こんなきっかけ


「…何を迷っているんだ?」
パウダールームへ続く廊下の前で、あきらかに困った顔をしている日本。
男女の区別がつかないかと見てみれば、ご丁寧にも青と赤に色分けして
ある表示付で、子供にだって理解できる目印が掲げられている。
「…いいところに!イギリスさんっ!!」

ガシッと振り返った日本は、半ば必死だったのだろう。
少し震えた様子で、俺の胸元にすがりつくように近寄って、見上げてきた。
単なる身長差からくるポーズだが、この神秘的な黒い瞳の上目遣いは
必殺級の破壊力だ。

「な…なんだ?何かあったのか?」
まさか故障して入れない…とかじゃないよな、うん。
このレセプションルームに一番近いトイレが壊れていたって、ほんの少し
歩けば別のトイレが逆方向の廊下に設置されている。
「あの…まことに…お尋ねしにくいのですが……この建物のトイレは
すべてジェントルマン向け…なのでしょうか?」

意味はわかるが、言っている内容がわからない。
いやわかるのだが、質問の意図がわからないというべきか。
「……女性向けのも併設してるぜ?」
「あの、そうではなく!」

顔を真っ赤に首を振る日本は、小動物がぷるぷるしてるみたいで可愛いが
なにやら必死な様子なので、そう告げにくい。
「その、ですね…私はまだ…英国の言葉を飲み込めていないというか…」
「そんなことないだろう 充分会話できてるし」
口をパクパクと何度も開き、首をまだ振る日本。
どうやら俺の答えは間違っていたらしいが、何をどう返答すればいいのか
わからずに、じっと待っていると思い余ったらしい日本は小さく叫んだ。

「そうではなく…『紳士』ではない私は どこで用足しをすればいいのか
教えてくださいっ!」
「…目の前にトイレあるだろ?」
「違うんですっ 私はとても…ジェントルマンとは名乗れぬ身で………!」

ようやく、理解。
どうやら日本は『ジェントルマン』=イギリスの地元貴族とだけ辞書の説明
から思い込み、この建物のトイレは外国人には使用不可能なのかと
困っていたらしい。

声が震えぬよう、日本の勘違いを指摘し、すなわちこれは男性用の意味
であると告げると、日本の困惑は頂点に達したらしい。
これ以上はないぐらい、顔を真っ赤にし謝礼の言葉とともにトイレへと
駆け込んでいた。



東の文化の遅れた国…とだけ思っていた俺が、お前に興味持つきっかけ
ってこれ以来だったなと告げたら、顔をまた紅くして「忘れてください」と
日本がお盆で殴りかかってきたのも、また楽しい思い出だ。