【東巻】これは嘘です


「なあ巻ちゃん 今日はエイプリルフールだ」
春休み、残り2日と言う日程で、東堂は巻島邸に居た。

今までも公式戦以外で出会ったり、たまたま見たい映画が重なって、一緒に出向いたりという事はあるが、宿泊は初めてで、どことなく微妙な空気が漂う。

今日の山頂は、雲ひとつない青空で若葉も眩しかった。
互いに気持ちよく走り、公式なレースであればどちらかがコンマ何秒という世界で、勝った負けたの判定はついただろうが、二人きりのレースでそれは難しい。
「勝ったのはオレだ」
「いやオレっショ」
と互いに譲らず、同着と言うことで円満に話し合いは解決をさせた。

先に風呂に入ったのは東堂で、すでに濡れた髪が艶やかに光っている。
巻島が後から入るのは単純な理由で、東堂の入浴時間の数倍とまではいかなくても、二倍の時間は確実にかかるからだ。
初めて巻島の入浴時間を聞いたときは、そのあまりの長さゆえに理由を尋ねてしまったほどだ。
角質の処理や髪のケアが必要だと聞いて、東堂は「女子か!」と叫びかけたが、巻島のすべすべの肌やさらさらの髪を思い出し、それも当然かと口をつぐんだ。

「ああ、四月一日だな フランスだと四月の魚とかいって、魚に絡んだイタズラをすることが多いらしいショ」
「ほう 博識だな、巻ちゃん」
「別に日本と随分違ったことやんだなって、覚えてただけだ…で、東堂は何を言いかけてたんだ?」
「うむ せっかくだからな…互いに嘘をつきあってみてはどうかと思ってね」

得意げに笑う東堂に、巻島は目を細め、呆れ顔を隠すことはない。
「いたずらを最初からネタバレしてどうすんだよ」
「それはそれ…嘘と解っているからこその、楽しみというのもあるのだよ!」

何か目論見があるらしい東堂の、楽しそうな顔を見れば巻島も、つきあうぐらいしてやるかと、半ばほだされた気持ちになる。

「…で?」
飲み物を取ってくると、立ち上がりかけた巻島を、東堂が慌てて手首をひいて、止まらせた。
「あ…、その、ちょっと待ってくれ…いろいろと、心の準備が……」
「嘘を言うのに心の準備? 嘘ならさりげなくの方が、効果的じゃねえ?」
「違うんだ! その、それは……」

どうにも、よく解らない。
エイプリルフールを楽しむと言うのであれば、油断をしたときにここぞという嘘をついて、それを見抜けるかがポイントのはずだ。
だけど東堂がしたいことは、なにやら違うらしい。
その眼差しが、ひたむきであるだけに、すげなくも扱いにくい。
巻島は東堂が時折見せる、真面目な顔が気に入っていた。

「…オレは、東堂尽八は…巻ちゃんが……だ、大嫌いです」
なぜか敬語になって、正座している東堂は、お預けされている犬のようだ。
「そっか 奇遇だなオレもショ」
涼しい顔で、巻島が返せば、その鋭く上がりがちな眉がへにゃりと下がり、随分と情けない顔になった。

「…クハッ…なんて顔してるんだよ」
「だって……巻ちゃん……」
普段、凛々しいだとか端整だとか、美形振りを褒められている東堂だが、巻島は自分だけに見せてくれる、こういった表情が好きだった。
もっとも東堂は東堂で、警戒だとか意識しすぎて無表情になりがちな巻島が、自分の前だけで見せるこのいたずらめいた表情や、
ふと微笑む美しさに惚れているのだから、おあいこだろう。

そう、東堂尽八は巻島裕介に恋をしたのだと、先日自覚をしたばかりだった。

巻島を思うだけで、顔は上気し鼓動は跳ね上がり、呼吸も荒くなる。
当初はそれを認めたくなかったのだろう、おのれ玉虫の呪いかなどと、いちゃもんも甚だしいことすら考えていた自分が、恥ずかしい。

――ああまで自分と言う存在を、スルーしようとしていた玉虫が、呪いをかけるほどの興味を持ってくれていたのだ。
だとしたら、それは脈ありなのではないかと、訳のわからぬ自分の思考回路を、今となっては埋めてしまいたい。

無理やり聞き出した携帯番号に、はじめて電話をかけたときは無神経で図々しいフリをなんとか貫いたが、実は1時間も前から、繋がったら
何を言おうかどう喋ろうかを必死で考えていたぐらいだ。
もっとも通じた瞬間に、嬉しさが脳天へと貫いたのか、シミュレートしていた予定はすべて消えた。

あの時の自分はやはりバカで、東堂尽八のすばらしさと、それに張り合える巻島裕介の素晴らしさについてをひたすら喋っていた。
…浮かれていたとはいえ、なんて内容の電話だ。
1時間付き合ってくれた巻ちゃんは、優しかった。
それでも最後には「結局自画自賛したくて掛けてきたのかよ」と、呆れられた記憶がある。

つい少し前の事だが、何と言う厨二病的行動と、東堂はまれに思い出してはベッドの中で顔を隠して、転げまわっていた。

自分を相手に、健気に告白をしてくれる女の子は何人もいた。
自転車レースに集中したいと、断っていることは噂になっているだろうに、それでも気持ちを伝えたかったと微笑む様子は、特別な存在にはならなくても、いじらしく感じた。
巻ちゃんも、…巻ちゃんも自分が告白すれば、少しは意識をしてくれるのではないだろうか。

だが突然に、レース終了後告げてしまえば、逃げられてしまい、公式戦以外で出会えなくなってしまうかもしれない。
それはイヤだ。
だから、考えに考えて思いついたのが、エイプリルフールを利用しての、冗談交じりの告白だった。
場所は巻島の部屋、そうすればすくなくとも、その場ですぐに逃げられることはない。
時はもう外出できないように、着替え終わって室内着になった後。
まさに絶妙のタイミングが、狙ったかのように訪れての、当人にとっては一世一代の行動だ。

ああ、オレに告白をしてくれた彼女たちは、こんなにも心臓が爆発しそうな気持ちで、来てくれていたのだな。
ありがたさと、少しの申し訳なさが心によぎるが、自分の心を揺るがしたのは巻島裕介だけだったのだ。

断られてきた彼女たちに、こんな気持ちを味わわせていたのか。
今更ながらに巻島のおかげで、また未知だった新しい気持ちを味わえたが……これは、悲しいものだと、東堂は正座の上の拳をぐっと握った。

「…大嫌いって言ってきたのは、お前が先だろうが」
頬をかきながら、気まずげに目線をそらす巻島の言い分はもっともである。
だが、しかし、自分の計画は違うのだ。

「オレはエイプリルフールで、嘘を言うって……」
「ああ」
「だから、オレはつまり…巻ちゃんを……」
「ん」
「…巻ちゃん?…」
「…言ったショ?オレも、同じだって」

しばしフリーズした東堂は、巻島の言葉を反芻させた。

エイプリルフール→オレ、嫌いと言う→巻ちゃんショックを受ける→嘘だよ!反対の意味だよ→ハッピーエンド!!
こちらが、本来の予定だった。
エイプリルフール→オレ、嫌いと言う→巻ちゃんがオレもという→オレがショックを受ける→嘘だったよ→ハッピーエンド!!
現在の状況は、こちらだ。

――あれ?オレハッピーエンドに辿り着いている…?

「…巻、ちゃん」
「…ショ……」
「巻ちゃん!巻ちゃん!!!巻ちゃん!!!」
「クハッ なんだよ」

「えっと巻ちゃん、巻ちゃん、だ、大嫌いだ これからずっと一緒に居てほしくない!」
「…東堂 オレは自分が捻くれ者だから、素直なヤツが好きショ」
「すみません!!オレは巻ちゃんが大好きです!!!!ずっと一緒に居たいっ!」
「…素直すぎだろ、お前」
正座をしたままの東堂の絶叫に、巻島は優しく笑った。

ふわりとした、心を開いた者にしか見せないであろうそれは、東堂の視線を奪う。
「…返事は、くれないのかね?」
巻島のその笑顔で、全部をもらえている気持ちになるが、それでも東堂は言葉が欲しかった。

少し首を傾げた巻島は、顔を紅くしながらも射抜くように自分を見詰める東堂の唇に、そっと人差し指を伸ばし触れる。
「オレは…お前と違ってトークも苦手だ でも…さっき言ったよな『素直なヤツが好き』だ…って」
そして言った、「素直すぎだろお前」の台詞。

背筋がぞくりとしたのは、東堂が自分の想像から一方的に、悦ばしさを認めただけではなく、巻島も同じように思っていると確信できたからだ。

「巻ちゃん!」

すぐそばにいるのに、触れてはいけないように思っていた存在。
だが今は、誰より近くで、自分を許してくれている。
――愛してるだとか、誰よりも大事だとか、そんな思いはまだまだ口にはできないけれど、この歓びと嬉しさと、好きだという気持ちが伝わればいい。
東堂が腕を伸ばしても、巻島は逃げなかった。

それでも、多少の気まずさを感じているのだろう。
耳たぶを紅く俯く巻島は、いたたまれないように、顔を背けた。
「巻ちゃん、真っ赤だ」
「……やっ……見んな……」

まともに顔をあわせようとしない巻島が、今まで以上に心をかき乱す。
――捻くれ者だとか自称しているけれど、巻ちゃんはこんなに素直で、こんなにかわいい。

ああもう触れてもいいのだと、東堂は抱きつき、その背中に腕を回した。