【東巻】最熱リスタート3

久しぶりに会わないかと、新開が荒北へと連絡をしてきたのは、箱根のレース開催を知ったからだとメールにあった。
自分たちの地元といえる場所でのクライムレース、それだけならばさして集まるほどのものでもないが、東堂が特別ゲストとして参加し、
しかも記念的節目の回数にあたる開催ということで、例年にないお祭り的な大規模な催しになるらしい。
卒業後、実業団に入った福富は残念ながら遠征だとかで不参加だが、週末でもあり荒北は承知の返信を送った。

どうせなら、100%その場にいることが確定している東堂には、サプライズ的な応援をしてやらないかと、連絡を取らぬまま当日の押しかけを提案すれば、
新開もそれはいいなと返した。
かって知ったる地元なので、レース会場スタート地点の近く、モニュメント前で待ち合わせを決めると、あとは当日を迎えるだけだ。
社会人になって会うことは減ったといえ、もともと寝食を3年間ともにした仲間なので、約束の日はそれなりに楽しみだ。

待ち合わせ当日、天候は快晴で、湿度も少なくべたつかない風が心地よい初夏だった。
すでに待ち合わせ場所に来ていた新開が、めずらしく微妙な顔をして、スタート地点を眺めていた。
もともと動じない性質の男だけに、そのわずかな表情の変化が珍しい。
挨拶もそこそこに「何があったヨ?」と聞けば、新開は「あれ」と顎で見ていたものを指し示す。

STARTの文字が大きく印字されたペナントのすぐ下、中央部分、特等席ともいえるその場所に、東堂はすでにスタンバイをしている。
多人数でのロードレースは、基本スタート位置が参加者の早い者勝ちで、場所とりも可能なのだが、その一方上位優勝者や特別ゲストなどには、
主催者権限で最前列を用意してあることも珍しくない。
今回はまさに東堂がその特別席で、別にそれは驚くものではないだろうと思ったが、荒北は自分も視線を送り、新開が小さく動揺していたのを納得した。

もう何年も見ていない、全開の東堂の笑顔がそこにあった。
自分の左にいる者へ、楽しさを隠しきれぬ様子で語りかけ、頷き、時折首を振っている。

東堂がその表情を無くしてしまった理由を、新開も荒北も知っていた。
だがどうとすることもできず、ただ見守ることしかできなかった。
嬉しさにはちきれそうな笑い顔を、見せなくなった東堂に対し、世間一般の反応は、大人になったのだとか、男らしくなっただとか好評だったが、
原因を知っている自分たちにすれば、痛ましさを感じていた。
あれは成長したのではなく、感情の一つをなくしたものだったのだから。

東堂の横に並ぶレーサーは、黒地に白黒の市松ラインが適度に散らかされた、スタイリッシュなレースジャージで、随分と細腰だ。
話しかけられれば、軽く頷いたりはしているが、それほどのテンションの高さはないようで、稀に手首を振って東堂に「落ち着け」と伝えている。

「……なァ新開 あんのクソ高そうなフレーム、タイムのだよな」

遠目で車体の文字までは確認できないが、最新の今年度発売されたもので、見覚えのあった荒北が、新開へと確認をした。
運動部というかなり広い枠の中で、自転車競技部はもっとも金のかかる部活の一つだ。
どんなに安くても、きちんとしたものを購入しようとすれば10万円は越し、それなりのカスタマイズされた新車を買おうとすれば、30〜40万円を平気で越える。

なかでもタイム社のものは高級品が多く、下手をすればそれらを一桁上まりかねない、学生にはえげつない金額設定をされている。
そのタイム社の製品を、高校生でありながら乗り回していた人物に、荒北も新開も心当たりがあった。
「…髪の色が違うようだが」
「長さもネ」
おそらく、東堂の横にいる男が乗るロードレーサーは、車一台が購入できる程度の金額でカスタマイズがされている。
趣味で買うには、あまりに高値のシロモノだが、新開と荒北の想像する男であれば、その程度の財力はあるはずだ。

「…とりあえず手っ取り早く確認してみねェ?」
「どうやって」
「こーすんの…巻チャーーン!!久しぶり!!」

手のひらでメガホンのように筒を作り、大声を張り上げた荒北の台詞は、見事当人に直撃したらしい。
反射的に背を伸ばし、きょときょとと声の主を探す栗毛の男は、叫んだままの状態の荒北と、その横で小さく手を振る新開を確認し、きまずげに身を固まらせた。
記憶にあった困り眉は、困惑をあらわに更に深まっている。
しばし逡巡した様子で、それでも小さく頭を下げると、はっきりと二人が連想していた本人だと解った。

もともと高校生男子という言葉から、対極にありそうな容姿だったので、当時とその顔はほとんど変わっていない。
ただ、自分という存在を強く主張していた玉虫色の髪は栗色になり、派手な黄色のサイクルジャージが黒になったことで、随分と色気が増したように見える。
見つかってしまったとばかりに、少々の挙動不審な動きを見せる巻島の横で、東堂の笑みはそれを慈しむ優しいものへと変化をしていた。

荒北と新開の存在に、感謝をしているかのように、小さく東堂が頷いて、何事かを唇の開閉で伝える。
そこに浮かぶ表情は、もうあの天真爛漫なものではなく、深い大人の魅力をたたえたものだったが、それでも幸せそうな様子は変わらなかった。

「あ・と・で…かな?」
「多分そうだな どーする?バスでゴール地点先回りしとくか それともあっちの広場で、モニター見てるか」
荒北が指差した方向には、パブリックビューイングポイントとして、芝生席に大型映像装置が、設置されていた。

「山頂では二人きりをしばらく楽しみたいんじゃないかな どうせ表彰台はここだし」

東堂の、あの笑顔が再び見られるとは思わなかった。友人として、素直に喜んでやりたいと思う。
おそらく何年もなかったであろう、東堂の楽しみを奪わぬよう新開は提案した。

「…今日の飲み会は、アイツにたかってもいいよな?」
新開の返事を聞いた荒北は、それが東堂と巻島の久しぶりの逢瀬を、邪魔しないようにしようとの意だとすぐに察し、すでに広場の方に歩き出していた。

「…東堂はさァ、巻チャンが今日参加するって知ってたって思う?」
「思わないな 多分前もっての情報があれば、絶対にオレたちの誰かに伝えて来ていただろ」
「だよねェ…巻チャンサイドの応援も見あたらねェし、アレ総北の奴らにも連絡してねーよな、多分」
何かを思いついたらしい荒北が、にやりと口端を上げた。

「…ついでに千葉の奴らも招集しねェ?とりあえずオレは小野田チャンと金城に連絡とってみる」
巻島がここにいれば、何故金城の携帯を荒北が知っているのだろうといぶかしむだろうが、二人は同じ大学に進学していたのだから当然だ。

「じゃあオレは迅くん経由…かな」
「ここまで最速でも2時間半はかかるだろ…今回は20km程度か?レース後と表彰式で3時間、1時間ぐらいは会場で時間潰させて、
その間にみんなを店に集合させとくってのはどーヨ?」
「いいな じゃあ参加人数を確定したら、個室のある店をキープしておくか」

早速とばかりに、互いに電話を始める荒北と新開は、無事に連絡が繋がったらしい。
「マジマジ 巻島が東堂の横に並んでんだって!やっぱ小野田チャンも聞いてなかったか… でさァ…」
親指をたてる新開に、こちらも参加だとOKのハンドサインを返す荒北は、目を細め楽しんでいる。

長らく見ることのなかった、東堂のあの表情。
気づかぬうちに、すり抜けていった大事なものを再び手にした東堂は、もう手放さないだろう。
巻島の様子から察するに、本人にとっても予定外のことだったみたいだが、まあ結果オーライだ。

数時間後、1位を取ったのはプロの意地を見せた東堂で、わずかの差で遅れてゴールした素人にも、大歓声が捧げられた。
どんなレースでも、常に涼しい顔を見せていた山神の異称をもつ男の目に、薄く涙が光っていたのに、驚愕したファンも少なくなかったらしい。

表彰式では、マイクを奪って、なにごとかを叫びだそうとした東堂を、2位の男が慌てて手のひらで口元を塞いだ。
栗色の髪をした男は、ひたすら「言ったら…絶交っショ」などと女子高生のような言動で、東堂を睨む。
だがそのやり取りの間も、東堂の明朗な雰囲気は崩せず、二人の仲は親しいようだと周囲のものにも察知された。

「東堂さん…二位の…巻島さんとはご友人ですか?」
成り行きを眺めていた司会が、インタビューするかのように東堂にマイクを向けた。
ステージの下から、「巻島…ピークスパイダーか!」のざわめきが幾つか広がったので、あの独特なダンシングを記憶していた者も少なくないようだ。
「巻ちゃんは、オレの人生で大事な人です」
涼しげな表情でサラリと言い述べた東堂は、容貌が優れたクールな印象を持つ男だが、その言動の中身は、高校時代を復活させていた。
掌で顔を覆って、早くこの場から立ち去りたいのオーラを全身に立ち上らせる巻島に、司会者は容赦がなくマイクをつきつける。
「東堂さんとはどういったご関係で? ゴール間際の接戦!大変見ごたえのあるものでした」
しぶしぶと言った感じで、巻島は言葉を選び返す。
「……学生時代からの知り合いです」
「知り合いとはひどいな 運命のライバルと言ってはくれないのかね」
「言うかよ!!」
そんなやり取りはどこかほほえましく、見ていたもの達からは笑顔や健闘を称える言葉とともに、表彰台に向かって大きな拍手が響き渡った。

イベントも終盤に近づき、東堂がゲストとして拘束される時間も終了をした。
まるで女性をエスコートするように、巻島を丁寧に扱う東堂が、メールした待ち合わせ場所にようやく姿を現す。

「…ああしてりゃ、まあイイ男扱いされんのもわかんなくねェけどな」
の呟きのあと、荒北は「だけどオレは、あっちの中身残念な東堂の方が気に入ってるみたいだワ」と続けた。
「オレもだよ」と同意した新開が手を振ってここだと示せば、巻島は慌てた様子で、東堂の手を振り切ろうとする。
だがもちろん、その握られた指先は離される事がない。

「さて、話を聞かせてもらおうかァ?」
とにんまり口角を上げた荒北に、巻島は所在なげにうつむいたり、遠くを見たりとせわしない。
「…荒北、新開…色々と心配をかけた」

ゆっくりと頭を下げる東堂は、あの騒がしさは消え、大人の風格を保っている。
それでも、その表情は巻島と疎遠になってからは、見せなくなっていたものだった。
「じゃ コッチな」

新開が襖を開くと同時、クラッカーの破裂する音が複数鳴った。
舞い降りてきた紙テープを、頭上にあびた巻島が、状況をつかめないみたいに何度かまばたきを繰り返す。

「巻島さんっ!!お帰りなさい!!」
すでに成人を過ぎているのに、子犬のような表情をした小野田だが、その体躯はもう巻島に迫るものに成長をしていた。
「おう!連絡ひとつよこさねェでよ!」
変わらず豪快に笑う、田所。
無言で拍手するほかのメンバーも、楽しそうな笑みを浮かべていた。

「お前ら…どこまで知ってるッショ……」
羞恥で真っ赤になった巻島が、しゃがみこむと、「それを語らせようと来てやったんだよ!」
と返される。
「そうだな…改めて語らせてもらおうか 俺と巻ちゃんのメモリアルを」
「ウッゼ!」
「ウザくはないな」

懐かしいやり取りに、巻島の睫毛がうっすらと涙で滲む。
優しく巻島を立ち上がらせる東堂は、『もうこれは、自分のものだ』と全身で主張しており、欠片の動揺もみせなかった。