【東巻】運命のライバル


オシャレに気を使うが特に努力をせずとも、成果を得られてしまう自分を、東堂は気に入っていた。
女性がひそかに自分に好意を寄せるのも、当然の結果であるからで、自慢をするものではない。
容姿端麗、成績それなり、スポーツ万能、老舗旅館の生まれと言うおかげで礼儀作法も叩き込まれ、年上からもウケは良い。


ただそんな出来すぎている自分に、唯一足りないものがあるとすれば運命的なもの、だった。
まるでドラマの主人公並にすぐれた自分であれば、運命的な出会いをし、運命的なライバルを持ち、運命的な恋人を持ち、
運命的なやり取りをするというレールが敷かれていて当然のはずなのに、東堂の日常はあまりにも平凡だった。

いいなと言われた服を買いに行くのに、ママチャリを利用し、オシャレをするのにも、お小遣いをやりくりする。
それは当たり前と言えば当たり前だが、『東堂尽八』らしい生活としては、物足りなかった。

だからある日、運命の恋人となるべき相手と、突然に驚くような出会いを、するのだろう。

同時に自分のライバルにふさわしい相手と、助っ人として出場した試合などで出会い、自分がその競技をはじめるように、神は企んでいるのだろうと東堂は考えていた。
部活動に入らず、運動神経はいいのに、本格的なスポーツに手をだしていないのは、こういった理由だ。

そんなまだ見ぬライバルは、自分にふさわしいのだから、まず美形であることは絶対条件だ。
そして自分と張り合い、華やかな闘技を見せるからには、相手も爽やかな空気を持っていなくてはいけない。
オレと張り合えるぐらいだから、語りだって 流暢に話すタイプだろう。
まあ、そうだな…初めて会ったときぐらいは引き分けか、負けてやってもいいだろう。
その後このオレは、ほんの少し努力をすることで、あっという間に勝利を手にするという筋書きだ。

だがこのオレは、相手を正々堂々と認めてやり、運命のライバルとしてともに競おうと、微笑むのだ。
オシャレに身をやつす東堂尽八もいいが、そんなオレにさらにファンは増えるに違いない。

そんな計画をたてていたが、いまだ中学も半ばになるが、東堂尽八が打ち込めるスポーツも、まだ見ぬライバルも恋人も、出現がなかった。

――人生は、驚きの連続だと誰かが言った。
高校生となった東堂はまさに、その言葉を実感として噛み締めていた。

軋んだ騒音のするママチャリを、音なく乗りこなすすべを会得したことから、自転車競技をはじめた。
これが、第一のまさかだった。
東堂のイメージとしては、バスケやサッカーといった、いわゆるメジャーなスポーツで、自分は名を立てるのだろうと思っていたのである。
だが、なぜかロードレース。
予想以上に、楽しく心が躍る。
そして自転車に乗る自分は、バレーや野球をしている時以上に、カッコよかった。

さらには阻むことがない、輝かしい戦歴。
ロードレースを初めてまもない自分であるのに、クライムレースでは同年代にほぼ負け無しで、神が自分の為にこの競技を用意したのではないかと、錯覚すらしてしまう
ばかりか、山神という称号まで貰ってしまった。
あまりに力量が勝り独走が過ぎて、この競技でも東堂のライバルは出現しなかったが、それはそれで、しょうがあるまい。

――だってオレなのだから。
あまりに偉大すぎる主人公は、ライバルではなく己自身と向き合うことで成長していくのだ。
ライバルとは言えぬまでも、直線コースでは一目置く同級生が二名も現れただけで、満足しておくべきなのだろう。

そう世界を理解していた東堂を、一部の者は「鼻持ちならないヤツ」と噂したが、そんなものは負け犬の遠吠えでしかなく、東堂になんら影響を与えるものではなかった。

なのに。
二年になって、まさかの出会いをする。
初めて、同い年のヤツにクライムレースで負けた。
その相手は、陰気な雰囲気で、喋りはたどたどしいと言っていいほど無口で、必要最小限の言葉しか返ってこない。
爽やかな空気もなく、自分にふさわしい洗練された動きもない。
まるで壊れたおもちゃのように、左右に体を大きく振るという無駄だらけの動き。
――そんな相手に、自分は負けたのだ。

おかしい。この東堂尽八のライバルは、もっと誰にも負けぬほどの輝かしさがなければいけないはずだ。
神が、自分の称号をわけ与えてくれたほどのスポーツを、自分に見つけてくれたのだ。
よりによってその自分のライバルが、なまっちろいヒョロヒョロの、笑顔もろくに見せない相手な筈がない。

あまりの理不尽に、納得がいかず東堂はその男に、ケンカを売った。
今までどんな相手でも、見下しこそすれ、東堂が相手に絡むように挑んだ経験などなかったが、それほど納得できなかった。
…もっとも、理不尽だと言うのはその絡まれた相手、玉虫色の髪の少年だっただろうが。

自分に勝利をしたというのに、シレっとしているというのが気に食わない。
山神の名前を持つ自分を、知らないといったのも許せない。
この男は、自分の名前を知って、東堂尽八を人生でもっとも大事な位置に奉って、競うなり意識するべきである。
表彰台で、横に並び『巻島 裕介』の名前を東堂は、心に刻んだ。

この男は何もかも、イレギュラーだ。輝かしい戦績を残している自分すら知らぬ、無知なのだから、オレが教えてやろう。
東堂尽八は、まず自分の名前を覚えるよう、巻島の名前と自分の名前を事あるごとに連呼した。

どうやら対人関係を希薄にしておきたいらしい玉虫が、自分を見るとぎょっとしたように「東堂ォ…」と呟く。
もう名前を記憶されたのだなと、なんだか、気分が良かった。

この男にとっても、自分はすでに認識されるべき存在なのだ。
この目立つ自分の存在を、ただのモブAと同様に見るなど、許されることではないからな、と東堂は一人頷いた。
「とうどう」、ではなくどこか鼻にかかったような「とぉどぉ」という呼ばれ方は、嫌いではなかった。
特別なイントネーションのせいか、呼ばれると少し心がざわめいてしまうほどだ。

次に行ったのは、連絡先を無理やり玉虫の携帯にインプットし、声を覚えさせること。
オレの饒舌を聞けば、少しはこの男も山神のライバルにふさわしい、受け答えが出来るようになるはずだ。
稀にしか返信をよこさないのにイラついて、何度もメールを送った。
たまにしか電話をよこさないのに焦れて、幾度も自分から連絡を取った。
十通に一度しか帰ってこないメールは、希少性ゆえに東堂の特別フォルダにすべて、保存をされている。
こちらが情熱的なのに対し、向こうはクールと言うスタンスで、自分をライバルに置いているのだろうと思えば、それもまた、東堂は許せた。

そう、この頃には東堂もすでに気がついていた。
玉虫が自分のライバルにふさわしくないのであれば、この東堂が手ずから育成してやればいいのだ。
資質はあるし、自分と正反対であると言うのも、予想外ではあったがそれはそれで、興味深い。
だから、呼び名も特別なものを与えよう。
中学時代の友人などで、名前呼びは使ってしまっていた。苗字の呼び捨ては、あまりに当たり前だ。
女の子に対して「○○さん」とさん付けは利用してしまっている。
親しく、他の何者にも使っていない、自分のためだけの相手にふさわしい呼び方を、東堂は懸命に考えた。
「巻、ちゃん」
これは、ふさわしいような気がした。

巻島との呼び捨てではなく、裕介くんという隔てのある呼び方でもない。
「巻ちゃん、巻ちゃん…!」
そうだ、この次会った時に告げてやるのだ。相手が、巻島裕介がなんと言おうと
「いいや!お前は巻ちゃんだっ!」

何度も親しみをこめて、巻ちゃんと呼べば、困ったように下がった眉毛で、巻島は首を傾げた。
「お前はよぉ… 勝手で…しょーがねーなァ…」

そう言いながらふと見せた、巻島の自然の笑み。
当初は蔑みの意味をこめて言った玉虫の表現だったが、木漏れ日の下、そのキラキラ輝く髪はとても綺麗で、灼けぬ白い肌によく似合っていた。
そう思って巻島をあらためて見直すと、かっこよさはなかったが、艶やかとも呼べる色気がそこにあった。

何気なく梳いた髪の合間から見える、滑らかなうなじ。
すらっと伸びた手足は、不思議なバランスで、独特な存在感をかもし出している。
腰は細く、足は筋肉でパンパンになってもおかしくないはずなのに、美脚としか表現できぬものだ。

―――これは、絶対におかしい!!!
玉虫がいきなり変化をしたはずはない、変化をしたとすれば自分だ。
何が変わったというのだろうか。巻島が笑えば、自分も嬉しくなって、寂しそうな顔をしているのを見ると、構い倒したくなる。
自分以外の誰かと、楽しそうにしているのを見てしまえば、なにやら落ち着かない。

これはきっと、ライバルをライバルと認めた自分への、試練なのだろう。
自分自身に無頓着な巻島を、もっと知って自分が気に掛けてやるべきなのかと、東堂は開眼した。
その日以来、誰がどうあっても気にすることなどなかったのに、巻島の食事内容までもが気になってしまう。
思わずそのメニューに口出しすれば「お前はオレの母親か」と、真面目な顔で、呟かれた。

東堂の予期せぬライバル登場は、東堂の人生計画そのものを変えたのだから、巻島だってつきあうべきだ。

オレの本当のライバルは、人に見せぬだけで、これ以上はない魅力を秘めている。
でなければこの自分が、髪をかき上げた巻島の、白く細い首筋に見惚れてしまうなんてこと、あるはずもない。
当然だったものが色褪せて、自分の否定したものがこれ以上もなく魅力的に見えて、巻島裕介は東堂尽八という男の意識そのものを、変えてしまった。

「へぇ、裕介くんって言うのか…尽八をそうまで変えた相手って、ちょっと見てみたいね」
パワーバーを齧りながら、新開が興味深げに口端を上げた。
「………ダメだ!」
「なんでだヨ」
すかさず聞き返したのは、当人ではなくその横でタオルを被っていた荒北だ。
「オレらだって、てめェがそうまでウルさく気にしてる巻チャンの、対策立てておきてェーだろーが」
「――危険すぎる!」
真顔で返してきた東堂に、荒北は目を細めて、その真意を問いかえす。

「貴様らのような野獣に!巻ちゃんを会わせられんよっ」
「おい」
「まだ会ってもいないのに、新開はオレですら読んだことのない名前呼びだ!荒北に至ってはオレが数日悩み考え抜いた【巻ちゃん】をオレの許可なく呼んだ!」

………何だ、コイツ。
東堂の主張に、呆れを含ませた軽い困惑で荒北が新開を見れば、こちらも同様な表情をしていた。
「…尽八、裕介くんはお前のライバルなんだよな?」
「また名前で呼んだな!」
「ッセ! 今問題にしてんのはそこじゃねーダロ! なんで敵情視察したいというのを潰そうとすんだって話だよ!」
「巻ちゃんのことは、オレが一番よく知っている!ならばオレに聞けばよかろう!!」
きっぱりと自分の胸に手を当てて、当然だとばかりに誇る東堂。

「ハァァァァァ!?テメーの情報の何が焼くに立つんだよ! 巻島の利用してるシャンプーだとか昼食メニューなんて知ってもどうにもなんねェよ!」
ここで再度の『巻チャン』ではなく、巻島とさりげなく呼び方を変えているのが、荒北の無意識な人の良さだろう。

「オレが巻ちゃんに心を許してもらえるまで、どれだけ日数と手間がかかったと思っている!?それをやすやすと、オレの友人であるというだけで巻ちゃんの
警戒を溶かせようなど…許さんよ」
明らかに不機嫌に、東堂は口を噤み、腕を組んだ。
だが対照的に、荒北はニヤリと笑う。
「……へぇ、東堂がそこまで言う相手、マジもっと知りたくなったワ」
「…何?」
「オレとしては、走りをちょっと見て分析してェなって程度だったんだけどな」
「んー尽八、オレも同意見」
パワーバーをわざと歯を立てて齧った新開は、少し危険な笑みを浮かべた。
日頃はゆったりとした男だが、この男の本質は肉食だ。

「ダメだ、ダメだダメだ!!!」
巻ちゃんは、オレだけのライバルで、オレが一番近くにいて、オレだけがその魅力を知っていればいい。
聡いコイツらだ、少し会って話してしまえば、巻ちゃんの素晴らしさに気がついてしまう!
何故、巻島裕介をオレにふさわしい男として、周囲に祭り上げるような真似をしてしまったのだろう。

少しずつ、『巻ちゃん』が身に纏っていたトゲのような無愛想は消え、語りかけてくる相手に、静かに微笑をみせるぐらいにまで、オレは無防備にさせてしまった。
やめてくれ、巻ちゃん。
そんな可愛い笑顔を、人前で披露するなんて。たとえそれが、オレの友人相手でも、胸がチリリと焦がれるように痛む。

「……なあ尽八、おめさんの感情……ライバルに向けるものかな」

ぼそりと呟くような新開の問いかけに、東堂は目を瞠り、動きを止めた。

――ああ、どうしよう。

神様はオレに運命のライバルと恋人を、同時に授けてくれやがった。
感謝をせずにはおれんと同時に、何故こんなややこしい事をと、恨みがましくも思ってしまう。

次に会うのは、一週間後。
最低でも、コイツらにバレないように、寮を抜け出さねばと画策する東堂は、新開が田所を通して、次回の巻島参加予定のクライムレース日程を、
すでに聞き出していることをまだ知らない。

「ヨォ、東堂 具合はどうだ?」
携帯越しの、巻島の声はいつも通り。
なのにその声を聞き、覚える嬉しさは幾通りの意味を持ってしまったと、東堂は静かに目蓋を下ろし、聞こえる台詞を噛み締めていた。