東巻ワンライ、お題 【隠れてキス】 レースの話や中学時代の話、お気に入りのパーツを売っているショップなどの話から、ふと出た話題に箱根学園についてが上がった。 自転車競技のない小野田は知らなかったが、箱学はロードバイクに乗っているものには全国レベルで有名で、当時は関西に居た鳴子も、名前ぐらいは知っていたと告げた。 「せやけど……トップクライマーの東堂さんについては……走りだけ知りたかったなあ……」 遠い目をした鳴子に、今泉も無言で頷き、小野田は困ったように笑った。 現在の総北において、箱学の東堂とは大事な先輩に妖しい動きで近づこうとする人物であるという見方が、3年生を除いての見解だ。 なぜ最高学年を除外するのかといえば、東堂の行動と存在を始めて知ったときの鳴子が 「なんやのあの人!ストーカーちゃいますのんっ 先輩方通報した方がええですって!!」 と力説したのに対し、苦笑したように放っておけと返し、さりげなくやり取りに気を配って入るが、警戒はないからだった。 「金城さんや田所さんは、東堂さんぐらいの積極性がないと巻島さんの友人が勤まらないって思ってるんじゃないか?」 スポーツドリンクの入ったボトルを傾ける今泉と、「そ、そうだよね!」と明るく同意する小野田に対し、珍しくも鳴子の顔は、真剣だ。 「なあ……東堂さんと巻島さん、デキとるんちゃうん?」 「で……でき……?」 何がと問わず、単語の途中で区切る当たり今泉には意味が通じているのだろう。 「出来てる?」 語尾に『何ができてるの』と付いていそうな小野田は、不思議顔で、言葉の意味を捉えかねている。 それをどう説明したものかと迷う今泉は、ふと気づいたように鳴子へと向き直った。 「そういえばお前、いつも『箱学の前髪の人』呼ばわりだったのに、東堂さんの名前覚えたんだな」 他校の先輩にまで、気ィ使っていられへんと、見た目の第一印象そのままに名前を呼ばずにいた鳴子が、今日は東堂をきちんと苗字で呼んでいる。 それを指摘すれば、小野田もそういえばといった表情で、鳴子へと向き直った。 「……ああ、まあ………ワイもあの人を一部尊敬する……っちゅーか……すごい……っちゅーか……」 語尾が曖昧な鳴子に対し、小野田はうんうんと明るい笑顔で同意した。 「そうなんだよね!東堂さんってふざけているように見えるけど、坂とかでは本当に凄くて」 「あ、ちゃうねん」 熱を入れて東堂を褒め上げようとする小野田の言葉を、鳴子は冷静に遮った。 「オレが尊敬したんは、あの人の巻島さんへの理解度や」 「理解度?」 レース会場や合宿先などで、偶然東堂の出くわしたことはあったが、後輩という立場から見れば、東堂の巻島への行動は一方的に見えていた。 口先では「巻ちゃんのことならオレに聞け!」などと東堂は言っても、よくは知らない身としては、他校だし付き合いだって二年にも満たないレベルだしと聞けば、どうにも胡散臭い。 少し前まで、鳴子だって同じように思っていたはずだがと、今泉は首を傾げた。 「『……チャウチャウちゃう?』っちゅー関西弁ネタ、知っとるか」 いきなり何をと思いつつも、今泉は頷き、小野田はよく知らないと律儀に返事をした。 「あれちゃうちゃうちゃう?」 「えーちゃうちゃうちゃうんちゃう」 「ちゃうちゃう、ちゃうちゃうやって!」 「ちゃうちゃう……ちゃうちゃう〜?ちゃうんちゃう〜?」 「えっと……なんかのアイドルの歌の合いの手?」 張り付いた笑顔で、一生懸命理解につとめようとする小野田に、鳴子は説明を始めた。 「これはな関西弁で『あれチャウチャウ、ちゃう?』 ――あれはチャウチャウ違う? チャウチャウという犬じゃないかと聞いとる訳や」 解説に対し、小野田は真面目に頷き、今泉もそれとなく耳を傾けている。 「それの返答が『チャウチャウ、ちゃうんちゃう』チャウチャウではないのではないか、やな」 「む、むずかしいね ちゃうちゃうちゃうん、ちゃう?」 「お、小野田君発音ええで!そう その区切りもばっちりや!」 エセ関西弁には厳しい関西出身者が、親指を立てて満面の笑みで小野田を褒めた。 「『ちゃうちゃう、チャウチャウやって』…これチャウチャウは違うのではないかと言われたから、違うよ違う、チャウチャウだと更に力説をして、 最後は『チャウチャウ…チャウチャウ〜?ちゃうんちゃう〜?』 チャウチャウ……チャウチャウかなあ、違うんじゃないかなあ…という流れやな」 小話的にする為に、少々使い方にむちゃのある「ちゃう」も入っとるがといわれても、関東生まれの関東育ちとしては、そうですかと言うしかない。 「えっと……それで……」 「今の流れで、何で東堂さんを尊敬っちゅー話になるかやろ、解っとるって」 そういって頭を振る鳴子は、もったいぶると言うより脳内で、話を組み立てている最中だったらしい。 ふうと大きく息を吐いて、実はな…と語り始めたのは、先日の合宿所での話だった。 合宿ではあるが、慰安旅行も兼ねての意味合いもありそれなりの旅館を取ったところ、偶然箱学も同じ日程で訪れており、随分とにぎやかになったのは、いい想い出だ。 「あそこの旅館、玄関部分になんや掛け軸ぶらさがっとったやろ?」 あまり注目をしていなかったが、和風の造りだけにそうだったかなと小野田と今泉は記憶を呼んでいる。 巻島がその玄関ホールで、じっとその掛け軸を見ているところを、たまたま通りがかったので、声を掛けたのだと鳴子は続けた。 「巻島さん〜!何見とるんスか?」 「書ショ」 (え、ショショって何やの) 「しょしょ…っスか?」 「そうショ 書ショ」 (待って!レベルアップした ソウショショショって何!?) 「あ、すみません…今、外通ってった車の音が大きくて聞こえへんかったんですわ もう一回言うてくれはります?」 「『そうショ 書ショ』ショ」 (うぉぉぉぉまた!!レベルが上がった!!ソウショショショショってなんやの!?もうヤケや!!) 「ソウショショショショっスかあ はぁなんや解りまへんけど、趣きありますなあ!」 「鳴子、書がわかるショ?」 すげえなと、感心した目で見てくる巻島に、今更『いや会話すら意味わかってません』とは流石にノリと突っ込みで生きている身の上でも、言い出しがたい。 どうしようかと迷っているところに現れたのが、救いの神ならぬ、山神だった。 「お、巻ちゃんこの書の良さがわかるのかね?」 さりげなく現れ、さりげなく会話を奪っていく東堂を、普段であれば警戒するが今の鳴子にとっては、眩しいぐらいの存在だ。 「東堂さん……ショがわかりますの?」 いまだ巻島の『ショ』が何であるのか理解不能に苦悩している鳴子に、東堂は自信に満ちた様子でゆっくりと頷いた。 「一応幼い頃から書道も嗜んでいるからな それなりに目利きもできるつもりだ」 「……!あ、書!! ショは書やったんか書!!」 ようやく理解できた鳴子に、今度は東堂が困惑気味に 「『……書 やったんかショ…?』巻ちゃん、後輩にまで語尾が移っているのではないかね」と指摘をしていた。 「あれ?でもさっきまで鳴子、普通に喋ってたショ?」 首を傾ける巻島は、鳴子との会話にまったくの違和感を覚えずにいたようで、それもそれで感心をしたと鳴子は続けた。 「……っちゅー出来事があってな、東堂さんの巻島さん理解度半端ネェってその時思たわ……」 遠い目をする鳴子に、それはさすがに東堂さんすごいと今泉も小野田も感心の顔だ。 「さっきのデキてる…というのは、そのことからか?」 思い出したように聞きなおす今泉に、鳴子は力なく首を横に振った。 「この会話には続きがあってな……」 玄関にぶら下がっている、書について解説を始めた東堂に対し、巻島は涼しい顔で 「別に興味ねえショ 何であれが日本語なんだよ読めねえよって思ってみてただけショ」 と肩を竦めた。 「それはいかんな!日本人として書について疎いより詳しい方がよかろう」 そう言ってあらためて掛け軸の方へ指差す東堂につられ、つられてそちらに向いた鳴子の視界に入ったのは、そっと…だが素早く確実に巻島へと、唇を重ねた東堂の姿だった。 今この場には、自分と巻島と東堂の三人しかいない。 東堂が姿を見せるまでは、鳴子と巻島の二人きりだった。 それは単なる偶然だが、巻島へのちょっかいと溢れた独占力の発露が発揮されるには充分だったようだ。 鳴子の目をくらませて、どさくさに東堂は隠れてキスをしたつもりだったのだろう。 ――あいにく、こちらはばっちりと目にしてしまったのだが。 背後で実の詰まったかぼちゃを叩くような、激しい音がした。 ……後頭部辺りをドツかれたんやろな…… だがあえて鳴子は、振り向いて確認する勇気はなかった、自分は今 何も気づいていないのだと自己暗示をかける。 「巻き込まれたくなかったしな…」 フ、とハードボイルド調に笑う鳴子に対し、今泉は冷や汗に近い玉の粒を、額付近に浮かばせていた。 「お前…それ……デキとるちゃう……じゃなくて、確定してるだろ……」 「……やっぱ……そう思うか……」 「ああ!出来てるって恋人同士かってことだったんだ!」 納得がいったと、パンと大きく拍手をした小野田の声を、慌てて両隣の二人が塞ぐ。 「シィッ!!!小野田くん、まだ先輩たちはそこに………」 声を潜めて小野田をたしなめる鳴子だが、すでに遅かった。 ギィと軋んだ音を立て開いた部室扉の後ろには、顔を真っ赤にさせた巻島が『東堂、死刑ショ…』と呟き立っていたからだ。 「なんだもうバレたのか じゃあオレらも隠す必要ねえな!」 ガッハッハと大声で笑う田所と、いつもと変わらぬ笑みを浮かべた金城の「そうだな」という返事で確定だ。 「チャウチャウ、ちゃうんちゃう?……このニュアンスがわからへん関東人を……書ショが理解できへんかったオレは…もう責められへんのやな……」 「大丈夫だよ!鳴子くん!!僕も…僕も多分その場にいたら解らないからっ 東堂さんが凄いんだよ!」 「そうだぞ、……オレだって……『書ショ』ショ……は……正直……」 「おい、お前らオレをディスるのはやめろショ」 巻島から一ヶ月の接触禁止を言い渡された東堂は、泣きつきと脅迫の入り混じった懇願で、その期間を半分にまで短縮させた部分まで含めて、 一年生の中では既に伝説となって存在している。 |