【東巻】仮初デート


東堂尽八の携帯が、とある特定の音楽を流しだしたら、無言で周囲10m以内に居たものは距離を置く。
なぜならばその着信音は、とある人物特定のもので、すなわち1分後にはけたたましさが確実に約束をされているからだ。
今日も、また重みのあるリズムが鳴った。

「もしも〜し!巻ちゃん!?珍しいな巻ちゃんから電話をくれるなんて!」
その直前まで東堂の傍にいたものは、珍しいも何も、お前さっきから10分おきに自分から掛けていただろうと内心で思う。
いやしかし、10分おきの電話を10回繰り返して、ようやく一回が返ってくるのだから、珍しいというのも本当か。
毎回のそんなやり取りの後、聞くつもりはなくとも、周りに居れば自然と
(ああ今日の巻ちゃんはまたアイスを食べているのか)
(うるさい…だろうなあ… よくあのテンションに付き合っていられるものだ)
(そうか巻ちゃんは天パか)
と別段知りたくもない『巻ちゃん情報』が、脳内に蓄積されてしまう。

これ以上巻ちゃん情報はいらんぞと、食堂の席を立ちかけた東堂の向かいの席の男は、ふと足を止めた。
話し始めて1分もすれば、東堂のテンションは最高潮になっている。
なのに、今日の東堂は話せば話すほど眉間のシワが刻まれ、表情も険しくなっているのだ。

「納得できんよ」
「オレと確かにあえて口での約束はしていないかもしれない だが信頼でもって互いを待っているのはオレだけの勝手だというのか?」
「その日も、その日もオレと一緒に昇る日だろう?おかしいと指摘された……そんな奴は友達なんかじゃない」
「人との間に無碍に入ろうとする、図々しいやつなど巻ちゃんにはふさわしくないよ 新しい友達という名前に巻ちゃんは酔ってるのではないかね」

相手側の声は聞こえぬが、不機嫌な東堂の台詞からおおよその状況はつかめた。
巻ちゃんに新しい友人ができたが、遊ぼうと約束をしても、どの日も東堂との予定が入っているということだろう。
おそらく巻ちゃんは、連続に断るのに気が引け、東堂との約束をひとつ順延させてくれないかと、電話をしてきたのだ。
だがそれに対し、独占欲の強い彼氏(箱学自転車競技部内では、緘口令が敷かれており巻ちゃんの正体はいまだ謎で、
多くの生徒は東堂の彼女だと思っている)はすげなく断ったということか。
……大人気ないな。
そうは思っても、東堂の日頃の執着心から見れば、違和感はない行動だ。

日頃の巻ちゃん電話状態東堂にも、鬱陶しくて近づきたくないが、この無表情の東堂は凍りつきそうに怖い。
「オレはいやだ」
そう言って東堂は、会話を断ち切ってしまった。
電話の向こうの相手は、おそらく困りきっていることだろう。
顔も知らぬが、巻ちゃんがんばれ…!思わずそう思ってしまうほど、今の東堂に余裕は見えない。

触らぬ神になんとやら…、今日の食堂も、携帯を握る東堂の周囲に人がいなかったが、いつもと理由が違うと言うのは、その場に居た者たちだけが、知っている。

コンコンッと静かな室内に、ノック音がした。
さきほどの不機嫌をまだ引きずっている東堂だが、ノックをした主はそういった様子に頓着もなく部屋へと入る。
「…なんのようだ」
絶対零度の声にも、この男には効果がないようだ。
いつもと変わらぬウィンクで、
「ちょっと伝言を頼まれてね」と指で拳銃の形を造った。

良くも悪くも空気をあえて読まぬ新開には、八つ当たりにちかい苛立ちをぶつけるのも無様だろうと。
東堂は大きく吐息をつくと同時に、いつもの自分へと戻るべく、首を振った。
「伝言?」
「ああ、迅くんに」
じんくんとやらは、誰だと考えしばらくして、巻ちゃんの言う田所っちくんだと、東堂は気が付いた。

「裕介くんから、なにかややこしい話が来ていないかって言うんだけど?」
「……別に」
巻ちゃんとの話に、何故新開やら田所やらが関わってくるのかと思うと、収めたはずのイラつきが、また少しざわめき始めた。
「まあオレ達に係わらせたくないって言うならいいけどね でも事情を聞けば話してくれると思うんだけど」
人とのつきあいを無難にこなす新開は、気に入ったものには無理強いはしないがそれなり以上のフォローをしてくれる。
巻島との縁は浅いが、東堂と田所という二人の為に、あえて話を振ってくれているのだろう。

新開の気遣いも正直ありがたいし、巻島の言動も気にならないといえば嘘になる。
東堂は小さく礼を言い、田所の携帯番号へと指を動かした。
横にいる新開にも、礼儀として話が通じるようハンズフリーに設定をした。

『……あー東堂か?』
「そうだ 巻ちゃんとのことで何か話があると新開から聞いた」
『巻島からそっちに、妙な電話が行かなかったか』
妙…というのは、いきなり約束を延期してくれないかといわれたことだろうか。
思い当たる節といえば、それしかないので、東堂はそう答える。
『やっぱりなあ…お前に言えなかったか』
しょうがない奴だとばかり、電話越しの田所の吐息が聞こえた。

詳細を尋ねてみれば、オレの知る限りではと、田所は答えてくれた。
まず巻島が言っていた、新しい友達とやらがやっかいな存在だという事だ。
巻島裕介は、日頃から自分を卑下する傾向があり、あまり人に懐くことはない。
自分から壁を作る傾向もあるので、友人というのは限られているが、その内向的な様子と、頼りなげに寄せられた眉毛に、
庇護欲を駆り立てられる存在が一定数いるのだと田所は言った。

委員長タイプとやらが、ある種の使命感で巻島に構うのはいい。
それなりに会話をしてみれば、巻島自身が納得の上での行動だと、了承してそれを受け入れてほどよい距離感に戻ってくれるからだ。
やっかいなのは、思い込みが激しい、偶像を巻島に重ねるタイプだった。
物憂げな彼を、理解してやれるのは自分しかいない。
少し頼りなさそうな巻島を、庇ってやるのは自分だ。
稀に見せる笑顔は、思いもがけぬほど素直でキレイだ。
自分は巻島の上位に立ち、彼を守っているのだと身勝手に思い描き、告白をしてくる奴は何人かいた。

自分らしく振舞っているだけの巻島には、当然そんな思いを受け止めるつもりはなかった。
すると、大抵の奴は逆切れするのだ。
自分が見下していた相手に、裏切られたとでも言うように。
そして詰め寄る「オレ以外に誰か恋人でもいるのかよ!?」と。

「……なんだ、それは」
地を這うような東堂の声に、新開が少し目を瞠った。
『めんどくせェだろ?』

巻島裕介は、山神とも呼ばれる自分に張りあえる気概と、独特な美と、わかりにくい素直さとを併せ持つ、至高の存在だ。
それを理解しようともせず、巻島を好きなフリをして内心で貶めているという、顔の見えぬ相手に、東堂は自然顔をしかめていた。
『今付きまとわれているのも、そういった相手でよぉ…幸いタチは悪くねぇんだけど』
日中夕方朝方問わず電話をしてきて、週末の休みのたびに拘束をする【東堂】という相手は、おかしいと巻島に吹き込んでいるのだと、田所は言った。

眉間のシワがいっそう深くなり、東堂の拳の下にある机が、ミシリと音をたてた。

『あ、そう言ってるのはあくまでもソイツだけで、巻島はお前のことかばってるからな』
些細な一言で、東堂の不機嫌は急減したが、それでも面白くないことには代わりはない。
「それで、巻ちゃんが一度ぐらいソイツにつきあってやるかと、オレとの約束を断ろうとしたのか」
『んー……ソイツとつきあうって言うかなぁ…』

あまりに東堂という名前で埋まっているスケジュールに、男は【東堂】は巻島の恋人なのかと、尋ねたという。
言い訳もつくろいも面倒だと感じた巻島は、つい、頷いてしまったのだ。
これで解放されるだろうという程度の、軽い気持ちで。
だが友情という名前で近づいてきた男は、やっかいだった。
「ソイツが巻島に危険な人物でないか、見届けてやる」
と次の約束の日、東堂と巻島の待ち合わせにつきまとうという宣言をしてきたのだ。

弱りきった巻島が出した答えは、『とりあえずその日の約束は東堂の身代わりをたてて、なんとかごまかす』というものだった。
だが電話で延期を申し出ても、納得がいかないといわれればその通りで、巻島は頭を抱えているのを見かねた田所が電話をよこしたというのが真相だ。
『オレと金城は、いっそ事情全部話して、東堂に直接恋人のフリ頼めよって言ったんだけどよ』
「……言い出せなかったという訳か」

どうするッショォ…と、地蔵のようになっている巻島を想像し、東堂はようやく険しい表情を緩め、クスリと笑った。
「わざわざ電話をしてくれて、すまなかったな 巻ちゃんには事情は知った次の約束のプランを立てようと伝えてくれ」
『おおっウチのが悪ぃな』
今度こっち来るときあったら、パンをたらふくご馳走してやるから、連絡をくれと田所は言って、通話は切れた。

「…で?」
「で、とはなんだね」
「オレ達は一緒に行ったほうがいいのかなと思って」
オレ達というのは、事情を知っている自分と大方それに付き合わされる荒北だろう。
しばし考えた東堂は、巻島に付きまとう相手が変に逆上されてはやっかいだと、自分たちを見遣るつもりの相手を見張ってほしいと、頭を下げた。
もともと事情が事情だけに、田所も来るだろうから、気にしなくていいと新開は、心安く笑う。

その際に今回の電話取次ぎのお礼に、多くの惣菜パンをもらうと約束したから、気にするなと新開は片目を瞑った。

**********************
「ヨ、ヨォ……待った…ショ?」
片手を挙げて、ぎしぎしと音が鳴りそうな不自然に歩く巻島の笑顔は、久しぶりにこわばった怖いものだ。
つるむようになって、その顔を見るのも久しぶりだと、東堂は軽く吹き出した。
「…恋人を待つのも、楽しい時間だよ 巻ちゃん」

わざと揶揄するように、耳朶近く囁けば、巻島は目元を上気させた。
どこかで見ているらしい、自称巻島の友人に見せつけてやるつもりでの、行動だった。
「あの、えと……悪ィな…」
事情を知ってつきあってくれたという東堂に、巻島は申し訳なさを感じているのだろう。
きゅっとシャツの腰の辺りを握られ、東堂の顔は思わず弛んでしまった。

可愛い、と思ってしまったのは多分気のせいではない。
自転車から降りた巻島を、オーラがないと表現したが、今ではそれは間違っていたとわかる。
迸る輝きを内に秘めている分、つきあいの深い者だけが、その眩しさにとらわれるのだ。

子供みたいに、すがってきて、目を合わせないその様子すら、東堂の笑みを誘うものでやまない。
少し意地悪な気持ちが湧いて、わざとシャツを掴む手を引き剥がし、その指先に口接けた。
「と、東堂ぉ……」
真っ赤になる巻島を構うのが、楽しくて仕方がない。
こんな無防備な相手に、執着をする気持ちが生まれてしまうのを、納得できたことが、東堂は苦々しかった。

「なあ巻ちゃん、オレのフリを誰に頼むつもりだったんだ?」
いつまでも同じ場所にたたずむのもどうかと、東堂が巻島の肩を抱くように、歩くのを促した。
どう見ても、自然な恋人同士のようだ。
巻島が挙動不審に、少しぎこちないのもまた、初々しくすら見える。

「えっと……兄貴の友達にでも頼もうと思ってたショ」
金城や田所では、同じ学校内にいるので気まずい。
女性に頼むには、巻島の演技力に無理がある。
なにより、女性相手に巻島は「東堂」と呼びかけ続けられる自信がなかった。
残る選択肢は、自分が小さい頃から知っており、色々とフォローもしてくれる兄の友人なのだが、それでも頼みにくいと逡巡していたところで、
田所が話を進めてくれていた。
「…なぜ、素直にオレを頼ってはくれないかった?」

抑えた声音だが、その分責められているように感じてしまう。
「だって…迷惑ショ?」
「水くさいぞ巻ちゃん、こういった時に役立ってこそ永遠の友ではないか!」
「…ん…ありがとな…」
面映そうに巻島が頷けば、東堂はようやくいつもの表情へと戻った。

ヴーッと、携帯のバイブ音が鳴り東堂は通話ボタンを押した。
普段であれば目の前に巻島がいる限り、携帯を優先させるなどありえないが、今日は特別だ。
どこからか二人を見守っているらしい、新開からのメールだった。
一緒にいる田所が、巻島から3時方向にいる、黒の襟もとが広いVネックシャツを着ている男が、今回の相手だと伝えてきているのだという。

さりげなくそちらに視線をやれば、痩せ型ではあるが長身で、見栄えは悪くない男だった。
男が苦々しい表情で、顔をうっすら赤らめている巻島を見ているのが、東堂にも確認できた。

自分の姿に自信がある様子なのが、気に食わない。
日頃の自分をさておき、巻島への独占欲を隠さないその男の視線は、東堂の琴線に触った。
「巻ちゃん、オレはプラネタリウムに行きたいな」
東堂が指差したポスターは、最新式の3Dプラネタリウムがあるのだと解説がされている。
二人で昇る山頂は、自然が多く星もきれいに見れるだろう場所ばかりだが、残念ながら時間の都合で一緒に星を眺めたことはなかった。
「いいな、映画とかより面白そうショ」
「じゃあ、行こう」

さりげなく手を繋ぎ、指を絡ませれば、巻島も黙って繋ぎ返してきた。
普段であれば、何してるんだよとすげなく払われてしまうだろう指先が、自然に触れ合うのが嬉しくて、東堂が笑う。
ご機嫌な様子で自分の名前を呼ぶ東堂に、つられたみたいに巻島も笑えば、平地なのに山頂にいるような気持ちになった。

映画よりも上映時間が短い、プラネタリウムであればそうそう急ぐ必要もない。
歩きながら目に付いた店によれるのは、自転車に乗っていれば難しいだろう。
そういって、ソフトクリームを購入したり、カチューシャを見たり、シルバーアクセサリーを探したりしていれば、また携帯が鳴った。
そこには一言、田所から
【オレらが入りにくい場所ばかり行くんじゃねーよ】

隣から東堂の携帯画面を覗いた巻島も、クハッと笑う。
確かに自分たち以上に田所と新開という組み合わせでは、アクセサリー系列の店には入りにくいに違いない。
しかも遠目に二人がいる位置を確認したら、新開は片腕にパンがいっぱい詰まったビニールを下げ、田所は両手にソフトクリームをしっかり持っていた。
「…つきあってくれているのに、悪いことしたショ」
「確かにパンを抱えたままとアイスを持ったままで、ショッピングはきついな」
それでも脳裏に浮かぶのは、惣菜パンをぶら下げながら、オシャレショップに入っていく新開の姿だった。
田所と違い、飄々とやりとげそうだと東堂が呟けば、巻島はそれはそれで尊敬するショと感心顔だ。

ではもう目的の場所へ行くかと、東堂が上のフロアを指差せば、巻島も素直に従った。

「……日本の技術ってすげェショォ……」
「星に包まれたみたいだったな!」
巻島も東堂も、見終わった直後に大きな感動をしていた。
椅子も場内の雰囲気も、普段のプラネタリウムと変わらない。
だが一度映像がうつしはじめると、まるで自分の周囲に星が散りばめられているかのように、小さな光が無数に、暗闇の中自分たちを包んでいたのだ。
まるで知らない世界に、訪れたみたいだ。

無意識に重ねた手を、ぎゅっと握って、離れないようにと願ったのは、どちらからだったろう。
SF映画やロールプレイングゲームの世界を、疑似体験できた心地は、最高だった。
そして隣にいるのが、喜びもうれしさも、わくわくとした高揚感も、語ることなく共感できる相手。
多分お互いに、今の気持ちはゴール直後に得たものに似ていると思っている。
「…でも、熱さが足りねェよな」
「そうだな、汗とあの高鳴る鼓動と、巻ちゃんを追い詰める昂ぶりも不足だ」
「ハッ…追い詰めるってことはお前二位っショ オレはそのままトップぶっちぎんぜェ?」
「譲らんよ オレは逃げる巻ちゃんを求めながら最後では逆転してみせる」
「無理無理〜オレの勝ちっショォ〜」
そういいながら、唐突に巻島は走り出した。
笑いながら東堂は「卑怯だぞ!いきなり」と追いかけていく。

――楽しい、な。
山でしか語れないと思っていた、このうわぶった気持ちが、平地でも分かち合える。

ビルの谷間の、他の建物と繋ぐエントランス部分に出た。
高さのある構造のためか、強い風が吹き、薄めの服装でコーディネイトされている巻島が、小さなくしゃみをする。

くしっという響きが子供みたいで、東堂は自分の上着をそっとかけてやった。
少し目を瞠った後、巻島は「あったかいショォ」と両襟を握って、首元できゅっと拳をあわせた。
可愛いなと眺めていた東堂だが、直後に「杖村もこの前同じことしてくれたショ」と告げられ、機嫌は急降下だ。
「…ソイツが、巻ちゃんに付きまとっている奴か」
平気を装いながら、確実に温度が下がっている声に、巻島は恐る恐る東堂を見返す。
「付き纏って…って… 違うショ…?アイツは友達で…」
「巻ちゃんの交友関係を把握して、勝手に口出しをしてくるのが友達か?大方、告白でもされているのではないか」
胸の奥に湧いた、どろどろした気持ちをそのままぶつけてみれば、巻島の目は泳ぐように宙をさまよう。
…どうやら、図星だったらしい。

「あ、あの、でもオレそっちは断ったショ…」
目を細めて、自分を見る東堂にしどろもどろになりながら、巻島は追加した。
「なあ、巻ちゃん」
冷たい声に、巻島は反射的に背筋を伸ばし、そっと東堂を伺う。
「なに…ショ」
「告白を断った後に、じゃあ友人になんて言ってくるのはやっかいなタイプだぞ」
フラれたからと言って、自分の思いを諦めたりせず、あわよくばなんて狙わない限りそんな発言はできない。
友人になろうなんて言葉につられて、ホイホイと頷くな、警戒心がない。
続けざまに打ちのめされ、巻島がきゅっと唇を噛み締めた。

「でも…アイツ……オレの…スタイル、魅力あってかっこいいって……」
「そんなこと、オレが一番知っている」
だからこそ、解るのだ。
巻島だけの独特な空気、自分が傍にいて支えてやらねばと思ってしまう感情、どこか頼りなげな様子のせいで、抑えてしまえば手に入るのではと錯覚をしてしまう。
東堂の過去の経験で、女性相手でも記憶があった。
好きだといわれて、丁重にお断りして、ならば友人になってくれというのは、厄介なタイプだと。
ましてや同性で、人間関係に心もとない巻島であれば、傍にいてあわよくば力尽くでもという、隙を探ってしまう。

「巻ちゃん、携帯を貸して」
そういって東堂が掌を差し出せば、巻島は素直に差し出した。
連絡に使っていたのは東堂の携帯ばかりだったので、電池が切れたのだろうと、それだけの理由だ。
なのに受け取る表情は、苦々しいものだった。
「…巻ちゃん、どうしてそう無防備なんだね」
個人情報が満載の携帯を、気軽に渡すものではないと怒られてしまった、…理不尽だと巻島は思う。

「…?何してるショ」
「杖村…といったな これでいいか」
指先がスムーズに動き、首を傾げてみている巻島の前で、色々な作業がなされていた。
「いやだから…何したショ」
「なにちょっと着信拒否をな」
「お前っ!本当に何するショォォォ」
データごと消しても、再登録されるぐらいなら、受信拒否をした方が早いと東堂は口端を上げた。
巻島の携帯に、いらぬ情報だから必要ないだろうと、冗談ではなく肩をすくめて悪びれる様子はない。

「まだ…いるようだな」
ショッピングにプラネタリウム、短くない時間を見せ付けるように歩いてきたというのに、Vネックシャツ男はまだ東堂の視界に入っていた。
チッと東堂が舌打したのに、巻島は驚いたようだ。
東堂は育ちもあってか、そういった行為を下品だと眉を顰めるタイプだからだ。
フゥと短く吐息をついた東堂が、巻島の肩を寄せた。

身構える隙もなく、顎をつかまれ、引き寄せられる。
キスされる……!?
ぎゅっと反射的に目を閉じてしまった巻島に対し、東堂は冷静に視界の片隅に映る男を見据えていた。
ギリギリまで寄せられた唇は、実際に重なってはいない。
だがその男の角度から……いやよほど間近にいない限り、東堂と巻島は濃厚な口接けをしているように見えたに違いない。

睨むようにこちらを見ていた男は、巻島が何の抵抗も見せないのに、ようやく諦めがついたのだろう。
一度俯いて、柱の影に寄りかかり、その後で振り返りもせず、立ち去っていった。
東堂の唇に、満足げな笑みが浮かび、巻島へと目線を戻した。
「と、東堂ぉ…?」
キスはされなかったとはいえ、眼前すぐにある端整な顔。
なれぬ距離に、羞恥で鼓動が高まり、巻島の目元が潤む。
そしてそんな情けない顔そ、まるで全てを見透かすような綺麗な目で、東堂は見詰めていた。

「……すまんね、虫避けにトドメを刺させてもらった」
「…虫?」
この季節に何かいるのだろうかと、首を傾げる巻島は暗喩に気がついていない。
単純に、自分が虫に刺されそうなのを東堂が庇ったと受け取ったのだろう。

「キスされるのかと思って びっくりしたショ」と頬を膨らませるように、ぽつりと呟いた。

気恥ずかしさもあるのだろう、東堂の方から顔は背けられている。
だがちらりと伺える横顔は、朱に刷かれたように紅く、上気していた。
「…その割には逃げなかったんだな、巻ちゃん」
「…え……あ、あの、キスされるかなって思っただけショ、逃げるとか えっと…」
「オレになら……キス…されても良かった?」
「え」
強い力で、東堂が巻島を自分へと向きなおさせる。
わたわたと巻島は、手を振るが、どれもロクな言い訳になってやしない。

「本当に巻ちゃんは警戒心がなさ過ぎる 雰囲気に流されてしまえばキスの一つや二つ簡単に許してしまいそうだ」
呆れたような東堂の口調に、巻島も負けじと言い返した。

「オ、オレだって好きだと思うような相手じゃなかったら、逃げるに決まってるショ!!」

咄嗟に出てしまった言葉に、巻島自身が一番驚いているようだった。
信じられないような目をして、両掌で口元を覆い隠し、ふるふると首を振る。
ほんのわずかでも、東堂が動けば、すぐに逃げだしてしまいそうだ。

―――真っ赤になってる、巻ちゃん……可愛い

なんだか酔ってるみたいに、頭の奥が麻痺していた。
「なあ巻ちゃん……それって、誘ってるの」
「ちがっ……違……」
「じゃあいつもそんな風に隙だらけ油断して、友達って言葉を信じて狙われてるのか」
「オレ…油断とか、してないショ…」
涙目で言い返す巻島に、これっぽっちも説得力がない。

逃がすつもりのない東堂が、巻島の肩を引き寄せ、目尻に唇を落した。
びくりと震えるその様子すら、かわいくてたまらない気持ちにさせる。
東堂のポケットから、携帯のバイブ音が響いた。
おそらく杖村が立ち去ったという、連絡だろう。

今はその音すら、邪魔に感じた。
「巻ちゃん 好きだ」
額にかかる巻島の前髪を、東堂はそっとすくう。
意味がわからないみたいに、瞬間呼吸を止めた巻島は、どうしていいのか解らぬように小さく首を振った。
「――好きだよ 巻ちゃん」

好きな相手なら、キスをしようとしても逃げないのだろう?
わざと耳朶近くで、そう囁けば巻島は真っ赤に身を竦ませた。
これで誘っていないだなんて、嘘に決まっている。
もしそれが事実なんだとしたら、天性の媚態を持っているとしか思えない。

「巻ちゃんは、生まれながらのフェロモン持ちだから、仕方がないか」

困惑して、目蓋を震わせている巻島が、魅力的なのがすべて悪い。
杖村とやらの、審美眼には敬意をわずかながら評してやるが、オレと知り合ってこんな愛らしくなった(に決まっている)巻ちゃんを掠め取ろうというのは、言語道断だ。
もう一度「好きだ」と東堂が言えば、巻島も観念したように
「オ、オレも……そう……みたい…ショ」
と他人事のように、返事をよこした。

ああ、なんて巻ちゃんらしい告白だ。
田所くんに、新開よ、オレの素晴らしい一日を見守ってくれてすまなかったな。
後日あらためて、礼をしよう。
今日のオレはもう、この後の別れまでの数時間、巻ちゃんとどうやって過ごそうかと考えることにいっぱいで、礼を返す余裕はなさそうだ。
…触れても、許されるのだろう?そう言って巻ちゃんに唇を寄せれば、きゅっと目をつぶられた。

「ん…」
とかすかに息を洩らすような、耐えるような声が堪らなくて、重ねた唇から舌を割りいれる。
怒られるかという東堂の予測に反し、巻島もすぐに舌を伸ばしてきた。

どこまでもイレギュラーな巻島は、初めての口接けすら予想外で、東堂の口元を綻ばせた。
「次の休日も…その次の約束も、オレが優先だ、わかっているな きちんと断れ」
「わ、解ってるショ オレだって……お前と……」
巻島の濡れた唇は紅く、浅く漏れるように吐いた息は艶やかで、エロくすら東堂には見えてしまっている。
これでいい、と東堂は心が充たされるのを感じた。


ほんの数時間前までは、お互いにこんな関係になるなんて予想していなかった。
新開と田所に後日メールした東堂は、揃ってそのメールの返信に
【お前たち二人とも鈍すぎる】と返され、解せぬと不満げだったのを、巻島は「オレも同じこと言われたショ」と笑っていた。

なお*追伸とあった、田所のメールには
【杖村の奴、まだ諦めきってはいねえみたいだけど、誘うたびに『東堂に聞いてから』って答えまくられて凹んでいる】
と記載されており、東堂を狂喜させたのを、巻島は知らない。