確保と捕獲


「この私を相手に炎で脅そうとするとはいい度胸だっ!」
ハハハと高笑いしながら走り抜けていった声が、徐々に遠くなっていった
のを呆然と見ていた俺が我を取り戻すより早く、同じく一瞬呆気に取られ
ていた中尉の叱責が飛んだ。
「ハボック少尉!後を追って捉まえてっ」
「イエスッ マム!」

油壷とマッチをを持った男が、フラれた当てつけに死んでやると喚く
なんて一般市民からすれば、ヤジ馬根性を刺激されるただの見世物の一種
でしかなく、俺らが到着した頃には現場は既に黒山の人だかりだった。

本来ならば警察の仕事である今の事態が俺らに回されてきたのは、その
場所が軍の管轄下の建物であるという事と、相手が火を利用しようとして
いる事の二点からで、書類処理に厭きていたらしい上官兼司令官殿は要請
を聞くなり、輝かんばかりの笑顔で部屋を後にしていた。
 念のために防弾ベストぐらい着ていってくださいだとかの言葉は「重く
なるからイヤだ」と却下され、ならばと急いで持ち出し備品を確認してい
ると「先に行くぞ」と言い捨て、もうその場にマスタング大佐の姿はなかった。

「ハボック少尉 大佐を捕獲しておいて頂戴!」
車を廻しててくると言う中尉の命令に従って、大佐の後を追ったはいいが
……捕獲ってどうすりゃいいんだ。
相手は俺より何階級も上の司令官殿で、こちらは配属されたばかりのただ
の部下。
あの即断即決の行動ぶりでは、俺が前に立ち塞がっても何の意味もなさそ
うだ。
「大佐!待ってくださいっ 今ホークアイ中尉が車を準備しています!」
「大丈夫だ!現場までの近道を知っているから車で行くのと変わらぬ時間
で到着できる!!」
叫び返すその声は、晴れやかだが…違うだろ。
中尉が心配してるのは、街中一人走り抜けていこうとしているお偉いさん
の身の安全で、到着時間の問題じゃない。

(えーっと…やっぱ こうするしかないよな)
「失礼しますっ!」
「えっ…うわっ なんだお前っ!!」
下手に一部を掴んだだけでは、隙を突かれそうだと踏んだ俺は歩幅の差を
活かして前へと出て、振り返って両手を広げ立つ。
まさか追い付かれるとは考えていなかったらしい大佐は、慣性の法則で
急に止まれずそのまま俺の腕の中にすっぽりと収まった。

最初に思ったことが、うわっ すっげぇ抱き心地のいいサイズ…だなんて
知れたら怒られるだろうけど、何とか俺の腕から抜け出てやろうと奮戦し
ているこの様子では、こちらの内心なんて鑑みる余裕はなさそうで思わず
安心の吐息が洩れた。
「…確かに私は一人で走っていくことが多い だがまだ害を被っていない
お前がそうわざとらしく溜息なんかつくんじゃないっ」
「…は?」

なにやら俺の溜息を別の理由に解釈したらしい大佐は、顔を紅くしそっぽ
向いたまま大人しくなった。
司令官を捕獲してくれなんて命令が咄嗟に出てきたのは、…これがこの人
のいつもの行動だからかと、思わず吹き出したら大佐の頬はますます色味
を増した。

そんなやり取り後すぐに追いついて来た中尉の車に乗った俺は、運転を
変わる旨を申し出たのだけれど
「それより 大佐がいきなり道端で跳び下りたりしないようきっちり捉まえた
ままでいて 大佐を絶対に離さないで頂戴」
と真顔で返され、この人の苦労を思い偲んだ。

……後日その苦労は、同じぐらい俺にかかってくるのだけれど。

 建物前、中尉がブレーキを踏んで車を横付けにすると同時俺の隙を突い
た大佐がドアを開け一人走り出していく。
―こんな場所で嘘だろ!?俺らに指示するのがこの人の役目じゃないのか
っていうか頭が現場に突っ込んでくな!の内心の罵りは口に出すわけに
行かず、背後に感じる中尉の殺気が馬鹿相手じゃなくこちら方面に向いて
いるのを察し、俺は必死で大佐に呼びかけた。

「大佐 ストップ!止まらないなら…さっきと同じ手段に出ますよ!!」
さすがに人前で男に抱きつかれるという図を展開させたくないらしい大佐
は、ピタリと足を止め一般人の入れぬ域でそぉーっとこちらへと振り返る。
街で偶然出会った黒猫が、警戒しつつ様子を窺ってきているみたいで…
それが可愛く見えたりしたのは、俺の目がどうかしたのだろう。
うん、そうに違いない。

「なぜ止めるっ 私の能力を信頼していないからか!?」
「…違います」
「ならばっ……」
「炎は大佐殿の得意分野だし ああいう馬鹿は多少の火傷を負うリスク
しょって貰ったってこっちに痛みはない…建物だって現在使用してないん
だから仮に燃えてもそれほど被害は無い でも俺も中尉もアンタの危険を
減らせるなら減らしたいんです」
「しかしっ…一番の選択は私が……」
「中尉があいつのマッチを持ってる腕を狙撃します アイツが拾い直す
より先に壁裏に廻ってるファルマンとブレダが取り押さえますから」
「何を言うかっ マッチがなくたって幾らだって火を熾す方法はある!
そんな手段をとって万が一二人に危険が及んだらどうするつもりだ!」

――うわっこの人本気だ すげぇ…初めて見た自分より部下の身の安全を
懸念する上官なんて
そんなちょっとした感動はひとまず置いといて、ちょっと冷静になって
もらいたい。
「…マッチ以外で火をどうやれば?」
「簡単だろうっ 空気中にある酸素を凝縮し少し壁でも擦って火花を出せ
ば……」
「いや無理です」
「何がだね」
「ですから俺ら普通人には 酸素を凝縮させると言う第一前提で無理」
「…む……だ、だが火花ぐらい………」
「普通の人間が壁でも擦って火花を出すなんて技やろうとすりゃ隙だらけ
になりますから コッチには好都合だと思いますが」

ようやくその指摘に納得いったらしい大佐が、少し驚いた顔で無言になった
と同時「身柄確保!」の声が響いた。
振り返ればやり遂げた男の顔をしたブレダが、バカを地面へ抑えつけるの
に成功し、空いた片手で親指を立てニヤリとこちらへ笑っていた。

ずっと探してた、でもそんな奴存在しないだろうと思っていた自分の身を
呈しても護りたいと思える上役。
別に大したことはしてくれなくていいし、ご立派な信念とやらを持ってなく
たって構わない、ただ俺らの存在を少しでも気に掛けてくれるならそれだけ
で充分だ。――それが、ここに居た。

真っ直ぐで俺なんか足元にも及ばないぐらい頭良くて、…良い…んだよな?
まあそれはさておき、…それでいて真摯に部下を思っていて、どこか間が
抜けていて目が離せない。

次の移動辞令までの腰掛程度の気分でいた俺は、この時気持ちを切り替え
この人に信頼される部下の一人になりたいと、初めて思った。

ハボック談「…まさかそれが恋心になるとは思ってなかったけどね」
そう言って笑うその顔は照れ臭そうで、見ている者までが幸せになりそう
な満ちたものだった。


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ロイの部下になってはじめての現場という設定で