敬称・非敬称


むすぅと口をへの字にしたロイのご機嫌は、一目で察せられる状態
であるが、さすがに長の親友であるマース・ヒューズはそれに臆する
様子など微塵もなく、手にしたファイルでロイの頭をナデナデしていた。

「なーに ロイちゃんってばご機嫌斜めじゃねぇ?」
「…お前のせいだ!」
ファイルをパシッとひっぱたき、頭から外させたロイは執務席に腰を
下ろしたまま傍らに立つヒューズを睨み付けた。

自分を指差し「俺?」と確認を取るヒューズは、現状で思い当たる事柄
がないらしく首を傾げ、ハボックに目線で状況説明を促す。
ハボックとしても、ロイの不機嫌の理由は解っているのだがそれがどう
ヒューズが悪いという結論に繋がるのか解らず、気まずげに後頭部を
大きな掌でわしわしと掻いた後、仕方ないかと自分が見た光景だけを
説明する事にした。

「えーっとつい先ほど迄 メイサム少将に絡まれておりまして……」
「…あーあのジジィか でもアイツは一応人前じゃ紳士のフリしてるから
ロイに直接絡んでくるなんてしないんじゃねえの?」
「直接はなかったッスねぇ ただひたすらロイ・マスタング大佐は中身も
見た目も若くて素晴らしいとか褒め称えるだけで」
褒め称えのフリをした、ひたすらの揶揄をロイはうっすらとした笑いで
かわしていたのだが、相手をしているとそれなりに鬱憤は堪っていて
ヒューズの顔を見ると同時に爆発したらしい。

「…で、何で俺のせいなのよ」
「さぁ…俺じゃなくて当人に聞いてくださいよ」
ハボックとヒューズの二人揃って、ロイへと振り返ればまだロイは目が
据わったままヒューズを睨んでいた。
「ローイちゃん 俺がなんかやらかして謝ろうにも睨んでるだけじゃ何を
謝ったらいいのかわかんねぇぜ?」
「それだっ!」
ビシィッとロイが勢い良くヒューズの顔を指差し、ヒューズはどれだよと
肩を竦めて問い返す。

「お前がっ 人前でロイちゃんなどと呼ぶから私が舐められるのでは
ないかっ!」
確かに軍部と言う上下関係が絶対の場所で、上官である相手を敬称
でなく「ちゃん」呼ばわりではロイの威厳と言うのは損なわれるもので
あろう。
ただし、ヒューズが「ロイちゃん」と呼ぶのは当人がロイの敵でないと
確実に判断した相手の前だけであって、公務の場であれば通常は
きちんと「マスタング大佐」と呼んでいるが、それはそれこれはこれと
いうのがロイの視点からの主張であった。

ハボックにしてみれば「ロイちゃん」と呼んでいる光景を見せられるのは
ヒューズに認められたと嬉しく思う反面、易々と自分より近しい位置に
踏込んでいるのを見せ付けられているようで、面白くない事実でさりげ
なく援護射撃に加わってみる。
「そうっスね 司令部内でやっぱ大佐を『ロイちゃん』呼ばわりは拙い
んじゃないッスか?」
「ほっほぉ…… 言うねえ若造」

にやりと凄みをきかせたヒューズのセリフに、ないはずの尻尾がぺたり
と下がったように感じたハボックは無意識に怖えぇ…と一歩後退した。
だが、その笑みを見せた当人はそれ以上なにするでなく、今度は悪戯
を思いついた特上の笑顔でロイに向き直った。

「そうですよね 大変失礼致しました 私としたことが目上たる大佐閣下
にご無礼を…お許しいただけますか ロイ様」

わざわざ丁寧語に交え、様付け敬称をしてきたヒューズに一瞬ロイは
凍るが、流石にそれなりの付き合いがあるだけあって対処法を心得て
いるのか、即座に一言で反論を試みる。
「…気色悪い」
「何をおっしゃいますか ロイ様 本来でしたらこのような言葉遣いを
すべきですのに本当にこれまでは失礼をロイ様 ロイ様の広いお心で
つい調子に乗ってしまいましたが ロイ様は…」
「気色悪いっ!」
「困りましたねえロイ様 今までの呼び方では失礼に当たるかとロイ様
に敬意を表して…」
「うっ嘘をつけ!絶対お前面白がってるだけだろう!!」

ついに両手を机にたたき付け、勢い良く立ち上がったロイにヒューズは
しれっとした様子で掌を天井に向けるパフォーマンスをした上で、これ
みよがしに大きな溜息をついた。
「ロイ様はいったいどうされたいのか… よろしければご教授願いたい
ですよ ねぇロイ様?」
ハボックとの間ほどロイとの身長差がないヒューズは、少し屈む要素
だけで容易にロイの耳元に囁きかけるのが可能で、反応を楽しみつつ
質問を投げた。

「くっ……」
悔しげに耳を塞ぐロイは、先ほどまで主張していた威厳とやらからは
ほど遠く可愛らしいだけに、ハボックにしてみれば複雑だった。
「なぁ この呼び方止めたほうが良くねえ? なーんかプレイの一環
みてえで俺は面白いんだけどなー そんな顔を紅くして睨むなんて
可愛すぎて ロイちゃんの威厳が俺としては し・ん・ぱ・い♪」
「誰がプレイかーーーーーーっ!!!!」
怒声とともに投げつけられた幾つものファイルを身軽に避けて、すでに
お目当ての書類を処理させていたヒューズは、ハボックへとウィンクを
一つ投げかけ「ま、お前さんより少し出会いが早かった優越感 少しは
残しといてくれや」と手を振って、扉の向うへ去って行った。

「あー…敵わねぇよなぁ…」
ロイの投げ散らかしたファイルを溜息つきながら拾うハボックは、いつか
自分もロイちゃん…は無理でもロイさんと呼べるようになってやると密か
に決意をするのだった

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ヒューズの前のロイの可愛さは、ハボの前と違った可愛さがあると思うので
時々書きたくなるのです