【東巻】満たされるのは


fフォロワーさんリク [東堂が巻ちゃんに恋に落ちるというか、落ちていたと自覚する]後ろ側で書いてみました
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「巻ちゃーんっ!!」
それまでの、落ち着いた表情はどこへ行った。

視界の端に、緑の髪が映ったかと思った次の瞬間には、東堂は全開の笑顔になって、打ち合わせ中の荒北に背を向けた。
(…ああ またか、止めるのもめんどくせェ)
話が終わってからにしろと言っても、どうせその間そわそわと落ち着きなく、東堂はこちらの言葉を半ば聞き流すに違いない。

荒北が早く行けと、掌で払うように追い立てれば、東堂は少し驚いた表情の後、「すまんね!今日は巻ちゃんにどうしても報告したいことがあるのでね!」
と、巻島に向かって走っていった。
典雅にストローを利用して、スポドリを飲んでいた巻島は、荒北の方を指差し、首を傾げている。
おそらく荒北がスコアボードらしきものを持っていたので、タイミング的に大丈夫なのかと、尋ねているのだろう。

東堂と違って、相変わらず巻チャンは周囲を気にするねェ。
あのバーサク巻ちゃん状態を相手にするより、気が済む程度に喋らせた後の方が自分は楽なのだから、気にするなと伝えたいが、あそこに割り込むのは、もっと面倒だ。
手を顔の前で左右に振って、こちらは無問題だと動作で伝えれば、巻島は軽く首を屈め、すまないと返してきた。

ちょうどいいからこちらも休憩するかと、テントに戻り、ボトルとタオルを掴んだ荒北の背後から、新開が「いいのか アレ」と呟くように尋ねてきた。
「…いつものコトだろ」
振り返らずに答えると、新開はそうか?と少し低い声だ。

東堂が巻島に懐いているのは、すでに箱学で知らぬ者はいない。
何を今更心配するのだと振り返れば、新開の視線の先の、巻島の様子がおかしかった。

巻島と出会えた事の悦びを、ひたすら全身で表現している東堂に対し、巻島の顔色は血の気が引いているように見えた。
ただでさえ白い肌が、レース後の熱も引かせ、紙のような色になっていた。
巻島がそれでも懸命に笑顔と作ろうとしているのが、遠めにも痛ましい。
だがはしゃいでいる東堂は、その不自然さに気が付いていないようだった。

「…尽八 裕介くんに何を言ってるんだ?」
「…どうしても報告したいことがあるとか、言ってたけどォ」

何を報告をすれば、ああも巻島を変化させることが、できるのだろう。
東堂の言葉が影響をしているのか、していないのか。
―いや、確実にしているだろう、自分に頭を下げてきた巻島は、いつも通りだったはずだ。
どちらにしろ、あれは止めなくてはと、荒北が二人の方に進めば、新開も案じていたのだろう、ともに付いて来ていた。

「オイ、東堂」
「む、…何だ荒北 オレと巻ちゃんの邪魔をしないで欲しいな!…と言いたいところだが、今日は特別に勘弁をしてやろう」
巻島との会話に、他者が割って入っても東堂の上機嫌が変わらないのは珍しい。
だが目の前の、巻島の様子にも気配りができていないのはどうかと、荒北が眉尻を上げた。

「ちょうどいい、お前たちにも披露してやるか」
コホン、とわざとらしく縦にした拳と口元に寄せ、咳払いをした東堂が胸を張った。
「巻ちゃんには一番に報告したかったからな! 次はお前らにだ…オレに、彼女ができたぞ」
どうだと得意満面な東堂に対し、目を瞠ったのは荒北と、新開だった。

「あ、いや まだ正確には彼女ではないんだがな!…今日のレース終了後に、申し込みを受けようと思う」
照れくさそうに、頬をかく東堂は、巻島にはもう告げたからお前たちにも解禁をしたのだと、続けた。

…なるほど、巻島の様子にも納得だ。

東堂は二人の驚愕の意味を、少し取り違えているらしいが、新開と荒北が驚いているのは事実だ。
だって東堂は、巻島の事を好きだと思っていたのだから。
遠目から見ていても、あふれ出ていた思いと行動は、巻島にも勘違いをさせてしまっただけでなく、自分たちにさえ思い違いをさせていた。
東堂尽八は、巻島裕介を好きなのだろうと。

――違う、こちらの思い違いなんかじゃないだろう。
誰がどう見たって、東堂と巻島の関係性を知らぬものだって、睦みあうように微笑む二人を見れば、勘付いたはずだ。
この二人は惹かれあっているのだろうと。

もっとも、そこまで無防備な表情を巻島が人目に晒すことは少なく、信頼しているもの達の前か、東堂と二人きりでいるに近い時だけなので、
東堂ファンクラブの女の子たちは、察していないのかもしれない。
自分たちが知った時にも、まだ警戒の塊だった巻島を、よくあそこまで懐かせたものだと、感心すらしていたのに、…これは酷い。

東堂の好意に対し、巻島が徐々に心を開き、東堂を好きになっていく様子は、同性の同級生という立場から複雑ながらも、ほほえましかった。
…それが、ひどい裏切りだ。
警戒して、傍に寄らせもしなかった仔猫を拾い、さんざん甘やかして懐かせた挙句、また放りだしたに近い。

「…ヘェ、良かったジャン」
そっけない荒北の口調も、いつものことだからか、東堂は素直に「まあな!」と返す。
そのほんの少し、照れたような東堂の顔が、無性にむかついた。

「その子は、ちょっと巻ちゃんに似ていてだな、目元にホクロがあって、髪がふわっとしていて長くって……」
東堂が言葉を重ねれば重ねるほど、荒北は眉を寄せ目を細めた。
同様に新開も、日頃たやさぬ微笑みは消え、真顔に近い表情で東堂を見ている。

――お前、いい加減に黙れ。

荒北がそう告げなかったのは、巻島がふわりと笑い、「良かったな」と言ったからだ。
第三者である自分が見ても、その微笑みは繊細で、そして本物だった。

「てめェ、その子に返事すンだろ だったらさっさと行けよ」
「そうなんだが… お前たちは帰らんのか」
「オレと新開は、巻チャンと約束してんだよ」

サラリと嘘を告げれば、東堂は信じられないみたいに、数度まばたきをした。
「お前たちが?巻ちゃんと…? オレは、聞いてないぞ」
「なんでてめェに許可もらわなくちゃ、いけねえんだよ」
荒北の声が尖ってきたのと、自分を案じての台詞だと察したのだろう。
巻島が「ちょっとお前に言いそびれた、悪ぃな」と重ね、東堂へ手を振った。

「早く行けよ 女の子を待たせるものじゃねえだろ」
「む…しかし……」
「しかしもかかしもねェ! こっちはこっちで仲良くしてんだ早く行っちまえ!」
「尽八 別に裕介くんにオレ達は絡もうとかそんな真似はしない」

ただ、お前の行動は友人として、巻島に謝罪をしたいものだという、新開の後半の言葉は飲み込まれた。

東堂に悪気はない。
だからといって、こんな切なそうな顔を人にさせておいて、それに気づかぬ純粋な残酷さは、あてつけの一つもいいたくなる。
「お前に彼女ができたら、巻チャンと一番仲いいの オレ達になるかもねェ?」
「…認めんぞ」
「てめーの許可なんていらねえって 今いったばっかだけどォ?」
語尾を延ばした、挑発的な荒北のものいいに、さすがの東堂もその皮肉を察したのだろう。

何か言いたげに、唇を開くより先に、巻島がもう一度「早く行け」と言い聞かせるように囁いた。
名残惜しい様子で、何度も振り返りながら東堂は、仕方がないとばかりに、巻島に別れを告げた。

東堂の姿を消すと、残ったのは沈黙だ。
それを破ったのは荒北で
「すまねェな、巻チャン アイツ、バカだからよォ…」とそっけないながらも、真摯な口調だった。
「尽八に、悪気はないんだ…ただ、バカなだけで」
やはり真面目な顔で、荒北ほど直裁的ではないが罵詈を吐く新開に、巻島はひきつりそうな頬を上げて、小さく口端を上げた。

だが。
その無理な表情は、同時に、一筋の涙をこぼれ落とさせた。

自分でも予期していなかったらしいそれは、白く滑らかな肌に映え、綺麗だった。
「クハッ……みっとも……ねぇな……」
巻島がグローブをつけた手で、目元を擦ろうとするのを、新開が留めた。
「目に傷が出来たり、バイキンが入ったらよくないよ …それに、泣けるならここで泣いておいた方がいい」

ふわっと包むように、背中に重なった掌が熱い。
その抱擁は、純粋な友愛と気遣いに溢れていて、巻島は素直にそのまま、新開に抱きしめられた。
同時に、背後から荒北の手が巻島の髪をかき乱すように、撫でる。
その不器用っぷりは、どこか自分の行いを思い出させて、巻島は泣きながら小さく笑った。

「アイツはさァ… 煩悶とかそういう感情から遠いヤツだから、本気で解ってねえんだと思う」
だからといって、許せとは言わねえケドと続けた荒北に、巻島は不思議そうに首を傾げた。
「お前ら、変なヤツだな… 東堂はオレなんかより、普通に可愛い女の子と一緒になるほうがずっと幸せっショ」
だから友人として、祝ってやってくれと、心配りを忘れない巻島が、健気だった。

それ以上続けなくていいとばかり、新開の抱きしめる腕の力が強まる。
そのぬくもりは、少し傷ついた自分を癒してくれるようで、巻島は逆らうことなく、その身をゆだねた。

滅多に会えぬ巻島自身から、その場から去るように進められた東堂は、どうにも納得がいかなかった。

(…何だと言うんだ、荒北の奴!)

それなりに女性に人気のある自転車競技部であったが、現在彼女持ちは非レギュラーに数名が存在するぐらいだ。
自分がレギュラー陣、彼女もちの筆頭になるのが、ねたましいのかと、考えてみても、新開と揃っての反応は不自然だった。
歩みを進めるごとに、イラつく気持ちが高じてきて、東堂は歩みを止めた。

無理に追い返されるようにされただけでなく、自分を抜いて、あの二人は巻島と約束をしていたと言う。

(巻ちゃんも、巻ちゃんだ オレはオレの秘密を一番に報告したのに、どうしてあいつらと会うと、一言くれない!)
理不尽かもしれないけれど、納得がいかなかった。
早く待たせている子の元へ行けといわれたが、こんなもやもやを抱えて、笑顔が浮かぶはずもない。
あいつらに、うらやましいのだと認めさせてやろうと、変な意地を持ち出した東堂は、踵を返した。

「…嘘、だ………」
呆然と信じられないみたいに、東堂は呟く。
テントの向こうに見えたのは、予想もしていなかった光景だった。
三人が和気藹々と話していたのであれば、東堂は大股でその場に割り入り、巻島と他の二人を引き離していただろう。

だが目に入ったのは、巻島を中心に、慰めるように取り巻く荒北と新開。
東堂の視線に気が付かない新開は、巻島を優しく抱きしめていた。
日頃東堂との接触すら、巻島は軽く眉をひそめてかわすぐらいなのに、むしろ縋るように俯いている。

理由のわからないざわめきと、不快感から鼓動が昂ぶり、東堂の胸を苦しくさせた。

顔を上げた巻島は、儚げなぐらいに、ひっそりと泣いている。
それを見守るように、あやすように新開はゆるやかない背中を叩いていた。

(はらはらと涙をこぼす、巻ちゃんの…あんな表情…オレは、知らない。おかしいだろう 何故、オレじゃなくてそいつらなんだ どうして巻ちゃん 巻ちゃん巻ちゃんっ…!!)

――嫌だ、と思った。
巻ちゃんが笑うのも泣くのも、オレが一番傍にいるべきだ。
巻ちゃんに優しくするのだって、腕の中に収めるのだって、全部、全部オレの役目のはず。

ほんの少しの距離を、東堂は全力で駆け出した。
荒北の脇から巻島の肩を掴み、強引に自分の方へと向かせる。

「巻ちゃん……!」
何があったとも、どうしてとも、いろんな思いは渦巻いていたのに、涙を流す巻島を目前にすると、言えなかった。
「え……東…堂…?なんで…」
潤んだ瞳を隠そうと、目元をこすり始めた巻島の手を、東堂が手首を掴みとめる。
「なんで、何で泣いてるんだ」
あんなに憂いを帯びた、つらそうな顔で。

「…巻チャンの好きなヤツが ボケナスすぎんだよ」
ハッと横を向き、吐き捨てるような荒北の声。
(どうして、荒北は知っているのに、荒北には言えるのに…オレに、言ってくれないんだ巻ちゃん)
「そうそう、そんな悲しい恋は早く諦めて、裕介くんにふさわしい人を探すべきだと思うね」
乗じた新開も、事情を知っているのだろう。

同校の人間である自分よりも、今は巻島のほうを庇うみたいに、二人は東堂を見る。

「悪ィな…東堂 せっかくの楽しい気分のとこ、水差して… オレは…大丈夫だから、頼むから行ってくれ」
お前がいると、泣けないといわれた気がした。
「……嫌だ」
「東堂ォ…」
「い・や・だ!」
途方にくれた、子供のような顔の巻ちゃんを、愛おしいと思った。

―――愛しい?

今、オレは巻ちゃんをどう思った?
オレには彼女になろうとしている子が、今待ってくれているはずだ。
巻ちゃんにどこか、似ていて…いいなと思った女の子。

「てめェは『巻チャンに似てる』子が待ってンだろォ? さっさと行けよウゼェ」
「…似ている子じゃ、ダメなんだ ……オレは……」
脈絡もなく、言いたい言葉が喉につまり、逆流したように混乱して、イラついてしまう。
何故、ダメなんだ、…では、何ならいいんだ。
………欲しいものは、そこにあった。

………そうか、ごめん巻ちゃん。

「オレは巻ちゃんじゃないと、ダメだ」
小さく息を飲んで、巻島は軽く目を瞠っていた。
だが東堂の言葉を、反芻するかのように唇でおいかけた後、再び目を瞑り、嘘だというかわりに、首を振る。

そのかたくなさと、目蓋を伏せた表情は、東堂への拒否ではなく、たじろぎのようだった。

仕方がないなと、巻島の耳たぶ近くで、からかうような呟きが聞こえ、新開が後ろに下がった。
しょうがねぇなアと、荒北も一歩横へ退いた。
東堂と新開に挟まれるように、立っていた巻島は、そっとその背を押されれば、一歩踏み出さざるを得ない。

「尽八、おめさん相手の子には心から謝って来いよ」
「ああ」
バランスを崩した巻島を、すかさず東堂は両手で受け止めた。
強い力で、巻島の腰を抱き寄せ、離さないとばかりにその腕の中に封じ込める。

「ボケナスのくせに、一番おいしいとこ持ってくってムカツクよなあ」
「ああ」
荒北の、見透かすような眼差しにも、東堂は微笑みで答えた。
「…ケッ 幸せ満タンって表情しやがって」
「ああ」
「今度 おごれ」
「ああ」
「ついでに可愛い子紹介……やっぱいいワ 手前ェ相手に惚れるような趣味の悪いヤツじゃ話あわねぇし」
「ああ」
「オレはバナナパフェと苺パフェとチョコレートサンデーでいいぞ」
「ああ」
「…ダメだ、コイツ聞いてねェ」
「オレ達二人で言質をとって、裕介くんも聞いてるから大丈夫だよ」

……コイツやるなと、食べ物に関しては、策略のきく新開を、荒北があらためて眺めていたのは、余談だ。


巻島が、無言のままでいるのが怖いみたいに、東堂はそっと巻島の俯いていた顔を、覗き込んだ。
長い髪で表情が隠れているので、両頬に手を置き持ち上げる。
「や――見んっ…な……」
東堂の手を引き剥がそうとあがく巻島だが、どこか弱々しげで、消え入りたいようだ。

「鈍くてごめん、巻ちゃん」
そっと首を振る巻島だが、それでもかたくなに目線を合わせようとしない。
胸を押して、距離をとろうとするその仕草に、せつないような苦しいような気持ちが湧き上がる。
「巻ちゃんにも…相手の子にも…ひどいことをしようとしていた」
「……お前の選択が、普通っショ……それが正解だ…… 離せよ」
「離さんよ まだ……巻ちゃんは許してくれるのだろう? オレは巻ちゃんの特別になりたい」

ぎゅっと抱き寄せれば、巻島の睫毛が涙で潤んだ。
「お前っ…ずるっ……ひどい……」
「うん、ひどいな だけど巻ちゃん、そんなオレを好きになってくれてありがとう」
「うぬぼれンな バーカ……」

泣くように、それでも花が綻ぶように巻島は笑った。
「…好きだ、巻ちゃん」
強引な力で、東堂は再び巻島の腰を抱き寄せた。
「………ん……オレ、も………」

ああオレは、巻島裕介をずっと好きだったのだ。
巻ちゃんの、笑顔も泣き顔も、まぎれもなく今オレの腕の中にあって、オレは欠けていた何かで、ようやく充たされた気持ちになった。

「好きだ」
巻島の耳朶に触れるように唇を寄せ、東堂はもう一度告げた。