にゃっショ

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変なところで、自分は負けず嫌いだと思う。
普段はキモいでいいショなどといい、巻島は他人に何を言われてもどこ吹く風と聞き流しているが、これはもう負けず嫌いが複雑に進化というか、
独特の思考回路を作ってしまっているからだ。
「他人に何を言われても平気だ」、「自分が卑下している通りに、なんとも思っていない他人に言われても言われても、気にするものか」と心に壁を作っているからで、
実際心を許している友人に、真顔でキモいなどと言われたら、巻島の心は確実にへしゃげてしまうだろう。

そんな巻島が、確実に心を許している者として、代表に上げられるのは、総北自転車競技部の同学年の者たちだ。
箱学の東堂はといわれたら、嫌いではないと言う微妙にねじった答えが帰ってくるだけなので、他者たちもあえて聞かずにいるのは、思いやりだった。
その心許している友人に、煽られてついつい賭けに乗ってしまった自分が、バカだったのだと、巻島は携帯を眺めつくづく吐息した。
 
数日前の、時間つぶしで眺めていたグラビア雑誌が、そのきっかけだ。
田所の好みだという女と、巻島のプッシュしたいタイプと言うのが大いに違っており、互いにセンスがないと下らぬ言い争いになってしまった。
「いや巻島にだけは センスねえとか言われたくねえよ」
「どういう意味ショ!?」
田所の一言に、カチンと来た巻島が言い返せば、田所はこれに関してだけはお前に言われたくないと、真顔で返してきた。
ならば互いに、客観的にそれを証明しようということになり、思いついたのはその翌日に発売される、同じグラビア雑誌の人気投票の結果だった。

「…オレはこの猫耳・語尾に『にゃん』押しだ」
「オレはこの全身包帯ちら肌・無表情系ショ!」
賭けの対象は、自分の押すどちらのシチュが上位に入るかという事だった。
罰ゲームは、負けたほうが相手の指したモチーフを実際に行うと言う、正気に返った今ではキツいものだ。

思わず言い争ってしまったが、冷静になってみると、見るほうも罰ゲームじゃないかという取り決めだ。
(…田所っちの全身包帯、ちら肌なんて見たくないショ!)
そう思って翌日、巻島はこの賭けはないことにしようと持ちかけたのだが、田所は
「なんだ?巻島 負けるのが怖くなったのか」
と豪快に笑い、こちらはそっちの身を思ってわざわざ提案してやったのにも関わらず、腹立たしい返事をよこしてきたのだ。
むっとして、ついつい
「そんな訳ないショ!オレが勝つんだからな なんだったら、罰ゲームに追加ペナルティを加えてやってもいいぜえ」
と言ってしまったのは、本当に我ながら、バカだったと思うと、巻島は頭を抱えた。

「それじゃあ負けたほうは、携帯に登録してる箱学の誰かに、自分の写メ送って、そのシチュキャラっぽい喋りで電話を追加でもするか?」
「ああ、それでいいショ!」

結果は、田所の圧倒的勝ちだった。
いや正確にいうなら猫耳にゃんの、圧倒的票数だったというべきか。
巻島が押した全身包帯ちら肌は「マイナーながらも根強いファン!?」という、編集者のフォローらしい一言が添えられ、トップ10にも入っていなかった。

ここで、ザマアという顔を見せないのが田所の男気だ。
むしろ巻島を気遣うように
「お前の猫耳見ても、別に面白くもねえから 罰ゲームはやめても別にいいぜ」とまで言ってくれる。
だがそれに乗じて、
「だったら昼飯二回オゴリでチャラな」
と流せないのが、巻島だった。

「そ、そうはいかないショォッ……にゃん…」
自己嫌悪という重苦しいオーラを巻き散らかしながらも、すでに結果を立ち読みしてきていたらしく、巻島は律儀に猫耳猫尻尾をどこからか調達して、持ってきていた。
カチューシャ状のそれと、クリップが付いている黒尻尾をいかにも不本意そうに、巻島は身に付ける。
田所は苦笑しながら眺めているが、想像よりは似合っているなとも暢気に思っていた。
そのため、止めるのが遅れてしまったのだ。

巻島はもう一つの約束、箱学にも写メを送ると言う約束を実施しようと、すでに通話画面を開いていた。

外周を終わらせ、山道の登りを一通り済ませた箱学自転車競技部の部員たちは、室内で小休憩に入っている。
ヴーッ…ヴーッと机の上の携帯が、通話お知らせライトを点滅させながら、揺れていたのに、新開が気がついた。
「…靖友、携帯鳴ってるぜ」
「あー?誰」
靴の調整をしていた荒北が、通話相手を訪ねるが、画面には携帯ナンバーしか表示されていないと、新開は返した。

「…間違えか?めんどくせえな そのままハンズフリーのスピーカーにしてくれねェ?」
「はいよ」
慣れている動作で、新開は荒北の携帯ボタンを押し、そのまま机に置いた。

『あ、あの……あ、荒北の携帯……ショ?……にゃん』
「………?」
聞き覚えのある声というより、独特な語尾に覚えがあった荒北は、同じくこの声の主を思い当たるだろう新開に、目で訪ねる。
同じ相手を想像していたらしい、新開はそのまま頷いたが、やはり電話の意図はつかめぬ様で、どうしていいか迷っているようだ。
『えと……このナンバー、違う……にゃ?ショ』

やはり、おかしい。
よくわからんが、とりあえず電話の向こうの困り顔が予想付き、荒北は立ち上がり携帯を手にした。
「総北の巻島……だよなァ?」
『ショ……にゃん』
「なんなの、さっきからその話し方」
『えっと、それでちょっと頼みがあって電話したニャ……ショ ちょっとオレ今猫耳で、その写真 罰ゲームで箱学の誰かに送んなくちゃいけなくて、
でも東堂に知られたくないから…荒北なら……ニャ』
「……ちょっと何言われてるか、わかんねェンだけど」
『……にゃ………ショォ……』

巻島が言いたいことをまとめると、こうだった。
巻島が賭けに負けて、現在猫耳猫尻尾姿になっておる、その写真を箱学の誰かに送る。
そしてさらに、言葉遣いも語尾に「にゃん」をつけなくてはいけない。
巻島の知っている箱学メンバーの携帯は、東堂のみだが、東堂に送っては色々と面倒なことにもなりそうだ。
そこで以前、幾つか前のレースで東堂がらみやり取りから、携帯でやり取りしていた履歴を遡って、荒北に電話を掛けてきたのだと、巻島は続けた。

『巻き込んですまにゃいショ、東堂に知られないようにさえしてくれれば、後日、メシおごるとか礼はするにゃ』
細い声で言う巻島に、荒北は
「あー…悪ィ」
と一言で返した。

『え……?にゃん』
律儀にまだ語尾ににゃんをつける巻島に、荒北は頭を乱暴に掻きながら、もう一度「悪い」と繰り返した。
「この通話、スピーカーでやってたんだわ」
『……ショォォォォォォォッ!?……にゃ』
「だから東堂にも筒抜……」
顔を上げた荒北は、先ほどまで東堂が存在していたはずの場所に、その姿失せているのに気づく。

「…おい、今そこにいた東堂はドコ行った?」
巻島と荒北の会話に注目していた一同は、慌てて振り返るが、音もなく東堂はその身をどこかにくらませていた。
入れ違いに
「遅れちゃいましたすみませーん! ところで今東堂さんが
『巻ちゃん!呪われてしまったのか巻ちゃん!!猫化してもオレの思いは変わらんよ安心してくれ、今駆けつけよう!!その呪いを解けるのはオレの愛だな、わかっている!』
…とか言いながら、リドレーに乗って走ってきましたけど…何かありましたか?」
とにこやかな笑顔で、遅刻常連の一年レギュラーが部室へと入ってきた。

静まり返った部室内に、笑顔のまま真波は「どうかしました?」と首を傾げている。

「……あー巻チャン、聞こえたとおり……なんだケド………」
筒抜けどころではなかった、すでに音もなく東堂は千葉へと向っていた。
『にゃ…… し、仕方ニャいっショォ……荒北……巻き込んで悪かったニャ』
そう言って、通話は切れた。
しばし携帯を持ったまま固まっている荒北に、黒田が
「あの…誰か捕まえに行きますか?」と問う。
「……誰かこの時間差で、箱根の山を挟んで東堂追える自信がある奴いるかァ?」
「集団で追えば……なんとか……なりませんかね……」
「ついでにアイツに今、『巻ちゃん補正』かかってんぞ」

――あ、無理っすね

顔を一同見合わせ、諦めたように頷く。
とりあえず東堂が無断外泊にならぬよう、外出届を偽造しようと部員で一致団結を決めたが、東堂のロッカーにはきっちりすでにそれが記入され、貼り付けられていた。
おそるべし、森の忍者。

(こっちも他校と自転車部員が不祥事とか困るから、巻チャン マジ逃げて)

荒北がそう願っていた頃、巻島には一通のメールが届いていた。

『巻ちゃん巻ちゃん 猫になってしまったのだな 
でも安心してくれ 巻ちゃんはネコミミになってもさぞ愛らしいだろう
オレは巻ちゃんが人外になったとて、この気持ちは変わらんよ

むしろ巻ちゃんの身を守る為に、オレは世界から巻ちゃんを隔離したいほどだ
そうだ、巻ちゃん 猫耳の巻ちゃんにふさわしいだろう、美しい虹紅色の
エナメルの首輪を見つけたよ そちらに向う途中でオレの目に入ってきたのは
神が巻ちゃんの為に用意をしろと言っているに違いない

…今すぐこれを付けた巻ちゃんが見たい』

メール着信音を確認し、メールを開いた巻島は、そのまま硬直していた。
話を途中まで聞いた東堂は、罰ゲームではなく巻島が猫化したという結論に、なぜか達しているようだ。
「…ショォォ…にゃぁ……」
「…おい、巻島?」
田所が聞こえていたのは、巻島の言葉の内容のみだったが、どうやら雲行きが怪しいことは察せられた。

「田所っち!!オレは逃げるにゃッショ!」
律儀にもまだ、巻島は後尾に『にゃん』を続けている。

「……んで、東堂がここに乗り込んできて総北のあちこちで
『巻ちゃん!!オレだ巻ちゃん お前の永遠のライバルであり一生の親友東堂尽八だ!!
猫になったからと言ってオレはお前を離したりはせんよっ 見つけ出して見せるぞ巻ちゃんっ!』
…とか叫んだらどーすんだよ」
「………にゃ………」

東堂ならば、やりかねない。

先ほど届いたメールは
『今は小田原だ』という内容だった。
どうやらその辺りから、自転車ではなく、東堂は電車に乗ったらしい。
数分後に届いたのは、
『今、戸塚を過ぎた』というものだった。

『今、横浜』
『西大井を出た』
『東京駅だ』
数分単位で、近づいてくる、リアルメリーさんメール。
逃げても泥沼、留まっても絶望的状況。

「田所っち……オレ、どうすればいいニャッショォ……」
「一番マシな手段…は素直に状況話して、わざわざこっちに来させたのを詫びれば…まあ、来いとか俺らがいった訳じゃねえんだから、怒りはしねえだろ」
「東堂にメールして、家で待ってるって……連絡するショ…にゃん 万が一こっちにメール前に来たら、そう伝えて欲しい……にゃ」
「…東堂がお前のメールに気がつかないなんて、まずありえねえから、安心しろ」
「…ニャ…ショォ」

田所はどこまでも、まともな人間であるので、まともな反応しか想像がつかなかったのは、当然だ。

きっと田所は、連絡を取って家に呼び、事実を話して詫びた巻島が、あくまでも笑顔な東堂に

「ほう、そんなくだらない意地で人前でそんなに愛らしい姿を巻ちゃんは披露したと?」
「しかも、だ 何故オレではなく荒北に電話をしたのか…オレには知る権利があるな 野獣相手に『○○にゃん』などというのは、誘ってでもいたのか」
「そうそう、送ったメールに返事はなかったな 拒否をしなかったというのは、これはオレの思いが籠った首輪を受け入れてくれるという事だろう?」

と寝台の上で、じわじわと責められることになるとは、想像だにしていなかったに違いない。

「なあ金城、…巻島ってよぉ…アイツ、自分をしっかりしてるとか思い込んでねえか?」
「確実に思っているさ しかも変に決断力と実行力があるから、やっかいだ」
総北友人であり保護者でもある二人は、友人の身を案じつつ、そのやっかいが少しでも解消できるようになればいいなと東堂の活躍を、心の中で期待していた。
彼らの中では東堂はまだ、明朗快活でライバル校の人間でありながら、巻島に爽やかに接する、いい友人なのだろうという位置づけだった。

実際は期待を過剰にオーバーした東堂の行動で、「にゃ…ッショ…」と涙声で喋ることしかできなくなってしまった巻島が、引きこもり寸前になってしまうという事態が起きるのだが、
この時点では、他の者はそんな事を知る余地はなかった。



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オマケ

全力で家に帰宅した巻島は、まだネコミミと尻尾をつけたままだった。
東堂が『巻ちゃんが猫化した!』と誤解をして箱学を飛び出したと言うのであれば、目の前でこの尻尾や耳を外せば、正気に返るだろうと思ったのだ。

幸い家人はみな外出しており、家の中での行動に差しさわりがない。
あとは東堂をどう言いくるめるか、考慮中にインターホンが鳴った。
どう計算しても、まだこの時間に到着できるはずがない。…できるはずがない、のに東堂はそこにいた。

ここまで来た東堂を、さすがにそのまま帰しては後々まで色々言われるだろうと、玄関を開ければ、東堂は目を瞠って巻島を凝視していた。
輪行袋も持たぬでいるのは、自転車はどこかに預けてきたという事だろう。
分解する時間も惜しかったから、信頼できる馴染みの店に頼んでおいてきたと言われ、巻島は流石に申し訳なく思う。

「あの…な、東堂 心配して来てくれたのは嬉しいにゃ…ショ」
ついつい「にゃ」と語尾につけてしまったのは、言い訳ばかりを考えていて、頭を切り替えられていなかったからだ。
フゥと大きく息を吐いた東堂は、
「愛らしすぎるのも……罪なものだ……」と苦笑するように口端を上げ、巻島の頬から首へのラインを、ゆっくりと掌で辿った。
「ひゃっ…!」
外気に晒され、冷え切った東堂の手が首筋を撫でてきたのに、反射的に巻島は身を竦ませる。
だがその反応は、東堂の行いをとめるどころか、誘うものでしかなかった。

首を愛撫している手とは反対の腕が伸び、巻島の腰を抱き寄せる。
唇を重ねられそうになった瞬間、巻島は東堂の顔面に手を当て押し返した。
「落ち着くにゃっショォォォォ!!!」
「巻ちゃん オレはこれ以上はないほど落ち着いている 猫になってしまった巻ちゃんをいかにオレは守り、オレのものであると世界に知らしめるべきかを考えるほどにな」
「それのどこが冷静な人間の思考回路にゃっ!!!!前提からしておかしいにゃッショォォ!!」

がっちりと力強く抱きしめた東堂を、引き剥がすことは諦めて巻島はその場で、ネコミミと尻尾を外した。
そしてようやく、いまだ自分が「にゃ」と語尾につけていたと気づき、頬を紅潮させる。
「だから……話を…… あっ…や……っ……!」
巻島の言葉が途絶えたのは、東堂の硬くなった掌が、腰骨の上辺りの皮膚を、じかに触れたからだ。

他人に触られることなどめったにない箇所だけに、敏感な巻島の体がびくりと跳ね、すがるように東堂に身を預けてしまった。
「あ…離し……ふ…っ」
「巻ちゃん…なんだ尻尾は偽ものだったのか」
そういいながらも東堂は、動かす指を止める気配がない。
背骨をたどるように触れたかと思えば、下肢の際どい箇所へも指を伸ばし、巻島を翻弄する。

がくりと倒れ掛かりそうになる膝を、東堂に支えられ、巻島は必死で説明をした。
「だめっ…とう…どぉ  っ……やあっ…」
東堂の醒めたような、それでいて巻島の一挙一動を見逃すまいと凝視するその目線すら、巻島の羞恥を煽る。
田所と賭けをしたこと、負けたほうが相手の好みである姿をすること、…東堂には恥ずかしくて見られたくなくて、携帯に履歴が残っていた荒北に電話をしたことまで、余さず
吐くまで、東堂は弄るように巻島の全身をまさぐり続けた。

「も、…もう…全部…言ったショ……離し……だめっ…やっ…ぁ」
呼吸を乱し、涙目で縋る巻島の放つ艶やかさは、東堂の嗜虐心を掻き立てるだけだと、当人は気がついていない。
いつのまにか胸元ははだけられ、東堂の背後から伸びた指が巻島の薄紅色した乳首を捏ねて勃たせ、強く摘みあげた。
「結局 まとめると…巻ちゃんは田所くんの好みの格好を、本人の目の前でしてみせたという事だな」
「あっ……東堂、痛い……痛いショ……やっ……」
「当然だ おしおきとして痛くしているのだからな…巻ちゃんは、オレが嫉妬しないと思っているのか?」
ただでさえ、色気を振りまいているくせにと、東堂は難癖を付けるみたいに言って、首筋を噛む。
「いたっ…」
「ああそれとも、嫉妬して欲しくて こうして…オレの所有印を残してもらいたくて迂闊なことばかりしているのか?…かわいいな…だが、許せんよ」

笑わぬ目で、東堂が紅い首輪を差し出した。
メールで伝えてきたそれは、連絡してきたように紅が主体でありながら玉虫色の光沢を持つ、不思議な色合いをしていた。

「幸いご家族は不在のようだな、巻ちゃん…今日はオレの可愛い飼い猫になってもらおう」

耳元で低く囁く東堂に、巻島は抗うすべを持たず、潤ませた瞳でただ呆然と、東堂を見上げている。