【東巻】蜘蛛と罠


巻島裕介に、苦手なタイプは多かった。
一つに饒舌な人間、二つに華やかな人間、三つに適切な距離感と言うものを解せず、さほど親しくなくとも平気で近寄ってくる人間だ。
そんな偏食じみた人間関係の中でも、同級生とは思えぬ包容力や頼もしさを持つ、金城や田所という大事な友人に出会えたおかげで、学生生活は苦になっていない。

一年生時の、自分の走りを否定され、姿勢を矯正され続けていた部活をやめなかったのは、ひとえにこの二人と、さりげなくアドヴァイスをくれた、寒咲先輩のおかげだ。
先輩たちからそれまでに教わったことを、すべて捨てた我流の走りを貫き続け、クライムレースに優勝することで、余計な口出しはされなくなったのだが
、代わりに…他校の余計な人間に懐かれてしまった。

しかもその男は、巻島が苦手とする三要素をすべて兼ね備えていると言う、オマケ付だ。

初対面でぶつかってきたと思ったら、無礼な言い捨てっぷり。
自分のことであれば、まだレース出場自体も少なく、無名も当然だと気にもとめなかっただろうが、友人たちもいる学校名を否定され、同じ言葉を返せば、なぜかさらに絡まれた。
ウザいと思いつつ、自分の数少ないこだわりである『蜘蛛』の異名は譲れず、「玉虫ではない」と、相手の男と会話を続けてしまったのは失敗だった。

――気持ちいいショ

ガチガチになるほど足を回して、ゴールラインをきる爽快感。
その後の表彰台は少々苦手だが、それでも心地よさはまだ続く。
いつもなら他の出場者を気にすることはないが、あの無礼な男が二位にいて、自分を睨んでいるのも少々小気味良かった。

このレースで、1位を取れたことは、自分の走りを間違ってはいなかったと証明するためで、それゆえに得た結果だった。
…こんなこうるさい、自信過剰な男に付き纏われるとは、計算外だ。

いい気分のまま帰ろうとおもったら、名前を改めて尋ねられた。
それ以降、まさかのその自称ライバルとやらに、どこへ出向いても、付きまとわれてしまうようになっていた。
コイツ何がしたいんだよと、困惑のままレースを重ねるうちに、何故か自分のプロフィールや好物、苦手なものに連絡先と、全てをいつのまにか知られてしまっている。

「巻ちゃん!オレとお前はライバルだからな、相手の詳細な情報まで知っていても当然だ!それにライバルだけではなく好敵手と書いて-とも-とよむのがオレ達の仲だ!」
「……ショォ……」
言っていることが、古臭い上に喋り方まで武士くさい。
だが前向きでまっすぐで、曇りのない笑顔で頂上を何度も競い合ううち、巻島も東堂のことを、受け入れ始めていた。

…………世間一般で、遠距離の友人と言うのは、こういうものなのだろうか?
勢いのまま東堂に、流されている巻島ではあるが、ふと不安に思う。
自分の知っている、友人同士の交流と言う形と、東堂が求めてくるものはいささか離れているように感じた。

「…お前と、金城たちとなんか付き合い方ちがくねェ?」
「当たり前ではないか、巻ちゃん」
何をいまさらと言った、東堂の声には少し、呆れすら含まれているように、聞こえる。
「だって巻ちゃんと同じ学校の友人と、部活動も含めれば一日数時間、休日にも練習を重ねれば、更にもっと長い時間会話があるだろう」

それに比べ、距離があるオレ達は電話で毎日言葉を交わしても、せいぜいそいつ達と一日分の会話程度の時間しか喋れていないと指摘されれば、もっともなように思える。
「そ、そういうもんショ?」
「そういうものだ!」
人との交流について、あまり詳しくない自信がある巻島は、そんなものかと、東堂の言葉を受け止めていた。

その後もレースを重ね、いつしか個人練習と称し、二人で山を登ることも、珍しくなくなっていた時に、その一件は起こった。

とあるレースで、随分と接戦になった時、ジャージファスナーを全開しないぎりぎり程度まで、巻島は下げた。
それは単純に、夢中になって暑さを覚えたからで、山頂到着後も涼しさを求めていたからだ。
だが東堂は正面に立ち、ゴール後一息ついてい巻島のファスナーを、無言で上げた。
意味がわからなくて、巻島がもう一度ジッパーに手をかけようとすれば、東堂の鍛えて硬くなった掌が、巻島の指先に重なる。

「…東堂、何してるショ?」
「無防備だぞ!」
東堂が、なにやら怒っているのは解る。
だが何に対して腹を立てているのだと、まったく検討のつかない巻島が、無言でまばたきを繰り返す。
「くっ……そんな愛らしい仕草で…その上…エロいなどと……」
首を振る東堂が何をしたいのか、まったく理解できずに巻島はぽかんとただ、見詰めていた。

首を振った東堂は、自身の肩にかかっていたタオルを、取り上げると、巻島の首に巻く。
露わになった首筋は隠れるが、その分熱気が籠る。
「アッチィ……」
反射的に外そうとする巻島の手首を、強く握りとめ東堂が「ならんよ!」と叫んだ。
「そんなあられもない姿を、こんな男しかいない場所で晒すなど…何を考えている…!?」

本格的に、この男が何を言っているのか理解が出来ない。

これは、暑さに弱い自分を、熱で弱めてやろうと言う作戦なのだろうか?
いや納得は出来ぬが、顔を赤らめ目線をあわせようとしない東堂が、悪意に添って行動しているのではないということは、鈍い巻島にも理解は出来る。
なによりレース前ならばともかく、今はレース後だ。

人は理解できぬ壁に当たると、それをぶち破るか、それを前に留まるかのどちらかだ。
留まる派の巻島は、とりあえず東堂がこれ以上不機嫌になっても面倒だと、首にタオルを巻いたままその日は帰宅することにした。

翌日に金城と田所に昨日の出来事と、東堂の言動を、相談すれば、二人は微妙な目線を交わしていた。
「…何だヨ?」
「お前さあ、この前暑かった日のレースだろ? 髪の毛も結んでたんじゃねえの」
コロッケパンを口に押し込みながらの田所の問いに、巻島はこくんと頷いた。

「……オレ達は慣れたが、巻島の肌は白いからな…同世代には目の毒だといいたかったのだろう」
さすがすべてに気配りのできる男、金城は表現までにも気を使い、そのものの単語は使わない。
巻島裕介の、けだるげな表情で髪を結い上げ、ファスナー全開は存在が『エロス』であると。

金城や荒北は、あくまでもまっとうな人間だ、巻島に対し、妙な感覚を覚えたことは特にない。
だが日頃一緒に居る自分たちでも、まれに巻島のふとした動作に、ぎょっとする事があるのだから、そうでない相手には特に強烈な刺激となっているだろう。

左右に大きく揺れる独特の動きを、『キモい』だとか、『なんだよアレ』と蔑んでいた者すら、無意識に色香を放つ巻島の状態には、無言になってしまうほどだ。
「…日焼けしねぇのは、オレのせいじゃないショ…」
日焼けだけが問題じゃねえよ、と思っても、心優しき友人たちは、そこで口を噤む。
巻島はパーツこそ美形ではないかもしれないが、細い腰、白い肌、女性的ではないが滑らかな動きとそこかしこに独特なフェロモンを漂わせているのだ。

東堂は実力行使で、それを教えてくれたのだろうと示唆されれば、巻島はなるほどと納得をした。
適切な距離感がないだけかと思っていたが、東堂は自分のことを思ってくれていたのだろう。

東堂が貸してくれたのは、真新しいタオルだった。
今度会うときには、自分も新しいスポーツタオルを買って返すとメールしたら、『巻ちゃんの普段 使用しているタオルをくれ』と返信された。
新品を買うには及ばないということか、気が使えるイイヤツだなと、巻島は更に東堂への好感度を上げた。
しかも『洗濯やクリーニングは不要』とまである。

さすがにそれは、人様へのお返しとして、どうだろうと迷う内容だったので、「洗濯をしてないオレの普段使用タオルが欲しいって言われたショ それって…友達ならアリなのか?」
巻島が自校の友人達に相談すれば、真顔で「オレん家に使ってねえタオルぐらいあるから! そっちをやれ!!」
と、怒鳴るように説得をされた。
当人が良いといっても、やはり失礼だったかと、巻島は軽く受け止めた自分の、コミュニティ能力不足に、少し落ち込んだ。

東堂に、考え無しなことをメールしてすまなかったと、電話をする為に履歴を呼び出す。
いつだってこの男の着信は、一番上にあるのだ。
1コール音が鳴り止まぬうちに、東堂はすぐさま、通話状態になっている。
「巻ちゃんから電話をくれるとは珍しいな!」と上機嫌から、一転。

巻島は、東堂のメールを鵜呑みにし、洗濯後にタオルをそのまま渡していいのかと言葉通りに捉えて、甘えようとしていたことを、率直に詫びた。
友人から慌ててとめられて、失礼なことをしようとしたと気づいたのだという巻島の謝罪に対し、携帯越しに小さな舌打ちが聞こえたような気がした。
「巻ちゃん…オレは、洗濯も不要だと言っただろう? 巻ちゃんはオレ自身が思って伝えた言葉を、疑うのかね?」

……ああ、コイツはやっぱり良い奴ショ

東堂と違い、巻島は自宅なので洗濯は家人が行うと、気を使ってくれているのだろう。
オレに対しては気を使うなと、遠まわしに東堂は伝えてくれているのだと心が浮いて、同時に世間知らずの自分を恥ずかしく思う。
結局巻島は、自宅にあった未使用のブランド物のタオルを送った。

その夜にかかってきた電話では
「郵送でなく、手渡しで欲しかった それにこれは未使用ではないか」
と言われ、東堂は送料まで気に掛けてくれるのかと、巻島はその金銭感覚に、好感を覚えた。

「だから、今度はお礼にオレが食事をおごらせてもらうぞ!」と言われたのには、遠慮をしたのだが、
「送料を払わせた上に、ブランド物だぞ?オレの気がすまんよ」と饒舌にたたみこまれて、説得できるほど巻島の舌は、滑らかではなかった。

ただ奢られるのも癪だったので、『次のレースでお前が勝ったらおごらせてやる』と、メールしたせいだったのだろうか。
そのレースでは東堂が、巻島を車体一つ分引き離し、一位を取った。
レース後、悔し紛れに今日の東堂は鬼気迫る勢いだったと巻島が呟けば、
「巻ちゃんと食事をするためだからな!」と爽やかに返され、面映く思う。

――そんなに未使用タオルと、郵送料を気にしていたのか

「なんか、かえって負担に思わせたみたいで悪かったショ」
「そんなことはないぞ! おかげでこうして巻ちゃんと食事が出来る!」
満面の笑みでそう言われては、お返しをしたつもりで、重みを増してしまったと、巻島の罪悪感がいやが応にも増す。

「…お前、ホントいい奴ショォ…」
巻島が思わずしみじみと呟けば、東堂は顔を少し背けた。
ガッツポーズをしている東堂から、
「計画通り」とか聞こえたのは、何の話だったのだろう。

巻島の、東堂への警戒心は日を重ねるごとに、速度を増して溶解していった。

東堂と出会って、初めて迎える7月7日。
0:00ちょうどに携帯が鳴り、おめでとう!とのメールが東堂から届く。
たまたま起きていたからいいようなものの、眠っていたら立派な安眠妨害だと思いながらも、巻島は嬉しかった。
これまで普通に祝ってもらったことはあっても、こうまでマメに、他人に自分の誕生日を気にしてもらったことはない。

なんだか温かい気持ちになって、一言「ありがとな」と返せば、その100倍ぐらいの「自分が祝いたいから祝うのだ、巻ちゃんを生んでくれた
ご両親に感謝をせずにはおれんよ」といった、行間びっしり文字数でのメールが返ってきて、巻島は幸せな気持ちで眠りについた。

次の日は週末で、部活も休養日とされていた。
たまには寝坊を楽しもうと、遅めに目を覚ましたら、なぜか自宅の居間で、東堂がお茶を飲んでいた。
「…ショォッ!?」
最近東堂が気になると思っていたが、そのせいで、幻覚を見るまでになったかと、自分の目を巻島は一瞬疑った。
夢かと何度か目を擦るが、その姿は消えない。

「あら、裕ちゃん 遅かったのね 東堂くん2時間も前から来ていたのに、疲れているだろうから起こさないでくれって待っててくれたのよ」
その光景は、巻島の幻ではなかったらしい。
「やあ、巻ちゃん」とにこやかに東堂が、微笑みを返す。
母親がニコニコと、スコーンやらクロテッドクリームやら、手作りの苺ジャムを用意しているのは、相手が気に入った証だ。

「すみません、お忙しいところお相手してもらって」
涼やかに東堂が笑うと、巻島の母も
「裕ちゃんにこんなカッコいいお友達がいるなんて知らなかったわ 金城君たちも素敵だけど、東堂くんも素晴らしいお友達ね」
と上機嫌に返している。

「と、東堂お前、なんで…ここにいるッショ?」
「まさか巻ちゃん 誕生日のお祝いが、深夜のメールだけだとでも思っていたのか」
疑問形に疑問で返され、はいそうですとは、言いがたい。
しかし学生という身と、自分たちの距離を合わせれば、メールでのお祝いをしてくれるだけでも上出来だろう。

「オレは巻ちゃんにお祝いのプレゼントを贈って、ちゃんと顔を見て祝いたかったよ …巻ちゃん生まれてきてくれてありがとう」

東堂の言葉に、友人が少ない息子にこんな素敵な友達がいてくれたなんて!と母は感激で目を潤ませている。
巻島も身内以外から、こんな深い言葉をもらったことなどなくて、胸奥が暖かい気持ちになり、頬を赤らめ
「…ありがとう」と呟いた。

東堂が持参してきたのは、黒の漆に螺鈿細工が施された髪留めだった。
扇形のメイン部分から、二本の足が伸びたようなそれは、かんざしだろう。
艶やかな濃い烏の羽根色に、七色の光を放つ桜の花びらと、そして流水模様に似た蜘蛛の巣が彫りこまれ、ひと目で高価な品だとわかる。
「まあ……綺麗ね」
アクセサリーなどの審美眼が高い母親が、手放しで賛美しているのだ。
おそらく高校生の小遣いなどでは、まかなえぬシロモノではないかと巻島は呆然と東堂を見返した。

巻島の家は裕福な方ではあるが、巻島自身の金銭感覚は、さほど歪んでいない。
これは知り合ってさほどたたない、友人として受け止めてはいけないものではと、戸惑いを浮かべたのに気が付いたのだろう。
東堂は
「巻ちゃんに貰ってほしいんだ」と真摯な表情で告げた。

何年か前に、身内の簪職人が作ったカタログで、急遽モデルが必要となった時に、東堂が姉とともに抜擢され、その礼として受け取ったものだと、東堂は説明をした。
純粋にその美しさを喜ぶ姉と異なり、男の自分がこれを貰ってもと、当時はその価値がわからなかったが、と東堂は一度言葉を切った。
「大きくなった時、自分が送りたいと思った相手に贈るといいよ と言われてな」
そして送りたいと思ったのが、巻ちゃんなのだよと東堂は照れたように笑う。

「その髪に、この艶やかな黒が似合うだろうと思ったら、見たくなった… 受け取ってくれるだろう?」
自分がこのまま持っていても、不要なのだと東堂は続ける。
いいのだろうかと、ちらと巻島が東堂を見上げれば、強く頷かれ、背後の母も優しい目つきで受け取るように促している。

「…ありがと、な」
胸の奥が、暖かくなる心持でそう呟けば、東堂はよければ付けてくれないかと返してきた。
せっかくの心意気に答えねばと、巻島が髪を持ち上げ結い上げれば、いつのまにかその横に立った東堂がそっとそこにかんざしを挿した。

「想像通りだ やっぱり、似合う」
嬉しそうな東堂に、照れくささが訪れる。
「あの、さ…でもオレ…その一ヵ月後に…同じようなもの…ちょっと用意できねえんだけど……」
「オレとしては、そんなものをねだるつもりで、これを持ってきたのではないぞ」
「あ、いや 解ってるんだけどよ」

「だったら、何年か後にでも裕ちゃんが収入得るようになってから、お返しすればいいでしょう?」
にこやかな母の声は、もちろん東堂宛てのプレゼントに多少の援助はするが、貰った気持ちに関して、自分で返せと諭していた。
「ん… 東堂、今年は無理…だけど、ちゃんとオレも…ずっとお前に身に付けてもらえるようなもの、考えるから」
「楽しみにしてるぞ!巻ちゃん」

親にも気に入られ、巻島裕介バースデイパーティとまでは行かぬまでも、豪華な夕食をご馳走になり、別れを惜しみながら東堂は、巻島家を辞退した。

――巻ちゃんは気づいていないが、身に付けるもののプレゼントは、心を許した者でないと、受け取りにくいものだ。
こうして、簪は貰ってもらえた。
ご家族のオレへの評価も、悪くなかったように思える。
そして、何年か後の誕生日プレゼントの確約まで思いもがけず、取れてしまった…つまり何年かは、オレと巻ちゃんは誕生日に会い続けるという、無言の約束だ。

数年後まで、誕生日は会い続けるという形にしない取り決め。

多少負担になるかもしれない贈り物は、巻ちゃんの心に居座るだろう。
そう思い、自分の持つもっとも高価なものを選んだのは、正解だった。

帰宅の途につく東堂は、己が蜘蛛の巣で絡め取るように、じわじわと巻島を包囲していることに気がつき薄く笑う。
…蜘蛛は巻ちゃんの筈なのに。

――無防備で警戒のない者は、たとえ蜘蛛でも捕食されてしまうのだよ?

そう覚えてもらう為に、まずは周りからという、自分の手順が正しいものだったみたいだ。
家族と会ったことで、巻島裕介の壁は、また一段と低くなっている。

人嫌いの癖に、懐いたらどこまでも情が深そうな、たった一人のライバル。
東堂は愛しい人を心に思い浮かべ、更に上機嫌に、これからどう追い詰めようかと新しい計画をたてていた。