【東巻】自分越しのプロポーズ



(…何だ、これ)
目の前に広がる、非日常的な光景に、巻島は目がうつろになっていた。

総北自転車競技部部室は、プレハブではあるが独立した個室を持っている。
その中央に、長方形の机があり、巻島側には金城、田所、巻島が並び、机を挟んだ向い側には、膝に手を乗せた東堂が、「正しい座り方」の見本のような姿勢でそこにいる。
まるで面接のようだと、巻島がぼんやり思っていると、金城は机の上に両肘を置き、指を組ませ顎の下に置いた。

「さて、東堂」
……あれ、これマジ面接官?
金城の落ち着いた雰囲気は、正直社会人に近しいものがあって、その見解も不自然ではない。

「うちの巻島に、交際を申し込んだそうだが …君が巻島にふさわしい人物か見届けさせてもらおう」
「ショォォォォッ!?」
衝撃で立ち上がった巻島は、荷物置きである机下のパイプ部分に、全力で膝をぶつけてしまったのだが、そんなことは問題ではない。
何で東堂がここにいるんだよ、と考えてはいたが、まさかの原因:自分であった。
先日、東堂に交際を申し込まれていると、金城に相談をしたのは事実だが、まさかの結果である。

「お父さん!オレは真剣です!!何でも聞いてくださいっ」
「東堂 お前もなに言ってるッショォォォ!!」
生真面目に見えるが、案外ノリ良い金城ではある。
しかし、巻島としては友人と言うより身内意識が強く、ツッコミにくい。
必然的に東堂に、叫びはむかざるをえないのだが、東堂は何を考えているのか、力強い眼差しで、『安心しろ』とばかりに、巻島に頷いた。

「ふむ …ではまず、巻島との将来をどう考えているんのか、聞かせてもらおう」
「はい オレは将来プロを目指しています もちろん世界レベルの活躍を前提としておりますので、巻ちゃんには少々、寂しい思いを多少させてしまうかもしれません」
そこで、一度言葉を切った東堂は揺るがぬ目で、金城を見据えた。
「しかし、オレの甲斐性で長期滞在可能なホテルやフラットを用意するぐらいはいつだってできるようにします」
「オレがこう言っては何だが、自転車競技は危険がつきものだ 将来…万が一だが 何かあったらどうする?巻島に生活をまかせるのか」

(ちょっと待ってくれ、オレ不在で、何でオレと東堂との未来が語られているんだ)

オロオロと左右に首を動かし、金城と東堂を見遣るが、当人たちは真剣に語り合っている。
「オレの実家は歴史ある旅館です あ、お兄さん その饅頭はうちの名物なのですが、いかがでしょうか」
「おう、うめぇなこれ みやげの饅頭なんて、どこも似たようなもんかと思ってたけどちょっと違うな」
「よろしければもう一箱、いかがですか?」
にこやかに東堂が、【東堂旅館】とプリントされた包み紙の箱を差し出せば、田所はこくりと頷き、受け取った。

「おぅ金城こいつ、大丈夫だ 少なくともこの饅頭を作る実家でなら、まがい物じゃねえな」
「お兄さん…!」
東堂がそっともう一箱上乗せし、田所は親指を立てて、男らしく笑う。
「巻島は少し 臆病なところもあるからな、頑張れよ!」

――いやいやいや、ちょっと待て。
オレの左となりで、何か茶番が進められていると思ったら、田所っちはもう陥落されていた。
何これ、意味わかんない。…金城…金城なら、何とかしてくれる!!

「ああお父さん、会話中に大変失礼を致しました 今、申し上げました通り、実家は旅館です 何かあったときに頼るというのは最終手段ですが、
仕事に困ることはありませんし、巻ちゃんの生活だけは絶対に保障します」
「ほう…若いのにきちんと考えている」
低いバリトンは、耳に心地よいが…言っていることはおかしい。

…金城、お前オレ達と同い年だよな?実は何才か年ごまかしたりしてねぇよな?

「君は見る限り好青年だし、将来についてもしっかり考えている」
「ありがとうございます」
「しかしだな 東堂…何故巻島が、君について不安に思うか、考えたことがあるかな」
「…巻ちゃんを、オレが不安に…!?」
少し驚いたように、立ち上がりかけた東堂だったが、深く息を吸って再び落ち着きを取り戻した。

このメンタル面での東堂の強さも、巻島はひそかに憧れる。
しかしその使い道、今は間違っていませんかと問いかけたい。

「申し訳ありません…オレは…巻ちゃんの不安に 気づいていませんでした」
「いや それは仕方がないだろう コイツは自虐的でありながらも、プライドが高い 好意を持った相手に自分の弱みを見せようとしないんだ」
「好意を持った相手……」
甘美な響きを持って、自分に目線を送る東堂を、巻島は避けるみたいに俯いた。
だがそれでも、紅くなっている耳朶は隠しようもない。

「オレの…何が悪いのでしょうか」
巻島に問い詰めても、絶対に答えてもらえないと、東堂も理解しているのだろう。
金城は重々しく頷き、田所は新しい饅頭を、もう一つ食べた。

「東堂は女性に人気があるようだな それも道理にかなっている事だと思うが… だがそれが巻島を不安にさせている」
「そんな… 確かにオレは女性の声援が多いです! しかしオレは巻ちゃん一筋です!!」
「なるほど」

「……なあ、オレ帰っていいか?」
饅頭を貪る隣の友人に、ぽそりと巻島が尋ねるが
「オレが付き合ってるんだから お前が帰っていいはずねえだろ」と言われれば、もっともである。

しかしなぜ、自分宛の告白を金城が聞くという羽目になっているのか、考えれば考えるほど、巻島にはわからなくなるのだ。

「オレは自分に好意を持ってくる相手を無碍に扱うことはできません しかし!オレ自身が動いて幸せにしたい…一緒に幸せになりたいと心から願うのは、巻ちゃんだけです!」
「よく言った!! 巻島との付き合いを認めてやろう」
「お父さんっ!!!!」
「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇっ!!」

目を潤ませた東堂が、金城の拳をとり、謝辞を述べる前に、巻島が割って入った。
「おかしいショ!? オレは、東堂と……その、どうしようか悩んでるって相談したのに、なんで認めるって話になってんだよ」
動揺で目眩を起こしそうな巻島の肩を、金城がそっと叩いた。

「お前がイヤだというのなら、反対した …だがお前は、自分でいいのかと迷い、背中を押して欲しがっているように見えたからな」
「そうそう、お前が迷ってる時点で 答えでてるよな」

巻島にとって、東堂はすぐ近くにいても、触れてはいけないような、存在に感じていた。
だが金城に呼び出され、迷わずライバル校へ乗り込んでくるほど、巻島に惚れているのだと、身を持って証明している。
「こいつなら、大丈夫だ」と、金城と田所が揃って告げた。

途方にくれたみたいに、眉根を寄せる巻島の背を、金城が物理的に押した。
バランスを崩しかけた巻島を、まるで待ち構えていたみたいに、東堂が両腕を広げ受け止める。
「巻ちゃんっ」
嬉しさを隠し切れない声に、まだわずかないたたまれなさを感じて、巻島は東堂の胸に顔を埋めた。

「――巻、ちゃん」
気が付いたら、自分ばかりが振り回されているようなのに。ここにいるみんな、巻島の幸せの為に集ってくれているのだ。

目尻にこみあげてくるものを、必死で飲み下そうとする巻島を見て、東堂が優しく微笑む。
「巻ちゃん……オレと付き合って」
「……ん………」
こくり、と小さく頷けば、己の思いを伝えたいみたいに、東堂は強く抱き寄せてきた。

「では今度は、箱根学園にオレ達が挨拶に行く番だな」
室内なのに、サンシールドを被った金城が、眉間を押し田所へ向いた。
「えー 親父めんどくせぇよ オレはいいだろ」
「何を言うか 我が家の母さん、アシストはまだ1年だ 兄貴であるお前がおぎなってやれ」
「しょーがねーなあ… まあ新開にも久しぶりに、食べ放題お勧めの店聞きてぇからいっか」

……何だ、これ。まだ続いているのか

長年つきあってはいるが、金城のノリはいまいちわかり難いと、硬直しかけた巻島の頭を、大きな掌が二つ包んだ。
「幸せになれよ 巻島」
「良かったな」

煮え切らない自分が、どうしていいのか立ち竦むのを、周囲が素早く道を作ってくれる。
この心地よさを、温かさをどうすれば言葉にして伝えられるのだろう。
ほとんど聞き取れないような声で、「東堂…好きだ」と伝えれば、その深い色をした瞳が、自分を慈しむように細められた。

「金城と、田所っちも……大好きっショ」と思わず続けてしまったのは、告白してくれた相手の腕の中で、ひどかったかもしれない。
だが、東堂は吐息をついて
「しょうがない…ただし、今後の巻ちゃんの大好きはオレが独占させてもらおう」と笑った。

東堂の首筋から、少し汗に似た匂いがした。
だがそれは、嫌なものではなく、巻島はこれからこの香りに馴染んでいくのだろうと、陶酔にも似た感覚を味わっていた。