【東巻】最熱リスタート2

初めてのキスなのに、容赦はなかった。
巻島の淡い紅色をした唇に、軽く歯を立てたかと思うと、東堂の口先はその輪郭をたどる。
抗議をしようと開きかけた口内に、濡れた粘膜が入り込み、逃げようとした巻島の舌を執拗に絡め取った。

「クッ…んんっ……やぁっ…」
その熱さに、巻島の眉根が頼りなげによせられ、窒息しそうになる。
高鳴る心臓の鼓動で、脳裏は白く染まり、体は麻痺して何も考えられない。
ひたすら首を振って逃れようとする巻島の顎を、無理やり掴み、閉じようとする唇を許さない東堂は、性感を教え込むかのように粘着質だ。
蹂躙し、ねじ伏せるための口接け。

淫らな水音が耳に張り付くのがいやで、巻島が首を振れば、東堂はその反抗に煽られたように、容赦はなくなっていく。
密に重なった体から、成長した東堂の広い肩幅や隆起した胸の筋肉が実感でき、巻島はその重さにひそかに怯えた。

平常を保とうとしても、そりかえった爪先が、快楽を得ているのだと伝えてしまう。
「ふ…ぁ……」
強引に腰を捕まえられると、壁を背にすることでようやく保てていた姿勢が崩れてしまった。
気づけば天井が視界に入り、欲望で蕩けてしまいそうな巻島を、東堂が馬乗りで見下ろしていた。
ほとんど睨むような険しい目つきで、笑みを浮かべる東堂の冷静さに、巻島を我を取り戻す。

腹筋に力をこめて、右膝を勢いよくあげれば、東堂のみぞおちに直撃した。
間近の距離なので、威力はさほどない。
だが巻島がその拘束から抜け出そうとできる程度の、隙間はできた。

反射的に身を翻し、膝立ちになろうとしたところで、巻島の背後から再び東堂がのしかかる。
厚い胸の隆起や、耳朶近くでもらされる吐息のむず痒さに、思わず腰を引けば、そこには東堂の股間があった。
巻島が立ち上がって逃げようとすればするほど、東堂自身におのれの腰骨を押し付けるようになってしまい、かすれた弱々しい悲鳴が漏れる。

「…誘っているかのようだな、巻ちゃん」
「ば…!違うっショ!」
「わかってる」

全身で脈打ち、眩暈がしそうな感覚に飲み込まれても、流されるわけにはいかない。
手首ごと戒められそうになるのを振り切って、今度は力任せに肘を上げれば、東堂の胸の中心にそれは当たった。
東堂は小さく咳き込み、力が弛む。

「…悪ィな、東堂」
その隙にベッドから這い降りた巻島は、寸前まで漂っていた情緒も、隠微な気配も消し去る勢いで、唇をゆがめ嗤う。
未だに作り笑いの下手な巻島に、東堂は懐かしい記憶をよみがえらせていた。

初めて出会ったときは、気に食わない奴だと思っていた。どこから、いつからこんなにも執着する相手になったのだろう。
当時から大人びていた風貌をした巻島は、そのまま時を止めたかのように外見はほとんど変わっていない。
ただほんの少し肉が落ちた分薄くなり、髪色が地毛だという栗色になったぐらいだ。

メールやスカイプを送っても返事がくるのは稀で、しかもそっけない。
会えずにいるうちに、少しずつその回数は減り、東堂はその間に何人かの女性ともつきあってみた。
モテるはずの東堂が、フラれる台詞は、どういうワケか必ず一緒だった。
「あなたは、私を見てくれないのね」
何を言われたのかを理解できぬまま、この年になってしまったとは情けない限りだ。

―――でも、仕方がない。誰も、巻ちゃんのかわりなんて出来るはずがないのだから。

東堂自身も、もう巻島への思いはふっきれたのだと思っていた。
だが山道で、記憶にある肢体を見かけた瞬間に、それはすべて欺瞞だったと気づいてしまった。
幻ではない本人だと、理解したときには、喉奥は焼けたようにカラカラで、胃も絞りきったような衝撃を覚え、自分は巻島裕介をこれっぽっちも
忘れていないのだと、思い知らされた。

「…逃がさないと言った筈だ、巻ちゃん」

ゆっくりと臥所から立ち上がり、近づいてくる東堂に、身が竦みそうになる。
だが今度こそ隙を見せないとばかりに、壁際に張り付いて立つ巻島は首を振った。
「…オレは、あの渡英を伝えるまでに、一生分悩んだんだ …そして出した結論を今更変えられねぇショ お前は山神の称号にふさわしい道を行け」
逃げるためのおためごかしではなく、心からの本心なのだろう。
巻島の表情は、どこか泣きそうでも、すがすがしかった。

近寄ってくる東堂を、牽制するように激しい蹴りが舞った。
「オレはお前ほど鍛えてねェけどなぁ あっちの治安の悪さもあるから、護身術ぐらいは覚えたっショ」
さきほどまでの、メスめいた匂いを消して、険しい目つきをした巻島に、東堂はなぜか最高の笑顔を向けた。

「さすがだな 巻ちゃん どこまでもオレを追い駆けさせてくれる」
くだらない意地だと、自己嫌悪に陥りそうになっていた巻島は、予想を外れた東堂の表情に、まばたきを繰り返した。
「…お前、相変わらず何考えてるか わかんねえよ…」
「フ…簡単だよ やはりオレを掻きたててくれるのは、どこまでもお前しかいないということだ」
「…オレなんかに執着すんな!て前ェは色々手に入れて、日の下をまっとうに歩くのがお似合いなんだよ!」
「残念ながら与えられるものに興味はないな オレは…欲しいものを手にしたいだけだ」

高校生最後のインターハイ、初日山岳リザルト。
あの時ほどの興奮と、熱情と、歓喜と忘我を迎えられた時間は他にない。
真っ白になりそうなほどの完全燃焼は、この時の為に生きていたとさえ思ったほどだ。
もう二度と、そんな時は来ないだろうと諦めていたのに、巻島裕介という存在は、そこにいるだけで、いともそんな感傷を吹き飛ばしてくれる。

「クハッ…欲しい物がひとつぐらい手に入らない挫折を味わってみるのも、悪くねェショ」
「充分味わったさ この数年間に」
「オレはもう悩むのも苦しいのもイヤなんだよ! お前が幸せになればそれでいいっ!もう忘れたんだ!!お前のいない静かな世界にやっと慣れたんだっ」
「…愚かだな 巻ちゃん 本気でオレを忘れたいなら、山神と呼ばれる男の地元になど二度と訪れるべきではなかった」

巻ちゃんが好きだ。
抱きしめて優しくしたいのに、それを決して受け入れてくれず、あてつけるかのようにスルリと逃げられてしまう。
だがその手ごわさに、本能は煽られ、オレはますます巻島裕介に捕えられてしまうと、気が付かない鈍さすら愛おしい。

「……明日のレース、お前が勝てば考えてやるショ」
苦し紛れのような巻島の言葉に、東堂は表情もかえずに言い返す。
「だから今日は帰れと?…巻ちゃんの考えを当ててやろうか 俺が帰宅したら巻ちゃんはすぐに、日本から出てしまうつもりだな そして
『オレはレースに出てないからお前に負けていない』と言って、姿を消す」

図星だったのだろう、巻島は唇を小さく噛み締め、小刻みに震える。
一拍の間をおいて体をひるがえし、部屋から逃げようとした巻島の手首を東堂が掴めば、すかさず捻りあげかえされた。
「言ったっショ…身を護る術ぐらい身に付けたって」
「…オレの為に逃げようとしてくれた巻ちゃんなら、オレが明日ぶざまに走れなくなるようなマネはしないと信じているよ テレビ中継も入った特別ゲストだ」

細く息を呑んだ巻島は、うめくみたいな声を洩らした。
護身術は力がないものが抗えるように、関節や人間の急所を基本的に狙う。
それはどこもかしこも、自転車を乗るのに重要な場所だ。

「おま…え…卑怯…ショ……」
「巻ちゃんが手に入るなら、何とでも言うといい」
「も…う…勘弁してくれ……」
強気の仮面を剥がされた巻島は、うなだれ何度も首を振る。

――泣きつくようにすがる、巻ちゃんの訴えすら、餓えた自分には陶酔しか与えない。
自分の言動に痛々しく身を震わせる様子にすら、高揚を覚え、その白い首筋に、頬に、唇に牙すら立てたくなってしまう。
ああ、再びこの熱を取り戻せるのだと思えば、しびれるような眩暈すら訪れる。
神の称号を与えられた自分の、唯一無二で欲するもの。

「ひとつだけ謝罪しておかねばならんな」
顔を上げた巻島は、東堂の深い色をたたえた瞳に、不安げに映っていた。
何をやっているのだろうと、後悔をする巻島の耳元に、東堂は唇を寄せ、低く囁く。
「ロードレーサーに乗っている巻ちゃんこそが、オレの血を奮い起させ、歓喜させる存在だと思わせてしまったことだ」

「――東堂…?」
その通りではなかったのかと、理解できぬ巻島は首を傾げた。
意味を噛み締めても理解できず、どうしようもなく、その名を呼べば、東堂は厳しい眼差しで巻島を凝視した。
「間違っていた オレは巻ちゃんの存在そのものに、惹かれていたというのに」

獰猛に笑う東堂は、ゆっくりと巻島の頬から耳朶へと舌を這わせる。
「クソッ…… 離せ…ふざ…けんな……」
「ふざけていると思うなら そのまま大人しくしていればいい」

全身で慈しみ、その身を味わわせてもらおうなどと、不穏な言葉が響いた。
強く漂う性の匂いに、巻島の警戒はいっそう深まるが、逃げ道はすべて封じられている。

なにもかも諦めたかのように脱力した巻島が、目を落としたままそっけなく言い放つ。
「逃げねェから…… きちんとオレを口説き落としてみろ」
意を決したように、顔を背けながらも淀みはない。

戸惑いと羞恥に揺れながらでも、このまま流されて、自分の決意をなかったことにはできない。
だから、0からもう一度始めろと、言っているのだ。

しばらくの沈黙の後、喉を鳴らすみたいに、東堂が笑った。
「…流石だな どこまでも巻ちゃんは、簡単に手に入れさせてくれない」

もう拒みきるつもりはないのだろう。
目を伏せた巻島は、そっと東堂の体を押し、あらためて話し合おうと恥ずかしげに呟いた。

「…オレも明日のレース楽しみにしてるんだよ ここで強姦されてチャリにも乗れねェ、お前との仲も修復不可能になる、グチャグチャの
ままになるなんてご免なんだヨ」
「ならば…そうだな オレは圧倒的に巻ちゃんに勝利して、インタビューの際に巻ちゃん結婚してくれとでも叫ぼうか」
「…ふざけんなっ!!!そんなマネされたら、オレはマジで国外逃亡して日本に帰らねェよ!!」

顔を赤く高らかに叫び返すやり取りは、まるで学生時代に戻ったかのようだ。
東堂はそっと巻島に手のひらを重ね、握り締めた。
あふれ出てくる気持ちは、幸福感なのか期待なのかもわからないが、繋がった指先はどこまでも暖かい気持ちをくれる。

きっとこうやって自分と巻島は、年を重ねていくのだろう。
東堂の指が伸び、巻島のそれと絡み合えば、ぎゅっと握られる。
追い駆け、追い越し、せつなさと苦しさと、いとおしさは絶える事がない。
好きだと言い続けられる日々は、どんなに幸せなことだろうか。

その気持ちが、たとえほだされたものだとしても、きっと自分は巻島裕介を一生離さない。

「愛してるよ」と告げれば、決まり悪いみたいに眉をひそめた巻ちゃんは、それでも小さく「オレもショ……」と返してくれた。