【東巻】オレ様王子と憂鬱な女王【オマケ】


東堂の下の弟である真波が、小野田と遠乗りしてきたと帰ってきたのは、夕刻の少し前のころだった。
馬に乗って駆けるのが好きだという二人は、巻島が小野田に友人ができることを喜び、ともにいろと促すので気が付くと、どこかの山へ出向いている。

「だーかーらー 言ってンだろうが!もうお前に勝手すんなとは言わねェヨ!せめて行き先と帰る時刻位、伝言残しとけ!!」
腕を組み、不機嫌を露わに見下ろす荒北に対し、おろおろとするのは小野田のみで、真波は「はい、すみません」とまったく悪びれない笑顔で答える。

「あの、あああのすみません!」
「…小野田チャンは悪くねェんだから 謝んな」
「で、でも…」
「てめっ!そこの全然反省してない三男坊!!むしろお前がむしろきちんと謝れ!!」
「いやだなあ 今謝ったばかりじゃないですか」
小一時間はきっちりおこられたのだから、禊はすんだとばかり、真波はまるで聞く耳をもたない。

人をしかるというのも体力がいるもので、しかもこの馬耳東風ぬかに釘、のれんに腕押し男では、怒り続ける気力も折れるというものだ。
荒北が大きくため息をついたのを聞いて、真波がふと思い出したように小野田へと向いた。
「そういえば オレ達が帰ってくるとき東堂さんとすれ違ったよね なんかすごい怖い顔してたんだけど…どうしたんだろ?」

何気ない一言だったらしいが、荒北と新開には今の東堂が血相を変える理由に思い当たる節があり、慌てて目線を交わした。
「おい真波 それはいつの話だ」
「んーっと…荒北さんに見つかったのが一時間前だから…二時間ぐらい前?」
「…新開 その後で東堂を見かけた記憶はあるか?」
「あいにく」
軍人でもある新開は体力勝負という役職柄、常に栄養補給をおこたらない。
その新開が、ビスキュイを齧る手を止めて、小さく首を振った。

「まずいな……」
「何がですか?」
無邪気に割って入った真波に、荒北は風呂にでも入って来いと、答えにならぬ返答をよこす。
その目が「小野田チャンに関わらせるな」と告げていて、そういうことならと真波は素直に従った。

「坂道くん、ハコガクはね温泉資源が豊富で、二十四時間いつでも湯殿に入れるんだよ!」
「わぁ、それはすごいね! …でも僕は王族じゃないし とても一緒のお風呂なんて無理だよ どこかで水浴びでも…」
「何を言ってるんだい 坂道くんは巻島さんと共に、ここでは賓客の一人だよ ね、一緒に行こう?」
無邪気に真波が誘えば、小野田もいいのかなというように、荒北や新開を眺めた。

真波と同じように、来客としてだけではなく小野田個人を気に入っている荒北たちは、構わないから早く行けと、手先で促した。

「ちっ…東堂……早まったマネしてなきゃいーけどな」
「オレ等も放置していたとはいえ…尽八は裕介くんが絡むと、少し厄介だ」
滅多に動じない新開も、荒北と同様の懸念を抱いているのだろう。
徐々に二人の足は早まり、巻島の私室前にたどり着いたときには、ほぼ駆けるようになっていた。

控えめなノックに、返事はない。
いささか乱暴に扉を叩いても、部屋奥は静まり返っているようだ。
だがそこが無人ではない証拠に、部屋には鍵がかけられている。
「おいっ!!東堂 手前ェそこにいんだろうがっ!バックレてんじゃねーよ!」
「尽八 出てきてくれ話をしよう」
ガタガタと扉を揺らすだけではなく、厚い靴底を持つ脚で、荒北が何度か蹴りを入れれば、ドアは重厚な音を響かせる。

騒音を出すための蹴りを再度、荒北が入れようとした瞬間、ギィと軋んだ音をたて、扉が細く開かれた。

「うるさいぞ荒北 …巻ちゃんが目を覚ましてしまう」

無表情に荒北を見つめる、東堂のその顔に、見覚えはあった。
東堂にとって、どうでもいいものを切り捨てようとするとき、見せる表情だ。キレのある眼差しは鋭く、他人をひたすら拒絶していた。

東堂と扉の隙間陰から見える、白い剥き出しの背中に、荒北は小さく息を呑んだ。
ぐしゃぐしゃになったシーツは床に落ち、ねじれ広がっている。
結っていたはずの髪は乱れきり、光沢のある長い筋となって無残に広がっている。
その背中に残るのは、樹木の実がつぶれた汁だろうか。赤黒く、シミのようにこびりついていた。
寝台の上には、その直前までいただろう場所の落ち葉や草が、よじれ崩れ散っていた。

東堂自身も、大きく肌蹴た胸元を正そうともせず、むしろその風貌を見せ付けるように、腕を組み、室内を二人の視線から隠す。

「…てっめ……あともう少し待てば 堂々と夫婦だろうが!何やってんだヨ!!」
「うるさいと言っている」
胸元を掴みあげた荒北の拳を、東堂は遠慮もなく捻り外させた。
「あぁん?ウルセー以上のことしでかしたテメェには言われたくねえな!」
「落ち着け靖友 …尽八もだ アレはどうみても合意じゃないな 場合によってはソウホクとの話が縺れるかもしれんぞ」
現状まだ、巻島は自由の身だ。国に帰ると告げられれば、合意の結婚が前提であるはずだけに、とめようがない。

両者に割って入った新開は、そっと巻島の寝室の扉を閉め、周囲に人がいないのを確認し、隣室へと二人を連れた。

「お前たちに口出しはさせん アレはもうオレのものだ ソウホクに帰る?許さんよ」
支配欲を滲ませた東堂の言葉に、訝しげに新開は片眉を上げた。
「もうも何も…もともとそういう話で、裕介くんはここに来ているんだろう」

それでも納得ができないとばかりに、険しげに東堂は睨む。
「荒北、新開……たとえお前たちにだって、巻ちゃんは譲らん!」
「おいっ…」
軽く驚愕したように、荒北が呼びかけを洩らすが、続かなかった。
日頃感情を率直にあらわす、荒北のその顔に浮かんでいるのは困惑で、先ほどまでの怒りは拭われている。

「オレと靖友が、どうして裕介くんとの話に絡むんだ?」
「とぼけるなっ!館林からの縁談で、巻ちゃんをオレから剥がそうとしているんだろう」
眉をしかめ、振り払うように腕をふる東堂に、視線で射抜かれても、新開と荒北の混迷は深まるばかりだ。
離そうではなく、剥がそうという表現が、間違っていないあたりが洒落にはなっていない。

「…たしかに俺らにもそういう話きたケド?」
「だけど尽八が絶対譲るわけないから、冗談でもやめてくれって その場ですぐ断ったぜ?」
「なんか噂になってるのは聞いてたけどヨ お前と巻チャン二人の姿見てるヤツがいたら速攻嘘だってわかるしな」

思い余って行動する前に、一言いえよとばかり、荒北はあきれ果てた表情で頭を掻いた。

「フクちゃんだって、持ち込まれた話を 即座に断るワケにもいかねーから、俺らに声だけかけてきたんだろ」
「そうそう国内の勢力を保とうとするための縁組なのに、オレ達が裕介君を娶ったら…少なくともお前に関連した内部崩壊間違いないよな」
「だいたい、婚約決まってるのに結婚申し込んでくる女なんて、面倒のタネにしかならねーっつーの」
「尽八、オレ達は裕介くんを知って魅力ある人物だと思うようになったよ …だがお前ほど深く、彼に執着はない」

諭すように一つ一つ言われ、東堂は先刻までののおのれの行いを、眩暈がするように思い起こしていた。

怯え、許しを乞い逃げようとする巻島を、愛撫すればその敏感な体は、跳ね返るように反応をする。
何も見たくないように目を閉じて、ただただ首を振る巻島に、ゆっくりと身をうずめれば、その熱で息が詰まった。
言葉を与えたくても、喉には乾燥した空気がつまり、涙を流す巻島を荒い呼吸で見下ろすしか出来ない。
そこには、想像すらしたことなかった、充実があった。

今も、巻島を蹂躙したという後悔とともに、最高の絶頂を味わった感覚だけが残されている。
無意識に、東堂ののどはごくりと動いた。

きまずけに、居心地が悪そうなのは東堂ではなく、荒北たちの方だ。
おおよそ予想していたとはいえ、兄弟のような幼馴染の情事をあばき、しかもそれが合意ではないと知ってしまえば、どう対処をすればいいのかわからない。

「…だいたいよォ 手前ェフクちゃんをもっと信じろよ 巻チャンとの話はお前が浮かれすぎた行動が多いから、突然だったかもしんねーけど、
実の弟がこんだけ執心してる婚約者を今更お前から奪おうなんてしねーよ」
怒るというよりは、呆れを含んで疲れを吐き出す荒北に、東堂は言葉もない。
「…本当は、わかっていた」
ぽつりと吐き出す東堂に、新開が「なにを?」と促す。

「お前たちも 福富もオレの幸せを願ってくれていると…だけど、巻ちゃんの言葉を聞きたくて、本人から肯定されたら…頭が真っ白になって……」
身をこわばらせ、しゃべるごとに小さな吐息を混ぜる東堂に、さきほどまでの危うい光はない。
「そこで強姦したって?うわーサイテー…」
あえて東堂を苛む言葉を選んでいるのは、荒北なりの思いやりだろう。
ここで「そんなことはない」と偽りを言わないのが、彼なりの優しさだった。

やっと我に返り、感情を取り戻したらしい東堂の目に、涙が浮かぶ。
「オレ、は…巻ちゃんに…取り返しのつかないことを……」
「泣きたいのは裕介くんの方だと思うけどね」

笑顔ながら、辛辣なのは新開だ。早く謝って来いとばかりに、東堂の背中を押す。
「……巻ちゃんは、許してくれるだろうか……」
「バァカ 許されるまで謝りつづけるんだよ!それが最低のケジメだろうが!」
「もっともだな …小野田くんは、今日真波の部屋に泊まるよう言っておくよ」

まだ逡巡するようにうつむき、その場から動こうとしない東堂に、トドメとばかり新開が荒北へと向く。
「尽八は裕介くんに許しを乞う度胸もないらしい オレ達が代わりにどちらかの嫁になってくれとプロポーズしてくるか」
「お、いいな どっちが断られても恨みっこナシってやつゥ?」
「謝ってくる!!!」
即座に腰を浮かせ、荒北と新開の言葉に息を呑んでいた東堂は、後ろも見ず隣室へと飛び込んでいった。

「……巻チャン、バージンロード 歩けなくなっちゃったね」
「オレはどっちかっていうと、尽八が儀式前に声高らかに『それ』を宣言しそうな可能性のほうが怖いかな」
脳裏に想像したのは、厳粛な式典で「巻ちゃんはもう処女ではないぞ!オレが奪ったからな!!」と高らかに宣言する東堂だ。

「…………ヤメテ…」
それをやられたら、意外に古風なところのある巻島はその場で懐剣を出して自害でもしかねない。

ふっきった東堂の行動は、想像するだけで、ただただ怖い。

――スペックは高いし、良い奴ではあるんだがなあ…巻チャンが絡まなければ
――東堂は判断力もある、行動力もある、見目だって悪くない、むしろ極上の男の部類に位置づけられるだろう…裕介くんさえ絡まなければ。
「…お前さァ 巻チャンの異名覚えてる?」

「玉虫とか女王とか言うやつか?」
「そっちじゃなくて『神に魅入られた者』とか国で呼ばれてたとかいうヤツ」
「ああ、それで尽八との縁談が決まったんだっけ…それがどうかしたか」
「いや、神様相手だと人間ってさ 魅入られても嫌われても…平凡に生きたかったら、どっちにしろある種の迷惑かもなって思ったダケ」
「…まったくだな」
そういう当人たちも『鬼』と『野獣』の称号を持つのだが、どうやら自覚はない。

二人して無言で見つめる壁の向こう、巻島が目を覚ますまで、土下座を続ける東堂の姿があった。







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