【東巻】獲得したもの



「巻ちゃん!触らせてくれないか!!」
手をわきわきと、まるで別種の生物のように動かしている東堂を、巻島が訝しげに見返す。

いきなり叫んできた当人はというと、意味不明の事をこれ以上はない真剣な眼差しで、つぶやいていて巻島の気力を削いだ。
「絶対に……絶対におかしい!その細い肉付きで、俺と身長と体重もそう変わらんだと!?しかも鍛えてきたオレとそう変わらないだなんて、絶対変だ!!」

変だと叫ばれても、巻島にとっては生まれつきモノをそれなりに鍛えた結果でしかない。
「…ケンカ売ってるなら、買わねえぞ」
「ちがう!オレは巻ちゃんのその体を知りたいだけだ!!」

……往来で、何という事を叫ぶのだ。

今は気持ちよくレースに勝ったあとで、あとはどこかでシャワーでも浴びて、自宅に引き上げるだけだという心地よい時間のはずなのに、
巻島は前々回のレースから、突然懐きはじめた男に絡まれている。
東堂尽八、という名前は今ではすっかり記憶に残されているのだから、この男の存在感は相当なものだ。
人との結びつきは、なるべく希薄でありたい巻島ですら、無意識に姿を探してしまうようになったのだから。

ほんの少し前までは、人を玉虫呼ばわりしていたと思ったら、いきなり苗字呼びを通り越して、誰より親しげに名前を呼ぶ。
その距離感のなさに、少し驚いたが、東堂の表情は常にわかりやすくて、イヤだと拒否する気持ちより、温かさを覚えるほうが多かった。

…だからといって、これはない。

露骨に『なに言ってるんだコイツ』という顔で、巻島は東堂を見据え、無言でいる。
すると、さすがに居心地の悪さを覚えたらしい東堂が、上を向いたり下を向いたりと、忙しくなにやら考慮をしはじめた。

「いやその、変な意味ではなくてだな!……巻ちゃんは、携帯もメアドも教えてくれんし…その、普段連絡とれないから…」
言葉を一度切った東堂が、ようやく周囲の視線にも気が付いたらしく、辺りを見渡し「…とりあえず、あちらへ行かないか」と示す。

東堂が、指差していたのは若葉の密集する、涼しそうな木陰だった。
まだ熱の引かない体には、その下の風も気持ち良さそうで、巻島はそれぐらいならと、愛車を押した。

すげなく断られるかと、覚悟を決めていたらしい東堂が、嬉しそうに笑う。
青葉闇は深く、少し離れた東堂と巻島は、互いの表情を見失った。
まあそれならそれで、悪くないと若葉の落とす影の涼しさに、巻島は木の幹にもたれ、ゆっくりと目を閉じた。
さやさやと、枝の揺れる音が、気持ちいい。

だがそんな静寂は、傍にいた男がすぐに破ってしまう。
「ここでなら人目は気にならんだろう! さあ触らせて確かめさせてくれ」
「……いやショ」
「何故だ!オレは疚しい気持ちではなく………うん、多分ない……ないはず……とにかく!今は巻ちゃんの肉付きを、
その不思議な走りの秘密をこの手で知りたいだけだ」
「だから言い方変えようがなんだろうが、嫌なものはいやなんだよ!」
「む……何故だ 運動部員であればマッサージやペア柔軟など普通に触れ合うだろう」
「それと一方的に触られるのはワケが違うだろーが」

なにゆえこうも、自分に触れたがるのかを理解しかねる巻島が、うんざりと返せば、東堂は深く頷いた。
ああ、ようやく通じたかと安堵するより先に
「そうだな!一方的では不公平だった さあ巻ちゃん!!思い余すことなくオレに先に触れていいぞ!」
と高らかに宣言する東堂は、これみよがしに手を広げ、ハグ待ち体勢だ。

「なんでそうなるんだよ!?」
だめだ、コイツだけはきっと一生理解できない。
眩暈すらしそうな中、痛む頭を指で支えても、東堂はそのまま笑顔で巻島を待っている。
しばらく東堂を見つめ、そのまま地面を見詰め、また東堂を見上げても、事態はまったく変わっていない。

――巻島は、対人関係スキルが、極めて低かった。

このまま言い争いをしても、東堂はきっと腰にかじりついて、自分の思いを遂げようとするだろう。
しかもそれは悪意や、裏のある気持ちでなく、レーサーとしての体具合を確かめたいというのであれば、引かないに違いない。

今日のレースは接戦で、巻島は今それに抗えるだけの体力がもう、残っていなかった。
小さく吐息をついた巻島が、片腕を腰にあて、もう片方の指先をチョイと動かすことで、自分に近寄れと東堂に示した。

すぐさまに、その意図を察せられるカンの良さは、嫌いじゃない。
嫌いではないが、前もって釘をさしておこうと、抱きつく寸前の東堂の額を押して、しばし距離を開けさせた。
「これっきりだからな!…人前で今後 オレに触ったとか言ったら」
「言ったら?」
「………えっと………もう口きかねえショ」
「言わんぞ!!絶対言わん!」

だから早く触らせろとばかりに、腕を伸ばしてくるな。
東堂がまず触れたのは、巻島の腰だった。
両手でウェスト部分を囲うその体勢から、指を動かし巻島の肉付きを確かめている。
「なんだこの細い腰は! 細いだけじゃなくて薄いぞ!」
以前の情報交換で、巻島と東堂の身長・体重は大差がないとわかっている。
それなのに、巻島の腰は触れた瞬間に、骨の位置が即座に判定できるほど、ぎりぎりまでそぎ落とされている。

だがその感触は、不思議と悪くなかった。
ごつごつしていそうな印象なのに、なぜか滑らかなのだ。
腰を握る力を緩め、さわさわと東堂が掌をそのラインに沿って上下させれば
「ひっ…」と小さく息を呑む音が聞こえ、巻島が羞恥で真っ赤に染まっていた。

つられたように、鼓動が高鳴る東堂の頬も、紅色にかわる。
……男二人で、顔を赤らめあって何をやっているんだと、思っていたことは共通だったが、互いにそれを言い出せずにいる。

――ここで「敏感なんだな」といえば、ただのセクハラだし、「くすぐったいか?」と聞けば、今の反応見りゃわかるだろうと殴られかねない。

――ここで「離せ」と言ってしまうと、今の東堂の手つきに、奇妙な声を返してしまった理由を追求される。

((……困った……))

目を合わせるのも気まずいと、熱心に巻島の肢体だけを眺める東堂だが、よく考えてみればそれも変だ。
意図していないものとはいえ、ひたすらに巻島の体を追い、手で確かめているのだから。
無言でいるいたたまれなさを、ごまかすように巻島の体を指で確かめるほど、その細さに驚嘆し、また同時に自分でもよくわからない感覚が東堂を支配した。
無意識に、喉がごくりと動く。
グローブ越しでいるのが、もったいなくて東堂は口端で、指を覆う先端部分を挟み脱ぐ。

鍛えた手のひらは、武骨で、指先と手首が日で灼けていた。
腰骨をくすぐるようにふれられ、巻島はまた「んっ…」と漏れる声を抑えた。
せつなそうに寄せられた眉根と、噛み締められた唇に、東堂は予想していなかった色香を覚え、動揺した自分に驚いた。

「細い、な」
やっと紡ぎ出せたのは、実に陳腐な言葉だった。
だがそれは的確で、巻島の腰を掴んでも、そこから直角に動いた腹部に触れても、薄いとしか表現ができない体格だ。
下腹部と背中を挟むようにさすってみれば、その絶妙な弾むような手ごたえに、東堂は夢中になった」
「……変態かよ……」
「へへへ、変態とはなんだ!!」
反射的に言い返してみたものの、自分の行動を思い返せば……まぎれもなく変質者に近い行為を行っていた。
なんとかごまかさねばと、ぐるぐる脳内の誤解をとくための言葉を検索してみても、出た結果は
『Q.今の行いは世間的にどう判断されるか:A.変態です』の回答がでて、東堂はうなだれた。

「それにしても、細すぎるだろう 朝飯は何を食ってきた?」
楽しい…………違った、独特の動きをしたのは確かだが、同時に心配になったのも本当で、東堂は巻島の腰を改めて眺め、尋ねる。
その声音から、東堂の配慮も通じたのか、ドン引きといった色を隠さなかった巻島は、警戒を解いた。
「……パンとスープっショ」
「8つ切りトースト一枚と、コンソメだけなどとは言わんだろうな」
「…レース前は物を食べねぇ方が…集中できるし」
「だからといって!!この腰だぞ!!」

再び巻島のヘソ下から下腹部に片掌を当て、もう片方は腰骨に当ててさすれば、巻島は
「はぅっ…」と身じろぎして、直後頬を染めた。
東堂の手は、実に微妙な箇所ギリギリを攻めており、敏感な体質の巻島に、くすぐったいような、じれったさを、実にうまく与える。
色味を含んだ男の声など、気持ち悪かろうと、恐る恐る東堂を見れば、呆然と…だが食い入るような目つきで、巻島へと視線を送っていた。

そっと再び指を動かし始めた東堂は、今しがた、巻島が思わず声を洩らした箇所を、柔らかく撫でる。
意思に反し、巻島の目が潤むのを確認した東堂は、その反応に気を良くしたようで、剣呑な笑みを浮かべた。
「やはり、細すぎるぞ」
「ヒッ!」
東堂が更に距離を詰め、腰だけでなく全身が、東堂の腕の中に囚われる。

――なんなんだ、この空気は。

涙目の自分が、東堂に包まれているという、奇妙な現実。
そんな絵面はどう考えても、おかしいだろうと、巻島が首を振っても、あやうさを含んだ東堂には通用しない。
東堂の指先が、腰のラインを辿り、胸元へと上がる。

「……巻ちゃんは、胸板も薄そうだな」
湿った吐息が頬にかかり、恥ずかしさで焼けてしまいそうだと、巻島が腕で突っぱねても、東堂の指は止まらなかった。

信じられない、胸までコイツ触ってくる気かと、怯えるより先に、恐ろしいのは、うっかり快感を拾ってしまいそうなことだった。
まるで自分が所有者だと、教え込むみたいに東堂の指先は動き、切り上がった双眸が、ねめつける。

つ、と東堂の長い指が、巻島の胸筋を辿った。
もう、ダメだ。
びくんと身を竦ませた巻島は、力ではなく柔軟性を生かして、隙を狙い東堂から逃れようとした。
だが敏捷さをほこる東堂は、瞬間に巻島の二の腕を掴み、逃がすつもりはないと、目で告げている。

「…おし、えるから……」
「何を?」
「…オレの携帯とメアド……今 お前が…手を話さないなら、一生教えねえからな」
手持ちのカードを、懸命に探した巻島がふりかざしたのは、自分の連絡先の譲渡という手段だった。
「…で、教える代わりに何をしろと?」
「…何もすんな むしろ、やめろ離せバカ」
赤みを増した、自分の顔を見られないようにと、巻島は俯く。
これでやっと安心かと、虚脱しかけた巻島の耳に入ったのは、信じられない返答だった。

「わかった……じゃあもうちょっとだけ」
「解ってねえショ!!」
「大丈夫、もうちょっとだけだから!!」
「大丈夫じゃねえぇぇぇぇぇっ!!!!」

結局 涙目になった巻島の、全力の股間への強襲で、色々な事態はまぬがれることができた。
己を失っていたと、東堂は反省し謝罪をするも、この感触は一生忘れないと告げ、巻島をさらに引かせているのに気が付いていない。

東堂の懇願に負けた巻島が、しぶしぶと携帯番号を教えるのは、この一ヶ月であった。
「巻ちゃん 今日は朝ごはんしっかり食べたかね?」
「うるせェ! 連日いい加減にしろっ」

「…巻ちゃんの細さが心配でね」
リアルに今も、指がその細さを覚えていると、携帯越しの東堂は薄く笑った。