猫語レッスン  第ニ章


「きっ、貴様…ッ、ハボッ───」
「猫語でどうぞ、ロイ」
 首輪を差し出すハボックを怒鳴りつけようとしたロイは、きっぱりとそう遮られてパクパクと口を動かす。
猫語と言われたって本来自分は猫ではなし、知ろう筈もない。意外とこういうアドリブも苦手なロイが何も言えずにいる間に、
ハボックは両手で首輪を広げて持つとロイの首もとに差し出した。
「綺麗な首輪っしょ?さ、つけてあげ───」
 ニコニコと笑いながらハボックがつけようとした首輪を、ロイは猫手袋をはめた手で叩き落とす。「あっ」と驚きの声を上げて
ハボックは慌てて首輪を拾い上げた。
「なにするんスか、ロイ!」
「にゃにゃにゃにゃーーーーッッ!!にゃんにゃにゃにゃ、にゃにゃんにゃニャンニャンッッ!!」
 ちなみにロイの気持ちとしては「ふざけるなーーーッッ!!そんなものつけられるかッッ!!」と言ったつもりだ。だが、
眉を寄せて聞いていたハボックは、ポンと手を鳴らすと言った。
「判った!『なんてステキーーーッッ!!早くつけて頂戴よッッ!!』っスね。ああ、そうか、その猫手じゃ上手く掴めないから
叩き落としちゃったんスね。やだなぁ、もう、ロイってば」
「ニャーーーッッ!!!(違ーーーーうッッ!!!)」
 勝手な解釈をして嬉しそうに笑うとハボックは改めてロイに向かって手を伸ばす。慌てて逃げようとするロイの体を引き止めると、
手早く首輪をつけてしまった。
「うわ、すっげぇカワイイっ!!思った通りよく似合ってるっスよ、ロイ」
「……ッッ!!」
 両手を組んで満面の笑みを浮かべてハボックが言う。ほらほらと差し出した手鏡を奪うように受け取ったロイは、鏡を覗いて絶句した。
(何なんだっ、これは…ッッ!!)
 黒いハイネックの襟の上からつけられた細身の紅い首輪は、その上のロイの白い顔を引き立てて確かによく似合っている。
だが、つけられた当人は全くそうは思わず、首の後ろにある留め具を猫手でグイグイと引っ張った。
「ああ、ロイ、そんなことしちゃダメっスよ」
 ハボックはそう言ってロイの手をやんわりと掴む。キッと睨んでくるロイにハボックは眉を下げて言った。
「………もしかして気に入らなかったっスか?オレ、アンタに似合うと思って一生懸命選んだんスけど……」
「………」
 一体いつの間に選んだんだと言うつっこみはこの際おいておくとして、しょんぼりと項垂れるハボックにロイは開きかけた口を閉じる。
つけていない犬耳がぺしょりと伏せるのが見えたような気がして、ロイは一つため息をつくとフイとそっぽを向いた。
「………あ。つけててくれるんスか?」
 伺うように見つめてくる空色の瞳に、ロイは仕方ないというように鼻を鳴らす。そうすれば嬉しそうに笑うハボックにロイは内心思った。
(まぁ、首輪くらい……。一応飼い猫なんだし)
 コスプレの一環だと必死に自分に言い聞かせるロイの猫手をハボックが取る。その手を引いてソファーに腰掛けると言った。
「ロイ、さっき眠たそうにしてたでしょ?オレの膝の上で寝ていいっスよ」
 ハボックはそう言って自分の膝の上をポンポンと叩く。ポカンとするロイの手をグイと引けば、ロイはハッとして足を突っ張った。
「どうしたんスか?さっきソファーで寝ようとしてたっしょ?遠慮しなくていいんスよ。ロイはオレの猫ちゃんなんだから、
ほーら、おいでー、ロイ」
 ニコニコと満面の笑みを浮かべてそんなことを言う男をロイは目をつり上げて睨みつける。確かに自分は寝たかった。
だがそれは単に阿呆な猫ごっこをしなくて済むようにする為だけで、決して男の膝枕で寝たいわけではないのだ。
ロイはハボックの手を振り払うとスタスタとリビングを横切る。部屋の隅の観葉植物の陰にクッションを放り込むとその上に頭を載せて丸くなった。
「ロイー、そんなところで寝たら風邪引くっスよ?」
 呆れたような声でそう言うハボックを無視して、ロイはフンッと鼻を鳴らすと目を閉じたのだった。

 そのままいつのまにか眠ってしまっていたらしい。ロイは背を優しく撫でる手にホッと息をついた。そのまま目の前の温もりにすり付けるように
顔を埋めればクスクスと笑う気配がする。その優しい振動に閉じていた目をゆっくりと開けば、目の前にジーンズの布地が見えた。
「ロイ?目が覚めたんスか?」
 そう尋ねる声にロイは開けた目を向ける。寝ぼけてぼんやりとしているロイにハボックが笑った。
「よく眠れたっスか?」
 にっこりと笑うハボックをロイはぼーっとして見つめる。そのままもう一度目を閉じて、心地よい温もりに引き込まれるように眠ってしまいかけた
ロイは、次の瞬間ハッとして目を開いた。もう一度視線をあげれば優しく見下ろすハボックと目が合う。自分が胡座をかいたハボックの脚の間で
寝ていることに気がついて、ガバッと跳ね起きると同時に飛び退った。
「なん…ッ……ッッ!!!〜〜〜ッッ!!」
 その途端、背後の観葉植物の幹に思い切り後頭部をぶつけてしまう。カツーンといい音を鳴り響かせた頭を抱えて突っ伏すロイに、ハボックが
心配そうに言った。
「大丈夫っスか?もー、おっちょこちょいなんだから、ロイは」
 ハボックはそう言って大きな手でロイの頭を撫でる。
その優しい手に思わずホッとしてしまったロイだったが、ハッと気づくとハボックの手を跳ね除けた。
「おっと」
 振り払われてハボックは一瞬驚いた顔をしたが、元気そうなロイの様子に笑みを浮かべる。床に座り込むロイに手を伸ばせばキーッと睨まれて
苦笑して言った。
「もう、さっきは自分からすり寄ってきたのに」
「どう───」
 いうことかと言いかけて、ロイは咎めるように見つめてくる空色の瞳に言葉を飲み込むとちょっと考える。
そうして小首を傾げてハボックを見返すと言った。
「にゃ?」
 声と仕草で何とか質問を伝えようとする。そうすれば「ああ」と頷いてハボックが答えた。
「ロイってばそんなところで寝ちゃうから、風邪引かないようにと思ってブランケット掛けてやろうとしたんスよ。傍に座って手を伸ばしたらアンタが
すり寄ってきて、オレの脚の間に潜り込んだと思ったら気持ちよさそうな顔して寝ちまって……。猫の格好するとやることも猫っぽくなるもんスね。
すっげーカワイイったら!」
 その時の事を思い出したらしく、ハボックは大きな手を打ち鳴らすとにーっっこりと笑う。その後もカワイイを連発するハボックを軽く睨むとロイは
ツンとそっぽを向いた。
「ロイ?」
 ハボックが呼ぶ声を無視してロイはハボックと観葉植物の間の隙間から這い出るとソファーへと向かう。フンとハボックに背を向けると、ロイは
ソファーの上に丸まってしまった。
「えーっ、まだ寝る気っスか?」
 ロイの動きを見ていたハボックは不服そうに唇を尖らせて言う。座り込んでいたラグから立ち上がるとソファーに歩み寄った。
「せっかく可愛い猫ちゃんを飼えたっていうのに寝てばっかりなんてつまんないっス」
 背後から聞こえる声にもロイは知らんぷりを決め込む。
(お前がつまらないかどうかなんて私の知ったことかっ!!)
 心の中でそう怒鳴るロイの声が聞こえたか聞こえなかったか、ロイの傍で「起きてー」だの「つまんない」だの喚くハボックにロイの眉間の皺が
深くなっていく。
いい加減プチンときたロイが跳ね起きて振り向きざまに怒鳴ろうとした瞬間、目の前に突き出されたモジャモジャした固まりにロイは目を丸くして
固まった。
「ほーら、ロイー。ねこじゃらしっスよ。面白いっしょ」
 そう言って目の前でフリフリと振られる塊に。
「ニャーーーッッ!!」
 ロイは叫んで手を振り払ったのだった。