葉に新入部員一同は軽く息を呑んだ。
「そ…そんな重いペナルティを、誰かが自分に課したんですか?」
「…あれ?オレ達の入部直前ってことは……今いる二・三年生の話ですよね」
「え……」
軽く凍りついた後輩たちをリラックスさせるべく、手嶋はそこまで真剣にならなくてもと、笑顔を向けた。
だが手嶋は策士であり、その笑顔が全面的に会話によっては信用できないことが稀に存在しているのを、後輩達は経験から知っていた。

「何が…あったんですか?」
恐る恐るといった様子で声を潜める小野田に、そこまで怯えるなと、手嶋は軽く肩を叩いた。

「最初のきっかけは巻島さんだな」
「え!?」
少し驚いた様子の小野田だが、鳴子たちとて同様だ。
見かけのインパクトと、そっけなく見える態度から来る、恐ろしいなんかヤバげな先輩というイメージこそ最近になってやっと薄れたが、物憂げというか気だるげという印象は
今も変わっていない。
そんな先輩が『男らしさ』を競って、無理なペナルティを自分に課すとは、少々想像が難しかった。

「言っておくがあの人は口数が少ないし、見た目がああだからなかなか気づかれにくいけど……」
手嶋はそこで軽く息を吐き、「天然だぞ」と短く言った。
「ああ……なんや、わかる気ィしますわ」
「え、巻島さんが天然!?あんなにカッコイイのに!?」
そういうお前も天然だよな、と思われているとはいざ知らず、小野田は予想外だというように目を丸くしている。

「せやでェ…だって、なあ?」
鳴子が珍しくも今泉に同意を求めるように振り替えれば、今泉も否定できないなと頷いた。
まだやり取りも慣れていない数日間、目が合えばニマァと笑われてるのは、なにやら狙われているのかと背筋が寒くなる思いがしたが、後になって主将が言うには
「あれは巻島の精一杯の笑顔だ …まあ、敵意はない」

……獲物を見つけた、死神のような笑顔だったとは絶対に言えないと思いつつ、あそこまで笑顔が苦手で微笑みかけようとしてくれた不器用な先輩らしさは、受け入れたい。

「ワイは早ぅ来た時、ボトルが開けられんと苦戦しとる巻島さん見たわ」
部室の置くから、ふぅぅぅぅっむぅぅぅ ふっはあ!という妖しげな溜息めいた声が聞こえ、おそるおそるロッカー陰を覗いた鳴子が見たのは、
ドリンクボトルの栓が開けられず、懸命に腕を上下させたり横に振ったりしてねじろうとしている巻島だった。
(ボトル持って踊る、あやしい儀式か思うたわ…)とは口に出せず、軽く受け取りねじると、ほとんど力を入れることもなく簡単にキャップは弛んだ。
「おォっ…鳴子すげェっしょォ…」
パチパチと小さく拍手すらしているが、むしろ何故これが開かなかったのかが知りたいレベルだったと鳴子は、自分の知るエピソードを述べた。
「それは天然じゃなくて、単に力が不足しているって言うだけじゃないのか?」
もっともな今泉の疑問に、鳴子はフ…と影を落した笑いを作る。
「ワイも最初はそう考えたんや……けどな、数秒後巻島さん、ボトル手にして…『あ、オレ右と左逆に回してたショ!』って言うてな…」
「…新しい輸入物…だったとか?」
「いやいつも使うとる、ワイらもよく見かけ取るアレや」
「う、うっかりな巻島さんも、魅力的です!」
巻島信者と言われる後輩Oの言葉は、あまりフォローになっていなかった。

「オレが知るのは…小野田のメガネだな」
「へ?ぼぼ、僕??」
いきなり今泉に名前が挙げられた小野田は、関連性がつかめずわたわたと、左右を見る。
以前帰宅途中、眼鏡屋の前を偶然通りがかったのだと今泉は言った。
「その場にたまたま居合わせたのが、三年の先輩方だったんだが……巻島さんが丸めがねを取って、掛けてみて『これ掛ければ小野田みたいに可愛くなれるショ?』とか
言ってる場面にでくわした」そして掛けてみたはいいが、度が入っていたのにその時点で気づき、酔ったように左右にふらりと倒れ掛かったのを、田所が慌てて助けていたと、
今泉は説明を続ける。
「…で、ようやくそこでオレに見られていたと気づいたらしい巻島さんが、吹けない口笛を吹きながら、『い、今のはちょっとしたジョークっショ!』と顔を紅くしていた」
「……コントか!」
「巻島さん……っ」
尊敬する先輩が、自分のメガネに似たものをかけてくれたと聞いて、小野田は嬉しげに両指を組む。
「小野田クン、そこ喜ぶトコちゃうで…」
ツッコミ体質の鳴子が、小さく声をかけているがおそらく、当人の耳には届いていない。

「まあ今のエピソードだけでも巻島さんの天然っぷりは解っただろう?」
「…天然……かなあ?」
こちらは自他とも確実に認めるメガネ後輩は、まだ首を傾げているが、他の二人ははっきりと首を縦に振った。

「その巻島さんがペナルティで『えっと…じゃあ、オレは東堂の電話着信を20回無視して、その後に掛かってきた電話に「お前以外のライバルと走ってたショ」って言う!!』
…とか言い出してな…」
「げ」
「…え…」
「巻島さん、流石です!!」

顔を輝かせる約一名を除き、他の者はみなソレは明らかにヤバいだろうという顔つきだ。
無言の重い問いかけに、手嶋はゆっくりと頷いた。
「オレ達は全員でとめた 考え直してくれと」
仮に実行となった場合、当人たちより事態収拾を図る周囲が大変だ。
もとより本人に、事態収拾をまったく期待していない…いや出来ないだろうことは、確定している。

「巻ちゃんどういうことだね巻ちゃんオレと競うために巻ちゃんは生まれて来てくれたんだろう 巻ちゃんがオレの知らぬところで知らぬやつと走るのは許すとしてもそいつ如きが
何故オレと巻ちゃんの間に割って入るというのだそもそも巻ちゃんは人を疑おうとしないからライバルなどと騙されてああ巻ちゃん、お前の素直さが時には罪になるのだよ
お前のライバルはオレだけでオレだけでああそうか他のやつは排除すれば良いのかさあ聞かせてもらおうかその自称ライバルというヤツの名をさあ巻ちゃん」
誰も何も言っていないのに、脳内で東堂の言葉が充満し繰り返しリピートされ、鳥肌が立つ。
「ゾクゾクする…ショォ」
なぜそこで、口端を上げる巻島裕介。
(ああこの人、ドMだ……)
遠い目をした手嶋を、青八木がそっと支えていた。
覚悟を決めた目をした田所が、軽く肩を叩いた。
腕を組んだ金城が、無言で頷く。

「そ……それで?」
「……つい………勢いで……他の奴ら全員が『巻島さんの男気に負ける訳にはいかないっ …オレ達が負けたら巻島さんの20回目の着電を代わりに受けて……』」
「代わりに受けてっ?」
「『オレは巻島の現在のライバルだ 巻島?オレの横で寝ているよ』とノリと勢いで言う羽目になった……」
「アホかぁぁぁぁっ!なんで皆して地雷原つっこんどんねんっ!!」
つい思わず、叫んでしまった鳴子は先輩に対する礼儀を思い出し、慌てて振り上げかけた右手を下ろした。
これが今泉の発言だったら、間違いなくその張り手は後頭部にぶつかり、小野田だったら背中を張られていただろう。

「ちょ、なんでそんな怖いこと、みんなしてするコトになっとるんスか!」
「言うな……体育会系って……たまにバカになるんだよ……」
というより、男子高校生は時折バカになるというのが正しい。
本来は巻島だけが追うべきだった、超重量級の負担を、部員全員が負う。
度胸試しと肝試し、負けない自分を作るというルールを背負ってのゲームに、ついつい流されてしまったのだと手嶋は続けた。

「で、でも今、皆さんがここにいるって事は……何とか乗り切ったんですよね!?」

日頃飄々とした巻島も、そのレースは死に物狂いだったと、遠い目をした手嶋は呟く。
無言のほぼゼスチャーで、田所さんも凄かったと青八木は続け、金城さんもまったく容赦はなかったと、解説した。
「オレは……クリートが壊れてしまって……」
「て、手嶋さんが負けたんですか!?」

手嶋とて、小野田たちから見れば立派な尊敬すべき先輩だ。
だが全国レベルで謳われている東堂……しかも巻島が絡んだバーサク状態の東堂に、敵うかといわれれば、それは正直否だ。
もっともバーサク東堂に、勝てるかと言われれば巻島当人ですら難しいだろう。
「そう…オレが負けた」
「どうやって乗り切ったんですか!?」
『すごい』『参考にしたい』『どうやって』とさまざまな感情を込めた、輝く瞳を向けられ手嶋はニヤリと口端を上げた。

「…ん、あー あー……こうやって…ショ『あ、東堂ショ?オレ今横になって寝てたショ……東堂……オレ……新しいライバル見つけたッショ ああもう、うるせェ…違ェよ
巻島のライバルは…オレショ! 東堂は……ずっと一緒にいたい相手ショ!』」
横に寝ていて、オレが巻島のライバルだと告げる。
確かに手嶋は公約どおり、その言葉を東堂に告げた――巻島ソックリの声で(アニメCパート参照)。

『ま、巻ちゃん……寝ぼけているのか?……』
何故ずっと連絡に出なかったのだと叫ぼうとした東堂は、いきなりライバルがいるといわれ、それは巻島自身だと言われ、ずっと一緒にいたいと言われた。
喜ぼうにも怒ろうにも、事態が飲み込めず、困惑したままの東堂の声にクハッと笑って、巻島は着電を切った。
たたずを飲んで成り行きを見守っていた、他の部員たちはいっせいに拍手を送り、……そして『漢気ペナルティ』は封印された。

「はあ…まあ……巻島さんの声をそのままに真似できる手嶋さんだから…無事……だったんだから…」
「せ、せやな そのペナルティで他のヤツが負けたらと思うたら、……怖っ!!!」
「手嶋さんは、それがあるから負けてあげたんですね!」
流石だと尊敬の眼で見上げてくる小野田に、手嶋は内心苦笑を返す。

(オレ……も、あのずらっと並んだ着信履歴を見たときは、寒気がしたしちょっと後悔したけどな……)
そのちょっとした報復として、ずっと一緒にいたいと巻島の声で付け足してやったのだが、それが幻惑効果をプラスしてくれたおかげで、ニセ電話も怪しまれなかった。

ちなみにその後、巻島経由で『漢気ペナルティ』の話を聞いた箱根学園では、他者が他者にペナルティを課すという、更に負担が倍増されたものになっている。

荒北「…あー、一年 お前はオレ達を「さん」付け敬語二週間禁止な」
黒田「そ、そんな……そんな心臓に悪いこと嫌ですよっ!」
東堂「ふむ……じゃあ荒北には、逆に二週間、周囲全員に敬語を使ってもらおうか!」
泉田「ややや、やめて下さい!ボク達の心臓に悪いです!!アンディとフランクが怯えます!」
荒北「………東堂、てめェは巻ちゃん2週間禁止な」
東堂「なんだとっ!ふざけるなオレに呼吸をするなと言ってるも同然だぞっ!!」
新開「まあ落ち着けよ、尽八、靖友 負けなきゃいいんだろ?」
荒北「…新開はパワーバー二週間禁止」
東堂「ウサ吉二週間禁止でもいいんじゃないか?」
新開「寿一はどうする?二週間毎日10分間スピーチでもしてもらおうか?」
荒北「鬼か手前ェはっ!!!」
福富「…オレは…強い!」

止める者の存在しなかった箱学には、今も『漢気ペナルティ』は存在しているらしい。