【東巻】doggy style



巻島裕介は、幼馴染である4歳年下の、東堂尽八を可愛がっていた。
東堂庵の 隣家に巻島家が別邸を構え、仕事の都合上しばらく箱根に住むと、挨拶に現れたその場で、東堂家の長男兼末っ子である尽八は、もとからの人懐こさ
を差し引いても余分なぐらい、巻島裕介にひたすらに懐いていた。

本来人見知りで、引っ込み思案な巻島は、子供の頃からそれは変わっていない。
だが不思議と東堂と巻島は、出会ったときからまるでそれが当たり前のように、いつも一緒にいることを当然としていた。
隣と言っても東堂庵は老舗の旅館であるため、色々な方角から随分距離があるのだが、巻島邸があるのは東堂の私生活をするための住居部分であるので、
まさに名実共に「仲の良いお隣さん」である。

巻島邸の『しばらく』という猶予はどれほどなのか、よく解らないが巻島と東堂の付き合いは、もう10年を越えようとしていた。
互いに不在がちな両親を持っているので、家族ぐるみの付き合いは深まり、特に裕介と尽八は、実の兄姉が自分より懐いているのではと、苦笑する程度に
二人むつまじく遊ぶ姿がよく見られていた。

そうやって幼少時には、積極的に巻島裕介のあとを付いて回っていた東堂だったが、中学になる頃に様子が変わった。
オシャレに目覚めたと、同世代との行動を好むようになり、「巻ちゃん巻ちゃん」と喧騒的につきまとうことがなくなったのだ。

それは少し寂しかったが、東堂にも東堂の生活があるし仕方がない。
巻島はそう割り切ったのに、なぜか東堂は今でも「勉強を教えて」だの「グラビア見せて」だの理由をつけては、不定期に訪れ巻島の部屋に入り浸っていた。

口下手な巻島は、うまく断る口実も見つからず、東堂を自室に上げる。
少し前までは、うるさいぐらいにこちらに語りかけていたのに、最近の東堂は黙ってただ、巻島を見ていることが多かった。
その視線は、常になにか言いたげで、巻島は居心地の悪さを覚えている。

「巻ちゃん、ここ教えて」
今年受験生でもある東堂は、口実だけではなく、本当に巻島に勉強を習っていた。
文系は古典も現代文も得意で、歴史にも強いらしいのに、東堂は英文には弱い。
先日少しもふざけた様子もない口調で、
「巻ちゃん doggy style ってなに」と問いかけてきた時は、巻島はどこでそんな単語を知ったのかと頭を抱えた。
よくよく聞いてみれば、ペットショップの名前だとのこと。
犬のヘアカットなども手がけている店らしいが、まず辞書を引いて店名をつけろと、巻島は内心で脱力をした。

ここで、ウソを言うのはたやすい。
だがそれらしい事を伝えてしまって、東堂が人前で堂々とその単語を利用してしまってはの懸念があって、巻島は真実を教える覚悟を決めた。
ごくりと、無意識に空気を大きく飲み込んだのは、その単語が羞恥を煽る類のものだからだ。

「巻ちゃん、耳が紅い」
ガラステーブルに肘をついてこちらを見遣る東堂に、冷静に指摘され、巻島の鼓動はますます早まる。
「…………後ろから、ヤルスタイルのことっショ」
蚊の鳴くような声で、俯き加減の答えは、東堂の耳にはっきりとは届かなかったらしい。
「え、なに聞こえなかった」
なんでこんな目にと、小刻みに震えながら、巻島は再度言った。
「だ、だから!後ろから、するのを 英語のスラングでそう言うんだよ!」
「するって何を」
「………!!」

性教育までは、自分の担当ではないはずだ。
だがしかし……ここで、投げ出したらどうなるだろうか。
担任の先生に聞く→東堂の担任は、まだ若い女性だったと聞く。仮に純粋な気持ちの質問でもアウト。
周囲の友人に聞く→中学三年生というのは、正直純粋さとバカさが入り混じっている。卒業まで「ドギー」なんて仇名がつけられてしまうかもしれない・大アウト
両親 or 姉に聞く→やめたげて

無言になって、頭を抱えた巻島を、東堂は黙って見詰めていた。
こちらの気配から察しろと、心の中で呪うように念じても、東堂の深い色の瞳はただ一心に巻島を追っている。
もうこれは、自分が説明するしかないのだろうかと、なかば覚悟を決めたところで、天啓が舞い落ちてきた。

「その…だな、ちょっとこれは上級者用の単語だから、お前が英文のテストで95点以上取れたら、あらためて説明してやるショ」
そこで一度区切り、巻島は慌てて付け足した。
「だから、他の奴にウカツに聞いたりすんなよ?」

我ながら、素晴らしい逃げ道だった。
東堂は全般的に成績が悪くないのだが、英文に関しては最高得点で85点。
平均して70点程度を無難に獲得しているというレベルなので、95点というのは難しいはずだ。
仮にそのぐらいの点数が取れるようになった頃には、まあ…色々な知識も増えてきているはずだ。
特に多感な青少年時代、巻島があえて解説するまでもないだろう。

「なんだ、巻ちゃんがダメなら先生にでも聞こうと思ったのに」
少し首を傾げた東堂の髪が、サラリと揺れた。

――セーフ!!オレ、ファインプレイ!!!
念を押しておいて良かったと、安堵する巻島に東堂は続ける。
「じゃあさ、オレが95点取れたら今の説明じゃわからなかったってことで、もっと詳しく色々…してくれるよね」
「お、おお」
静かに微笑む東堂は、素直に弟のようで可愛い。
これでもっと質問内容がかわいらしいものだったら、年上の兄的存在冥利に尽きるのになあと、巻島は内心吐息をついた。

**
「はい」
「……なんだよ、コレ」

今日は巻島の家のものは、仕事や都合で全員不在で、巻島はゆったりと音楽を聴いたり、入浴を楽しむ予定でいた。
次に入る者を計算せず、独り占めの長めの入浴時間で、喉はカラカラだ。
…いや、カラカラなのはそれだけが理由ではないかもしれない。

親が不在なのを聞き込んでいたらしい東堂が、差し入れと称したお惣菜を持って来てくれたのには素直に感謝をしよう。
オレも夕飯まだだから、一緒に食べようと言ってきたのも、別に驚くことではない。
驚いたのは、タッパに入った惣菜の後に出された二点の品物だ。

まず最初に出されたのが、96点と記載された英文のテスト。
次に出されたのが、なぜか黒猫耳のカチューシャ。

どちらも巻島に、嫌な予感しか、させてくれない。
「約束したよな 95点以上で教えてくれるって」
「言、言ったけど……このカチューシャは何なんだよ」
「言葉じゃ解らなかったから実践で教えてもらおうと思って 犬耳探したけれど、売っていないから代わりに、コレ」
コツンと拳の骨で、カチューシャを叩く東堂は、イタズラめいた顔ではなく、いつもの表情だ。

これが、自分を困らせてやろうという意図であれば、何か買ってくれだとか、映画につきあってくれだとかの
オネダリ前提の嫌がらせかと思うのだが、そうではない。
唯一の救いは、猫耳が安物のパーティーグッズらしきもので、アダルティな道具ではない点か。
もっとも、オトナの道具を用意してきたら、それはそれで説教という逃げ道も作れたのだが、今の巻島はそんな考えには及ばなかった。

「お、教えてやるけど……この猫耳はいらねェよ」
「いる・いらんは、賭けに勝ったオレの選択だ 巻ちゃん」
――いつ、賭け事になったというのだ。
だからといって、逃げるための方便でしたとも、今更言えない。

口ごもっている巻島に、東堂は近づき、有無を言わさず巻島に猫耳を装着させた。
「うん、かわいいな巻ちゃん」
その健やかな笑顔は、瞬時緊張感を拭ってくれるが、まだ東堂は逃げさせてくれないようだ。

チラリと巻島が扉の方に、目線を送ったのに気が付いたのだろう。
東堂はわざとドアの前に移動し、腰を下ろすと、ゆっくりとそこに落ち着いている。
膝を立て座り込んだそのポーズは、彼の言うオシャレな姿なのだろうかと、巻島は現実を逃避して考えていた。

「教えてよ doggy style」
邪気のない笑みが、いっそ怖い。
「こ、この前教えたっショ! 後ろから、その……する……方法だって…」
「それは聞いたよ だから何をってとこまでね」
「う…っ…」
仕方がない、と巻島はわざと荒っぽく髪を後ろに流し、胸を張る勢いで顔を上げた。
「…セ……セックス………ショ」

恥ずかしさでやりきれなくて、巻島が声を上げたあと俯いたのに、容赦のない声音で
「ごめん 聞こえなかった」
と東堂は返す。
決意をこめて言ったのにと、涙目にならぬよう巻島はぞんざいにもう一度
「セックスだよ!」とヤケになって叫んだ。

「……後ろからで、何でdoggy?」
身近なものから、こんな単語を聞かされては、東堂だっていたたまれないに違いないと踏んでいた巻島だが、それはおおいに裏切られた。

平然と、ただ疑問だから聞くのだという東堂の態度に、巻島は唖然とする。
「尽八……お前、少しは動揺とか……」
「巻ちゃんは、オレの家の事情を知らないから」
ごまかすつもりのないらしい東堂が、肩をすくめて軽く続けた。

「老舗のそれなりの旅館に泊まる客は、全員金持ちの紳士だって思ってる?」
紳士と限定しているが、つまり女性を含めての品格ある人間であるかという質問だろう。
巻島家は金持ちで、自分の両親はそういった人間であると、いう判断は自負ばかりでないだろう。
だから、東堂庵に訪れる客層は、そういった人種ばかりなのだと巻島は思っていた。

「…巻ちゃんは純粋でかわいいな」
年下の男からのこの台詞は、本来であればナメているのかと、半ばあきれ、立腹してもいいものだろう。
だがその裏側には、それが強がりでも見栄でもない何かが、根ざしていた。
いつの間にか近寄ってきていた東堂が、巻島の擬似猫耳を軽く指でひっぱる。
東堂の言葉は、この猫耳に対してのものなのだろうか。
「東堂…?」
「金を持っていて、それなりの家柄でも下種は幾らでもいるよ わざと仲居さんが隣の部屋にいるのを知ってて、声たててやってる奴とかね」

「え……」
何気なさを装った東堂の一言に、巻島は呪縛をされる。
恥じることなく、東堂が微塵も慌てなかった理由が、飲み込めたからだ。
「オレがさ、面倒だから中庭をつっきって帰ろうとするとたまにいるんだよね こっちも客だしと素通りしようとすれば、『見てるだけ』のバイトをしないかって」
「おまっ…… まさ、か……」
「初めてのときはショックだったけど、今じゃ面白くもなんともない おっさんが腰振ってハァハァ言って女はアンアン叫んでるだけで…
まあ、それで、万札単位で礼をもらえるからバイトだと割り切ってるけど」

「巻ちゃんの猫耳姿のほうが、よっぽど刺激的だ」
ゆっくりと伸ばされた東堂の指に、思わず巻島がビクついてしまう。
東堂は、さきほど引っ張ったことでズレたカチューシャを、本来の位置に正して満足げだ。

動揺で眉間を狭めた巻島の様子を、わざと頓着しないみたいに東堂は続ける。
「でも後ろ向きでのセックスって、別に犬じゃないよね?」
「……参考までに聞くけどよォ…お前の言う後ろ向きって……」
「ん?女の方が柱抱いたり木の幹抱いたりして立ってる姿」

………爛れきっている。
東堂の家は、客は客、最高のもてなしを心がけるために、従業員は空気であれと、気配を察せぬように気配りをする躾を、家族にも適応させていたのは知っていた。
だが幾ら『女将』であっても、旅館の『主人』であっても、息子がこんなことをしていれば止めるはずだ。
相談をしようとは思わなかったのかと、目を泳がせた問い詰めれば、そんなことをしたら、中庭を近道しようとしたのがバレて、叱られるだけだと東堂は答えた。
子供時代の天真爛漫さが拭われ、年齢に合わない大人びた表情を、東堂が見せるようになったのを、巻島は単に成長したのだと判断していた。

外見を気にするような洒落っ気がでてきたのに、女の子を相手に、冷めた表情をしているのを、自分が知っていた。
単に気恥ずかしいのだろうと、問いかけなかったことが、悔やまれる。
…もっと自分が気を配っていれば、こんな瞳をさせずにすんだのだろうか。

そんな巻島の逡巡に気が付いたらしい東堂は、巻ちゃんのせいじゃないよと肩を竦めるだけだ。

「そんなことよりさ、質問に答えてよ 後ろからで何で犬?」
どうやら立ち姿の後背位しか知らないらしい東堂に、巻島は眩暈がした。
変に歪みきって、しかも実際に見ている分タチが悪い。
「……お前が見ているのは立ちバックで、ちょっと違うショ」
「違うって何が」
「だから……本当は…こんなふうに女の方」と言い掛けて、巻島は口を噤んだ。
これからのジェンダーフリーの世界、あえて女と断言してしまうのは教育上どうだろうか。

――ここで、教育というのを考えてしまう辺り、巻島はズレた天然だった。

「その…入れ……入れられる方が、こうやって四つん這いになるんだよ」
手を動物の甲のように丸め、巻島が膝だち肘付きで、床の上に少し腰を上げたポーズを取った。
少し目を瞠った東堂が、直後に乾いた唇を舌先で湿すのが、目の端に映った。
どうにも居心地が悪い。

身の置き所がないような心持だが、目の前で見せられるという歪んだ知識より、まだ自分の方がマシな筈だと、巻島は恥じらいに耐えた。
いつのまにか音もなく、東堂が背後に膝立ちで巻島の腰を掴んだ。
「ヒッ…!」
反射的に、息を呑んでしまったのは、内腿を広げるように東堂の膝が割り込んだからだ。

なさけない自分の声に脱力し、上半身の力が抜けたことで、腰を東堂にすりつけてしまうみたいになった。
瞬時に自分の失敗を悟り、下肢に力を入れようとするが、巻島の腰はすでに東堂の局部に当てるように固定されていた。
「なるほど、これで犬…doggyなんだな」

故意にではないのだろうが、東堂が話せば、微細な振動が躰越しに伝わり、巻島を狼狽させる。
「も……もうわかったんなら……離せ」
膝立ちで這おうとしても、東堂が腰を掴み、バランスを崩させて、巻島が距離をとろうとするのを許さなかった。

「巻ちゃんが、オレより純粋だと言った意味が まだ伝わっていなかったようだ」
「…お前が、教えろって…!」
「だからってそれで無防備にこんなポーズをして…巻ちゃんは、自分のエロさを理解した方がいいよ」
「クハッ…生意気言ってんな 『する』の意味もわかんなかったクセによ」
精一杯の巻島の虚勢に、東堂は鼻にかかった笑いをかえし、それがカンに触る。

「おっま……まさか…わざと……」
恐る恐ると無理な体勢で振り返れば、東堂はさらに腰を強く抱き寄せた。
「ご名答、巻ちゃん 巻ちゃんの反応があまりにかわいくてさ …好きだよ」
ついでのように、さらりと言われたので、毒気を抜かれた巻島も釣られたみたいに
「オ、オレもショ」と答える。
だがその言葉に嬉しそうではなく、東堂はなぜか辛そうに、眉毛を下げ、それでも唇に笑いを刻む。
「ここでこんな格好を巻ちゃんにさせて、オレが言った好きが…そんな純粋な意味じゃないんだってまだ気がつかないんだ
 …それとも気がつかないフリをしているの?」

東堂の瞳が、暗い色に染まって見えた。
沈黙がしばらく続き、胃の辺りが焼け付きそうに熱い。

知らない、こんな尽八をオレは知らない。
コイツはオレの大事な弟みたいなもので、いつも無邪気で素直で、オレなんかを追い駆けてきてくれて…。
背中から圧し掛かられ、耳元近くで呼吸をされれば、巻島の背筋がぞくりとざわめいた。

無我夢中で首を振っても、拘束が緩むことはなかった。

「…尽八ィ…、ふざけるのはもうヤメだ… 離れろ」
「――まあ、いいか 巻ちゃんそうやって、幾らでも油断していて」

からかうように背後から聞こえる東堂の声は、巻島の知らない熱と甘さを孕んでいた。
伸びてきた腕は、止まることがなく、静かに巻島の腰のラインを楽しんでいる。