交換条件


 「ハボック でかしたな」
 職務中に作ることの多い薄い笑いと違い、口端を快活に上げた微笑
で掲げた用紙をピラピラと振るロイは、どこか誇らしげだ。
二人きりという夜勤は、幸い急ぎの仕事も無く雑談に興じていられる
だけの余裕も有る。
「ん?…えーっと俺なにか誉められることしましたっけ」
後頭部を掻くハボックは、思い当たる節がないと軽く頭を捻り 煙を
吐くが、今更そんな態度が不遜だと窘められることは無い。
「模擬演習の総合結果で 体力、個人格闘、発見した敵部隊の数と
駐在地予測の総合でお前が上位に入った 明日には表彰されるぞ」
「へぇ… それはちょっと嬉しいかも」
「そこで、だ」
コホンと咳払いをしたロイは、持ち上げたままでいる用紙の一箇所を
指差し、ハボックに見るよう促した。

「…表彰者の一言?」
「そうだ まあ自分の日頃行っている訓練や心掛けている事などを
訓戒として述べるという訳だな…」
「嫌っス」
 なにごとかを言うより先に、ハボックにバッサリ両断されたロイは
一瞬鼻白んだ顔つきとなったが、それでも続けた。
「…まだ何も言っておらんぞ」
「アンタのことだから『こういった結果になったのも素晴らしい上司
のおかげだ』って言えとでも言うつもりだったでしょ」

 わざとらしく横上に目線をやり、細く煙を吐き出すハボックにロイ
はめげずに言葉を重ねた。
「事実だしお前が上司思いと判断されるし 良い事づくめだぞ」
「…事実…?」
「そうだとも体力と格闘技術はお前の天性だが 敵部隊の動きと駐屯
場所の推定できたのは 普段私を追い駆けての際の予測が役立った
からだろう」
「…自分のサボタージュを棚に上げやがったよこの上司…確かに大佐
殿がどこにいてどうやって息を潜めてるかを 検討するようにはなり
ましたが それとこれは別問題っス」
「どこがだ お前は日々の私の行動の賜でそういった頭脳戦でも役
立てるようになったのだと感謝をすべきだ」

 つまり、言いたいのはそこであったのだろう。
論点がずれまくっているのを、世知に長けたロイ・マスタングが察知
していないはずが無く、要するに『だから自分の逃亡を 認めろ』と
暗に主張しているのだ。
 機微に疎いとされるハボックにすら、すぐ解る得意げな表情である
というのも開き直った感で、性質が悪い。

 しばらくどうやって言いかえそうかと悩んでいたハボックは、煙草
を灰皿で押し消してにんまりと笑った。
「いいっスよ」
「…え…」
 自ら言い出しておきながら、呆気に取られた顔になったロイにハボ
ックの笑みは深まる。
「その代わり俺のお願いも聞いてくださいよ」
「…やはり人前での言葉は 自分で考えたものでなくてはいかんな
うん ハボック先ほどの…」
「言葉はナシってのは駄目 キャンセル不可…なに簡単な条件っスよ
大佐がかわいく『ハボックお願い』って言ってくれりゃいいだけで」
「…却下」
「キャンセル不可って言いました〜♪ペナルティでシャツボタン二つ
開け条件追加発動」
「歌うなっ! そ、そうだハボックすまんが私はまとめたい資料が
あるんだった ちょっと資料室へ…」
 会話の隙を狙って、廊下へと向かおうとしたロイの手首をすかさず
ハボックは掴み引き止めた。

「逃がしませんって 大佐は人前で株が上がる俺は嬉しい…良い事
づくめ…でしょ?」
 自分の発言を逆手に取ったハボックが、耳朶近くで低く囁いてきた
声でロイはピクンと小さく震えた。
「み…耳元で喋るな…だいたい…私がそんな台詞を言うと……」
「言ってもらえないから貴重なんスよ ね…言って?」
上機嫌のハボックがペナルティ分と称して、ロイのボタンをわざと
時間をかけて外していく。
やめさせようとしても力だけならハボックの方が上で、ロイが悔しげ
に睨みつけるその抵抗すら、楽しんでいるようだ。

「こらやめろっ…こんなトコロで盛る…な……っ」
「場所? …場所が問題なんだ それなら奥の個人執務室の方へ行き
ましょうか」
「ちがっ… おいハボック話を聞けっ!」
「聞いてますよー だからちゃんと場所移動してあげてるんじゃない
っスか」
既に『商品お持ち帰りスタンバイオッケー!』状態のハボックは手首
だけでなく空いた片手で肩を抱いて拘束を固め、ズルズルとロイを
強制的に運ぶ。
「だいたい私に『可愛く』という条件自体が無理だと悟れっ!」
 ぐぐっと踏ん張ったロイは何とかハボックの腕から脱し、顔を紅く
胸元のシャツを握って、そっぽを向いた。
「…いや そのポーズといい表情といいメチャクチャ可愛いっス」
「…それはお前の目が腐っているからだ」
「あーもう自覚ナシだから困るんスよねー …やっぱ条件訂正そうい
う顔 他のヤツの前で絶対しないに変更してください」
「そんな顔も何も私は普通の顔だ」
「はいはい じゃあ条件成立って事で」

 にっこり両手を挙げて頷いたハボックは、翌日の式典で一言ばかり
か延々十五分『ロイ・マスタング大佐の素晴らしさ』についてを微に
いり細にいり語り、自分と大佐の絆の深さと他が割りいる隙はないと
いう趣旨を宣言するのだが、とりあえずの窮地を脱し一息ついている
ロイは目先の安全確保で全力を使い切っており、知る余地なかった。