【東巻】熱と冷酷 2


「もうこんなものは、いらんだろう」
目隠しをされたままの巻島は、頭皮が引きつれるのを感じた。
変装のために被ったままのウィッグを、東堂が力任せに外そうとしているらしい。

簡単に取れぬよう工夫を凝らし、あちこちをコームに似た道具やらピンで留めているので、痛みが走る。
だが今の巻島は、その痛みを東堂に訴えるのもおこがましいかと、小さく息を呑んで耐えるばかりだ。
だが巻島のその思惑とは反対に、東堂は
「ああ、すまん 巻ちゃんの美しい髪をちぎってしまうところだった」と優しくピンを一つ一つ外していく。

すでに憤りは去ったのだろうかと、落ち着かない心持の巻島に、東堂が笑みを含んだ声で、静かに問うた。
「…これ、はもういらないな?」
目が塞がれていても「コレ」が、何を示しているかは理解できた。
Yの正体を知る前、東堂が捨てることに固執していた、ウィッグのことだ。
東堂がこちらのしでかした事を知りながら、探りをいれて来た時に、告げた「捨てろ」と同じ意味だ。

こくこくと無言で何度も頷くと、東堂は「なんだ 結局捨てるのではないか」と、冗談のように囁いた。

だがその声は、あいかわらず熱がなくて、巻島は東堂に怒鳴られるよりも、よほど背筋が凍える心地になる。
編みあげていた髪もほどかれ、素肌の上に髪が数筋落ちたのがわかった。
すっと撫でる東堂の硬い指先が、髪先を梳いて、その手触りを楽しんでいるようだ。

「やはり巻ちゃんは、この髪色と長さがよく似合うな…ああ、もちろん出会ったばかりの頃のあの髪型も可愛かったが」
言うなり、ぐっと押された体は反転し、乱れた着衣のまま巻島は寝台に横たわった。

後ろ手に縛られ、腰を突き出すような屈辱的な格好のままだった巻島は、ボトムスを下着ごと膝まで下ろされていて、
ひっくり返された今は、性を連想させる箇所のみが、剥き出しという恥ずかしい姿でいる。
東堂が舐めていじくった胸は赤く色づき、まだお仕置きだと解放されていない熱は、巻島自身を反応させていた。

視界がきかないというのは、恐ろしい。

まして東堂が無言で、なんの行動も起こさないと、自分の全てを観察されているようで、羞恥でいたたまれなくなる。
内股を擦るように合わせ、巻島が欲をしめす箇所を隠そうとすれば、かえってそこは力任せに暴かれた。
「やっ…やだ……見んな………」
「ハッ……どこの誰ともつかぬ馬の骨に、抱かれようとしていたくせに」

痛い箇所をえぐられたみたいに、また小さく巻島は震えた。
その頼りなげな様子に、東堂の喉が無意識に大きく動く。

東堂は、自分を嗜虐性とは無縁な存在だと思っていた。
いとおしい相手は、愛でて優しくするもので、それを傷つけて泣かせたいなど、得体の知れぬ性癖だと思っていたが、
今ならその気持ちもわかると、巻島を見下ろす。
日頃、覆い隠して自分には見せぬものを、暴いてさらけ出させて、それを抑圧する楽しみ。
肉食獣が、獲物をつかまえた瞬間に得られるであろう高揚と、それはよく似ていた。

巻島が一人静かに泣いていれば、すぐにそれを乾かしてやりたいと思っていたが、今は違う。
自分の言動に揺れ、自分の言動に傷つき、すがるように耐えるその姿は、いっそ食らい尽くしたいほど、何もかもを高鳴らせる。


おのれすら知らぬ、内側まで引き出してくれる、ライバルと呼んだ唯一の存在は、誰にも触れさせたくないほど大事だった。
だからこそ、今回の巻島の選択は、嫉みや嫌悪ですませられず、憎しみをもすら生まれさせた。
――もっと、オレの行動に揺れて、堕ちてしまえばいい。

「へぇ…巻ちゃんのココは、随分と柔らかで可愛らしいな」
つと東堂が、鍛錬で固くなった指を滑らせたのは、巻島のやわい下腹部だった。
もとから焼けぬ肌を持つ巻島は、色が白いが特に日の目を見ることのないその箇所は、人形のように滑らかでつるりと美しい。

つつくように遊ぶ指先は、にこ毛に絡み、そこをしげしげと見つめられているのだと、巻島に意識させる。
派手な玉虫色の髪は染めているとわかっていても、巻島の体毛を見るのは初めてで、東堂は観察をするようにその感触を確かめていた。
「…黒くないのだな …しかも随分と、薄い」

それが下腹部の毛を差しているとわかり、巻島は羞恥で唇を噛み締めた。
自転車競技をするものは、トラブルや事故に備えて、体毛は処理をするのが普通だ。
通常は手足といった露出をしている部分だけを剃ることが多いが、巻島は蒸れることを厭って、少し前まで下腹部も処理をしていた。

最近になって、東堂との付き合いを意識し、はやし始めようにはなった。
だが時間もさほど経っておらず、まだそこは随分と儚い、ぽやぽやとした状態でしかない。
しかも色素が全体的に薄い巻島は、体毛も淡い栗色に近いもので、東堂の連想していた生々しさは欠片もなかった。

「やだ…や……東堂ォ……」

東堂の見られているという感覚が、巻島の腰をくねらせるようにしたのは、かえって誤算だった。
いたいけにすら見えたそこに、しばし指を止めていた東堂だが、巻島が拒否をする言葉を放ったことで、また動きはじめたのだ。

――オレですら知らなかった、こんな無防備な巻ちゃんを……
他の奴らに奪われるかもしれなかったと思うと、そのいとけなさすら、いっそ憎く感じてしまう。

「何がイヤだというのだね 大体、見も知らぬ相手だったらこんなものではすまなかったのかもしれんのだぞ」
「わ、わかってる、けど、でも」
「ほう、ならばどう解っていたのか聞かせてもらおうか こうやって剥かれて、あちこちしゃぶられて、自分も舐めさせられ…それを承知だと」
「ち……ちがっ………」
「違わんな そして嫌がるフリをしながら、こんなに感じてるのか巻ちゃん」

弱々しい反論を、唇に噛み付くようにしてふさぐと、かすかな唸りと共に、巻ちゃんはまた目隠しの下、涙を流した。
…その姿は、まるで殉教者のように綺麗で、……なおさら貶めたくなる。

戸惑いが生まれるより先に、東堂は巻島の屹立した熱を口に含んだ。
シーツの上で、息切れしたみたいな、巻島の掠れた吐息が漏れる。
呼吸ができぬ悲鳴みたいに、東堂の名前が小さく叫ばれ、巻島の眉根は切なく寄せられた。
巻島自身が徐々に角度をもたげたところで、刺激を与えるのをやめた。
「………あっ………」
「名残惜しそうな声だが、簡単に解放などさせてやらんよ これは罰なのだから」
「ふっ………わかっ……解って………」
「いやまだまだ巻ちゃんは、何もわかっていない」

牽制するように、ぬめる先端をこすると、巻島はまた背筋を弓なりにそらせ、唇を噛んだ。

女のように指が沈むでなく、弾力を感じさせる内腿をもたげ、そこかしこに、掌を走らせる。
白い肌の下で、薄緑に見える静脈がなまめかしく感じるなんて、初めて知った。

それもこれも、巻ちゃんが教えてくれることばかりで、その体を味わえることに傾注してしまう。
苦しげに耐える声が、こんなに色っぽいものだなんて、巻ちゃんはきっと気づいていないと喜びすら沸く。

鼻っ柱が高く、自意識ばかり過剰していた自分と、対等に戦える、その姿が好きだった。
東堂にとって世界は、巻島以前と巻島以後とでラインが引けるほど、変わっている。
色は見えていてもモノクロやセピアに近い、淡い色彩が、巻島の登場で艶やかな色彩を放つものになった。
空があんなに青く、緑はあんなに清々しいものだと、巻島と走ることでやっと実感できるようになったのだ。
気高く、挑戦的で、どこまでもいどんでくる高揚感をともなった巻島の笑顔を、自分以外に知るものはないだろうとの独占欲。

だが自分の手の内で、従順に震えるけなげさを見てしまっては、それすらも霞むほど、もっともっと、奪いたくなる。

――俺は、お前が何をしても許してしまうだろうと思っていたよ
だけど、違った。

東堂の行為に翻弄されながら、健気にも、足を閉じないよう力を抜いている巻島は、絶頂の寸前でせきとめられた快感の余韻で、
腰を揺らして必死で耐えていた。
腰をかがめた東堂が、目隠しの上から小さくキスを落とす。

誰かほかの男のものになってしまうというのであれば、自分で壊したくなってしまうほどの執着。
…俺を拒むというのであれば、いっそ憎んでしまうかもしれない。
自分ではない誰かに、抱かれようと画策する巻島を、いとおしく思うと同時に、許せなかった。

目の前にある、白い肉に歯を立てるよう吸ってやれば、そこには鬱血した痕が残る。
まるで自分の所有印のようで、東堂はいくつもの痕跡を、巻島に夢中でつけた。
「ひっ……」
段々と深くなっていくその原始的な口付けは、巻島の内腿奥まで進んだ。
なされるがままだった巻島が、はじめて恐怖を含めた悲鳴をあげて、また新たな知らなかった巻島の声が聞けたと、東堂はほくそえんだ。

………怖い、怖いこわい。
東堂とは、もっと睦みあうように結ばれるだろうと巻島は思っていた。
初めてのキスが、ふと沈黙が訪れた時にふいに落とされたように、じゃれていて、そのまま互いを欲しがるような、そんな親愛からの交接。

こんな性の対象として、遊ぶように責めたてられ、東堂を相手になかば逃げたくなる気持ちになるなんて、想像もしていなかった。
涙をとめようと思っても、視界を奪われ、自分の知らぬ東堂にむさぼられ、どうにもできない。
…なのに、喜悦を覚えている自分がたまらなくイヤで、巻島はシーツの上でただ首を振る。

「…恐ろしいか、巻ちゃん?」
「……っひっ……うっ………」
諾とも否とも返せず、しゃくり返すだけが精一杯の巻島に、冷ややかな声が続く。
「だが、こんな目ではすまなかったのかも知れんのだぞ 巻ちゃんの世間知らずにも程がある」
巻島を甘く包み、たぶらかすいつもの東堂が、ここにはいない。
激高はまだ収まらないのか、巻島を押さえつける拳は関節が白く、血管が浮き出していた。
「もっともっと ひどいことをされたかもしれない …オレも、してやろうか?」

あやすみたいな言い振りなのに、東堂の声はどこか遠かった。
自分のあさはかな考えが、東堂を傷つけてしまったのだと、霞がかった脳でぼんやりと考える。
東堂が、股間の昂ぶりをぎゅっと思い知らせるように、握った。

ぞくりと身を跳ねさせた巻島は、臆しながらも、これだけは東堂に伝えなくては、唇を開いた。

「しても、いいから……… 嫌いに……ならないで………おねがっ……東堂……」

泣いて許しを乞うて、カラカラになった喉から出た嗚咽は、枯れてひどいものだった。
それでももう一度伝えなくてはと、上ずった呼吸で巻島は
「ひどくしても、何されても構わないから………おねがっ……嫌いに、ならないで……」
と繰り返す。

「…お願…い…東堂ォ……」

「……ずるいぞ 巻ちゃん……」
こんな、たった一言で。
圧倒的な歓喜が、東堂を支配する。

――巻ちゃんは、ずるい。貶めて、傷つけて奪ってやろうとしても、どうやっても俺が敵わないなんて。
……嫌いになれたら、いっそ楽だろうに。

「巻ちゃん……オレのこと、好きか?」
下肢から離れた東堂が、首をかがめ巻島の首筋に息を落とす近さで、巻島に問う。

「…好き……大、好き」
東堂の指が、そろそろとまるで初めて巻島に触れるように、両頬へと進む。
「…オレも好きだよ……嫌える、はずがない」

優しく顔を上げさせた東堂が、そっと目隠しを取る。
目の前にあったのは、苦笑するような、弱ったような東堂の見下ろす顔。

涙でぐしゃぐしゃで、髪の毛は頬にはりついたみっともない様を見せたくなくて、巻島が顔を背けようとしても、力強い掌がそれを許さなかった。
東堂はまだ、慈しむような、それでいて食らい尽くしたいような複雑な表情をしていた。
何かを言おうとすると、また涙がこみあげてきそうで、巻島はひっしでそれを飲み下した。
吸い寄せられるように、東堂のこの整った造形は自分を惑わせると、巻島の血はざわめくばかりだ。

顔を落とした東堂がそっと、 目の縁に舌を落とす。
「…ひどい顔だな、巻ちゃん」
「……お前の、せいショ」
「違いない」
かたくなさを溶解させた巻島の一挙一動を、東堂は睨むように目で追っていた。

いとおしさから、生まれるものは甘さだけではないと、東堂も巻島も知った。
苦さも、時の感覚を麻痺させるような熱も、理性を失わせる狂暴さも…自分たちという存在から湧くのだと、鳥肌すら立つ。

東堂の指が、ゆっくりと巻島の全身を辿る。
そのもどかしい行為は、息苦しさだけでなく溢れるような愛に溢れていて、巻島を幸せにした。
まるでこの触れるものはすべて、自分のものだと教え込むように。
流れる東堂の手先は、器用に巻島を戒めていたシャツをほどく。
ようやく縛られていた両腕も解放されて、巻島の腕にも自由が戻った。

「巻ちゃん、もう一度オレを好きだと言って」
ゆっくりと、巻島が逃げないのを確認するみたいに東堂が、ついばむような接吻をする。
「……東堂、好きだ」
腕を伸ばし、東堂を抱きしめた巻島が返したのは、それに応えたいという、誠実なキスだった。