その声



「やっと終わったのか……」
ハボックはそう呟いて窓の外を見る。雑貨店の窓から見える空は白々と明け始めて、
この国の新しい夜明けを連想させた。
 脊髄を損傷して足が不自由になり退役を余儀なくされても、どうしても大切な人の力
になりたくてその時の自分に出来る最善の努力をした。少しでも動きやすいよう、選択肢
が広がるよう、彼の役に立ちそうなものは片っ端から集めて送り届けもしたが。
「さすがに後方支援はもういらねぇだろうなぁ」
 一気に大総統まで登り詰めることはならなかったが、それでも今の彼に必要なのは
後方支援などではないだろう。

「リハビリ、しねぇと」
 ハボックはそう呟いて車椅子に座った己の足を見る。ピクリとも動かないそれに置いた
手で筋肉の衰えた腿をギュッと掴んだ。

 追ってこいと言われた。追いつくと誓った。だが、手っとり早く出来る助力として後方支援に
ばかり重点を置いてリハビリを後回しにしたのは、自分の中にもしかしたらもう立てないかも
しれないという無意識の怯えがあったからではないだろうか。今ここで努力を怠れば彼は
どんどん先へと進むだろう。そうすれば追いつきたくとも二度とこの手は届かなくなってしまう
に違いない。

「ビビってる場合じゃねぇよ。今度はオレが頑張んなきゃ」
 彼が、年若い錬金術師が、隣国の皇子が、それぞれに頑張ってきたのだ、ここで踏ん張ら
なくてどうすると思う。それでも一つ事をなし終えて一度足を止めてしまえば次を踏み出すの
は容易なことではなく。
「大佐」
 ハボックは大切な相手を呼んで電話を見つめる。不安な時、いつも背中を押してくれたのは
彼のあの声だった。たった一言でいい、迷うな、進めと言ってくれたならきっと次の一歩を
踏み出せるから。

 ハボックはそろそろと腕を伸ばして受話器を掴む。この時間なら彼はきっとベッドの中だ。
眠りを妨げられるのを嫌う人だから出てはくれないかもしれない。
そう思いながらもハボックは空で覚えた番号を回した。

 一回、二回……コールの音が響く。単調な音が繰り返し聞こえハボックは唇を噛み締めた。
九回、十回……朝早い時間の電話など、やはり無視されるのが当然なのだ。そう思ってハボック
が受話器を置こうとした時。
『……はい』
 聞こえた僅かに不機嫌を載せた声にハボックは息を飲む。ギュッと受話器を握り締めて彼を呼ぼう
と開いた唇から、だが声は零れてはこなかった。
退役してからも電話で話したことがなかった訳ではない。
苦しい状況にも冗談や軽口を交えて話をした筈なのに、今、ハボックの唇からは労いの言葉どころか
たった二文字の彼の名すら出てはこなかった。

『もしもし?』
 さっきよりは明瞭な、疑問と苛立ちを載せた声が聞こえる。ハボックはキュッと唇を噛むと受話器を
そっとフックに戻そうとした。
だが。

『ハボックか?』
 聞こえた声にハボックは思わず受話器を耳に押し当てる。それでも答える事が出来ずにいれば
、ロイが続けて言った。
『どうした、ハボック、何を迷っている?』
「……なんで判ったんスか?」
『お前からの電話ならすぐに判る』
 震える声で尋ねれば当然のように返される答えにハボックは目を瞠る。それ以上何も言えずにいれば、
ロイの声が聞こえた。
『迷うな、ハボック』
「……え?」
 確かに聞こえた言葉を、だがハボックにはすぐにはその意味を理解出来ない。
そうすればロイがもう一度繰り返して言った。
『迷うな、さっさとここへ来い。もう、後方支援はいらん』

 さっき考えた事をロイ自身の言葉で言われてハボックは顔を歪める。震える手で動かない足を掴んで
言った。
「でも、オレっ、まだリハビリ出来てねぇしッ」
『リハビリなんてどこでやっても同じだろう?』
「でもッ!」
 確かにロイの言うとおりではあるが、それでも出来ることなら無様な姿を晒さずに彼に追いつきたいと
思うのはつまらない男の見栄だろう。
そんなハボックの心の内を知ってか知らずか、きっぱりとしたロイの声が聞こえた。
『お前の居場所はここだ』
「……大佐」
『ここへ来い、すぐだ。待っている、ハボック』
 傲慢な、微かに笑いを含んだ声が告げると同時に電話が切れる。
ハボックは暫くの間発信音が響く受話器を握り締めていたが、やがてゆっくりとフックに戻した。そうして。

 ハボックは車椅子を窓に寄せて窓枠を掴む。
脚とは対照的に筋肉の増えた腕に力を込めると窓枠に体を預けて立ち上がった。
萎えた脚は今はまだ自分の体重を支えることすらままならない。だが、近い将来ロイが抱える諸々を
支えて立てるようになりたいから。

「ちゃんとこの脚で立ってみせる」
 自分の居場所に二本の脚で立つことを誓ってハボックが窓の外を見れば、
そこにはすでに明け初めて青く輝く空が広がっていたのだった。


先日描いた4コマへのコメントお返事に「ハボックならロイにすぐ電話繋がりますよね〜」と書きましたら!
みつき様がこんな切なく前向きで素敵なハボックのお話を…! ヒゲハボのこっそりと持ってるだろう寂しさと前向きに向かう勇気
待ってると突き放さずゆったりとしてるロイの関係がすばらしすぎる…!という訳で強奪させていただきました!
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