【東巻】エイプリルフールのしょっぱい嘘


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リクエスト『成長した二人の同棲話』
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4月1日といえば、エイプリルフールだ。
そうはいっても、その風習が馴染んでいない日本では、人をだますというのにそれなりの覚悟はいる。
そんな面倒なことをしてまで嘘は楽しみたくないと、巻島にとってその日は生まれてこのかた、単なる新年度の始まりでしかなかった。

イギリスでの兄の仕事も軌道に乗って、お前は日本拠点を任せるので用意をしろと帰国辞令をうけた巻島は、そのままそれを長年の恋人に告げることにした。
今日の会話は、一週間の日本滞在のあとの、空港での見送りという多少センチメンタルな場面だが、巻島の顔はいつになく明るく、つられたように東堂も寂しさを払拭していた。

「あらためて再来月また、日本に帰るショ」
ああ、それで巻ちゃんの表情が明るかったのかと、東堂は頷いた。
「そうか!楽しみだな 今度はどれぐらいいられるのだね?予定をあわせ…」
「さあな 多分……数十年じゃねえか?」

10代の淡い恋だ、不自然な愛だどうせ自然消滅するだろうと思って、渡英直前に付き合い始めて6年。
もうダメだと思うことはあっても、二人の気持ちは変わらぬままで、遠距離恋愛というのは成立するのだと知った。

巻島の数十年という言葉に、東堂はしばし黙り込む。
「……日本に戻るのならば、一緒に住もう」
との東堂の提案に、巻島は「ああ」とあっさり頷いた。
自分から言い出したくせに、素直に巻島がすんなりと縦に首を振ったのは、意外だったのだろう。

呆然といいたいぐらいに、「え」と一言洩らした後、動きをフリーズさせた東堂に、巻島は盛大に笑った。
「お前 自分から言い出してきて、その態度はないっショ」
「え、あ、いや…すまん……その、断られたらいかに巻ちゃんを攻略するかという設定ばかりを考えていてだな……」
抵抗なく自分が頷くコースは、まったく予定外だといわれれば、まあそうだろうなと巻島自身ですら思う。
「オレはイレギュラーな男なんだよ」
「まったくだ …嬉しすぎて、瞬時に頭が真っ白になったぞ」
だが、ものごとは弾みというものも、必要だ。
帰国して住居を決めて、ごたごたしてしまった後では、自分はいろいろと面倒がって動かないだろう。

「えーっと……よろしく…?」
照れくささをごまかすように、不器用な笑顔で巻島が手を差し伸べれば、握手の代わりに強い抱擁が返されてしまった。
――ここは、空港ロビーど真ん中なんだが。
まあいいか、と思ってしまった自分も、毒されていると巻島は幸せとともに思う。
「再来月が…待ち遠しいぞ巻ちゃん!」
「半年後には後悔してるかも知れねえぜ?」
「それはないな!」

そして新しく始めた二人暮らしは、意外と快適で悪くないものだった。

レースオフの休養期間である東堂は、昨夜はミーティングで遅かったが、5日間は練習も休みだと自宅待機だ。
週末が重なったこともあって、巻島は今日は自宅にいたが、東堂の予定を知ったのは昨夜遅く。

珍しく早くに目を覚ました巻島が、東堂の姿を探しても室内にはなかった。
一緒に暮らしていれば、東堂がそっと部屋を抜け出すのは、巻島を起こしたくないからだと理解は出来るが、どうしたのだろうと、少しばかり不安になる。
気遣いもマメな東堂は、日頃メモの一枚も残しているのだが、それもなかった。
きょときょとと、屋内を見回していると、鍵が開く気配がした。
「東堂?」
「あ、おはよう巻ちゃんすまんね 目を覚ます前に帰ってくるつもりだったのだが」

休みというのもあって、東堂は朝から一走りをしてきたのだという。
すれ違いも心配しているが、スケジュールを把握しておかないと、一緒に居られる時間が少なくなるし、面倒だ。
この短時間ぐらいはともかく、休日の予定ぐらい先に話しておけ、こっちの都合も考えろという巻島の苦情は、東堂の脳にはまったく届いていない。
いや正確には届いてはいるのだが、どうやら睦言に変換されてしまっているらしい。

幸せそうに
「オレの都合で巻ちゃんをふりまわしたくなくてな」と東堂は返す。

すでに棚の片隅に用意をしてある、東堂のスウェットとバスタオルを差し出し、シャワーを浴びて来いと追い出せば、
それは巻島の遠まわしな許すの合図で、本気で怒ってはいないのだと伝わる。


その隙に巻島は台所を覗き、朝っぱらから大量の汗をかくぐらい走ってきた東堂のための、カロリー補給の準備だ。
これでもかと氷をぶちこんだ、スポーツ飲料と、もらったけれど手付かずだった羊羹を分厚く切って、居間に運び、ガラスのサイドテーブルに置く。
用意をしていればもう少しマシなものを準備できたのだが、突然の休日宣言だったので、あらためての食料は少ない。

さすがにこれだけでは栄養的にまずいかと、巻島はキッチンに戻り、冷蔵庫を再度覗いた。

あるものは、パンと牛乳と卵に砂糖。
冷凍庫には、常に自分用のアイスクリームが何種類かある。
だったら不器用な自分でも失敗のしない、フレンチトーストでも作るかと、巻島は卵と牛乳を砂糖を軽くかきまぜ、パンを浸す。
バターを落として、焦げ過ぎないように焼くだけという簡単なものだが、羊羹とスポーツ飲料だけよりは、いいだろう。
そのままでも美味しいのだが、巻島のお気に入りは、カフェモカ用に購入したシロップをかけることだ。
とろーりと濃い紅茶色した液体が、黄色く焼きあがったフレンチトーストに網目模様を書くと、なんだかオシャレ感が増す。

東堂は常日頃、栄養がどうとかうるさいので、野菜室にあったレタスをちぎり、洗ってミニトマトと乗せればなんだか立派な一皿だ。
こうなると、不器用ながら自分なりの見た目にこだわりがある巻島は、もう少し立派なブランチ風に拵えたくなる。
しょっぱいものがいいだろうと、お湯を沸かし、コンソメのカップスープを用意。
ついでにそのお湯で、自分と東堂用のレディグレイをホットで入れてみる。
アイスティーの方が向いているかもしれない紅茶だが、巻島はその独特な爽やかさが好きで、ホットでよく嗜んでいた。

ここまでしたのだからと、食卓にランチョンマットを敷いてフォークとナイフを用意してやれば、まるで雑誌のフォトグラフになりそうな形に完成だ。
そろそろシャワーから出てきそうだと、巻島は慌てて一度居間に戻り、羊羹とスポーツ飲料を取ってダイニングテーブル前へと戻った。
二つが並ぶと、見栄えのバランスはいきなり崩れたが、糖分と水分の補給には、こちらの方が手っ取り早い。

「巻ちゃん、シャワーありがとう」
濡れたタオルを東堂に差し出され、受け取る。
たったそれだけの動作なのに、東堂はなんだか嬉しそうだった。

洗濯機にそのままつっこんでは、洗うまでに臭くなってしまうので、一度乾かしておくのが二人のルールだ。
東堂は実家の家業柄、洗い物が絶えずあるとかで、使った分はそのまま洗濯機に放り込んでしまう。
家庭事情を知るまでは、神経質そうな男と思っていただけに、当初はその行動が意外だった。

「メシ、用意できてるっショ」
すれ違いに、席を示してやれば東堂の顔は輝かんばかりの笑顔になる。

「巻ちゃんが、オレの為に作ってくれたのか!?」
日頃の態度がそっけないだけに、巻島のこういった気まぐれに東堂は大仰なまでに反応をする。
(『作ってくれたのか』の一言だけでいいっショ…)
照れも混じって、無言で頷くだけを返せば東堂は、タオルを干しに行こうとしていた巻島の手首を握った。

「あの…な、巻ちゃん…」
ちいさく呼吸を繰り返し、唇を開きかけては閉じる東堂を、巻島は小首を傾げて待っている。
「なんだか…まるで、新婚さんみたい、だな」
一拍を置いて、東堂の言葉が耳に染みた巻島は、瞬時に赤面をした。
だがそれを言ってのけた東堂も、負けないぐらいに頬を紅潮させている。

「……お前、自分で言っといて照れんなよ…」
「ハハハッ すまんね!しかしどうしても 言わずにおられんよ!」
「いいから 冷めないうちに早く食え」
「……巻ちゃんと一緒のテーブルがいい」

まだタオルを持ったままの巻島が、少し困ったように眉根を寄せると、仕方がないとばかりに吐息をついて、東堂の向かいの椅子の背にタオルをかけた。
そしてどかりと腰を落とす巻島の様子は、大変に男らしい。
テーブルに肘を付くという、行儀の悪い態度で東堂を見上げて、にやりと口端をあげた。
「とっとと食えよ あ・な・た?」
「……!」
歓喜極まったみたいに、東堂は口をへの字に結び、ただただ貪るように巻島を見ていた。

日頃バカなトークをべらべらと紡ぎだすくせに、こちらの冗談には東堂は弱い。
あふれ出る愉しみを、どう表現したのかわからないのだろう。
小刻みに震えて、必死で顔をにやけないようにしている東堂が、なんだか可愛かった。

整えられた食事前に座った東堂は、礼儀正しく両手を合わせて、頂きますと頭を下げる。
なんのかんのいっても、コイツのこういう所は見習うべきだよなあと巻島が眺めていると
「…そんなに見つめんでくれ… あ、いや巻ちゃんに見つめられるのは光栄なんだがな!」と目線をずらし、東堂は呟いた。

「普段、人をジロジロ見てるのはお前っショ」
「仕事中は、携帯やメールでしか繋がれないのだから見逃してくれ」

――条件は同じなのだから、何を勝手な…とは思う。
だがその東堂の、まっすぐなクセにどこか矛盾したところが、巻島は気に入っている。
ただし東堂のこの言動は、巻島に限ってのものらしかった。
グチでなく、「アイツの言動、めちゃくちゃじゃねぇ?」と誰に聞いても、返ってくるのは「…巻島に限定してなら」という答えだ。

なんだか理不尽な気もするが、それだけ自分が特別な存在なのだと言われているようで、さほど気分は悪くない。
誰かが言った「東堂をからかって、怒らせるでなく 困らせることが出来るのは、巻島ぐらいだろ」の言葉は、正解だが間違えでもあった。

実は巻島は、東堂をからかって怒らせたことが、何回かあるのだ。

しかしそれは、実はなぜ東堂が怒ったのか、巻島にはいまいち、理解できないポイントばかりだった。
ソフトクリームを舐めていたら、「食べ方がエロいぞ」などとよく解らないことを言われ、ムカついたのでエロい食べ方とやらを棒アイスで実践してやった。
単に氷を齧らず、ひたすら舌で舐め溶かすだけなのだが、その時は延々と巻島裕介の持つフェロモンについて、という論文めいた内容でひたすら絡まれた。
―もちろん、その内容のほとんどを、巻島は聞いてはいなかったが。

他には襟ぐりの大きく開いた服を着れば、「夏場の女性が危険だというのを知っているか!!」と、まったく自分には関係のない説教をされた。
知るかと腹が立ち、思いっきり不必要なまでに胸元のボタンを開ければ、しまいには、ストーカーが巻ちゃんを狙ったらどうすると叫ぶので、
オレの学校じゃお前がストーカー扱いされてるけどな、と学生だった当時、飲み込んだのを思い出す。

あの頃は今より更に、自分は押しに弱かった。
たまにはこちらから、逆襲してやるかとイタズラめいた心が湧く。
「東堂、アーンしてやろうか? …なんか今、新婚さんみたいっショ」
「お願いします!!!」
すかさず、エイプリルフールだと言ってからかってやろうの、巻島の目論見は外された。
全力で拳を握って、瞳を輝かせる東堂の高速の回答とその期待の高さに、「嘘」だとつい巻島は、言いそびれてしまった。

仕方なしに手を伸ばし、フレンチトーストの片隅をフォークの背で一口大に切って刺す。
ほらとばかりに、東堂の眼前でひらひら手首を動かせば、東堂は目の縁を赤く染めた。
その幸せすぎる様子の顔に、巻島までもがなんだか落ち着かない心持になってしまう。
「あーん」と東堂がやっと口を開けたので、巻島は急ぎそこにトーストを運んだ。
「ム……」
弾ませた心を隠すことなく、満面の笑みの東堂は、咀嚼の後「うまいな」と大仰なまでに褒め称えた。

焦げ目がほとんどないのに香ばしく、半熟の卵液の固まりかけたやわらかさが絶品で、シロップの染み具合も最高だと手放しだ。
東堂のあまりにおいしそうな様子に、巻島も温かい気持ちになって、「オレも一緒に食べるっショ」と残り一口になったフレンチトーストを東堂から奪った。

「………」
食べた瞬間、巻島の眉尻は下がり、なんだか泣きそうな面持ちになった。
「……巻ちゃん……」
つられたみたいに、困った笑みを浮かべる東堂を、巻島は恨めしげに睨む。
「…東堂、嘘つきっショ……」
巻島が食べた、最後の一口のフレンチトーストは、予想を裏切る味だった。微妙な味なんて、ものではない。
いわく、漫画のような失敗、砂糖と塩を間違えちゃったよテヘペロ!

「嘘じゃないぞ!確かに予想とはことなる味だったが、エッグベネディクトをポーチドエッグではなく、スクランブルエッグで食べたようなというか…斬新な味だというか…」
どこまでも懸命に、その味を東堂が正当化すればするほど、巻島にとっては心が窮屈になる思いだ。
半泣きの心持で見上げれば、決まり悪そうに東堂はひとつ、咳払いをした。

「…本当に、美味しかったんだ」
確かに、一口目は微妙な味に感じるかもしれない。だが巻ちゃんが、オレの為に作ってくれたと思うと、それだけで胸が高鳴るほど嬉しかった。
しかも手ずから食べさせてくれたのだから、そんな幸福だけで、オレは世界中のどんな料理よりも、これを美味しく感じた。
東堂が真摯に伝えてくれば来るほど、巻島にとってはいたたまれない。

自分が女の子だったら、こんな男らしさを発揮されたら、きっと東堂の顔とは関係なく、好きになってしまうだろうなと、巻島はぼんやりと思った。

「…今日はエイプリルフールっショ……」
「ん?ああ、そうだな」
巻島の気持ちが、落ち込む方向から回避したらしいと、東堂は安心したように口端を上げる。

「だから、オレも東堂みたいにウソを言うからな!いいか!!ウソだからな?」
「…ん、わかったよ巻ちゃん」
「東堂………大好き……ショ……」
目を瞠って、ぽかんと口を開ける東堂を見た巻島は、全面に恥じらいを浮かべて、食卓から離れた。
燃えるような恥ずかしさを自覚しながら、いそぎ早足で寝室にもどり、部屋に鍵をかける。

ああ、馬鹿なことを言ってしまった。
それもこれも、エイプリルフールが……嘘がうまい東堂が悪い。

立ちくらみがして、扉を背に巻島が座り込めば、ほぼ同時に激しくドアがノックされた。
「巻ちゃんっ!!巻ちゃんもう一回!!!もう一回言って!!」

(…言える筈、ないっショ)
らしくないことをした。顔を火照らせ、わずかな自嘲を混ぜた巻島が、膝に顔をうずめる。
ドアの向こうの喧騒は、必死なぐらいで、巻島は少しくすぐったかった。

もどかしさと期待を混ぜて、声を張り上げる、東堂の懇願に負けて、巻島が再び扉を開けるのは、三十分後だ。

ちなみに扉を開けさせるための、トドメの言葉は
「わかったよ巻ちゃん! 巻ちゃんにだけ言わせる真似はさせん オレも…この東堂尽八も巻島裕介への愛を、この窓から全力で叫んでみせ」
言葉が終わるより前、東堂が鍵を開け、窓を開いたらしい音が、聞こえる。
「おまっ…!やめるッショォォォォ!!!!」

急ぎ部屋から出て、そんな恥晒しをさせるかと、東堂の腰にしがみつけば、「…巻ちゃん!」という輝く笑顔が、そこに待っていた。