オレと君からの一言を


まだ真夏の盛りではあるが、晴れた空は心地よく、眼下に広がる景色は心地よい。
上りの道のりという事で、スプリンターの新開と田所は少しバテぎみだが、インハイで真骨頂を見せた鳴子は陽気に、田所の背をバシバシ叩き、だらしないでおっさんと楽しそうだ。
自分がまあそれなりに認めている先輩の、優位にたてたことが嬉しいのだと隠そうともしないが、それゆえに憎めない。

山頂の展望台は車でも来れるので、ドライブの途中立ち寄ったらしい家族はカップルもいて、ファストフードを売る売店も存在していた。
食事は運動前に取ると負担になるので、山を下りてから、店を予約している。
少し小腹の減った面々が、おのおので何かを購入し、食べたり飲んだりしながら、交流しているのを、総北箱学の両エースが、互いを労いながら見守っていた。

炎天下のインターハイが終り、一つの決着がついた。
勝負にこそ負けたが、全力は尽くしたし、何より大きかったわだかまりを解消できたことで、悔いはない。
そこであらためて、レース以外にも交流を持たないかと、総北に集団走行の誘いをかけてきたのは、福富だった。

レース中の色々な出来事で、ライバルではあっても尊敬すべき者もいると、箱根学園に親しみを感じ始めていた総北は、それを受けレギュラー陣が参加することとなった。
ゲストのこちら側の参加できる日を、優先して決めたので、箱学側は残念ながら実家の用事だという泉田と、少々都合が悪かったという真波が欠席となる。
「真波くん、来ないんだ…残念だなあ」
人の良い笑顔を浮かべたメガネの少年に、箱学上級生がほんの少し、苦笑気味になったのは、幸い誰も気づかなかった。
挫折とも拗ねてるともとれる態度で、欠席を告げた真波を誰も咎めなかったが、本音は小野田と顔を会わせ難い…と言ったところだろう。

代わりにとばかり、荒北が
「小野田チャン まあ代わりにオレらが相手じゃ不満〜?」
とこれみよがしに、たちの悪い不良風に迫り、東堂が「メガネくんが怯えているではないか!」と庇う。
一見芝居めいた東堂と荒北の行動も、それなりの労りが感じられた。

荒北の行動は、おそらく過度のスキンシップで、親愛の情だ。
首を腕で巻いたり、高い高いをするように持ち上げたり、絡みと遊びの中間でいるようだが、気に入いるが故の行動だろうと、巻島にも伝わった。
「もう荒北さん、やめてくださいよぉ」
と言っている小野田も、言葉とは裏腹に、きゃっきゃと楽しそうだ。
微笑ましい。
そう思いその光景を眺めていた巻島は、自分と同じように横にいる新開が、見詰めているのに気づく。
何やら少し、寂しげにすら見えるその顔は、いつも浮かんでいる、人好きする甘い笑顔が消えていた。

「…あのヨ、小野田は…人懐っこいから 色んな奴に気に入られやすいショ…別にアイツに他意はねえから…」
おずおずと声をかけてきた巻島に、新開は取り繕うように笑みを浮かべた。
「……参ったな、そんなに解りやすい顔をしてたかい?」
「ショォ……」
どちらかといえば、巻島は人の心の機微に疎い方だ。
それでも新開の表情を察したのは、今の自分に似ていたからかもしれない。
手が届きそうで、届かない、憧れるけれどこの関係を壊したくなくて、進めない。
荒北を見詰める、新開の眼差しはそう言っていた。

「…荒北に、好きって直接言わねえショ?」
それほど話したことがあるわけではないが、あの男なら好きにしろ嫌いにしろ、きっぱりと答えを出して、一つの切り替え期間をくれるだろう。
そう聞いた巻島に、新開は
「裕介くんこそ、言わないの?」と抑えた優しい声色で尋ねる。
…自分が今、似ていると思った眼差しを、相手も気がついていたようだ。
「尽八は気づいていないだけで、まず断らないと思うよ」
続けて諭すように言う新開は、揶揄をしているのではなく、本気で背を押してくれているのだろう。
それに対し、嘘はつけねえナと、巻島は寂しげに笑みを浮かべた。

「…オレには、言う資格がねえショ」
来月の今頃には、もう自分は日本にはいないのだ。
いつ帰ってくるのかも解らない、ひょっとしたら向こうに定住するのかもしれない。
…そんな条件を持つ巻島が、東堂に好意を告白などできるはずがなかった。

――どんなに、東堂の事を好きだと思っても、先はないのだから

「……じゃあ片思い同士、しばらく話でもしようか?考えてみたら裕介くんと喋る機会はあまりなかったからね」
中心に入り、わいわいするタイプでない巻島に、ここでと気を使う新開の気配りは、好ましかった。
「それも悪くねえナ」と木のベンチの横に座り、丸太を切って並べたテーブルに、巻島は肘をついた。
「…尽八のどこか好きなのか、聞いてもいいかな」
「いきなりで前フリねえショ スプリンターはみんなまっすぐだよなァ」
そう言った巻島は、空を仰ぎしばらく見た後
「顔?」と実も蓋もない答えを返した。
それはどういっていいものかと、普通ならば思うような回答だが、新開は変わらなかった。
「それを尽八に言ってあげれば、喜ばれそうだな」
「…顔かってツッコまねえのかよ」
むしろ呆気に取られたような巻島に、新開は余裕のある笑みでわかっているみたいに、フと肩を竦める。
「造作だけじゃないって、声をしてたからね」

巻島の言葉は、東堂の甘く自分を見る表情、生き生きと変化する顔つき、稀に見せる厳しい面差しのどれもが好きだという諸々を
詰めたものだったが、まさか気づかれるとは思っていなかったのだろう。
ぽかんと驚いた巻島の顔が、大事にしている小動物の固まる姿に重なり、新開は可愛く思った。
「ショ……」
自身では無表情で、愛想の悪い性格だと思い込んでいるようだが、素の巻島は幼い子供みたいに、隠し事がヘタだった。
長いこと鉄仮面的な親友の、つぶさな変化から感情を探るすべを得ている新開にしてみれば、解りやすいものだ。

つい動物を宥めるように、さりげなく肩を抱き寄せ、ぽんぽんと叩くと、硬直しながらも巻島は逃げようとはしない。
「…細いな、裕介くん クライマーは体重の軽さが命綱だけど……」
落した掌の先の肉の薄さに、新開が目をみはれば、巻島は
「お前のところと荒北や東堂だって、オレとそう身長体重変わんねぇショ」
と口先を尖らせ、ぽそりと言い返す。

どうやら、細身過ぎる身に、それなりにコンプレックスはあったらしいと察した新開は話題を変えるが、この反応もやはり好意とは別に、胸をきゅっとさせる何かがある。
ああこれが、東堂が構いたくて仕方がなくなっているであろう庇護欲かと、自ずを納得させた。
新開はあまり動揺や感情の波を持たぬタチで、その分 人の反応を、感情とは別の箇所で楽しむ傾向がある。
だが普段お気に入りの荒北や泉田といった人物は、自立しむしろ自分よりしっかりしているので、何かあっても軽くアドヴァイスをする以上に出番はなかった。
なんとなく面倒を見たくなる、不思議な魅力を、巻島は持っていた。

「オレばかり言ってズルいショ、…新開も言えよ」
見抜かれて頬を紅潮させた巻島が、上目遣いで見上げてくるのは、どうにもくすぐったい感覚がした。
「靖友はね、ああ見えて面倒見がいいんだ」
「…?ああ見えてって、荒北は普通に面倒見良さそうショ」
きょとんと言い返す巻島は、見た目で荒北を怖がって近寄らなかったのではなく、単によく知らぬ相手を全般的に寄せ付けぬというだけのようだ。

「即座にそう言える裕介くんは素直だよね」
「ヘ!?おお、お前何言ってるショォ!オレはへそ曲がりで、愛想悪くて最悪ショ!!」
拳を握らんばかりでの巻島の受け答えに、ますます新開の笑みは深まった。
内心と裏腹に、自虐的におのれを悪く見せようとする行動は、どこか荒北にも似ている。
肩を抱いた手を、頭に移して撫でてやれば、もうどうしていいのかわからない様に、巻島は硬直をし真っ赤になっていた。
「ほんと、かわいいなあ」
ウサ吉や弟を思い出し、少しのからかいを篭めて、両手で頭頂部を全力で撫でれば、巻島の長い髪はみごとにこんがらがってしまった。

「す、すまない …大丈夫かな」
ゆっくりと梳いた髪は、細く滑らかで心地いい。
巻島が根元の生え際を握り持ち上げ、新開が何度か丁寧に指でとかすと、ようやく髪は元の位置に収まっていた。
「お詫びにさ、何か奢るよ…なにが食べたい?」
そう言う新開が指差す先には、売店があった。

フライドポテト、フレンチドッグという定番メニューに、大判焼きやソフトクリームとそれなりのメニューは揃っている。
「んー…オレはそれほど腹減ってねえショ 新開が食べてくれるなら」
「まかせてくれ」
しっかりと頷いた新開の力強さが、食べ物を前にした田所と同じものだったので、巻島は笑った。
「じゃあオレ、タコヤキって食べてみたいショ」
しばしの沈黙を置いた後、
「みたい…ってことは……ひょっとして」
「食べたことないショ」
「それはいけない裕介くん、日本人としてこんな美味しいものの存在を知らずにいるなんて!」
新開はゆったりとしたそれまでの動きが、嘘のように勢いよく立ち上がり、売店へと駆け向っていた。

「おまたせ」
戻ってきた新開の両手には、それぞれたこ焼きが乗っている。
「…オレはちょっとで良いっていったショ?」
「大丈夫、これぐらいはほんのおやつだし、意外にに食べてみたら美味しくて、裕介くんも食べてしまうかもだから」
ふわふわとカツオブシは湯気で踊り、ソースの香りが美味しそうだ。
どうぞと、目の前の丸太テーブルに乗せられたたこやきを進められ、反射的に巻島は両手を合わせ
「いただきますショ」と頭を下げる。
「…それは、尽八の影響かな」と聞けば、巻島は照れくさそうにうるさく、何度も言われるからつい癖になったと、目線を逸らしていた。

「い、意外に難しいショォ……」
ぷるぷる震える手で、楊枝でたこ焼きを口元に運ぼうとする巻島は、形が崩れそうだと苦戦をしていた。
箸をもらってこようと提案しても、たこ焼きは楊枝で食べるのが正式なルールなら、オレも挑戦してみると、よく解らぬ意地を張られ、少し面白い。
ようやく持ち上げるのに成功した巻島は、それを受け止めるように口元を運び、舌奥に落した。

「……っ!?んっ……!!」
カリカリの外皮の内から、とろりとした灼熱の中身が溢れ、巻島の舌を焼いた。
「あひっ……ふっ……」
「大丈夫かい口の中ヤケドしてない?」
慌てて喉や鎖骨を、トントンと軽く叩く巻島に、新開は冷えたペットボトルの水を注ぎ込む。
咥えたボトルの口から注がれた水が唇端から溢れ、筋となって巻島の首元へと流れていった。
咄嗟の行動だが、なんだか乳児に哺乳瓶でミルクを与えるような仕草となって、どこかドキリとした色気を感じさせる。
鎖骨にこぼれた水滴が、眩しく太陽の光を反射した。

「あひゅいショォ……」
「うん、ごめんね 初めて食べるなら気をつけてと言っておくべきだった…口の中、見せてみて」
そういって巻島の顎を掴んだ新開は、離れた箇所からの厳しい視線を感じ取る。
賑やかな雰囲気の中、違和感を感じさせるほどの、強い圧迫を覚えさせる、感覚。

小野田を相手にしていたはずの東堂が、敵…それも尊敬するに値しない、下劣な相手と判断した時にしか見せぬような冷たい目で、こちらを見ていた。
睨むキツい眼差しは、紛れもなく新開の動きが不快だと告げていた。

(そろそろ、行動に移せよ尽八 …事情は知らないけれど裕介くんはこのまま下手すると、黙って離れていってしまうぞ?)

涙目で大人しく口を開け、伸ばされた紅い舌は、爽やかな晴天の下どこか淫猥にすら見えてしまう。
自分の色気や魅力を、まったく理解していない巻島は、誰かに本気でぶつかられたら、認められたことの嬉しさから、容易にその相手に捕まってしまうのではないか。

わざと角度を変えて、巻島の唇を引寄せる。
おそらくこの角度なら、もうすぐ口接けようとしている姿に見えているに違いない。
「…ヤケド、してるショ?」
「んー そ……」
「隼人!!」
赤くはなっているが、爛れてはいないから大丈夫だと答えようとした瞬間、鋭い東堂の叫びが割って入った。
大股でこちらに歩み寄り、新開の手首を力強く掴む。

「……どういうつもりだ、隼人」
答えによっては、お前でも許さんという恫喝を篭めた、東堂の殺気漲る様子に、新開ではなく事情の読めぬ巻島がおろおろと二人を交互に眺める。
「と、東堂……どうしたショ?」
「どうしたもこうしたもあるかっ!大体巻ちゃんが隙だらけだから……っ!」
「え、え?なな、なんでオレ怒られてるショ?」

本気で訳のわからない様子の巻島は、まだ先ほどの余韻が残り涙目で、東堂の荒ぶりをわずかに沈下させた。

「……だって巻ちゃん、新開とキスしようとしてたじゃねえか……」
少し落ち着いたらしい東堂は、新開を名前で呼び、切れ長の眼差しを細め睨む。
「それに……睫毛が濡れているぞ巻ちゃん、泣いていたんだろう 何を言われた?」
その少し前に肩を抱かれて、髪まで梳かれていたと、東堂は一つ一つ巻島と新開の行動を並べ、唇を噛んだ。
「全部見ていて影で嫉妬してるぐらいなら、邪魔をすべきだったな尽八」
余裕ある態度の新開を、危うさをはらんだ瞳で東堂が見詰める。

よく解らないが、このままでは東堂は、新開に殴りかかってしまうのだろうか。
「男の嫉妬は、見苦しいぜ……第一おめさんが、それを言い出せる立場じゃないだろ」
新開が煽るように言うのが、ますます空気を悪くし、心臓に悪い。
「ならば、オレはその立場になってやる!」

そう言いながら、巻島の手首を力を込めて掴むと、売店の裏のひと目に着かぬ場所へ引きずるように連れて行く。
握られた箇所が、痺れたみたいになるのに、大きく脈打ち、巻島の混乱に拍車をかけた。
「と、東堂、なんなんだよ お前何してェショ!?」

段々と遠ざかる巻島の声に、小さく頑張れと呟いて、新開は手を振った。
肩を抱いたまでは、東堂を刺激するための演技であったが、その後は本当に偶然だ。
たこ焼きやヤケドのエピソードを話せば、東堂はこれだから巻島は目が離せないとようやく観念し、思いを自覚するだろう。
後はもともと好き合っている二人だ、巻島が何を抱えているのかは知らないが、良くも悪くも何らかの形で決着はつく。
もっとも、東堂の執着を知っている新開にしてみれば、巻島がどう抗おうと別れや不成立なんてルートには、ないとしか思えないが。

「……良かったな尽八、裕介くん」

「ナァに珍しいコト しちゃってんノォ?」
どうやら一部始終を眺めていたらしい荒北が、新開の頭上に影を落すように立ちはだかっていた。
「ん?」
「テメェ自身の色恋とかにも疎いクセに、珍しくおせっかいなコトしてたじゃねェか」
東堂に負けぬぐらい、女生徒に人気はある新開だが、その反応は薄かった。
崇拝に近い感情で、新開を思っている泉田の様子すら
「人懐っこい後輩だな」程度の、感覚でしかない。
満遍なく優しい代わりに、特別扱いも滅多にないのが、新開隼人という男だった。

「……自覚ないストーカーに、大学生活まで付き纏われたら大変だろ?」
「…おー、確かにな」
誰が誰にとは一言も口にしていないが、荒北には充分に伝わっている。
「断ち切るにしても進むにしても、きっかけになればって思ってさ 区切りを付けるにはいい時期だと思うし」
そう言って新開は、まだ充分に熱さの残るたこ焼きをはふはふと頬張った。

「この炎天下に、よくそんなクソあちィもん食えるよなァ」
「ん?靖友も食べるかい?」
「いらねえ オレの言葉を聞いて返事しろ」
「まあまあ そう言わず」

それでもと差し出してくる、香ばしいソースやかつおぶしの匂いは、魅力的だ。
あーんをすべく差し出してきた新開のたこ焼きを受け取る代わり、荒北は自分で爪楊枝を手にし、一つを口に入れた。

「アチッ… けどまあ悪くねえナァ」
「だろ?」
「……で、テメェは?」
「え」
何のことだと、まばたきを繰り返す新開に、荒北は後頭部を掻きながら、仕方がないと吐息をつく。

「……こっちも告白されねえと、考えてやることもできねえんだケド?」


「男らしいな、靖友」
「っつーかテメェが女々しいんだよ、こんのバァカ」 
ああさすが、オレが気づかぬうちに惚れた相手だ。
座ったままほほ笑みを浮かべ、新開は一つ大きく息を呑んで、唇を開く。

「好きなんだ 靖友」