東巻ワンドロライ・お題は【馬鹿みたいだ】

お題『馬鹿みたいだ』

今日の東堂は変だった。
いやこいつの行動はいつも変だと言えば変なのだが、その変さはデフォルトになっているもので、すぐ間近にいると解っているのにわざわざ携帯をかけてくるだとか、
ことあるごとに写真を撮りたがっては、巻島が消させるというやり取りが通常化しているという意味だ。

だが今日はその真逆で、巻島がすぐ傍にいてもなんだか言いたげにしながらも、何も言わない。
二人でいい競い合いをしたと思うし、天候はきれいな晴れ。
邪魔も入らず、楽しめた一日だったと思うが、東堂は出会った時からずっと、この男にしては珍しく寡黙だった。
「お前…具合でも悪いっショ?」
ペットボトルにストローをいれ、巻島が屈みこむように東堂を見れば、東堂は顔を覆って
「上目遣いとか……反則だろ……」と訳のわからないことを呟いている。

そう言ったきり、ぶつぶつと独り言の世界に東堂は入ってしまったので、巻島は仕方がなく景色を楽しむという方向へ、意識を向けた。
(あのヒルクライムから、一年経ったなァ)
軽くぶつかってきて、自分を…いや自分を変なヤツだとか、おかしい扱いされたのならばスルーしていただろう。
だがカチューシャに、大事な先輩たちがいる校名をけなされたことで、カチンと来て、軽く言い返してしまったせいで、今の変な付合いが生まれてしまった。
ライバル校で、天才と言われる様な相手で、見た目だって悪くはない。
…悪くないどころか、ファンクラブまでいるような相手と、自分がプライベートといえる時間まで、肩を並べるような仲になるだなんて、当時はまったく想像しようとする発想すら、生まれなかった。

アイツが話しかけてくるから、相手をしてやっているなんてスタンスを崩さずにはいるが、勿論東堂の好意は嬉しかった。
自分を認め、それどころか当人にとっての最上位にあたる位置に据えてくれ、これでもかと温かさをぶつけてきてくれる。
……いささかそれが、重荷になることもないでもないが、それはそれ、これはこれだ。

ペットボトルが空になり、ズズズッと音が鳴り始めた。
こちらを構いもせず、自分の世界に没頭している東堂への腹いせ混じりに、ズゴッズズゴッとうるさいぐらいにストローを吸い上げてみても、東堂はそのままだった。
(…帰るっショ)
登ったまでは楽しかったし、別に山を下りた後、二人で会話をしようだなんて取り決めもない。
二人が出会って、一年目だなんて漠然とではあるが、なんとなく心が弾んでいた自分が、莫迦みたいだと巻島はペットボトルをゴミ箱へと入れた。

「なァ、おい 東堂……」
「うわっ!び…びっくりした……何だ…ゆ………巻……ちゃん」
「なんだゆって、どーいう日本語っショw」
思わず自分には珍しい、ツッコミを入れてみれば東堂は、渋柿でも齧ったみたいな顔をした。

「いや…まあ、オレにしゃべり方がどうとか言われたくねえだろうけどヨ…」
家族に方言を持つ人がいるわけでもないのに、何故か不思議な語尾をつけて喋る自分を思い、巻島が気まずげに目を逸らした。
「ち、違うぞ……ゆ……ゆ…」
「……違うぞゆゆ?」
流石に二度目ともなれば、巻島も怪訝な顔で、もう一度東堂の顔を覗き込んだ。
「おまえ…さっきから様子おかしいし、具合悪いっショ?無理に今日来なくても…」
「何を言ってるんだ!今日はオレ達二人が出会った日だろう!会わずにはおれんよっ」

すぐさまそう言い返した東堂に、一年目という日付に浮かれていたのが、自分だけではないと、巻島は安堵した。
「でもよォ…それで体調崩したりしたら」
「ち、違うんだ!ゆ…」
「いやそれはもういいッショ」
なんらかの自分の知らないお笑いネタだろうかと、巻島が呆れた顔をすれば、東堂は思い切ったように目をつぶり、大きく深呼吸をした。

「一年目だから!なんか記念に残ることをしたいと思って!!ずっと!巻ちゃんを『裕介』と呼ぶ機会を伺ってましたぁっ!!」
きょとんとした顔をした巻島を見て、東堂が真っ赤になって慌てて、続ける。

「巻ちゃんにとっては、たいした事ないかもしれんが、オレにとって巻ちゃんという呼び方は、他の誰にも呼ばせたくないものであって、
いやだから巻ちゃんは巻ちゃんなんだが、その、他のやつに裕介って呼ばれるより先に、オレが裕介って…」

馬鹿見たいかもしれないが、自分の学校には知人を苗字ではなく名前呼びするヤツがいる。
そいつはいいヤツだし、巻ちゃんの友人の田所っちくんとも知り合いだから、いつか巻ちゃんも会うことがあるかもしれない。
だからそいつがさりげなく
「はじめまして、裕介くん」
なんて呼び出す前に、自分が先に名前呼びをしたかった、記念日だから丁度よかったと、東堂は続けた。

そう言われ、特に深い考えもなく巻島は
「……尽八ィ」
と名前を呼んだ。
ハッとした様子で、真顔でマジマジと自分を見詰める東堂に、今度はこちらが恥ずかしくなった。

『『…ああ、馬鹿みたいだ』』

たかがこれだけのことで、心臓が爆発しそうに高鳴り、顔が沸騰しそうに真っ赤になっているに違いない。

――こんなに心臓に悪いなら、東堂の尽八呼びは封印っショ
そう決意した巻島だが、無意識に興奮度が高まると東堂を尽八呼びし、喜ばせているとの自覚はいまだにない。

***************
おまけ 総北のMの人

腕試しならぬ足試しで、一般市民大会的な団体戦に申し込んだ総北一年三人組は、レース後の休憩中ただならぬ会話を漏れ聞いた。
このレースは団体で走っての先頭の者のタイムではなく、個々のタイムの合計値を競う
そのため、三人で力を合わせるというよりは「オレが一位を取る」という今泉と鳴子に、初心者小野田が懸命に追いかけていくという形になって、
三人は電池切れ寸前、息をようやく整え、芝生の上で座り込んでいるという状況だ。
そのすぐ横は木立の並木が続き、日陰となっていて火照った体に丁度いい。

ようやく呼吸が整い、誰からともなく立ち上がろうとした瞬間に聴こえたのが
「だから …今日は総北のMの人がいないから来ネェって」
「なんで?ここ千葉から近いだろ」
「Mの人と個人練習だってさ…そりゃレースより二人っきりでとかの方が楽しいんじゃねぇ?」
「……総北のM…まじドMだな……」
という会話だった。

「……えーっと」
「聞こえたな」
他の二人の耳には届いただろうかと、小野田が確認するより先に、今泉と鳴子も少し苦々しげに頷いている。
「で、でも総北がうちとは……」
「千葉の総北ってウチしかおらへんやろ」
そう言われてしまい、小野田もそうだよねと、同意するしかない。

「なんやあいつらっ!失礼なやっちゃな!!ワイの学校の誰がドMやっちゅーねん!!」
「…いや本当に…誰の事だ?」
考え込むように顎に手を添える今泉に対し、鳴子は「M言うたら巻島さんやろ?」とそのまま返す。
「え、でも…確かに巻島さんの苗字はMになるけど、ドMって言ってたからイニシャルじゃないかも!」

敬愛する先輩を庇いたくて、咄嗟にそういってしまった小野田に、他の二人の眉間のシワは更に深まった。
「…じゃあ…誰の事だ?」

「ワイが思うに……おっさんの事ちゃうやろか」
茶化すのではなく、真面目な顔をした鳴子が小声で呟き、他の二人もなんとなく頭を寄せる。
「おっさんのあのガタい、こういっちゃなんやけどロードバイクよりは絶対格闘技向きやと思わへんか?」
「確かに空手や柔道なんてやってたら、無敵っぽいな…」
「せやけどあの重い体でヒルクライムまでやってしまうんやで……ドMや」
「た…確かに…」
「だが少し待って欲しい 田所先輩の身長体重は女性向けでも大人気なFREE!橘真琴とほとんど変わらないとご存知だろうか」
突如メガネをキラリと輝かせ、なにやら機械的に呟いた小野田に、恐る恐るといった視線を向ければ、次の瞬間には小野田の雰囲気は、いつものものに戻っていた。

「いやしかし…金城さんの線はどうだろう 日頃真面目な優等生タイプほど…その…隠れた性癖がある…とか……」
語尾が段々と小さくなり、比例して頬を赤らめていく今泉。
つられたように、残る二人も顔を赤らめ、なんとなく膝を両掌で握る。

「考えても仕方あらへんっ!先輩たちのプライドにかけて抗議するで!!」
「えっと、でも…大丈夫かな 揉め事にとか…」
「せやかて気色悪いやん 他校のヤツにM呼ばわりされとるんやで?」
「そうだな…同じようなことを先輩たちの前でやられる前に、釘ぐらいは刺しておこう」
「…えっと確か…背中に箱根学園書かれていたよ」
角度的に、一番よく見えていた小野田がそう言えば、今泉は「インハイや高校自転車競技部の王者と呼ばれる高校だ…」と意外そうに返す。
一方鳴子と言えば
「なぁにが王者や!コソコソ悪口言うとか!ぜんっぜん王者のやりくちちゃうわっ!」
とすぐさまにでも、乗り込んでいきそうだった。

少し探せば、まだ箱根学園のジャージを来た者達が集っていた場所が見つかった。
弱小である自分たちと違い、腕試しとして二年も含め、9名が参加していたらしい。
自分たちの三倍という人数に、小野田は臆したようだが、負けん気の強い鳴子はかえってやる気になってしまっていた。

「たのもーっ!えーっと…」
いきなり乗り込み、箱学のメンバーが唖然としているのを尻目に、鳴子はするどく髪を短く刈り上げた男を指差した。
「あんたやっ!なんかさっきウチの先輩の悪口言うとったやろ」
「え」
「トボけても、言い逃れはできへんで〜 こっちは三人がきっちり耳そろえて、聞いたんやからな!」
耳をそろえて、は借金の返済督促などの常套句ではないかと思いながらも、誰も口出しができずにいた。

「そんで!相槌うっとったんはアンタや!」
勢いのまま指を指された、細身の男は咄嗟に何度か首を振った。
「せやからとぼけても無駄や言うとるやろ!オレらの先輩をMとかドMとか」
「「違うっ!!」」

鳴子が追求しようとするより先に、名指しされた二人は揃って声を合わせ、他のメンバー達もなるほどといった顔をしていた。
どうしようかといった表情で、顔を見合わせている箱学の生徒達だが、名指しされた一人が、思い切ったように頭を下げた。
「すまなかった!だが…こちらの事情を聞いて、少し許してもらえないだろうか」
「…事情……?」
ケンカ腰だとか、言い逃れをしようとするのならば、反発をした。
だがなにやら全員が諦めたように暗く俯き、かつ真摯に言い訳をという姿に、小野田たちが顔を見合わせた。

「まあ…まず話を聞こうよ、鳴子くん…」
「そうだな」
「しゃあないな」

「実は……そちらの部活の中で…ま、巻島さんという人は…ストーカーに悩んでいるとか言われていないだろうか」
覚悟を決めた、真剣な表情で突拍子もないことを聞かれ、三人はそろって首を傾げた。
「…聞いたことないですけど…」
「ワイも知らんで」
二人の言葉に一瞬、安堵で一杯になった箱学生徒達の表情は、次の瞬間また沈み込んだ。

「あ、でも前 巻島さんの携帯8分おきに25回着信が来てるとか呟いていたような……」
「…それだ」
「まだ君たちには…心配をかけまいと隠されているのかもしれないが…」
そう言って続けたのは、先ほど名指しされた一人だ。

巻島さんはあまり自分の事を話さないタイプらしいが、自分たちの先輩に巻島さんの運命のライバルで永遠の友、分かちがたい絆を持つと公言して
はばからない者がいるのだと、彼は遠くの空を見ながら言った。
「別に…ええ事やん」
秘密主義というより、他人とのおしゃべりが苦手なタイプの巻島に、そんな相手がいるとは意外だが、悪い話とは思えない。
鳴子がそう答えれば、箱学の生徒達はいっせいに首を振った。

「あれは永遠の友という名の…スト………いや…その…」
とにかく、巻島さんに関しては、絶対にその人は譲らないのだと二年生らしき、一人が言った。
「譲らないとは?」
冷静に尋ねる今泉に、その二年は困ったように笑う。

「例えば…なんらかの拍子に他校の選手の話題が出るだろ?それでオレらが『総北の巻島が』って言った瞬間、すっげぇ怒るんだよ…」
「怒る?なぜ…」
「オレですら呼び捨てをしていないのに、勝手に呼ぶな そう読んでいいのは総北の巻ちゃんの…あ、巻ちゃんってのは、うちの先輩の巻島さんの呼び方な」
巻島の同級生や、部活仲間でないならそう呼ぶ資格はないと言い切られ、困ったのは話題に出す時だ。
「オレ…その後3年の…藤原さんが『なあおい東堂、お前の言う巻ちゃ…』って言った瞬間の、東堂さんのキレ顔…思い出しちまった」
無言で他者を圧倒させる、黒いオーラを瞬時に出したと聞き、事情を知らぬ総北の者達は「どんな中二病だ」と思ってしまう。

「あ、お前たち 冗談とか思ってるだろ!言っとくけどその先輩が巻島さんの携帯25回連続鳴らした人だからな!」
「…っていうか、25回目にでなかったら30回でも40回でも8分おきに鳴らしますよね…」
「筋トレしながらどうやって?と思うけど…鳴らすよな…」
しみじみと頷く箱学メンバーの会話に、総北生たちは反応に困る。

「それでさーライバルって認める前、東堂さん巻島さんの事「タマムシ」って呼んでたんだって」
脳裏に甦るあの艶やかな緑の髪に、声には出さないがなるほどと、他の者達も思っているようだ。
「……それで、巻ちゃんが駄目ならタマムシはって言いかけた先輩……なんか『…山神に呪われた…』って三日ぐらい寝込んだって噂だぜ…」
「マジでか…」
「オレが知ってるのは…新開さんって、名前で人を呼ぶことが多いだろ?」
新開さんなる者が、どんな存在か知らないがここまでの話で結構怖いな山神ってなんだよ意味解らん、と総北三名はただ聞いていた。
「それで巻島さんの話題にになりかけた時 『総北のゆう』って言った瞬間、その場にいなかったはずの東堂さんがいつのまにか現れ、
新開さんの口に入る限りパワーバーを詰め込んだんだって!」
「…こええ……森の忍… …スリーピングビューティー超怖ぇ……」
「それで 鋭い目つきで…『オレでさえまだ、裕介と呼んだことはない…譲れんぞ』って更にパワーバー押し込んでったとか…」
「うおおお…こええ……!」
「ちなみに新開さんは、尽八にパワーバー5本奢ってもらったって上機嫌だったらしいけど…」
「こえええっ!」
もはや何に恐怖しているのかわからぬ団体が、ぐりんっと勢いよくふりかえり「だからなっ!!」と叫んだ。

「うちの部活では…結局巻島さんのことをどう呼んでいいのかわからず…総北のMと呼ぶようになったんだ」
そして総北のMでは、なにやら妖しい性癖のようで失礼だからと、妥協した結果が総北のMの人だった。

ああ、これでようやく話が繋がった。
だがつながったからと言って、どう反応すればいいのだろうか。
「せ、せやけどアンタら、MやのうてドMとか言うとったやん!?」
まだ納得はしてないぞと、鳴子が言えば、だってなあ…と言い出しにくい表情で、刈り上げ頭の男が言った。

「巻島さん…そんな相手と…今日二人きりで個人練習とかしてるんだぜ?…無防備なのかドMなのかって思っても……」
許されると思うとまでは告げなかったが、言いたいのはそういうことだろう。
事情を聞いてしまえば、確かに怒りにくいし、先輩方へ報告もしにくい一件だ。

「…あの、…その怒る人にいっそ思い切って聞いてみたらどうですか?部活動内で巻島さんをどう呼べばいいかって」
おずおずと言い出した小野田に、『その発想はなかった!』とばかり、箱学生徒達は賞賛の目を向ける。
「あ、ボクのおすすめは『すごく素敵な巻島さん!』です これならそのライバルという人も、相手を褒めているからきっと認めてくれると思います!」
爽やかな笑顔で、無茶を言う小野田に、さすがに自チームからストップが入る。
「いや…小野田くん他校の選手が会話のたびに、『凄く素敵な巻島さん』とか無理やろ…」
「まあでも、尋ねてみるのは解決方法の一つとしていいんじゃないか」

「そうだな!理由があったとはいえ誤解される行動をしてすまなかった ついでに解決方法まで感謝する!」
本気で頭を下げられ、そういった事情なら、自分たちの行動は報告せずにおこうかと、三人は目線で確認しあった。
……尊敬する先輩たちの誰が『M』なんだろうかと、会話しただなんて、悟られてはいけない。
そう、絶対に…決してだ。

そう誓い合った三人だったが、レース会場での会話は周囲の注目の的であったらしく、他校にそれなりに親しい友人が少なくない金城や田所のメールやLINEに
『お前らの学校にドMがいるって本当?』
という問い合わせが相次ぎ、やり取りを白状させらてしまっていた。
激怒した巻島が、着信拒否どころかナンバーもメアドも変更するため新機種へと変更し、廃人同然になった東堂の状態から、箱学の三年にまで事態は伝わってしまっていた。

饅頭をもって謝りに来た福富に、八つ当たりができぬ巻島は渋々ではあったが、東堂へと連絡を取り復活をさせた。
その行いを知った箱学一年二年からは、『Mの人改めマキシマリア』と当人は最高に嫌がりそうな名前で呼ばれるようになったが、幸いそれはまだバレていない。