【東巻】それぞれの好き



巻ちゃんサイド
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休日に示し合わせて、東堂と山に登るのも楽しみ方の一つになった。
ただ残念なことに、本日はクライム…というより外出することすら憚れる大雨で、せっかくの二人だけのレースもお預けだ。

珍しく静かな東堂は、寝転がって月間ロードレーサーを読んでいて、巻島はガラステーブルにひじをついて背を丸めた姿勢で、本当だったら今日登る予定だった道のりを、地図で追い駆けていた。
そんな意味ない行為の途中に、真剣な面持ちで雑誌を眺める東堂が、視界の片隅に入る。

――あぁ、コイツ本当に美形なんだなあ…

改めて巻島が思ったのは、そんなことだった。
普段の東堂はじゃれてはしゃいで、子犬のような印象が強い。それだけにこうして黙っていると、改めて容姿のほうに注意が向いててしまう。

「ん?何かね巻ちゃん」
しげしげと見つめられていたことに、気づいたらしい東堂が顔を上げた。
これが田所や小野田であれば、長所として認めた点はすぐに口に出すが、東堂の場合口にしたら最後、自画自賛の舌嵐に数十分は耐えなくてはならないかと思うと、どうにも素直にほめにくい。

いかにもごまかすための作り笑顔だとわかる顔を返してやると、東堂はそれでもうっすらと頬を染めた。
「巻ちゃんの笑顔は、随分と可愛くなったな」

ストレートな賛辞に、今度は巻島の頬が紅くなる。
この男は自分と違い、いつだって率直に思ったことを口に出すのだ。
お返しとばかりに
「オレの笑顔は変わってないっショ お前の見方が変わったんだろ」と皮肉を返してやると、東堂はなぜか幸せそうな顔になった。
「そうだな、初めて会ったときはオレは巻ちゃんを嫌っていたからな…つくづく思うぞ、もったいないことをしたと」

「もったいないって何だよ お前オレの事を嫌いだって思わなかったら、きっと名前もロクに覚えなかったショ」
実際にいままで出たレースで、何度か自分たちと競い合った3位・4位のヤツの名前を、東堂は綺麗さっぱり記憶していないのだから、説得力は充分だ。
好きの反対は嫌いでなく、無関心だという言葉が、これほど当てはまる男も珍しいだろう。

「ひどいぞ巻ちゃん 確かにオレは、どうでもいいやつの名前なんて覚えないけれど、巻ちゃんとだったら一緒に走ったその瞬間に、名前を心に刻み込む」
何を言われても、好意を含んだ言葉で返せるというのも東堂の才能なのかもしれない。
会話を重ねれば重ねるほど、東堂は好意というレシーブを倍返してきて、巻島にはそれが面映くて仕方が無かった。

なんとか少しでも、こちらからも東堂を慌てさせてみたいと、思いだしたのが先日荒北から聞いた言葉だった。
「そういえば東堂…お前の好み、髪の短い子なんだってな」
雑誌のインタビューか何かで、東堂がそう答えていたのだという。
荒北を深く知る前は、警戒されているのかと思ってしまう厳しい態度を取られるが、それなりに言葉をかわせば、それが万人に対し平等で、裏がないので
巻島にはつきあいやすいと思える一人だ。
それほど連絡を取るわけではないが、東堂の態度がなにかおかしかったり、怪しかったりすると「巻チャンなんかあった?」と聞いてくるので、実は面倒見もいいのだろう。

今の自分のトレードマークは、独特のダンシングと髪色で、それに続くのは長い髪だ。
そのことを知っている荒北は、冗談交じりで「好きなタイプと随分違うのを好きになったみたいだなァ」と自分をからかってきていたのだ。

「ああそのことか そのインタビューを受けた頃は巻ちゃんと知り合ってまもなくの頃でな オレはどうやら無意識に、巻ちゃんの髪型を思い浮かべていたらしい 今の好みは長い髪だぞ」
短いのがいいならば、今の自分の長い髪は鬱陶しいかと、からかおうとした目論見は、東堂の一言であっさり潰された。

さて次は、何を繰り出してやろうと、悉くたくらみを外された巻島に、東堂が最大級の笑顔を送る。
「巻ちゃん、嬉しいぞ オレの話題を他から聞いてくれる程、オレに興味を持ってくれているのだな!」

――ああ、もう!コイツはいつだって、口下手な自分の真意を見抜きすぎる!!

「べべ、別にオレが聞き出した訳じゃねぇッショ!荒北が教えてくれてっ」
「…ほぅ」
少し低くなった声に、巻島が警戒に入る。
いつだって誰だって、あけっぴろげに自分たちのことを話したがる東堂なのに、なぜか自分の友人たちに関しては、神経を使っているようだった。
実はそれが、あまり人に心を許さない巻島が、『東堂の友人』だからという理由で無防備全開の笑顔を向けたりするのが理由なのだが、当人は気づいていない。

「…お前、オレが荒北とか新開とかと話すの…イヤなのかよ?」
少し強まった東堂の眉根のシワを、軽く指で巻島が押すと、東堂は苦笑しその手首を掴んだ。指で押された箇所のシワは、もう無くなっている。
「まったく…巻ちゃんはオレをコントロールするのが上手い」
「………?」

言われた意味がわからず、かわりに首をかしげていると、東堂はそのまま手首を引き寄せ、軽くその内側に口接けをした。
「別に巻ちゃんとの仲が恥ずかしいから、隠しておきたいなんて思ってはいないぞ」
巻島が軽く感じていた懸念すら、東堂は察していたらしい。

「むしろ逆だよ巻ちゃん 巻ちゃんがオレの友人たちに魅力的な微笑みを見せるから嫉いていた」
「…魅力的だなんて言うの、お前ぐらいッショ」

だいたいお前だって、オレの笑顔をキモいって言ってたくせに。
呆れたみたいに東堂を見下ろす巻島に、東堂が今度は少し困った顔をする。
「あ、あれはだな…巻ちゃんのことを、よく知らなかったから…今思えばあの笑顔だって、巻ちゃんらしくて、その、」
「クハッ もういいショ」

やった、やっと少しだけれど東堂を困窮させられた。

意趣返しの成功に、思わず頬を緩めると、まだほどかれていなかった手首をまた、強く引かれた。
「…だから……その顔が反則だ さっきも言っただろう 巻ちゃんの笑顔は確実に可愛くなっている 変わっていないなんて、自分で気づけてないだけだ」
「へ?」
「オレだけに見せてくれていた、飾り気のない顔だったのに…オレといると、巻ちゃんは荒北や新開にまで、その顔を見せてしまうではないか」

――つまり、だ。

東堂は『自分と一緒にいると、自分だけに見せていた表情を、東堂の友人たちにも見せるから不愉快なのだ』と告げている。
どれだけの独占欲だよと、呆れかけた後で、羞恥が一気に押し寄せてきた。
自分は、どれだけ東堂の前で、安心しきった顔を見せていたのだろうと。

繋がれたままの、筋張った指に、自分の早くなった脈は気づかれないだろうか。
「お、お、お前ウヌボレすぎっショ!」
「…そんなに可愛らしい反応を見せられて、自惚れるなというのが無理というものだ、巻ちゃん」

ああ、またしても。
…この男は自分を上回って、包み込む。
「そろそろまたどこかの雑誌から、インタビューが来て欲しいな そうすれば今度は髪の長い人が好みですと答えるのに」
どう足掻いても、自分は東堂には敵わないらしい。

「…お前、あんまオレを甘やかすなよ」
なにもかも、態度にすらしていないのに解られてしまっては、ますます他人とコミュニケーションが取れなくなってしまう。
言外にそう含ませると、東堂の目に不穏な光が差した。

「……それは、いいな 巻ちゃんがオレにしか感情を伝えられなくなるのか」

――なんだか、ヤバいスイッチを押したみたいショ。

「巻ちゃんを弱らせて、オレだけにすがらせて…」
いやいやいやいや、スイッチというか、地雷だったか!?
「と、東堂…?」
「…やはり巻ちゃんは、オレを支配するのがうまい オレの心をいつだって独占してしまう」

東堂が黙り込むと、必然的に訪れる静寂が、鉛のように重い。
(…お前の発言のほうが、よほど支配欲丸出しっショ!!)

声を出したら、何かの均衡が崩れてしまう。沈黙の中、ページをめくる自分の指は、震えていないだろうか。
そんな微妙な緊張感は、外出をしていた巻島の母が戻ってくるまで、続いていた。

泣きそうに瞼を伏せている巻島の顔。それを眺める東堂の眼差しは、どこかのあやうさと愛おしさに溢れている。

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東堂サイド
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この東堂尽八、人生最大の失敗だったと思うのは、巻ちゃんの周囲への警戒心を溶かせてしまったことだ。
初めて出会ったときの、すばらしい登りと引き換えにしたような、そっけない無表情は、もうどこにもない。

クライマーとしての俺たち二人の名前が知れて、絡むやつらが増えてくると、今の巻ちゃんは、仕方がないなと苦笑してみせたり、きゅっと眉根を寄せて困った顔を見せる。
けっして女性的な訳ではないのに、巻ちゃんのそんな顔はオスの本能をどきりとさせる、何かがある。
多くのヤツは、それがレース前の昂ぶりだと勘違いをしてくれるので問題はないが、ごくごく稀に巻ちゃんの走りに、執着をする者も現れるのだ。

もちろんそんな輩は、巻ちゃんと二人で競いたいなんて、高望みをさせぬうちに潰しておく。
うっかり者の巻ちゃんに、クライムレースの申込日を電話で伝えなければ、5割ほどの確率で不参加なのだから、気づかれぬよう行うのは簡単だった。
別に暴力沙汰などを奮う訳じゃない。
俺たちに入り込もうとするには、力不足が過ぎると走りで教えてやるだけだ。

「アイツ…来てねェのかなあ…」
ぽつりと呟く姿がどこか寂しそうなのが、眩暈がしそうなほど、可愛い。
巻ちゃんの言うアイツが、この前潰した男だと知りながら、オレはあえて問い返す。
「アイツとは誰のことだね?」
この前俺たちに挑戦してみせるって言ってきたやつだと言われても、記憶にないと肩を竦めてみせる。

「クハッ お前ェはほんと、自分以外に無関心だよなあ」
「オレが無関心だというのならば、巻ちゃんへの思いをもっともっと伝えねばならんな!毎日互いに電話をする時刻を取り決めようではないか」
ぎょっとする巻ちゃんの反応は、想定内だ。

「おまっ…これ以上かけてくる気かよ!オレのとこの一年はお前をストーカーと思ってるショ!」
「他人にどう思われても構わんよ 巻ちゃんにオレの思いが伝わっていないのなら、何もかも無意味だ」
「……ああもうっ!訂正してやるッショ!! お前は……自分と……オレ以外に、無関心……ショ」
甘美にしか聞こえぬ囁きの後、うつむいた巻ちゃんは首筋まで赤い。

周囲の『またあいつ等やってるよ』な目線も、オレにとっては賞賛のものと同一だ。
もっともっと周りが知ればいい。オレと巻ちゃんの間に入り込めるものなどいないのだと。
だから、その頃は余裕があった。
巻ちゃんをキモいなどという愚か者に、自然体な巻ちゃんの笑顔を見せてやり、独創的なダンシングにも、思わず畏敬の念を抱くだろうスピードで競い合う。

そのうちに、周囲の反応は変わり、巻ちゃんの垣根が随分と低くなってしまったのだ。
オレが繰り返し主張をしたからだろう、競い合う者同士でも、友になれるのだと。

…その筆頭がこともあろうに、オレの友人たちだったのは、予想外だったが。
新開は初対面にも関わらず、巻ちゃんの事は尽八からよく聞いていると『裕介くん』と呼び、図々しい粗雑者の荒北に到っては、
オレがどれだけ呼びかけるのに逡巡したかの、苦労もしらず『巻チャン』呼びをあっさりしてのけた。

総北では仲がよい金城も田所も、自分のことは『巻島』呼びで、東堂以外にあだ名だとか名前で呼ばれたことないと恥らうその様子は、犯罪的にすら隙だらけだぞ、巻ちゃん。
――お巡りさんこちらですという呼びかけは、本来そこに犯罪者がいるときに叫ぶ言葉かもしれん。
だがこの場合、犯罪者の原因になる巻ちゃんを、巻ちゃんの心の警官たるオレが、保護しなくてはと決意をしてしまうほど、その姿は愛らしかった。

だから、そんな巻ちゃんを囲い込むことにした。
とはいっても、具体的にどうしようかと考えていたときに、巻ちゃんはすばらしいヒントをくれた。

「オレが何も言ってないのに、東堂が全部勘付いてしまうと、他人とますます交流が取れなくなってしまうショ」と。
その方法があったかと、目から鱗だ。巻ちゃんの境界が低くなってしまったのならば、オレが壁になってしまえばいい。

おかしな連中が、巻ちゃんを知りたいなどと思わぬように、周囲への関心も断たせてしまおう。
もっとも総北のメンバーは、巻ちゃんが巻ちゃんたる所以でもあるので、そのままでもいいだろう。
(なにより、驚くほどに総北の自転車部はみな清清しく、巻ちゃんへの邪気がない)
箱学の奴らは口先では不満を出しながらも、俺たちを気を配ってくれているので、少しぐらいなら巻ちゃんの情報を与えてやっても、構わない。

そして閉じられた空間で、愛も恋も、欲情も尊敬もいつだって大事にしたいというありったけの気持ちも、巻ちゃんに際限なく注ぎ込もう。
このオレ自身すら自覚がなかった独占欲を、巻ちゃんに仕込むのだと思うと、歪んだ喜びにぞくりと背筋が震えた。

従来口下手を自認している巻ちゃんの行動を、オレだけが気配のみでも察せられるのだと伝えてみせる。巻ちゃんにはオレがいれば、あるのままで何も心配することはないのだと。
そして、オレにとっては巻ちゃん以外の世界はどうでもいいのだと、態度で示して距離を縮めていこう。

なんだかんだ言っても、どうやらオレの顔が巻ちゃんの美意識に添っているらしいのも、好都合だった。
徐々に時間を詰めて近接し、オレと二人きりでいる時が一番楽しいのだと教え込む。
たまにオレに見惚れてくれているのに、気がつかないフリをして、カチューシャを外し前髪を掻きあげれば、巻ちゃんは「その方がかっこいいショ」と幸せそうに微笑む。

そして、オレは巻ちゃんの耳朶近くで囁くのだ。
「巻ちゃんは、オレを支配するのがうまい」と。

人のしがらみに疎い巻ちゃんは、繰り返しまばたきをして、オレの真意を悟ろうとしている。
それをあえて応えてやらず、意味深に微笑んでいれば、巻ちゃんの心はオレの事だけを考えている。

腕を伸ばし、巻ちゃんを確かめるように抱きしめても、もう巻ちゃんには狼狽も警戒もなかった。