【東巻】
一目惚れプロセス


科学が発展した現代でも、一目ぼれのプロセスは未だ解明されていないのだという。
だが、仮説として存在しているものはある。
通りすがりに、互いが突然惹かれあったというのであれば、それは本能レベルで自分に足りない「何か」を相手が持っていると、察知したのだろうというものだ。

だからその相手が、究極に美形だとか、高身長だろうとかそういった理由は関係がないのだ。
「自分にないものを、相手が持っている」と、本能が感じることが重要なのだと、とくとくと東堂は語った。

「……で?」
相手の流舌はいつものことだが、今日はいつもに増して何がいいたいのかわからないと、巻島は頬杖をついたまま、聞き返す。
「だからオレが巻ちゃんに一目ぼれした理由を述べているのだよ!」

レース終了後、恒例となったファミレスでの食事も、最近は巻島の楽しみの一つになっている。
口下手でうまく話せない自分でも、それを許容してくれる東堂は自ら話題をくりだしてきて、退屈をさせない。
昼食には遅いし夕食にはまだ早いという時間なので、角のボックス席の周りは埋まっておらず、バカ話もしやすかった。

食欲がないと、サラダと珈琲だけを頼んだ巻島のサラダボウルに、東堂は「たんぱく質も必要だぞ!」と
チキン南蛮を、二切れ投げ込んできた。
油モノは食べたくないと、こっそり上目で東堂を窺えば腕組みをしたまま、巻島が口にするのを見据えていた。
こういう東堂は、絶対に引かないと解っている。
下手にゴネて、「ならばあーんをしてやろう」などと馬鹿げた提案をされるよりはと、摘んで齧れば、まだ揚げたてのそれはカリッとした
食感と滴る肉汁を落とし、予想外に美味しかった。

勢いで食べてしまったものだが、美味しいものはやはり心を弾ませてくれる。
頬を軽く弛ませた巻島を見届けた東堂は、そこでようやく自分の食事を取り始めた。

食べ物で一本とられた感のあるのは悔しいので、ささやかな仕返しに先ほどの話題に反発をしてみる。
もとより、自分にヒトメボレなど悪質ないいがかりは、流せるものではなかったのでちょうど良い。

「………一目惚れとかいつもに増して寝ぼけ具合がひでェな、東堂」
「寝ぼけてなどいないぞ!巻ちゃん」
「お前ェ、オレと初対面のときの態度忘れたのかよ」
「忘れるものかね!巻ちゃんと出会ってから一分一秒、すべてオレの、東堂尽八メモリアルに刻み込んである!」
きっぱりと言い切った東堂に、巻島はどういう表情を向けて良いのかわからない。
光栄だと笑うべきなのか、アホかと言うべきか、交友スキルの低い自分には、かなりの難問だ。

――ああ、なんだこれは冗談か

やっと気がつけたと、巻島は内心で笑う。
ならば乗ってやろうと、少し気が楽になった。
「お前の態度は一目惚れの相手にするもんじゃなかったよなァ?」
肩がぶつかってしまったのは、両方のうっかりの責任で、その後にケンカを売るとまではいかなくても、無礼な言動をしてきたのは東堂だ。

東堂がそんな態度を取ることは珍しいのだと、付き合いが深まってから知った。
好意を向けてくる相手は、広く受け止めるが、そうでない相手には手厳しいほどの無関心しか与えられない。

お前は誰もが自分に見惚れる…一目惚れをされる立場だから、自分からも好意や尊敬が含まれるアクションを、期待していたのだろうと、からかってやれば、
東堂は非常に微妙な顔つきになった。
「いや…その、あれは……」
常に明快に話す東堂が、しどろもどろになるのがおかしい。
「まあ確かにお前は、他人が欲しがりそうな遺伝子いっぱい持ってそうだよな …顔とか」
軽いイヤミのつもりで言ったのに、東堂の顔はなぜか眩しいものに変わった。

「…巻ちゃんもオレの顔が好きか!」
『も』と来るのが、いかにも東堂だ。
「だとしたら、この顔に生んでくれた母に感謝をせんとな!」
「…お前今まで、イケメンに産まれてラッキーとか思ってなかったのか?」
「与えられたものに満足はしていても、親が意図して顔を作った訳でもなし 美形にしてくれてありがとうとは考えたこともなかった」
もちろん日頃から親の存在はありがたいし、大事に思っているが、それは別だと続けられれば、まあそうだろうと納得だ。

「オレが巻ちゃんに、初対面で無礼な行いをしてしまったのも、咄嗟に『手に入らないもの』だと思ってしまったからかもしれん」
「意味わかんねェショ」
「巻ちゃんの隠れた優しさ、不器用な笑顔、無駄が多すぎるのにすばらしい走りを、オレは一目見た瞬間に気がついてしまったようだ!だけど…同性ではその遺伝子を
次代に伝えることができんからな」
無意識に反発をしてしまったようだと、東堂は眉根を寄せた。

こいつの言うことは、褒めてるんだか貶しているんだか、最後に到っては意味不明だと、巻島は心の内で一歩退く。
「だが次世代など関係ないな!今ではオレの横の巻ちゃんの存在そのものに、謝辞を述べたく思うよ それに巻ちゃんも、一目でオレを意識してくれたんだろう?」
「ショ!?」
「だって巻ちゃんは普通なら、あんな場面でも言い返すなんてめんどくさいと そのままやり過ごすはずだ」

――考えたことはなかったが、確かに東堂が言う通りかもしれない。
巻島は独自のスタイルを貫くかわり、通りすがりに軽口を叩かれたり絡まれたりも珍しいことではなかった。
オレはオレだと主張したいだけなんだから、放っておいてくれというのが、唯一の望みだ。
なのにあの時は、反射的に言い返してしまった。それが個人ではなく、学校名に対する言葉だったからかもしれないが、それでも稀有なことだと自覚する。

「なあ巻ちゃんは オレのどこが気に入ったのかね?」
ご褒美前の犬のような、ワクワクした表情の東堂は嫌いじゃない。
機械のように精密な、無駄のない走り。人の懐に無防備に飛び込める、おおらかさと暖かさ。ムカつくけれど、自画自賛してるだけのことはある顔。
あとは押し付けがましいまでの優しさに、まっすぐな性質。
どれもこれも、自分には縁がなさすぎる、対極のものだ。

だからといって、その美点を人前で口に出せるほど、巻島は素直ではなかった。
「クハッ言ってろ! 代わりにお前の嫌いなところなら幾つか上げてやるっショ ストーカー並の着電に、オレとお前のレース中に他の奴が割り込んでくると、
すげぇ邪魔者扱いすること…あとはうちの後輩を三下呼ばわりしたの、許さねェ」
「ハハハッすまんね! 巻ちゃんが可愛がっていると思うと、嫉妬してしまった」
率直な東堂の言葉に、ひねた態度しか返せない巻島としては、突っ張りとおしにくい。

「で?他にはどうかね」
幾つか欠点ともいえる内容をあげ連ねたのに、東堂の機嫌は変わらないどころかむしろ高揚しているようだ。
「他…えっと……」
五つほど並べれば、充分ではないのだろうか。指折りで戸惑う巻島に、最後のトマトを片付けた東堂が、これ以上はないほど、全力の笑顔を見せた。

「つまりは巻ちゃん!オレのそれ以外は全部好きだということだな!」
「へ?」
「巻ちゃんはクセのある性質だが、朴直だからな!オレの難点を探すのにも苦労していたようだし、今言わなかった顔や性格は、全部気に入ってくれているということだろう」

語尾が疑問系でないのが、悔しすぎる。
東堂の声に比例して、頬の紅潮が増していくのがわかる巻島は、顔を手のひらで覆って、隠すのが精一杯だ。
莫迦を言うなと切り捨てたいが、自分でも気づいていなかった指摘は、正直その通りだった。

「お礼にオレも 巻ちゃんの魅力を…」
「言うな!言わねぇでいいッショ!!」
東堂が語り始めたら、いつまでもとどまることなく、見に覚えのない『巻ちゃんのすばらしい点』を述べ続けるだろう。
そんなのは自分にとって、羞恥プレイでしかないと、咄嗟に巻島は顔を隠していた手のひらを外し、代わりに東堂の口を覆った。

――しまった

押し付けた弾みで、東堂の唇の感触を、指先で感じてしまった。
柔らかくて、熱い。


一瞬目を見開いて固まっていた東堂が、次の瞬間破顔し、ゆっくりと巻島の手首を取った。
優しいけれど逆らえない力で、外された掌を握られるまで、巻島はスローモーションを見るような気持ちで、眺めていた。
ハンドルを握り続けることで硬くなっている東堂の皮膚先が、少しむず痒い。
田所がふざけて、『巻島七不思議』などと表現をしているが、巻島の肌は運動部員の男子高校生とは思えぬほど、白く滑らかだ。
炎天下の練習や、ハードな体力勝負を繰り返して、最上級生になってもそれは変わっていない。

「柔らかいな」と一言、その指先を噛むように口接けた東堂が、少し獰猛な笑いを浮かべた。
「…!おまっ…!」
慌てて手首を振って、その拘束を外そうとしたけれど、指先に触れた唇はまったく位置が変わらない。

「オレがずっと、巻ちゃんの持つ美点を語り続けると危惧したのかね」
「な…何言って…」
まるで自分がウヌボレているみたいに指摘され、脈が早まる。
だって、仕方がないではないか。
普段の東堂は、電話でだってメールでだって、こちらが気恥ずかしくなるぐらい褒め言葉を連ねるのだから。

「何、短く済むよ …オレにとって巻ちゃんの魅力は…[『全て』だ」
その深い色をたたえた瞳に、吸い寄せられ、甘美な当惑が巻島の体中にめぐる。
まともに顔を合わせられず、悔しげに睨もうとしても、多分巻島の今の潤んだ双眸では逆効果しか与えない。

どうしようと戸惑う巻島の背後で、東堂が注文をした「食後のアイスティー」を配膳したいバイトのお姉さんは、密かにもっと戸惑っていた。

(……そろそろテーブル横、行ってもいいかな…?)
溶けた氷が、カランと涼しげな音を響かせた。その小さな音を聞いて、真っ赤な顔で振り返ったレディー・ガ○のような髪をした少年の顔がなんだか可愛くて、
お姉さんは優しく微笑んだ。