二万センズ


 どうにも人とベタベタするのは、苦手でしょうがない。
それがスキンシップ過剰といって言いぐらい、他人との接触を
躊躇わないハボックに不満を与えているらしいとは、感じ取れる
のだが、そうかといってそこで私が無理にベタベタくっ付くと
いう行為をなせば、それが不満になってお前と過ごすのをわずら
わしく思ってしまうようになるかもしれない。

 …偽りない本音をそう述べたら、返されたのは見事にしょげた
ハボックの顔。気のせいか存在しない垂れた耳と、きゅーんと
いう哀しげな鳴き声が見え聞こえてくるかのようで、自分の性分
を通したいとは思うが、それには良心が痛まんでもない。

 ならば、ハボックの望むイチャイチャベタベタを自分から諦め
るように仕向けてやろう。
「そうだな…お前がどうしてもと望むなら二万センズで今日一日
お前の言う通りに甘えてイチャついてやるぞ」
 二万センズは、こいつにとって安くない金額だ。…正直私とて
いつも一緒に時を過ごす者相手に、特に何かをするでなくそんな
金額を払うのは馬鹿馬鹿しいと思うだろう。

 …だが、私の思惑とは異なり……何を真剣な顔で指折り数え、
悩んでいるのだハボック。立ち上がって上着のポケットを探るの
は財布を探しているかららしいが…ちょっと待て。
その満面の笑みは何だ、いやいや待てハボック落ち着け こんな
バカバカしい提案に二万も出そうとするんじゃない。
しまった二十万センズと言うべきだったか!?

思いを口に出すのがままならず、唇をパクパク開閉させる私の
手首を強い力でハボックが捉え、皺が寄った一万センズの紙幣を
二枚掌の上に置いた。
「はい前払い 大佐が言い出したんだからキャンセル無しで…
もし規約違反をするならペナルティ10倍払いでなら認めます」
「えっ あっいや待ってくれ今のは…」
「言葉のあやってのは無しっスよ もう金払いましたし」

ちょっと待てハボック。
なんなんだその有無を言わせぬ強引さは。…私の話を聞け、
聞けというのに!
「聞きません もう遅いっス」

「じゃあ最初の甘え希望は 新婚パジャマー パフパフ〜ッ」
語尾の楽器音変わりにそれらしい擬音を口で発音したハボックが
差す、新婚パジャマとやらが何なのかが理解できずに固まって
いるとハボック用に準備はしておいたが、未開封の薄いパール
ブルーのパジャマ袋を持って、ハボックが寝室から帰ってきた。
まだハボックが家に入り浸る前、私の服ではサイズが合わぬから
と買い与えたのだが、ハボックはボタン締めるのが面倒だし、シ
ルクなんてガラじゃねえからと買った状態のままおかれていた。
 昨夜だってTシャツとスウェットで眠り、起きてからも似た
ような姿いるのに、なぜ今更。

ペリッと包みを開ける小気味良い音が響いて、ハボックが「はい」
とパジャマの上着を渡してきた。反射的に受け取ってしまったが
…イチャイチャ甘えろ要求でこれを渡すというのは、すなわち
着せろという意味だろうか。新婚というのは…妻が夫にパジャマ
を着せてやるという真似をするのだろう。
 気恥ずかしいが、バカな申し出を初めにしてしまったのは私なの
だから仕方があるまい。

「ほら そちらも寄越せ」
「…?」
何でという顔で私を見てきたお前に、私こそ何でだと返すぞ。
「お前の着替えを手伝えと言うのだろう? ならば下だって必要
ではないか」
「あーその提案も魅力的ですが…違いますよ パジャマの上を
大佐が着て下を俺が穿くんです」
「…では私は下に何を着ればいいんだ」
「着ちゃ意味ないでしょう 生脚っスよ」
 そうまで説明されて、ようやく私はハボックが一枚のパジャマ
を分け合って着るのだと言っていると理解し、強く頭を振った。

「そ…それは少々私向きの提案ではないぞハボック なにか別の
…そうだ!食事をあーんと口に運んでやるぐらいなら…」
「勿論そっちは着替えた上でやってもらいますとも」
 にっこり笑うハボックの背後に、断ったら二十万センズ一括
現金払い値引き無しでないとキャンセル不可という文字が浮かん
で見えるのは、…私の思い過ごしか。

「…いやしかし…いきなりそれは……」
「じゃあ室外デートコースにしてあげてもいいっスよペアルック
で一つのジュースを二つのストローで分けあって飲んで 公園の
ベンチで俺の膝に座ってもらってサンドイッチをあーんって大佐
に食べさせてあげるコースになりますが」
「……お前 本気でそれがしたいのか?」
「いや…普段ならさすがに俺も人目を気にしますが 二万センズ
の重みがやれるなら一度やってみてもいいかなあって囁きかけて
くるんスよ あ、『あーん』って食べさせられるのが嫌なら俺に
『あーん』ってしてくれるコースでも構いません」

「…室内コースで頼む」
「甘えた口調で」
 くっ…楽しそうに上機嫌なハボックの表情が少し…いやかなり
ムカつくが、ベンチで膝乗りでサンドイッチの苦難に比べれば
ここで折れるぐらい大したこと無いぞロイ・マスタング! さあ
言え!言うのだ 甘えた口調で!!

「…ジャン 室内コースで…お願い」
「くはーーーっ!すっげぇ破壊力っスね!了解です!!新婚パジャ
マであーんも捨て難かったですし」
 
 …この私がハボックに敗北感を覚える日がくるとは…
自分の行動に打ちひしがれた私は、先人達の教え『後悔先に
立たず』という言葉を心から噛み締めていた。