理想と現実


「アンタ また別れたんだって?」
揶揄するわけでなく、事実の確認だというザイナブが、黒く塗った
爪を乾かすために、指先に息を吹きかける。
「今年でもう4人だっけ?」
続く問い掛けに、カシムは葉巻の煙を細く吹いて、否定した。

「いや5人目」
「何が気に食わないのさ シャイナムもティラもイイ女だってのに」
女の敵めとばかり、するどい目付きでカシムをねめつけるザイナブ
に、ハッサンが苦笑して割ってはいった。

「確かに長続きしてねえけどな コイツ綺麗に別れてるぜ
どの女も恨み言ひとつ言ってこねえし」
「…ハッサン なんでアンタがカシムの彼女の 別れた後の話
知ってるんだい?」

1オクターブ低くなったザイナブの声に、揉め事はおこしたくない
とばかり、カシムがすまねえなと小さく謝る。
「なんでアンタが謝るのさ」
「俺に返しそびれた荷物とか、一番渡されてんのがハッサン
なんだよ」

カシム本人は、自覚がないのだろうが、カシムにとって人間は
三通りしかいない。
自分の仲間であるか、そうでない他人か、強欲な金持ちかだ。
カシムにとっての『彼女』は別れた瞬間から、『他人』に分類される。
それを、見ていていたたまれなくなるのはいつも周囲の方で、つい
その面倒な役を引き受けてしまっていたのが、ハッサンなのだろう。

「…ハッサン アンタは 何だかんだいっても、イイ男だね」
キツい口調でありながらも、暖かく笑いかけるザイナブの表情は、
一転してカシムにはきつく変る。
「カシムのつきあってきた女の子 全員アンタの理想通りだった
のに何が気に食わないんだい」
「別に気に食わない訳じゃない だから円満に別れてるだろ 
俺も向うも 何となくかみ合わなくなって終わりっつーだけだ」

「…それって アンタの理想と、本当の希望してる彼女が噛みあって
ないんじゃないのかい?」
確かに泣いて喚いて、別れるといった愁嘆場を繰り返してるのは
むしろ自分たちの方かと、思い当たるらしいザイナブは口調静かに
分析を始めた。
「カシムの好みっつーと 自立しててどっちかっていうと年上 
しっかりもののクールビューティー 性格は落ち着いてて冷静
見かけは長い黒髪ボンキュッバン系…だよな」
指折りでカシムの彼女を思い出しているらしいハッサンに、
ザイナブもそうそうと頷く。

「カシムは実際のトコ それと反対な感じの方がお似合いなのかもね
…えーっとそうなると ちょっと頼りなくて同い年か年下 ほっとけ
なくて、熱血風にかわいい感じ 短髪で…黒髪の反対ってプラチナ
ブロンドとかブロンド…で幼児体形…と…か…?」
指折りで条件を数えていくうちに、脳内に出来上がっていく想定
カシムの恋人。
一つの条件を数えるたびに、思い当たる人物がはっきりとしてきた
ザイナブとハッサンは、互いに顔を見合わせる。

「…条件にぴったりな奴が、一人いるな」
「いるね」

「お前ら 何の話をしてるんだよ」
呆れ顔で二人を見下ろすカシムに、もっと呆れたという顔で、
ザイナブとハッサンは深く溜息ついた。
「カシム…あんたさあ……」言いかけたザイナブを、ハッサンが
肩を持って止める。
「よせ 自覚無い奴に何いっても無駄だろ」
「…何の話だ」

「カシム!さっきそこで……あれハッサンにザイナブもここに
いたんだ?いつも仲良くていいなあ二人とも」
掛け布をめくって、満開の笑顔で現れたアリババの手にあるのは
一対のピアス。
「これそこで忘れ物だって シャイナムさんって人からカシムに
預かったんだ 綺麗な人だな カシムの彼女?」
にこにことピアスを差し出すアリババに、カシムは短く
「いらねえお前にやるよ」と横を向いた。

「えー……もらっても ……いいのか…な?」
返品された彼女へのプレゼントだったのかと、ピアスとカシムを交互
に眺め、扱いに困っているアリババに、ザイナブがいいから貰え貰え
と指先で促した。

「じゃあ もらうな ありがとカシム」
「おぉ」
「あ、でも彼女のだったら やっぱ悪いよ!」
「別れたんだよ この前」
「そっかーカシムは もてるからなあ でももうちょっと相手を
大事にしろよ! 彼女だって美人でいい人そうだったのに!」
「うるせーよ ドーテー君」
鼻先で嗤うカシムだが、その表情は霧の団のメンバーの前でも
滅多に見せない、優しいものだ。

「…天然もアレだけどさー 自分が鋭いと思ってる鈍感もアレよねー」
「あー あれだな…」

この、はた迷惑な幼馴染コンビは鈍さの筆頭である金髪王子だけで
なく、冷静ドレッドもいまだ自分の気持ちに気が付いていないようだ。
まだまだ振り回されるだろう「カシムの次の彼女」に、他のものは
心中でこっそりと同情をするしかなかった。