【東巻】じゃれあいと振り回される人



荒北靖友と、巻島裕介は他者がいて数回あった事があるという程度の知り合いだ。
いや交友関係のごく限られている巻島にとっては、知り合いよりは少し上で、友人とまではいかないといった程度の関係と言っていいかもしれない。
少し攻撃的な面もあったが、会話をしてみると面倒見がよく、口の悪さは相殺されるほどさりげない気配りをしてくれる。

東堂とて巻島に対する気配りは相当なものだが、悪意として捕らえるのではなくとも、どことなく押し付けがましいといった雰囲気があり、ありがたいが一歩引いてしまう。
それに対し荒北の親切は、後で気がつくといったものが多く、それを恩に着せることもない。
むしろ謝罪やお礼を改めてすれば、面倒だと言う顔をされてしまうことが多い。
友人や他者との交流に疎い巻島にしてみれば、荒北は居心地の良い相手だった

その荒北が、「頼む、悪ィ」と一言呟いて、両手を合わせて自分を拝んでいる。

東堂に秘密でと呼び出されたファミレスに来るまで、巻島は何か因縁をつけられるのだろうかと、密かに案じていたが、荒北の様子はそういった雰囲気ではない。
むしろ日頃の自分のように、なにごとかを言い出したいが、言い出せぬといったのを察し、巻島は黙って荒北が口を開くのを待っていた。
何度か逡巡していた様子の荒北が、巻島が特に動きを取らぬと察したように、ようやく顔を上げた。

「あのさァ…巻チャン すげェ言いにくいんだけど…オレの恋人のフリしてくんねェ?」
「…へ?」
チーズケーキを食べていた巻島の手が、ぴたりと止まる。
(恋人?こいびと…濃い人……鯉人… やっぱり恋人って意味か?)
咄嗟に意味の取れなかった巻島が、頭の中で複雑な思考を辿っていると、荒北はそれを困惑と捉えたのだろう。
ふぅと大きく吐息をついて、その状況を語りだした。

先日行われたタイムレースで、福富と荒北が二人で出向いたときに、きっかけは起きたのだと荒北は言う。
荒北が不在の際に、福富が他校の生徒に因縁でもつけるように言葉尻を掴まえては、色々と言われており、遠目でそれを確認した荒北は眉を吊り上げた。
どうせまた、口数の少ない福富が聞き流すのをいいことに、くだらぬ言いがかりをつけているのだろう。
そう思い、荒北は足を速める。
ようやく耳に届いたのは
「…お前マジで箱学主将?オレらだって違うって解るぜ 噂でも有名だしな」
という言葉だった。

前後の事情がつかめぬが、福富ほど箱学主将にふさわしいものなど、いるはずがない。
ふざけるなと大股に歩み寄ってきた荒北に、一瞬福富と言葉を交わしていた相手はひるんだものの、それでも譲れないと言った顔で向き直った。
「荒北、お前が噂の巻ちゃんとつきあってるって嘘だろ?」
「ハァァァ?」
「福富は『巻ちゃん』が東堂じゃなくて、お前の大事な相手だとか言ってるけど…ねえよなあ?」

当然だと答えようとした荒北の動きが、ピタリと止まった。
カンに優れている荒北には、おおよその状況の流れが読み取れたからだ。
おそらく、こんな所だろう。
他校の生徒が噂をしていたのは、『巻ちゃん』のことだ。

巻島裕介はその外見と、独特な走りから多くの者に認識されているクライマーである。
そしてその巻島を『巻ちゃん』と呼んで、自分たちの仲の良さをアピールするとばかりに、つきまとって離れないのが東堂だった。
全国クラスの規模で、有名な二人。
かたや寡黙でかたや雄弁、かたや模範としたいようなスタイルに、もう一方は誰も真似できぬ独特な形。
なにもかもが正反対で、ライバルと公言しながらも、東堂は自分と巻島は運命的な結びつきだと言って憚らない。
巻島は大抵、困ったような顔で東堂のなすがままだが、いったい実情はどういった関係なのかと、他者としては探りを入れたくなったのだろう。

『【巻ちゃん】と、箱学とはどういった関係なのか』と。
それを福富は、こう捉えたのだ。
『【アキちゃん】と箱学の関係は』
そしてその返答として、…荒北の大事な者だとでも答えてしまった。
以前、自分のメアドがbepsiakicyan@×××.comだったのを見た福富に、聞かれた際、気恥ずかしくて適当に答えたのがまずかった。
実家で飼ってるペットを、可愛いからという理由でメールアドレスに使用しているとは、どうにも言いがたく、家族の一員だと答えた記憶がある。
そこで福富は、相手の質問にそのまま答え、巻ちゃん=東堂の名前が出てくると予測していた相手に、嘘をつくなと言われていたのだ。

このまま否定をすれば、まるで福富がでたらめを言ったみたいになる。
そう判断した荒北は、咄嗟に叫んでしまったのだ。
「おぉそうだヨ!オレは巻チャンを可愛がってンヨ!!」
野獣と呼ばれる男の、猛叫に他校生は一歩引いたが、そこで終わらせてはくれなかった。
荒北と巻ちゃんが、そういう仲だと証明して見せろと言ってきたのだ。

「……荒北……お前、莫迦ショ」
「言うな……反省してる……」

思わずバカ呼ばわりをしてしまったが、大事な相手を庇いたいとの、その気持ちは巻島にも伝わった。
福富を莫迦にされ、しかも原因は己にあり、主将なのに部員の事を把握していないとまで言われれば、噛み付きたくもなるに違いない。
それで自分に恋人のフリをしてくれというのは、次のレース辺りで、確認させろとでも言われたのだろう。
普段であれば、巻島と荒北が一緒に行動をしておらずとも、巻島はクライムレースの方に出ていると言えば、通用する。

ならば一度だし、協力をしてもいいだろうと、巻島は了承した。

頷かれたのはいいが、荒北は言いづらそうに
「マジで…いいのかヨ?」と再度尋ねる。
「クハッ…お前が言い出しといて、何だよソレ」
「いや…オレとしちゃマジありがてェけどよ、東堂とかが気にするんじゃねえノ?確認とかいいのかよ」
「確認って、何をショ?」

きょとんとした巻島は、わざと知らぬフリをしているのでも、隠しているのもないように見える。
毒虫のような攻撃的な色を好みながら、内向的な巻島は嘘や隠し事といったものが、苦手でとぼけているようでもない。
「オレと恋人とか言われたら、東堂になんか言われねェ?」
「あー確かに、オレに内緒で箱学のヤツと付き合うとは何事かとか言いそうショ〜」
んーとしばらく考えて、巻島から出た言葉は、まったくの他人事だ。

「巻チャンさ…東堂とつきあってるとか、オレ思ってたんだけド」
「え……えっ!?オ、オレそんなに東堂が好きって顔してないショ!?べべべ、別に片思いぐらいなら迷惑かけない…し……」
それとも、やっぱり気持ち悪いかと、尻すぼみに小さくなっていく巻島の言葉尻に、荒北が目を瞠った。
「東堂は、巻チャンにべた惚れだよナ?」
「そんな訳ないショ…荒北も、意地悪ィな オレと東堂は、ただの…ライバルショ…」

少し寂しそうに笑う巻島に、荒北は眩暈がした。
あれだけ人前で好きアピールをされ、独占欲を丸出しにしている東堂を見ているのに、巻島はあの言葉をそのままにしか捉えていなかった。
しかしここで、自分が余計なことを入っては更にややこしくなってしまう。

――頼みごとが終了したら、東堂に隠れて頼みごとした分もあわせて、まとめてやるからヨ

そう思い黙した荒北は
「ありがとナ」と小さく頭を下げた。
オレもお前に色々、世話になってるからなと微笑む巻島の笑顔は自然で、どこか可愛く感じた。

「なあ尽八…このところ靖友の様子が変なんだ」
片時も話さぬと噂されている、パワーバーを咥えていない新開というのは珍しい。
そして新開は基本、自分でものごとを解決するのであまり他者に頼らない。
それが東堂の部屋を訪れていると言うのは珍しく、同時に東堂が気を許している相手だと示していた。
だが、相談をもちかけようとした東堂も、同じように思っていたらしい。
「お前もか…実は巻ちゃんの様子がどうも不審でな」

こう返した東堂は、先週荒北と巻島がとあるファミレスで二人きりで会っていたという、情報を耳にしていた。

まさかそんな筈はない、自分を介してならともかくと、その場では笑い飛ばしたが、心にひっかかったのは事実だ。
次のレースの調整の為にと、携帯を鳴らしがてら、軽い調子で尋ねるとしどろもどろだったのが、気にかかる。
しかも先々週には出ると言っていた、クライムレースの出場を取りやめたと言う。

なぜかと尋ねてみれば
「その日は荒北と……あ、ちがっ……えっと…あ、あーら来たっ!て驚かれるほど、びっくりする走法を研究中ショ!」
と別の意味で驚くほど、ずさんな言い訳をされた。
そんな嘘も可愛いが、その言い訳はない。
東堂が呆れが混じった声で
「巻ちゃん……」と名前だけを呼べば、小さく「ショォ…」と呟く声が聞こえた。
受話器越しに、おろおろとしている巻島の様子が浮かび、それはそれで心を騒がすものがあったが、荒北の名前が発端だというのは、東堂の気に食わなかった。

「オレの方は靖友が来週一人で出るって言うレースに、一緒に申し込んでみようかなって言ったんだけど」
何故だか強い勢いで、ダメだと否定されたのだと、新開は言った。
理由を尋ねてみても、ひどく曖昧でしまいには、口を噤んでしまう。
怒鳴り返すでなく、理由も明白にしないというその態度は、荒北らしくなかった。
「とにかく来るなの一点張りでね」

ファミレスで会っていたという、荒北と巻島。
来週のレースについて問い詰めても、曖昧な言葉しか言わぬ二人。
どう考えても、この二つは結びついており、なにやら、自分たちには言えぬことを画策しているとしか思えない。
ならばレースに出るのではなく、応援と言う名目で現地に赴くかと、東堂と新開は計画を立てることにした。

***

幸いと言うか、あいにくというか、当日の天気は雲ひとつない晴天だった。
巻島が周囲をきょときょとと見回せば
「巻チャン コッチィ!」と荒北が、手を振った。
クライムレースでは、名前も顔も知られた巻島ではあるが、平坦な道を走るスプリントレースでは、総北の一員といった程度の知名度だ。
それでもその緑の髪は、どの学校にも印象に残るのだろう。
クライマーの巻島が何故ここに?という視線や、まだ大会経験のない一年生たちに好奇の目を寄せられ、居心地悪く感じていたので、
荒北の呼びかけに反射的に微笑んでいた。

そして、その巻島にもっとも熱い視線を送っているのが、競技組合使用のテント奥から、二人を見守る東堂だった。
いや見守ると言うのは、あまりにも物騒な視線に、思わず新開が落ち着けよと声をかけてしまうほどだ。
「やっぱり…靖友は裕介くんと待ち合わせをしていたみたいだね」
離れているので、先ほどの叫び以降の会話は、通常ボリュームで交わされているのか、聞こえてこない。

だが巻島は名前呼ばれて、安心したように微笑み、小走りで荒北の方へと向ったのだ。
それだけでも、十分に罪深いと、東堂が不穏に呟く。
東堂を抑えていた新開だったが、荒北がさりげなく巻島の肩へと腕を回したのを見て、同じように目つきを変えた。
――イケメン二人、怖い。

さりげなく視線を送っていた女性たちが、思わず退いてしまいそうなほど、東堂と新開が放つオーラは淀んでいた。

「あー…今日は、よっしく」
「ん、で…恋人のふりってどうするショ?」
巻島に問われ、絡んできた相手たちに自分たちが恋人だと告げれば、話は終了だろうと思っていた荒北は、あらためて考える。
「…確かに、いきなり二人して現れて オレ達恋人ですって…ねえよナァ」
「ショ」
二人とも女心がわからぬタイプで、さらに恋愛関係に疎い自信はあり、恋人同士の作法や動きと言ったものがわからない。

「とりあえず、手を繋ぐ?」
「そだな」
そっと重ねた指を互いに絡ませれば、なにやらくすぐったい気持ちになる。
いわゆる恋人つなぎと呼ばれる、指股を交互に絡ませた手つなぎをして、顔を見合わせた後、同時に笑った。

「クハッ……」
「ねえよナァ?」
「ないッショ」
クスクスと楽しそうに、細長い指同士を外し、向かい合ってグーパーを繰り返す。
他意はなく、指の運動のつもりだったが、それはなにやら微笑ましい光景だった。

「くっ……可愛い……」
「靖友だって、負けてない」
「いや巻ちゃんの愛らしさには敵うまい」
「靖友が普段の表情を捨て、あの顔なんだ 珍しいだろ」
許しがたいと思いながらも、東堂と新開は、二人の様子に顔が綻ぶのを抑えるのに必死だった。
互いに自分の思い人の方がかわいいと、意味もない争いをしているうちに、また荒北達が動いた。

「手ェつなぐのが照れくせェなら…腰抱くとか?」
「それは変ショォ 普通の恋人でも昼日中からそうそうやってねえヨ」
そういいながら、悪戯げに笑い巻島が荒北の腰に手を回した。
「ちょっ…逆じゃねえ?」
「え オレが抱かれんの?」
どうやら互いに、自分が『男』役だと思っていたらしい巻島と荒北は、譲らぬとばかりに目を見詰め合う。

「……なにやら抱くとかいう単語が聞こえた気がする……おのれ荒北め…よもや巻ちゃんに不埒な真似を…」
「尽八、すごいな これだけ距離が離れているのに」
「巻ちゃんの事だからな!」
理由にならぬ理由を述べ、胸を張る巻島の心境はともかく、荒北は口を開いた。

「オレ 178cm 63kg」
「…176cm 62kgショ」
とっさにガッツポーズを取った荒北は、よっしゃオレの方が背ェ高ぇと勝利を確信しているようだ。
しかし負けじと巻島は、身長差が2cmあるのに、体重は1kgしか差がない、これは自分の方が肉付きがいいからだと言いかけ、やめた。

「…互いにさ、肉について話題にするのはやめねェ?」
言葉にしなくても、荒北も巻島の言いたいことに気が付いたのだろう。
荒北も巻島も、自転車強豪高校でレギュラーをはれる実力を持ち、中でも全国クラスの選手であるが、その肢体は「ひょろ長い」と評されるものだった。
「…にしてもオレと巻ちゃん1kg差?マジでか」
そういいながら荒北は、巻島の両脇から腰に掛けたラインに、掌を添わせた。

「こんなに薄くて細ッセェのに…盛ってねえか」
「こんなところで見得張ってもしょうがねえショ 荒北の方こそオレより厚いとか思ってたけど細いショ」
巻島は手足が長い分、おそらく体重がそちらに加算されている。
公平に見る限り、胴や足が細いのは巻島の方だった。

納得できぬとばかりに、荒北が今度は腰から腿にかけてのラインを、指でたどった。
「ひゃっ…くすぐったいショ」
「あ、悪ィ やっぱ薄いよなァ…なのにあの東堂に負けねえってのがすげぇワ」
「荒北こそ、ガンガンに引いてく運び屋なのにこんな細身だからすげぇよ」
日頃なら、自分の細い体は競技の面から言えば、最適な肉のつき具合だと思っていても多少のコンプレックスは残る。
しかしお互いがお互いを細い細いと言い合うのは、なんだかジャレあいに似ていた。

互いに褒めあうような、微妙な空気になり、あまり笑わぬ二人が、不器用な笑顔で口端を上げる。
「…やっぱ巻チャンのほうがほっせ!」
荒北が巻島も腰から背中へのラインを、掌でたどる。
「ひゃっ!? …あ、荒北だって細いっショ!」
巻島も負けじと、荒北の腰を両手で掴み、口端を上げた。

しゃがみこんだ東堂の位置から、冷気とも暗雲とも付かぬ空気が漂い、新開はあえて見ないフリをした。
しかし見ないでいても、状況は変わることはない。
「……よし、ちょっと荒北をころ」「いやいやいや、待て落ち着け尽八」
物騒極まりない殺意溢れる単語を口にされる前に、新開が東堂の肩を押しとどめた。

「見方を変えて見るといいぜ?あれは色気がともなわない、女の子同士の触りあいみたいなもんだ」
そう思えば、可愛いものじゃないかと言う新開は、あの二人の空気に微妙なものはないと察したのだろう。
すでに余裕を持って、戯れる猫をみるかのように、和んでいる。
「あんな肉付きの悪い女性がいるものか」
「…おめさん、それ裕介くんも含めての発言か?」
「バカを言うな!巻ちゃんはあくまでスレンダーと呼ぶんだ!!」
普段であれば、東堂の言動はどちらかというと論理的なのだが、巻島がからむと滅茶苦茶になる。
通常の感覚であれば「違いを教えて」と、一言尋ねたくなるが、おおらかな新開は「へえ」の簡単な返事で受け止めてしまった。

箱根の鬼…おそるべし包容力と言いたいが、これは単に巻島とは違うベクトルでの、一種の壁だった。
声にも顔にも出さないが、本人も無意識な奥底まで追いかけたら一言「めんどくさそうだから、関わらないでおこう」に要約される。
新開自身が気づいていないその本音を、察せられるのはカンに優れた荒北ぐらいなものだ。

「…色気がないというのであれば、巻ちゃんと荒北の接点と言うのはどこにあるんだ」
「オレに聞かれても」
まだ目つきは、暗殺者レベルに鋭いが、とりあえず飛び出すのをやめた東堂に、新開は肩を竦める。
だいたい、巻島がスプリントレースに出ているなど、学校チーム戦でもない限り、見かけたことはないのだから会話だってない。
巻島と荒北は、本気で内密にしようと思ったことを、問い詰められたからといって、ぽろりと洩らしてしまうタイプではない。
むしろ内へ内へと鍵をかけてしまうので、迂闊に乗り込むのは、上策とはいえなかった。

イライラという言葉が、まさにふさわしい雰囲気でいる東堂と、もやもや感は収まったものの、巻島と荒北と言う謎の二人組の行動が読めず、
見守る新開の二人の前に、ようやく第三・第四の人物たちが登場した。

「…え、マジ?巻島来てんの」
「ホラあっち 荒北の横」
巻島、荒北の名前が他者に呼ばれたことで、東堂たちはそちらへと顔を向けた。

荒北と巻島に声を掛けると言うより、少し驚きを含んだ呟きは、東堂たちのすぐ傍から聞こえてきている。
レース前のすぐ近くに、名前と顔の知れた東堂と新開が横にいることに、まだ気が付いていないようだ。
視線は、なにやらキャッキャうふふと戯れている巻島たちに向けられ、驚いたような顔で見ている。
「…ありゃ本心から楽しそうだよなあ…」
巻島が演技をしているようではないと、男の一人が呟けば、もう一人も
「普通に仲、良さそうじゃね?」と返す。

一度収まった東堂の冷気が、再び漂い始めているのを、新開は気が付かないフリをした。
だがその冷気は、男の一人の
「…でもよォぜってぇ巻島って 東堂の方が仲いいって思ってたんだけどな〜」
の言葉で途端、春の陽気なみに暖かくなった。

「フ…聞いたか新開! 巻ちゃんと仲がいいのは…オレだ!」
「はいはい、良かったな」
扱いやすいのだか扱いにくいのだか、いまいち不明な東堂だが、新開のスルー力はそれ以上だった。
もう少し詳しく聞いてみようと、耳をそばだてる。
「っかしいなァ だってよ東堂この前のレースでもシード枠でスタート中央を貰えるのに、ほとんど一番乗りでそこキープしてたんだぜ?」
「マジでか」
「んで、周りの奴らとか大会運営者とかまでが 別にゆっくりでもよくね?って言ったら隣の巻ちゃんの位置を確保するためだとか言っててよ」

新開の隣から『おい貴様 軽々しく巻ちゃんと呼ぶな』という、呪詛に似た声が聞こえた気がするが、とりあえず無視する。
「…巻島のスタート位置をキープするために早く来てたってことか?」
「そうらしい 巻島も最近有名だけど、運営側はあの髪のせいか、積極的に認めたくねえみたいだからな」
大人の都合とまでは言わぬが、高校生らしい優勝者と、らしくない優勝者――スポーツ体育会系の運営として、歓迎したいのは前者だ。
そのため東堂はあえて朝一に会場に訪れ、譲ってもらうのではなく、あらかじめ場所を取ると言う方法で、平等に扱えとさりげなく抗議をしていたのだろう。

「おめさん、そんな事までしてたのか」
「…巻ちゃんとは同じ条件で、正々堂々と戦いからな!」
日頃傲慢と言えるほど、自分の視界に入らぬ他者を切り捨てる東堂の、予想外の健気さに新開は微笑む。
ぽんっと軽く頭を撫でるようにすれば、東堂は不思議な顔をしていた。

「福富に謝んなくちゃな」
この一言でようやく荒北に繋がったと、東堂は耳をさらに澄ませた。
「巻ちゃん…マジ荒北の大切な奴だったんだなあ」

「なるほど…そういうことか」
納得をしたという東堂に、新開はいまだ顔に疑問符を浮かべたままだ。
どういうことだと尋ねられる前に、東堂は一言、聞き間違いだと答えた。
「おそらくフクは箱学と巻ちゃんの関係を聞かれた際に『荒北とアキちゃん』について聞かれたと思ったのだろう」
「…なるほど、ね」
そうなれば、あとの経緯は察せられる。

他校選手は東堂と巻島が、なにやら仲がいいだろうと聞いてみたのに、かえってきたのは荒北の大事な相手が『巻ちゃん』だというものだった。
アキちゃんと巻ちゃん、両方の存在を知っていても、響きがよく似ているのでうっかりすれば、間違えそうだ。

『荒北とアキちゃんが仲が良い』と答える福富。
『荒北と巻ちゃんが?』と捉えた他校の選手。

それはおかしくないかと、あらためて問い詰めているところに荒北が現れ、ノリと勢いで叫んでしまったに違いない。
『おおよっ 巻チャンはオレの大事な相手だっ!』
「…想像つくだろう?」
「つくな」

ならば話は簡単だ、と東堂は立ち上がり、新開がとめる間もなく
「巻ちゃーーーーんっ!」と、その薄い背中にとびついていった。

「ととと、東堂!?」
今日はいない筈だと、完全に油断をしていた巻島が慌てて振り返ろうとしても、背中からの完全ホールドで、それは叶わなかった。
普段であれば面倒だと、そのまま放置するところだが、今日は違う。
今の自分は荒北の恋人役なのだ、と目線で縋るように、荒北を見れば、荒北も固まっていた。

荒北の視線の向こうには、先日言い合いになった二人が、新開の携帯を眺め楽しそうに会話をしながら、こちらに近づいてきていた。
「お、荒北…悪ぃ悪い 福富の聞き間違いもあるけど、俺等の呼び方もまぎらわしかったよな 巻ちゃんじゃなくて巻島って言えばよかったよ」
すこしニマニマとした様子に、荒北は不穏に目を細めて、相手を見返す。

「福富も…大事な相手とか紛らわしいよな 素直に犬って言ってくれたらいいのによ」
「意外だよなあ 犬とか猫相手に微笑んでる荒北ってさ」

「…アァ?」
なぜこうもあっさり話が通じてるのだと、新開を見れば、新開はあっさりとオレが話したよと笑う。
ついでに猫と戯れているおめさんの、写メもオマケでな、とウィンク付だ。
荒北の鋭い視線を受け、他校の二人はたじろくが、新開はまるで動じることがない。
「寿一はたぶん、アキちゃんについて聞かれたと思ったんだろ?だからアキちゃんは靖友の大事な可愛がってる犬だよって」

「犬好きに悪い奴はいないよな」
「なあ俺んちの柴もかわいいぜ?」
どうやらこの二人も、動物が好きだったようだ。
うるせェと叫ぶべきか、自分ではかえってややこしくしてしまった状況を、あっという間に解決してくれてありがとうよと言うべきか。
迷う荒北を尻目に、他校選手は今度犬の写真見せ合いしようぜと、爽やかに去っていった。

さて残るのは、もう一方のやっかいごとだ。
自分が絡まれるより、なんか心臓に悪ィと、荒北はこっそり背後の様子を伺う。
真剣な東堂の声は、どこか不穏で、巻島は心細げに眉を顰めていた。
「なあ巻ちゃん 荒北に恋人役を頼まれたのか?」
「…ショ…」
「ほう それで普段人付き合いが苦手だとか、友人は少ないとか言っておきながら安易にそんな重大な役を引き受けるのか」
「いや…でも…荒北も…困ってたショ……」
「ふむ、巻ちゃんはそれでオレに相談するより、荒北の恋人という立場を選んだのかと聞いているのだが」

ネチネチとしたいい振りは、日頃の東堂らしくない。
聞いている荒北が、声を荒げて言いたいことがあったらオレに言えと、乱入しそうになるが、それを押しとどめたのは新開だった。
「靖友… あそこに割って入るともっと面倒なことになるぞ」
「あ?面倒?」
「まだ今はオレ達が見ているからいいけどな、あっちが二人きりで話すとかいって、別の場所に行かれたら…どうする?」
東堂は二人きりになるためなら、一旦怒りを納めたフリぐらい平気でできる。

「……それは……巻チャンがかわいそすぎんダロ……」
「だろ? だから…最悪になるまでここで見守っていよう」
自分が巻き込んだのに、巻島が責められているのを見るのは、荒北には心苦しかった。
実はこっそり、自分に内緒で話を運ぼうとしていた荒北に、新開も腹を立てていたささやかな意趣返しであるとは、気が付いていない。
新開の発言は、真実でもあったからだ。
東堂は巻島の前では、よくも悪くも人格が変わり、周囲を容易に欺くだろう。

「べ、別に荒北だからじゃねえショ …困ってたし…」
きゅっと眉根を寄せて、いつも以上に泣きそうな表情の巻島。
だが東堂はほだされる様子もなく、ますます切れ長の目尻を吊り上げた。
「ホォ… 巻ちゃんは困っている相手に恋人のフリを頼まれたら、誰でも助けてやると」
「ち、ちがっ……」
「違わんよ」

言いたいことがいろいろあるのに、伝えられない。
懸命に涙が溢れようとするのをこらえ、巻島は
「と、東堂の友達が……困ってたから……オレ……」と言って、あとは俯いた。
だが、それで充分だった。

「巻ちゃんッ!!!」
耳元近くで叫ばれ、気づけば東堂は巻島の腕の中にいた。
「なんて健気なんだ…オレの…俺の友人だからと言う理由で、あんな野獣のために…」
「あ、荒北は優しいショ?」
「ああ巻ちゃん……いかんよ そんなに優しいから、流されてしまうのだな……!」

今の巻チャンなら何を言われても受け止めるが、て前ェ相手だったらいつでも殴っぞという声が後ろで流れている。
もちろん、今の東堂にそんな雑音が耳に入る余地はなく、ひたすら巻ちゃん巻ちゃんと、腕に収まる相手を愛でていた。

「安心してくれ巻ちゃん オレはたった今決意した」
「ショ?」
「オレは巻ちゃんを守る為に、周囲に恋人宣言をして、いついかなる時も巻ちゃんを見守っていよう!」
「ショォォォォォォ!?」
「そう…でなければ優しい巻ちゃんが、いつその無垢な心を荒らされてしまうかわからんからな」
「え? ちょっと待ってくれ お前何言って…」
「今回はまだ荒北でよかった …もしオレの知らぬ相手だったら……」
無言の東堂が、少し怖い。

「あの…東堂…」
「そうだ、巻ちゃんレースのキャンセル手続きをしてこようか スプリントに出ても、面白くないだろう? それよりもオレと一緒にいたいはずだ」
「いや…あのな、東堂 一緒にいようとか、いたいはずだとか…意味わかんねえショ」
「む?…そうか 大事なことを伝え忘れていたな 巻ちゃん好きだ」
「…………は?」
「オレとしたことが、態度だけで伝えたつもりになっていた 巻ちゃん大好きだ」
「え」
「…フ…とぼけたふりをして、オレの言葉をそんなに聞きたいのだな?いいだろうオレは声が枯れても言い続けてやるぞ 巻島裕介が好きだと!」
「ショォォォ!?」

巻島の両手をしっかりと包み、東堂が慈愛の微笑を浮かべ「ずっと一緒にいよう」という、意味がわからない。
困惑しきった巻島が、目線で荒北と新開に助けを求めるも、新開は「おめでとう」と拳銃を撃つようなポーズでウィンクをしており、荒北は頭を抱えてしゃがみこんでいた。

いいのだろうかと淡い期待を滲ませた巻島が、頬を上気させ、おそるおそるといった風情で唇を開いた。
「東堂…あの……本当か……?」
「当たり前だろう オレはライバルという立ち居地を誰にも譲りたくなくて、…言えなかった… だが気づいたのだよ!
ライバル兼親友であるのが可能ならばライバルで恋人で親友も可能だと!」
「…東堂………嬉…しい…ショ…」
「巻ちゃんっ…!」
手を伸ばした東堂は、周囲の目を気にする様子もなく、巻島を抱き締めていた。

――巻チャンそこで、喜んじゃダメェェェェェッ!
それヤバいから!!今でさえ鬼電の鬼メールの、ストーカー呼ばわりされてる相手に、公認のお墨付き与えるようなもんだから!!
荒北の無言の訴えも、あの二人の世界には届きそうにない。

東堂にレースを棄権させられた巻島は、代走者として新開を出し、運営側もレース費用は巻島名義で払い込まれているし、特例として箱学の生徒ならと認めてくれた。
「じゃあ靖友、オレのアシストを頼んでもいいかな」
東堂と巻島を放置しておいて大丈夫なのかと、何度も目線をそちらに送っている荒北の肩を、新開が軽くこづいた。
「あーまあ…テメーにも、迷惑かけたみてェだからな」
「…それにしても、靖友は裕介くんに随分親切だな」
プラスマイナスと、逆方向ではあるが、対人関係が不得意な面が、二人はどこか似ているのかもしれない。
しかしそんな二人で、画策をするよりは、素直に自分を頼ってくれればいいのにという不満が、どこかに含まれてしまったのだろう。

ガリ、と無造作に頭を掻いた荒北は
「…弱味 見せたくねェ相手っつーのもいるんだヨ」と、そっぽを向いたまま呟く。
荒北にとって、そんな相手は山ほど存在しそうだが、そんな本音を言ってくれるのは、おそらく自分だけだ。
その言葉で満足した新開は、笑いながら「それでも関わらせてくれ」と、整備を始めた。

まだ呆然としたまま、ゴール付近で東堂の横にいた巻島は、帰り際になってようやく携帯に着信メッセージが届いていたことに気が付いた。

『……とりあえず、公認自称ストーカーを生んじまった責任として、なんとか抑える役はガンバっから…』

本当にすまねえという荒北の言葉は、自分に恋人役を申し込んできた時の、数倍真剣だった。
東堂の言葉をのみこみ、ようやくほわほわとした気分に浮上した巻島が
『むしろ荒北、キューピットったショ? オレからはお礼しかないショ』と返事をすれば、
「本気でっ!!悪かった!!!かわりにオレの在学中はアイツの動き、目ェ離さねェようにすっから!!巻チャンもちょっと自衛して!!」
とかえって強く、謝罪された。

荒北のメッセージは、巻島にとって謎で、やはり混乱させたが、巻島は幸せだから気にしないことにした。