猫語レッスン  第一章




「……オレの勝ちっスね、大佐」
 ダイスの入ったカップを手にハボックがニヤリと笑う。クッと呻いてロイは諦めきれずに言った。
「お前、何かインチキしてる訳じゃ───」
「人聞きの悪いこと言わんで下さいよ、アンタだってちゃんと見てたっしょ?」
 ムッとして言うハボックにロイは今度こそ言葉に詰まる。ロイが何も言えないでいるのを見てハボックはカラカラとダイスを鳴らした。
「んじゃ、オレの勝ちってことでいいっスね?」
「……仕方ない、認めてやろう」
 素直に「うん」と言わないのはこの際大目に見ることにして、ハボックはズイと顔を近づける。
「賭けに負けた方が何をするかも、ちゃーんと判ってますね…?」
「う……」
 顔を近づけられた分、背後に仰け反ったロイは勝ち誇ったハボックの言葉にがっくりと項垂れたのだった。

 事の起こりは些細なことだった。買い物の途中、何の気なしに寄った雑貨店。そこのパーティグッズコーナーにあった商品を目にした
ロイの一言でそれは始まりを告げた。
「おい、ハボック。こんなところに忘れ物をしてっちゃいかんだろう?」
「へ?…おわッ?!」
 なんだろうと振り向いたハボックはいきなり頭に何かを載せられて目を丸くする。手で探りながら近くにあった鏡を覗けば犬耳の
カチューシャをつけた自分の顔と対面した。
「なんスか、これ…」
 ハボックは金毛の犬耳をつけた自分の姿にげんなりと肩を落とす。ロイは棚からふさふさのシッポを取り上げると言った。
「シッポもあるぞ。……ククッ、似合ってるじゃないか、ハボック」
 ロイはハボックの姿を見てプッと吹き出す。笑われてカチンときたハボックは棚の上から黒い小さな耳がついたカチューシャを取り上げた。
「アンタがこれつけた方がよっぽど似合うと思いますよ?つけてみませんか?」
「何を言う。この天下のロイ・マスタングがそんなものをつけられるかっ」
「人にはこんなもの被せておいて……つけてみろ、ってのっ!」
「絶対にい、や、だっ!!」
 猫耳カチューシャを手に、つけろ、つけないで揉めていた二人だったが、背後から聞こえた店員の嫌みったらしい咳払いに慌ててカチューシャ
とシッポを購入してしまう。かくして犬と猫、二組のなりきりグッズを間にリビングで向かい合わせにソファーに腰掛けた二人だったが、やがて
ハボックが口を開いた。
「大佐、成り行きとは言えこんないいもんが手に入ったんス。ここは一つ賭けをしませんか?」
「賭け?」
「そう、賭け」
 頷くハボックにロイは何故だか低くなってしまう声で尋ねる。
「賭けはいいが、勝者のメリットはなんだ?」
「……メリットは」
 重々しく口を開くハボックにロイはゴクリと唾を飲み込んだ。
「メリットは……相手にこれをつけさせて自分の言うことをきかせることが出来る」
 ハボックはそう言ってテーブルの上のカチューシャとシッポを押し出す。ロイはテーブルの上の金毛のシッポをじっと見つめていたが、
脳裏に浮かぶ犬耳とシッポをつけたハボックの姿にグッと拳を握り締めると視線をあげて言った。
「賭けには何を使う?」
 乗ってきたロイにハボックはニヤリと笑う。立ち上がると棚の中から取り出した小さな箱を手に戻ってきた。
「これで」
 そう言って蓋を開ければ中にはカップが3つとダイスが一つ入っている。ハボックはカップとダイスを箱から出しながら言った。
「オレがカップの中にダイスを隠しますから、大佐はどのカップにダイスが入っているか当てる。簡単でしょ?」
 ハボックはそう言ってカップの一つを持ち上げて中にダイスを放り込む。ロイはカップをカラカラと鳴らすハボックを見ながらニヤリと笑った。
「くだらんな、そんな簡単な事で私に勝てるとでも?気づいてないかもしれんが私の動体視力はたいしたものだぞ」
「ならこれで勝負でいいっスね?」
 そう尋ねるハボックにロイは自信満々頷いた。
 だがしかし。
「それじゃ大佐、明日の休みは一日中これつけてて下さいね」
 結果は満面の笑みを浮かべるハボックを前に、歯ぎしりするしかないロイだった。

「アイツ、いつの間にこんなものまで…ッ」
 翌朝、ベッドから下りたロイはベッドサイドのテーブルに置かれた服を見て呻く。そこには雑貨店で買ってきた漆黒の毛で出来た猫耳カチューシャ
とシッポの他に、漆黒の天鵞絨でできたハイネックの長袖Tシャツとズボン、それにご丁寧にも猫の手型の手袋まで置いてあった。
「くそう……」
 いっそのこと全部纏めて燃やしてしまおうかと思ったが、そんなことをすれば後で何を言われるか判らない。生来の負けず嫌いも手伝って、ロイは
乱暴にパジャマを脱ぎ捨てると服を手に取り着替え始めた。
「私は犬耳のハボックが見たかっただけなのにッ」
 まさか自分がこんな格好をする羽目になろうとは…!
 ロイは悔し涙に目を潤ませて、黒猫なりきりグッズを身につけていったのだった。

 ダンダンダンッッと怒りを足音で表してロイがリビングに入ってくる。ソファーで朝の一服を楽しんでいたハボックは黒の上下に猫耳、猫手袋をつけて、
ベルト式になったシッポを垂らしたロイの姿に目を輝かせた。
「大佐、か〜わいい〜〜ッ」
 両手を鳴らして叫ぶ大男をロイはキッと睨みつける。ハイネックの首元をグイと引っ張って言った。
「貴様いつの間にこんなものまで用意したんだッ」
「夕べ、アンタが寝てから縫ったんスよ。ああ、よかった、サイズもピッタリっスね。こんくらい、って思いながら作ったからちょっぴり心配だったんスよね」
 そう言いながら両手で身体の線を表現するハボックにロイは顔を赤らめる。この時ほどこの男の無駄な器用さを恨んだことはなかったが、それでも
ハボックを睨んだまま言った。
「とにかく着たからなっ、これで一日いればいいんだろうっ」
 この後は書斎にでも籠もってしまおう、ロイがそう思った時、ハボックがにんまりと笑う。チッチッと目の前で指を振って言った。
「ダーメ、どうせアンタのことだから書斎に籠もっちゃおうとか思ってんでしょ?そうは問屋が卸さないっスからね」
 まるで心を見透かされたように言われて、ロイはウッと口ごもる。ハボックは可愛い黒猫と化したロイににっこりと笑った。
「大佐には今日一日オレの可愛い飼い猫ちゃんになって貰うっス。勿論喋るのも猫語でね」
「………は?」
「ふふふ……嬉しいなぁ、こんな可愛い猫が飼えて」
 楽しそうに笑って言うハボックにロイは慌てて怒鳴った。
「ちょっと待てッ!!そんなこときいてないぞっ!!」
「だって、賭けは『これをつけて言うことをきかせることができる』だったでしょ?」
「………ッ!!」
 シレっとして言うハボックをロイは口をあんぐりとあけて見つめる。ニヤニヤと笑うハボックにロイはハッとして言った。
「ちょっと待て、やはりこういうくだらん賭けはだな…」
「今更逃げる気っスか?大佐」
 ボソリと言われてロイはグッと言葉に詰まる。暫くの間ハボックを睨んでいたが、やがてがっくりと肩を落とした。
「判った。一日飼い猫だな?」
 ロイが不満げながらもそう言えばハボックが嬉しそうに頷く。
(一日中ソファーの上で寝てやるっ)
 ロイは心の中でそう叫ぶと嬉しそうに頭を撫でてくるハボックを睨んだのだった。

 とりあえず敗者の罰の内容が決まると、ロイはさっき思ったとおりソファーの上に手足を縮めて丸まる。ハボックに背を向けて目を閉じたロイは
次の瞬間聞こえてきた声に飛び上がった。
「ローイー、ほら、こっち向いて」
 普段決してファーストネームでなど呼ばれたことがない男にそう呼ばれて、ロイはソファーからガバリと身体を起こす。キッと睨みつけて言った。
「なっ、なにがロイだっ、いきなりそんな呼び方───ッ?!」
 文句を言いかけた唇にムギュッと指を押し当てられてロイは目を丸くする。ハボックは押し当てた指をロイの目の前で振ると言った。
「ダメっスよ、ロイ。アンタは猫なんだから猫らしく鳴かなくっちゃ。猫に『大佐』も変でしょ?だから今日一日は可愛い黒猫のロイちゃん。ね?」
「〜〜ッッ!!!」
 満面の笑みでろくでもないことを言う男にロイは大きく口を開ける。だが、そこから発する言葉を思いつけず唇を噛み締めてハボックを睨むとプイッと
そっぽを向いた。ハボックはそんなロイにクスリと笑うと手に持っていたものを差し出す。「ロイ」と名を呼んで言った。
「はい、これ、ロイの為に用意したんスよ。可愛いでしょ?」
 その言葉に思わず差し出されたものを見れば、それは細身の赤いベルトに金の鈴がついた綺麗な首輪だった。